峠 最後のサムライのレビュー・感想・評価
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ある意味でこれが「最後の日本映画」になるかも知れない。
小泉堯史監督といえば、黒澤明監督作品の助監督を務め、黒澤組のスタッフを引き継ぐように監督デビューした人物。作風や作家性が同一ではないにせよ、画作りや演出におちて、確実に黒澤映画のメソッドを受け継いでいるし、小泉組の常連スタッフたちも、もはや日本映画史の伝説と言っていい。
司馬遼太郎の同名長編小説を原作に、長岡藩家老・河井継之助を主人公に描いた本作は、正直、前知識がない人にはキツイ、というか、限りなく不親切設計だと思う。例えるなら、MCUの知識が一切ないまま『アベンジャーズ エンドゲーム』を観るのに近い。河井継之助という破天荒で矛盾に満ちた人物の、最後の一年間にだけ焦点を絞り、滅びの美学に殉じていく姿を静かに見つめる。そんな構成は、いきなり最終回一回前から見るのにも似ているかも知れない。
サムライの美学、滅びの美学といった、いささか人迷惑な陶酔に溺れすぎているきらいはある。しかし、ちゃんと画面の内外に人を配し、ロングのカメラ複数台で撮影していくというもはや滅びつつある映像はずしりと腰が座っていて、そこで詩のように紡がれる「滅びの一歩手前の静かな時間」は、上品なエモさであふれている。
モブの顔つきがみんないいのもこの映画の長所であり、いずれにせよ手間と暇をかけることを厭わない姿勢に感心すると同時に、こういう豊かな映画作りは今の疲弊した日本では消えていくしかないわけで、最後のサムライならぬ最後の日本映画になるのではないか、とそんな感慨にとらわれた。人は選ぶが、題材に興味がある人にはおすすめです。
「司馬遼太郎」×「黒澤明組スタッフ」が総力を挙げて作り上げた「サムライ(武士)」の最後を描く本格的な時代劇映画。
本作のメインとなる舞台は、現在の新潟県です。
なぜ新潟県なのかというと、実は新潟県は明治初期の段階では「全国の都道府県で人口が最多の県」であり、日本のメインでもあったのです。
本作は、徳川家によって統治された260年余りにも及んだ江戸時代が終わりを告げる「大政奉還」から始まります。
この最後の将軍・徳川慶喜による「大政奉還」のシーンは、もはや映画の現場ではほぼ見かけない「フィルムカメラ」で、2,3台という体制で7分間を超えるような長回しをしています。
本作のメガホンをとったのは黒澤明監督に師事し、黒澤明の遺作シナリオ「雨あがる」でデビューを果たし、日本アカデミー賞で最優秀作品賞をはじめ総なめにした小泉堯史監督です。
本作は「黒沢組スタッフが集結した集大成のような作品」となっているのです!
そして本作の主役は、越後の長岡藩(現在の新潟県長岡市)の家老である河井継之助(つぎのすけ)です。
「大政奉還」により❝平安の時代❞が訪れるはずが、新政府を樹立する薩摩・長州を中心に「徳川慶喜の首が必要だ」となり、国が「東軍(旧幕府側)」と「西軍(新政府を樹立した明治天皇側)」に二分し、「戊辰戦争」という日本最大の内戦に至ります。
この最後の動乱を経て、サムライはいなくなりますが、まさに「サムライとは何だったのか」を象徴する人物が、司馬遼太郎の長編時代小説「峠」で描かれた河井継之助なのです!
「忠義は重んじるものの、無用な争いが起こらないように死をも恐れず誠心誠意を尽くす」姿は、今の世の中に響くものがあります。
そして、この国の行く末を考える際に、福沢諭吉が説く「教育」の重要性が出てくるなどキチンと本質を洞察していた人物であることが分かります。
主演の役所広司の渾身の演技は言うまでもなく、妻役の松たか子はナレーションも上手く、時代劇が無くなりつつある今、見るべき本格的な時代劇となっています。
新選組のように有名ではない幕末のサムライ。戦略を立てながら平和を願う彼の姿にサムライの在り方を改めて考えさせられる
司馬遼太郎の「坂の上の雲」「竜馬がゆく」などは大河ドラマなどで有名だが、彼が書いた「峠」については知らない人が多いのかもしれない。
1977年の大河ドラマ「花神」の原作の1つとして採用はされたが、あくまで1部であり、本作の映画化により初めてその全貌が映像化された。
映画化された本作は、幕末に生きた河井継之助の話で、戊辰戦争前後の長岡藩の話である。
そもそも長岡という地名も新潟県民でないとピンとこないのかもしれない。
しかし、司馬遼太郎が「侍とは何か」を考えるべく白羽の矢を立てたのが河井継之助であり、「峠」により越後長岡藩の家老・河井継之助を世の中に知らしめることとなったのだ。
それは「藩」や「武士」などという仕組みから解放を模索し続け、時代の先を読んでいた人物だからだ。
「侍は民のために存在する」と、戦いのない世を願ったにもかかわらず、時代の転換期による動乱に巻き込まれていく悲劇は「最後のサムライ」の姿を見た思いだ。
幕末の風雲児・河井継之助を演じた役所広司と、その妻を演じた松たか子は、文字通り夫婦そのもので、その凛とした夫婦関係が心に染みた。
この2人以外のキャストも豪華で、「もっと出て欲しい!」と名残惜しく思うほど贅沢な使い方であるが、主役(役所広司)を中心に描くべき作品のため、この思いっきりも潔い。
本作は、徳川幕府の終焉と、あまり知られていない幕末の風雲児と越後長岡藩を改めて学ぶ大事な機会であり、歴史を大局的に把握し、人情的に見ると、より作品の良さが伝わる。
「史実は史実、映画は映画」なんですが…
2022年公開、松竹配給。
監督・脚本:小泉堯史
原作:司馬遼太郎「峠」
主な配役
【河井継之助】:役所広司
【継之助の妻・おすが】:松たか子
【土佐藩・岩村精一郎】:吉岡秀隆
【前藩主・牧野雪堂】:仲代達矢
幕末、長岡藩を率いて、官軍と戦った河井継之助の伝記映画。
原作の『峠』を著した司馬遼太郎は、
歴史上の人物に明確なキャラクターを与えて、
まるで見てきたかのようにイキイキと描く小説家だ。
幕末の坂本龍馬、土方歳三などのイメージは、
司馬遼太郎が作ったと言って良い。
司馬史観、などとも呼ばれる。
本作の河井継之助像は、司馬遼太郎が作ったそれとも異なる。
1.妻と芸者遊び & 手つなぎ
原作の『峠』にも、このエピソードがある。
もちろん有り得ないことではあるが、
河井継之助、というよりも、
役所広司に寄せた逸話のようですらある。
役所広司に似合うシーンだ。
だが、小説で読むのと映画で観るのは異なる。
このシーンには、苦笑を禁じ得なかった。
役所広司には似合うが、
幕末の譜代大名の家老には似合わない。
2.42歳で死んだリアリスト河井継之助
役所広司では老けすぎている。
(言っておくが、私は役所広司ファンです!)
河井継之助は、「超」のつくリアリストだ。
ロマンチックな佐幕派ではない。
史実では、藩主を説得して、
・京都所司代
・幕府の老中職
を次々と短期間に辞職させている。
「史実は史実、映画は映画」なんですが
つまるところ、
河井継之助の何を描きたかったのか、
よく分からなかった。
ところどころ、
予言めいたことを話すシーンが出てくるが、
「先の読める人」
としてアピールしたかったのか?
保守的な時代劇らしい、重厚な感じは好きだが、
河井継之助を描いた伝記映画ではなく、
役所広司のショーケース映画のようだった。
☆3.0
継之助は世界の情勢に詳しく、 福澤諭吉らの動向にも目を配り、 在日西洋人の知己も多い知識人だった。 しかし、自説と自身の理想にこだわり、 現実を見謝った感はぬぐえない。
動画配信で映画「峠 最後のサムライ」を見た。
2022年製作/114分/G/日本
配給:松竹、アスミック・エース
劇場公開日:2022年6月17日
役所広司
松たか子
香川京子
田中泯
永山絢斗
芳根京子
佐々木蔵之介
仲代達矢
吉岡秀隆
芳根京子は時代劇の町娘がよく似合うと思う。
「峠 最後のサムライ」
「居眠り磐音」
「散り椿」に出演していた。
『峠』は司馬遼太郎の時代小説。
人々は熱狂し、
この小説は大いに売れたという。
無名だった、幕末から戊辰戦争時の越後長岡藩家老・河井継之助を、
世間に広めることとなった。
継之助は世界の情勢に詳しく、
福澤諭吉らの動向にも目を配り、
在日西洋人の知己も多い知識人だった。
しかし、自説と自身の理想にこだわり、
現実を見謝った感はぬぐえない。
自慢のガドリング機関銃はそれほど役には立たなかったように見える。
5月に長岡城が奪われた。
7月に長岡城を奪還したが、
城を維持できたのは僅か4日で、
継之助は足に被弾し重傷を負った。
継之助は、騒動の全ての責任を負って切腹した。
生き残った人々は苦難の中、
教育をもって戦後の復興に務めた。
司馬遼太郎がなぜ河井継之助に注目したのかわからない。
満足度は5点満点で3点☆☆☆です。
貴重な題材を扱った意欲はともかく
原作既読。
難しいのよ、河合継之助は。
地元長岡ですら好悪両論ある人物で、例えば映画でも描かれる長岡城陥落の際も、陥落した途端一揆が相次いで対応に追われたことで奪還が遅れたことから分かるとおり、当時でも領民からの評判は決して良い人物ではなかった。
戊辰戦争後に長岡に継之助の墓が移された後も、何度も墓石が倒されていて、彼が買った恨みも相当深かったことが伺えるし。
司馬遼太郎の原作ですら、彼を手放しで褒め讃えているわけではないし、自分にも当時のこの情勢で「中立」を模索することはかなりの無理筋であったように思えるし。
ちなみに原作では継之助は長岡藩を中立独立国にすることを目指していたような書きぶりだけど、それはいくら何でも…って思う(^-^*)
それで長岡を焦土にしてしまったのなら、そりゃ恨まれて当然でしょ。
当時の奥羽越列藩同盟の諸藩では、結局寝返って新政府側についた藩の方が多いほどで、戦力分析からも大義名分からも無理もない、とも思える状況だったわけで、その情勢で「中立」を唱える時点で新政府側からは敵と見なされて当然だったわけで。
なのでその河合継之助をどう捉えるか?というのは彼を主役に据えた作品を創るにはとても重要。
司馬遼太郎の原作はそれを成し遂げていたからこそ、一定の評価を受けているわけなのだけど、この映画の製作陣に果たして明確なコンセプトがあったのか?
製作陣が河合継之助という人物をどう評価するのか、その明確なコンセプトがないまま、原作のほぼ下巻だけを無造作につまみ出して映像化しただけ、という印象を受ける映画だったな。
なのでどうにも焦点がぼやけたお話になってしまっている。
役所広司という名優の無駄遣い。
勿体ない
司馬遼太郎の原作、素晴らしいキャスティング、本来であれば魅力的な河井継之助という人物、これらの素材が全く生かされず、何も残らない映画となってしまった。
人物描写の掘り下げが浅すぎて、登場人物に感情移入できず、さらに平面的なシーンが淡々と繋がれるだけで、伝えたいものが全く伝わらない。
感動的なセリフを織り交ぜたいのはわかるが、そこに至る背景が描かれず、セリフも心に残らない。
戦闘はあるが迫力がなく、ガトリング砲もすごいのかすごくないのかよくわからず…。
原作が好きだったのですが、ただただ残念な気持ちになりました。
仲代達矢との共演嬉し
レンタル110 役所らの安定感で問題なし
ストーリーはそれぞれの立場で言い分があろう
オラは東北で唯一官軍についた秋田生まれなので
その理屈というか大義を知りたいとも思う
まぁ小ズルいと言われても仕方ないが
それも生きる道と思うところもある
大学のときの友達が長岡出身だった
いつか観光がてら会いに行きたいと改めて思った
無名塾創始者で役所の名付け親の仲代達矢との共演嬉し
予想以上
レビューの評価が低かったので、不安はあったがそれなりによくできれると思った。これ原作読んでないと多分よくわからないし、難しいと思う。その中で司馬遼太郎作品の映画化ではダイジェスト版みたいにならざる得ないけど2時間以内にまとめてるのは頑張ったと思う。多分2時間半だろうが3時間だろうがそう変わらないと思う。
生き様より死に様
最後の戦いに焦点が当てられているので、生き様としては薄味になっていたが、死に様としてはきちんと描けていた
この手のサムライの美徳は後の箱館戦争や西南戦争でもラストサムライとして作品があるのでこの作品が好きなら見てみるのも良いかもしれない
過去から学ぶこと。
幕末の長岡藩。河井継之助。
分からん事だらけと思ったけど、
河井継之助の理念や先進的な考え方は現代人にも響くところが多々あった。
ただ長岡藩の中立、独立を訴えたせいで長岡藩を窮地に追い込んだようにも見えなくもなかった。
命をどう使うか、生きるとはどう言う事なのか、
死をどう迎えるか、
河井継之助を通して武士の無骨な生き方をカッコよくも
思うけど、今となってはしんど過ぎるなとも感じた。
2時間では
なかなか深みが出ないなって思い
大河にしたら面白いかもなと
思ったのが感想だったけど。
調べたら、大河になってて驚いた、、
松たか子の凛とした美しさや
映像、音楽は良かった。
映画だと役所広司あたりにしないと
なんだろうけど、、
もう少し柔らかい役者さんでもよかったんじゃないかな。
実際、長岡藩出身だから
山本五十六も苦労したことは事実なんだよな。
こんな戊辰戦争もあったのか
戊辰戦争
一言で言っても全国各地で勃発した戦がいくつもあった。
一般的には会津藩、白虎隊の知名度と物語が一番に来るが、地方それぞれの藩にもこういう侵攻があったと分からせてくれる。
佐幕派と尊王派
この作品だけを見ると薩摩長州の横暴さが目立つ。
描き方一つで見え方が変わるのは映画のおもしろいところ。
さて映画の仕上がりに話を戻すと、このトピックスを取り上げた割には重みに欠けた印象。
エンディングもあれ?という感じでエンドロール。
平均点が低いのも納得
河井継乃助を題材にするという新鮮さ。 終始淡々としていた。 武士の...
河井継乃助を題材にするという新鮮さ。
終始淡々としていた。
武士の精神、考え、新しいものを取り入れること、未来に想う希望。
役所広司がカッコ良かったです。
酷すぎる
これが河井継之助なの?
『八十里 腰抜け 武士が通る道』だっけ?
辞世の句にも触れず、ただただカッコよく大人物に描いているけれど。。。
評価されてきたのは最近。(今でも賛否は分かれてる)
無益な戦をして長岡を火の海にした男…
事実、河井の墓は石をたくさん投げられて欠けていたとか。。。
その辺りも描かないと河井の魅力は出てきません。
越後の小藩で、金もないのにガトリング砲を買って武装中立を目指した。
小藩だったがため相手にされず、戦わざるを得なかった。
決してカッコいい男ではなく(役所広司が演ずる様な)
悩みに悩んで死んで行ったサムライかと。
もっと役者を選んで欲しかった。(タッパなくてもイケメンでなくてもいい!)
そしてその悩む姿に観る人は共感するのでは?
私は大好きですね。この人。
この「シリーズ」ダメかも
自分は幕末から明治維新が大嫌いです。日本が一番狂っていた時代です。一般的に革命は血を欲し、その血は下剋上としてのそれですが、日本の場合は300年の恨みを最上位を頂いた薩摩長州を中心とした「自称」官軍のテロリズムを含む傍若無人な振る舞いの正当化でしかないからです。
そういうところにおいて、官軍側の傲慢さ、無礼さを適切に表現していました。しかし、それ以外は全部中途半端でしかないです。テレビで時代劇が作られなくなって、製作者側のルサンチマンの解消に映画を使っているようにしか思えないんですよね。映像の撮り方/編集とかハリウッドに倣えとは言いませんが、テンでダメなんです。テレビのまんま。戦争のシーンも錦絵の方が迫力を感じます。それ以外も会話シーンもお互いを正面から撮り合わせたワンパターンで、普通の会話議論ならそれでもいいんですけど、密談をしているならちょっと引きでお互いの背中越しに編集してみるとかどうなんでしょ。きれいな風景を背景にしているならその自然の魅力を伝えるとか工夫がないんですよねえ。。。
肝心なストーリーも割りと長編な司馬遼太郎作品を2時間程度でまとめることに無理があるよなあというのは関ケ原から感じていたことです。あ、燃えよ剣は観てないやw。割り切って、勝負に出て3部作にするとかじゃないと、、、って、それじゃ主な鑑賞者層にはキツイかな(笑)。
この映画のダメなところは河井継之助が河井継之助ではなかったところですね。なんか史実をだいぶ捻じ曲げちゃっていると思いました。
え?それじゃダメじゃん。そうです。ダメなんです。
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