津軽のカマリのレビュー・感想・評価
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初代が二代目に選んだ理由が分かる演奏。彼女の魂がCOOL JAPAN♥
東北の飢饉は昭和に入っても根深く続く。
「目が悪い者は、男はボサマ、女はイタコになる他ない」
それが東北の飢饉と関係しているのは歴史が語っている。
226事件の発動動機、宮沢賢治の活動、昭和八年の三陸地震。そう言った災害や行動や事件が飢饉と重なっている。そして、そう言った赤貧を強いられる庶民の生活から更にこぼれ落ちたハンディキャップのある者は、
ボサマとイタコになる以外ないのだ。
さて、高橋竹山さんの芸と言うのは日本に於ける近現代史のカウンターカルチャーとして継承していかねばならない。そう思う。
さて、
「高橋竹山を二代目として襲名した彼女は認めて貰えず、青森でコンサートすら開けなかった。」と言う話が最後にある。
高橋竹山と言う名称を蔑んでいたはずなのに、その後を継いだ女性を認めない。彼女の魂はCOOL JAPAN♥なのに!
なんでこんなに残念で悲しい結末なのだ!
高橋竹山という人物を収め尽くした意義ある記録
私は自分で自分の罪を恨んで三味線を弾いているんですよね。
かつて津軽では、目の見えない者は男はボサマ、女はイタコになるしかなかったという。
ボサマ。メーグ(盲)、門付け、ホイド、とも呼ばれた彼らは芸人ではなく、物乞いとみられていた。今では考えられないが、戦後辺りまではそうだった。津軽は、江戸の昔から飢饉に悩まされ食うに困った地方。そんな土地で百姓もできない者がどういう仕打ちを受けてきたのか、想像するまでもないだろう。おそらく、常人には耐えられないものだ。竹山が言う「自分の罪」とは、盲人として生まれてきたことか? もしそれを自分が背負って生まれたきた罪だというのなら、どれほど神様は薄情なのだろう。だけど、神様は、彼に三味線を与ええてくれた。その音色に、何十年もあとの今も、心震える人間が存在する。「貧乏から教わったことがいっぱいある」と彼は言う。貧乏はしないに越したことはないが、おかげで死んだのちも足跡は残した。二代目のことは、よく知らない。地元から見られる評価がどうかは門外漢には無縁のことだが、彼女の演奏は、初代とは違うにしても、なにか訴えるものがあるのは感じた。もしかしたら、二代目を継がなければ、違った生き方ができたのではないか?とも思えた。
目が見えるというハンディもある
高橋竹山。
この名を知らないわけではないけど、ちゃんときいてたわけでもないし、よく知らないのだけど、この機会にちゃんときいてみたい、知りたいという欲求でドキュメンタリー映画を観にいきました。
#津軽のカマリ。
監督はあの、「スケッチ・オブ・ミャーク」の大西功一氏。
宮古島に行ったことがあるけど、あのドキュメンタリーには度肝を抜いた。
今回は津軽だが、そのメッセージを確かめる意味でも観ておきたかった。
凄まじい人生の中で三味線の感性が研ぎ澄まされていく半生を、本人の語り、お弟子さんやお孫さんらの証言で浮かび上がらせていく。
当然、メインの主人公は初代の高橋竹山なのだが、大西監督の中では二代目高橋竹山が主人公だったようだ。
竹山さんの妻も、夫婦揃って盲目。
昔は目の見えない男は三味線を、女はイタコになるしか生きる道がなかった。
過酷な人生の中で、目に見えない天才的な才能が彼らを助ける。
たしかに初代の圧倒的な演奏力にかなうものはいない。
何人かのお弟子さんたちの演奏もすごかったけど、なぜあの二代目が二代目を襲名することになったのか。
地元青森では二代目として認められなかったという。
初代は目が不自由であることが世の中でハンディとなり、三味線の世界へ命がけで入っていった。
そのことを、目が見える二代目は絶えず気にしてたように感じた。
風や鳥と話ができる初代。
そして三味線の演奏。
もしかしたら、それらを修得するのに目が見えることがハンディとなるのかもしれない。
終盤のシーンで、二代目が青森で公演するとき、目をつむってひたすら演奏する姿に、初代とは違う演奏かもしれないけど、初代に似せようとか客にきかせようとかではなく、ただ魂から演奏していたのがわかる。
そこから発せられるエネルギーのような音楽が、二代目にふさわしい高橋竹山だった気がしました。
名古屋上映での映画館は、名演小劇場でした。
ここに久しぶりに来れてよかった。
ここでも昔、初代高橋竹山が演奏したことがあるそうです。
名を継ぐとは
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