劇場公開日 2018年11月10日

  • 予告編を見る

「私は自分で自分の罪を恨んで三味線を弾いているんですよね。」津軽のカマリ 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0私は自分で自分の罪を恨んで三味線を弾いているんですよね。

2019年12月2日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

かつて津軽では、目の見えない者は男はボサマ、女はイタコになるしかなかったという。
ボサマ。メーグ(盲)、門付け、ホイド、とも呼ばれた彼らは芸人ではなく、物乞いとみられていた。今では考えられないが、戦後辺りまではそうだった。津軽は、江戸の昔から飢饉に悩まされ食うに困った地方。そんな土地で百姓もできない者がどういう仕打ちを受けてきたのか、想像するまでもないだろう。おそらく、常人には耐えられないものだ。竹山が言う「自分の罪」とは、盲人として生まれてきたことか? もしそれを自分が背負って生まれたきた罪だというのなら、どれほど神様は薄情なのだろう。だけど、神様は、彼に三味線を与ええてくれた。その音色に、何十年もあとの今も、心震える人間が存在する。「貧乏から教わったことがいっぱいある」と彼は言う。貧乏はしないに越したことはないが、おかげで死んだのちも足跡は残した。二代目のことは、よく知らない。地元から見られる評価がどうかは門外漢には無縁のことだが、彼女の演奏は、初代とは違うにしても、なにか訴えるものがあるのは感じた。もしかしたら、二代目を継がなければ、違った生き方ができたのではないか?とも思えた。

栗太郎