峠 最後のサムライのレビュー・感想・評価
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良質な映画、だからこそ多少難解か
地元長岡の数少ない有名人の映画ということで、数年前から、公開を楽しみにしてました!
コロナ影響の公開延期を経てついに。
役所広司、松たかこ、永山絢人などなど、演技が素晴らしかった!
河井継之助の先進性や公平性、忠義さ、視野の広さ、かなり優れた人物であったことも分かり、とても誇らしい。
まさにラストサムライの名にふさわしい英雄。
しかし、やはりこのご時世でもあり、戦争のシーンは見ていてツラい。しかも敗戦。
冒頭の徳永慶喜の独白シーンの長さに飽きてしまったが、あれはあれで演出上意味があるのでしょう。
ところどころ、何が言いたいシーンなのか考えねばならず、多少難解かもしれない。
それにしても映画館は満席であった。
いわば地味な日本映画にここまで人が集まるのは素晴らしい。
何目当てで観に来られたのか皆さまに聞いてみたい。
ありの〜ままで〜
数多くの映画が公開延期になった今日。
日本映画の中で最も延期を余儀なくされた作品が本作であろうし、公開延期になった日本映画も本作でラストではなかろうか。
役所広司×司馬遼太郎ということで割と楽しみにしていた作品。ようやく見ることが出来ました。映画館で公開することにこだわり、ここまでたどり着いてくれたことに感謝です。そして、恐れ入りました。この時代にここまでの本格時代劇が見れることに感激です。
あまり歴史に詳しくない私にとっては、少々難しい表現があったり、無名の人物を描くにしては尺が短かったり、色々な懸念点はありましたが、時代劇としての質はかなり高く、見応えもあって、やはり映画館で見れてよかったなと思えた作品でした。歴史は面白い!もっともっと知識を深めたい、そう思わせてくれた作品でもありました。一作一作、すごく長いですが、是非とも司馬遼太郎の原作も読んでみたいものです。
役所広司含め、豪華キャストが光っている。
小さな役でも華やか。同じく司馬遼太郎原作の、昨年公開された「燃えよ剣」では山田裕貴が演じていた徳川慶喜。本作では東出昌大が演じていますが、こちらもとても良かった。私の徳川慶喜イメージはまさにこんな感じ。気弱そうだけど、実は心がしっかりあって気品のある人物。山田裕貴の追い込まれて投げ出すような慶喜もいいけど、東出の自分を押し殺しながら大政奉還について語る慶喜もいい。とまぁ、こんなほんの数分しか登場していない人物にもしっかり焦点が当てられており、非常に上手く描けている。人物描写が長けています。
もちろん、主人公の河井継之助についても中々よく描けています。先程も言ったように、2時間だと少し物足りないなという印象を受けましたが、それでも2時間の中でしっかりと彼の魅力が伝わってきました。カラスのように、昇っていようと暮れていようと太陽に向かって突き進んでいく。その言葉通り、未来の日本を常に妄想しながら生きていた継之助に心打たれました。知られていない人物にもドラマがある。「大河への道」でも語られていたように、やはり表に立っている人だけが全てじゃないんだなと改めて感じさせられました。
ただ、中だるみがちょっとキツかった。動きにキレがなく、少し緩やかに話が進んでいくのには眠気を誘われてしまいました。全体的に静かなんですよね...そこが不満点。しかし、ラスト際にはいいセリフがたくさんあって。中でもお貞が言われた「愛するとは、一緒に同じ方向を見ること」という言葉が、私の胸をグッとしました。
でも、本当にいい時代劇でした。
自分の知識と理解力さえあれば、もっと評価は高くなったかもしれない。歴史好き、役所広司好きには大いにオススメしたい作品です。機会があればぜひ。
ラストサムライ
大変興味深く良かった。
司馬遼太郎ぽいと言うのか、河井継之助のこと知らなかったけど内容もすんなり入ってくる。
台詞も間も映像もじっくり考えながら見れる感じで心に残る。
改めて150年ぐらいでこうも日本人は変わるものなのかと考えさせられた。
本も読んでみたい。
役所広司の気迫一本槍
原作未読で、主人公である河井継之助のことも全く知らなかったが、コロナによる度々の延期を経て、やっと公開されたこともあり、結構期待感を持って観た。
大政奉還後の混乱の時代に、官軍とも幕府軍とも異なる第三の道を目指す人物がいたことに、まず驚く。海外から最新兵器を輸入し、今で言うとスイスのような「武装中立」を目指したのだろう。しかし、「外交力」は弱かった。官軍への嘆願書の取り次ぎを頼んだが、断られ、結局は全面戦争に突入する。あれだけ、民のために戦を避けると言っておきながら。
一度は奇襲により城の奪還に成功したものの、戦力差には抗えず、敗走し、自身も傷を負う。それでも最期まで、後世の人たちに評価を委ねるとして、自ら信じる義を通す。
とにかく全編、役所広司の気迫がみなぎっている。気迫一本槍といった感じ。その分、人物像の深みや厚みには欠ける。河井の先駆的な発想の源となった洋学の修養や、西洋人との交流といったエピソードにもう少し触れられていれば、理解しやすかっただろう。
松たか子をはじめ、他の出演者は、どれも特別出演といった感じ。松たか子の踊りでの手さばきはきれいだった。
最後の方は駆け足で、ラストもあっけない感じ。もう少し余韻がほしかった。石川さゆりの歌はよかったけど。
越後長岡藩牧野家 河井 継之助の物語
司馬遼太郎さんの小説に、
その他漫画などで知る戊辰戦争。
戊辰戦争の話などを、
出すと、間違いなく長くなる。
本来それが辺り前なのだが・・
そして、
戊辰戦争など大層な話
ではなくとも、
人が喋る話とは
長く、長くなければならないのだが・・
時間の縛りなく
好き勝手に長く長い話を、
喋る人ばかりに
なると、世界はどうなるのだろう。
鏡よ鏡よ鏡さん・・
人は鏡を眺めてしまう。
眺めなくなるよりは
眺め見るほうが・・
良いのでしょうね・・
ご家老。あなたはあなたの信念をこの藩に押し付けられますか?
その言葉を、この映画の製作陣にそのまま返したい。
いいのか、こんな時代劇作って。筋書きどころか、時代考証だって破綻してるでしょ?
この世代の映画人がよくやる、「現代の価値観の押し付け」に辟易している。だいたい、予告で継之助が「武士はもう、俺が死ぬが最後よ」なんて言ってる時点で、何自己陶酔してるのか?と冷めていた。でも、司馬遼太郎の原作をどう仕上げるのか興味はあった。
ようやく重い腰を上げて見に行ってみると、衝撃の駄作。だいたい何、画家になれとか、オルゴールとか、そいうのいらないでしょ。その伏線の回収さえ満足にされていないし。家老だったら月代は剃った方がいいんじゃない?とか、軍監岩村は土佐弁使わないと横柄さが伝わらないでしょ?とか、ガトリング砲の意味を伝えてくれとか、次から次へとイラつかせてくる。
継之助の人物造形にも不満が多い。だいたい、継之助享年42歳に対し、役所広司66歳。当時すでに老練な駆け引きができる年齢であったとしても20歳以上離れた役者をつかうのは、違うのではないか。それは、今の40代の役者には、重みのある役ができる人がいないとでも暗に言っているようなものだ。しかも、分別盛りの穏やかな人物で描いている。違うでしょ。言葉汚く言えば「武士の体面気にして領民を巻き添えにし、ガトリング砲なんて局地戦でしか使えないバカ高いもの勝手に買いこんで、実現性の乏しい武装中立なんて理想論掲げた、我の強い人」でしょ。「侍の道を忘れ、行うべきことをせねば後の世はどうなる」と部下に諭すなら、その言葉をさっさと逃げていった藩主に言ってほしい。玉体でもあるまいし、戦国の世なら戦場にいて鼓舞するのが藩主の役目でしょうが。会津中将を見習ってほしい。だいたいその会津の共闘依頼さえ、なあなあであやふやにし、気を持たせた罪な長岡藩じゃないか。
そして、継之助の青年期の諸国遊学を描かなければ彼の見識の高さも、なぜ慕われたのかも伝わってこない。そりゃあ理解の助けになるのなら、多少の創作性はあったほうがいい。だけど、あれを見た客が、また時代劇を見たいと思えるのか?大事なことがことごとく抜け落ちているこの映画は、時代劇の恥だ。
かたちこそ・・・・・
既に3年前に完成していた本作がコロナ禍により公開が延期され、漸く日の目を見ました。
良くも悪くも基本に忠実に、外連味なく誠にオーソドックスに作られた作品です。
会話シーンはBGMなく静寂の中に声音を画面中に響かせます。あるワンカットを除いて寄せの顔アップのカットは一切なく、観客の目線の高さからの引いたカットで終始します。奇を衒ったローアングルや俯瞰ショットもなく、最近よく見かける手持ちカメラも一切使われていません。
カットは殆どがフィックスで引いた長回しが多用されていて、BGMのない無伴奏の自然のままの、室内での二人だけの抑揚のない会話シーンが、特に前半は非常に多く使われます。
本作は本来的に対話劇ではないので、残念ながら個々の会話に含蓄や凝った伏線もなく、またサスペンス性もなく、主役の河井継之助が相手を変えながらも淡々とした会話のやり取りが繰り返されます。
官軍が襲来して愈々戦さのシーンが始まり物語に大きな変化が出て来るまでに1時間弱の尺を使っていて、観客には退屈で倦怠感が募ってしまいます。
司馬遼太郎原作小説は、独特の司馬史観に基づき、主人公とその取り巻き連の数名から十数名の人となりや生い立ちや成長話を、長期間に亘って丁寧に緻密に描き込んでいき、時には各々のエピソードの膨らみが独立した物語にもなるような、その時々の歴史を、時空も行き来しつつ様々な視点を駆使して描き出しています。
そのために、2時間程度の映像に仕上げるには、よほど大胆で独断的な切り口で脚本化しないと、結果的にテーマが不明確で中途半端な作品になってしまいます。
本作の主人公、越後の譜代大名:牧野家が統べる小藩・長岡藩家老・河井継之助は、幕末動乱の中、佐幕でも勤皇でもない第三の道を模索し目指そうとしながらも、結局力の差で挫折し、哀れにも歴史から消されていった、ある意味で天才的策略家ともいえる一方、時勢を見極めきれなかった愚か者ともいえます。無名の人だけに描き方しだいで如何ようにも捌ける作り手にとっては垂涎の素材です。
原作のように正気と狂気の狭間で沈思し懊悩し熟慮し苦悩する孤高の人に仕立てても良し、巨大な歴史のうねりに大胆に棹差そうとした無謀なギャンブラーとしても良いでしょう。
前述のように、前半があまりにも悠長なテンポで捉えどころなく進行しただけに、後半一気に戦闘シーンばかりが展開し、そのままエンディングになってしまうと、観客は何だか消化不良の印象だけが残ったように思います。
私は、難解ながらも、継之助と妻のおすがによる、倫理を弁えた男と女の、蒼白くも静かに煌々と燃える夫婦愛の物語であろうと思えます。激動の時代の流れに翻弄されなければ、穏やかに睦まじく全うしたであろう男と女の本質が見えてくるのは、ラストに詠われる和歌でした。
「かたちこそ 深山かくれの 朽木なれ 心は花に なさばなりなむ」
悲哀と悔恨が根底にありつつ、気高い覚悟による悟性に満ち、不思議な幸福感が漂う気がします。
満足に出来ないなら映画化するなって。
司馬作品でもベスト3に入れたい愛読書であり、好きな歴史上の人物ベスト3に入る河井継之助。それをよくもまぁこんな駄作に仕上げたもんですわ。
平和でもなんでもなく彼は長岡藩が生き残るために行動しただけに過ぎない。それを現代の価値観に押し込めるなんてのは歴史学のもっともやってはいけないタブー。
今までこの禁忌を犯した映画がほとんどやったけど、今作品もやはりか、とタメ息しか出ない。司馬遼太郎の全作品にも現代の価値観は一切触れていないのに、勝手にテーマを変えないで頂きたい。我々は原作を熟知した上で映像作品を見に行くのだが、いくら小説と映画は別物と申しても、こうまでテーマを変えられるとタイトルを別のものにすればいい。安易に司馬遼太郎や峠とか出さないでほしい。
そして河井継之助という人物、幕末という時代、その時代その時代による価値観というものをもう一度しっかり勉強しなさい。元々商業的にヒットするような大衆娯楽映画じゃない、興味ある人だけ見て下さい的な映画やねんから、万人受けすることしか考えないこれまでの映画とは違う撮り方をすればいいのにな。
長岡藩 东军和西军 尽人事听天命 忠孝 八音盒 世界很大 两个相爱...
長岡藩
东军和西军
尽人事听天命
忠孝
八音盒
世界很大
两个相爱的人不是互相看对方,而是朝同一个方向前进
2022年7月2日
新宿ピカデリー
期待して
公開を期待して待ってました。
(^^)
戦国、安土桃山、幕末
歴史物は大体観てますが、
長岡藩にスポットをあてた作品は初。
河井継之助
名前は知っていましたが、
詳しくは知らずに観ました。
戦闘シーンは思いの他少なく
かと言って官軍との交渉の場も
多い訳でもなく
夫婦仲を中心に描いた?
どこにスポットを当てたのか?
ちょっとわかないので
正直なところ期待値以下でしたね…。
司馬遼太郎さん原作映画に、アマチュア アルバイト脚本家を起用した監督・製作サイドの冒険心と勇気に感銘した。
今年封切映画では、1or2の期待作で、楽しみに鑑賞したせいか? 僕のハードルが高かったのか?
原作は中学生時に読んだが、
本作脚本家は原作を1度だけ流し読みしただけで、
気の利いた"セリフ"を幾つか、メモをした程度なのだろう。
原作を少しも 読み説いてはおらず、"司馬遼太郎さんらしい点"は表面的なセリフでのみ点在しているだけで、
塩を塗しただけのモノは、料理の味にはなっていない。
武士をテーマとする映画なのに、端役の数人以外
家老という重鎮:主人公ほか、すべての主要人物に月代(さかやき)がないのは驚きだ。
その内、茶髪や赤い髪の毛が,登場するのではないかと期待したが、それは無かった。
それもこれも 桂を買う金も、床山さんやメイクさんを入れるお金さえもない、
学芸会インディーズ映画なのだから、しょうがないと思うしかないのだろう。
"時代考証"という概念を知らない製作者側は登場人物をみな西洋人の様に、手を振って歩かせているし
河井継之助と妻の顔が近づくと。。。キスでもしでかすのではないかと
ハラハラしたが、デコピン!
江戸時代にデコピンは坂本龍馬でもあり得ません。
もちろん、男女が手を握って歩くこともありません。
巨匠:黒沢監督が残した"黒沢組"
どの人も どの人も 凡才ばかり。。。
師匠が巨匠過ぎたので、当時は何も考えずに、言われたままだけの動きをしていたのだろう。
残念ながら、世界の巨匠遺伝子を継ぐ者はどこにもいない。
時代劇に必修である"自然を綺麗"に映そうとしている試みは理解できたが、
NHKの4K,8K映像を見過ぎてしまったせいか?
色の深みを感じられない。 カメラは絞って撮影して欲しかった。
唯一観るべきものは 光と影の扱い方だ。
和室に影の陰影は重要だ。 観るに堪えがたい映画の中で、一矢報いて、芸術的な面を魅せてくれた。
また"わだち"が写り込んでいなかったのも、もうひとつの良い点だった。
この映画を観たら、寅さんでも観れば、満足してもらえて、良いのではないだろうか。
「サムライの美徳」とは?
少し前までの幕末から明治維新に対する認識と言えば、薩長土の開明的な勢力が旧幕府側の保守的な勢力を打倒して成し遂げた正義の革命とするのが常識であった。しかしその後、薩長の横暴さが広く知れ渡り、決して明治維新は正義の革命などではなく、旧幕府側に同情する見方も多くなってきたと思える。この「峠 最後のサムライ」は、そんな旧幕府側の視点で幕末の動乱を描いたものだ。河井継之助は道理を弁え、時代の趨勢を把握している。こんな人物が新しい時代の主役であったら良かったのにと思ってしまう。しかし時代は薩長軍に味方した。平和を追求する河井に対して、薩長軍は横暴な武力統一を目指す。誰が見ても薩長軍に道理はなく、朝廷の威を借りた悪党共にしか見えない。歴史は勝者が作るものだと言うが、その通りである。万策尽きてやむを得ず戦争に突入した河井の無念さがよく伝わる。
「最後のサムライ」という副題が、この作品の性格を良く表している。確かに武士=サムライは江戸時代と共に滅んだ。しかしその精神には、現代では薄れてしまった多くの美徳がある。河井継之助の名言がいくつも出てくるが、その意味を考えながら「サムライ」の美徳を学びたいと思わせてくれる作品でした。
理念で映画を作ってはいけないのではないか?
(完全ネタバレですので映画を見てから読んで下さい)
正直、主人公の河井継之助(役所広司さん)が何がしたいのか伝わって来ませんでした。
徳川家との義を全うするために自らの命を懸ける訳でもない。
民のために恥を捨て、頭を垂れて新政府軍の西軍と交渉する訳でもない。
(あのような、我を通しながら相手に譲歩を迫る交渉の仕方で上手く行くはずがないのは当然ではないか、と半ば呆れて見てしまいました。しかも思慮工夫なく長々と‥)
新政府軍の西軍にも旧幕府の東軍にも属さない武装中立を目指すとか言いながら、その現実性に責任を持ってるとも思えない。
新政府軍の西軍との戦いで退却し城を捨てよと命じた後に、再び城を取り戻すと決起し、しかも4日で再び城を失う。その一貫性のなさ。
ガトリング砲で西軍を蹴散らしながら、のちに城奪還のために戦う時には銃を使うな!と正反対の指示をする。
正直、観客の私からは、河井継之助の言動はあらゆる主張が支離滅裂だと思われました。
挙句には「自由と権利」が大切との主張をしますが、その前に、義を通すとか、己を捨てて部下や民を守るとか、やるべきことが山のようにあるのではないかと思われました。
このような理念スローガンだけ唱えるやり方では、当然、民も部下も守れず、このような最後になるのは目に見えていたと思われます。
最後の自害の場面もしっかりとは映されず、あらゆる場面描写から逃げている映画と残念ながら思われてしまいました。
さすがに司馬遼太郎氏の原作はきちんとした描写がされていると思われます。
であるならば、脚本を書いた小泉堯史監督の責任が本当に重たいと思われます。
小泉堯史監督は次作はしっかりとした脚本家に任した方が良いと思われます。
黒澤明監督もこれはいかんと思っているのではないでしょうか。
役所広司さんをはじめとして役者の方々の演技は素晴らしかったと思われます。
映像からもスタッフにも問題あったとも思えません。
つまりひとえに脚本の問題が大部分だったと思われます。
映画も人間も、空虚な理念やスローガンを掲げて描いてはいけないと思われます。
その問題が露骨に表れた映画だったと残念ながら思われています。
空虚な理念やスローガンをまず捨てるところから始められることを願っています。
なんか惜しい
長岡戦争に入るまではワクワクもしたし期待感もあったのだが、戦争に突入せざるを得なくなってから、ただ時間が流れていっただけだった。
役所さんの継之助良かったし松たか子の奥様も良かった。
で結末があの終わり方?😅
炎を見つめてナレ死 それは感情移入できないでしょう。
なんか惜しいなぁ(>.<)y-~
役所広司の演技力を見る
長岡と言うと、米百俵と花火しか知らなかった、ましてや河合継乃助なんて知らなかった。
でも何がすごいって、役所広司の 腹の底から発する台詞力だ。ほぼほぼそれに尽きる。映画自体は幕末 最少藩の話なので、幕末話に疎い私としたら ちっとも訳が分からない。だが、しかし、松たか子の着物を着慣れている様子、所作の美しさ、そして盆踊り時の その手の動きがとてもしなやかで付け焼き刃じゃ無い鍛錬に基づいたものがあった。
その二人 冒頭 おすが役の松たかこが継乃助のひげを剃っているシーンがある。ん?親子⁈と思ってたら 夫婦だと。うーん、その設定はちと無理があった。
母親役の香川京子、久しぶりにスクリーンで見たが、凛としていて 座っているだけなのに そのいずまいが画面を締めていたのはさすが。 要所要所に、へーと思った俳優を配していたが、予告を見て 期待してみた私にしたら、ふーん‥と 思って つまらんと感じた次第。
熱さを感じなかった。
コロナでずっと延期して満を持して公開され、結果うーん、という感想です。
継之介の先見の眼や東京や地方での勉強熱心な姿が描かれていなかったのも残念でした。
抑揚なく、熱くなる場面も特になく。せっかく久々の時代劇だったのに。
松たかこさんの存在感は素敵でした。
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