楽園(2019)のレビュー・感想・評価
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現実の「罪」と夢の「楽園」の隔たりを想像する
吉田修一の「犯罪小説集」は、タイトルに反するようだが犯罪を描くことが主眼ではない。人間が(日本人が、と限定してもいい)一線を越えて罪を犯すまでの状況、そんな状況に個人を追い込んでいく周囲の直接間接の圧力(これも広義の罪と言える)を描くことに重きを置き、犯罪の場面の描写や犯人の内面はあっさり省略するか微妙にぼかしている。
瀬々敬久監督による脚本と演出も原作の趣旨を踏まえ、小さな町や村の人々が、同調しない人間、理解できない人間を排除する集団の“暴力”を、じわじわと胸を締めつけるような迫力で映像化した。作家と監督の心はともに、2つの短編をつなぐ役割を担った紡(つむぎ)という名の女性(杉咲花)と同様、綾野剛と佐藤浩市が演じる排除される側の個人に寄り添う。復讐のカタルシスを与えるでもなく、観客に鏡を突きつける意図でもなく、想像力にかすかな希望を委ねる優しさが映画の題からも伝わってくる。
村八分のメカニズム
村八分の力学は恐ろしい。犯人かどうかわからない人を追い詰め、殺人を犯しそうもない人を殺人犯へと変えてしまう。日々のニュースを観て、我々は犯罪者に対して憤っている。だが、人が犯罪者になるには理由がある。この映画ではどこにでもいる人々が追い詰められた結果として犯罪者になってしまう様子が描かれている。フィリピンからやって来た母子はそれだけで異物のように扱われ、東京から戻ってきた初老の男はささいな予算の問題で孤立させられる。移民問題や限界集落など、現代日本が抱える諸問題が数多く描かれるが、それらの問題が日本的な村八分と結びつき、人を犯罪者に駆り立ててしまう。これらの物語は実際の事件から着想を得ているが、本当に日本ならどこにでも起きうる物語だと実感させられる。吉田修一と瀬々敬久監督の組み合わせはきっと面白くなるだろうと思っていたが、期待どおりに面白かった。善悪の彼岸を超えた犯罪映画だ。
十分に考える楽しみを味わえる作品
短編小説の映像化作品だったのですか~
それであの構成・映像だったのか~
かなり面白い作品だったが、視点の描き方が謎だった。
それでいて事実そのものを隠している。
これが妄想癖を掻き立てる。
時系列になっていないことが尚更物語をややこしくさせている。
しばらく前の作品だが、面白さは詰まっていた。
この作品に出合ったことで今は閉鎖された他のレビューサイトに初めて書き込みをしたのを憶えている。
あの時私は、映画というものを作った人の想いというものを初めて想像してみた。
冒頭の縁日
彼らの社会的背景が示される。
柄本明さん演じた自治会長
日本のどこにでもありそうな片田舎
この村で起きた村史上最悪の事件は未だ未解決という設定
その事件の少し前に移住してきた中国人親子 綾野剛さん演じた中国人
敢えてあからさまに描いてはいないが、この村は日本の縮図で、よそ者を嫌う、差別する風潮がある。
楽園とは真逆の世界
または楽園に必要な要素が、ある種のターゲットなのだろうか?
度重なるいじめ 少し何かしただけで大騒ぎになる始末。
祭りと笛の演奏をする少女 彼女を演じた杉咲花さん
彼女の笛を壊したことで知り合う二人
この作品で最もミステリアスに描かれている、または隠されているのが、その彼女だと思う。
さて、
最後に彼女が決して人に言わなかった「証言」が映像として差し込まれている。
彼女はあの場所で泣き崩れていた中国人を見たのだろうか?
あの映像は小説で言うところの、いわゆる「神の声」なのではないのか?
しかしあの映像がなければ、この作品は誰にも理解できないものになってしまう。
あの日、あの時間、あの場所にいた当時の杉咲花さんと同級生の女児
橋の上から大事なリサイクル商品を投げ捨てようとした中国人
彼と同じように捨てられた犬
時間差でやってきたUターン帰省者を演じた佐藤浩市さん
あの点ですべてがつながっている。
ではなぜ中国人は商品を捨てようとしたのだろう?
なぜあんなにも泣いていたんだろう?
おそらくそれは、自治会長が彼の就職の世話をしたお礼として、中国人の母が自治会長に抱かれたのだろう。
彼はそれを見てしまったのだ。
すべての原因の根底にいたのが、自治会長だった。
会長は一度村を出たものさえ許さないのだろう。
村おこしの案を出すサトウコウイチに対し、何でもやってくれと言うようなことうぃいながら一切協力しない姿勢を貫いている。
終いには犬にまで手を出される。
サトウはやがて八方塞になってしまう。
この村のことが表現されているシーンだ。
さて、
スギサキハナの女児時代
同級生の意地悪
あの些細な意地悪に、なぜ彼女はあんなにも反応したのだろうか?
彼女の証言は二転三転し、結局少女がどこに行ったのかは誰にも解らないまま時間だけが流れた。
敢えて言わなかった。
その背景にあると思われる恨みのような感情。
それはいったい誰に向けられたものだろうか?
また、彼女の両親のシーンは一切出てこない謎。
彼女が抱えている不信感は、この村そのものなのだろうか?
さらに不思議なのが、エモト自治会長の孫の行方不明に村人総出で捜索活動するシーンにも孫の両親は登場しなかったと思う。
スギサキはおそらく家族思いで、両親ともうまくいっている。
同級生が彼女に村を出ていかないのは俺とお前だけになったと話しているシーンがあるが、彼女には当時出ていけない理由があったはずだ。
この村では、おそらく誰か「いじめられる者」が必要なのだろう。
そんな誰かがいなければ彼らの社会がうまく築けない。
学校のいじめと似た構図
その時々で、そういう誰かを探し続ける社会
スギサキ家族は以前、おそらく行方不明になった女児とまだ仲良くしていたころ、何らかの原因で両親がターゲットになっていたのではないだろうか?
それはあの中国人母子の登場でなくなったが、その根源的な因子を、あの行方不明なった同級生の言動に垣間見たのではないだろうか?
同級生の言葉は親の言葉 または自治会長の言葉
女児の両親は女児さえも捨てたのかもしれない。
それがこの村の仕組みを作ったのだろうか??
スギサキが女児の言動に感じてたこと、許せない気持ち
そうして出会ったアヤノとスギサキは、お互いに知っているこの村の腐った因子から逃れるように支えあっていたのかもしれない。
しかし、2度目に発生した行方不明事件
女児は無事見つかるが、アヤノに対する村人の疑心暗鬼が募っていたことで、彼は結果的に焼け死んでしまう。
これがきっかけでスギサキは東京行きを決断した。
そしてアヤノの母を訪ねる。
それは彼が同級生を殺したのかどうかについて確証を得るためだ。
作品にそれは描かれていないが、病気で入院した同級生の彼の言葉にそれが隠されていたのだろう。
「半年後の生存率は50%」
これは彼には言葉通りの意味だが、彼女にとってはまた大事な人を失うかもしれない恐れ、そしてアヤノが犯人だったかどうかはやっぱり私にはわからないが、50%の確率として残っているということかなと思った。
つまり、彼女にとってここで一旦過去に区切りをつけた状態になる。
彼女の再生と成長の決意が無言の表情で語られている。
しかし、
同時に真犯人はアヤノなのかを視聴者に問いかけている。
つまりこの物語の真実は、
この村の社会的な構造と、スギサキ家の過去、そしてアヤノが見た出来事によって、どうしようもなくなったアヤノがやっぱり犯人だったことが読み解けるようになっている。
この構図の巧みさは見事だった。
映画ならではのうまさが出ていた。
面白かった。
楽園とは
気持ち悪い
難しい
村の社会って恐ろしい。あり得る話
ムラのY字路
FODプレミアムで鑑賞。
原作(犯罪小説集)は未読です。
冒頭からムラ社会の閉鎖感が充満し、悲惨なことが起こるに違いないと不安を掻き立てる演出と脚本が見事。澄み切った映像が捉える風景が長閑で美しい分、より際だっていました。
疑心暗鬼が伝染し、集団が個を追い詰めていく怖さはムラ社会に限らず起こり得ることだと感じ、歯止めが効かなくなった末の悲劇は目を背けたくなるほどに残酷で虚しかったです。
様々な人たちの人生がY字路を起点に交錯し、そのまま運命の分かれ道を暗示させている構成が本当に上手いな、と…
悲劇ばかりが続く物語だったけれど、微かな希望を抱かせるラストに、ほんの少しだけ救われた気持ちになりました。
役場に事業の融資を頼んだことが集落の班長の気に障った。 班長の頭越しだったという理由で。 些細なことで村八分となった佐藤浩市はついに事件を起こしてしまう。
動画配信で映画「楽園」を見た。
劇場公開日:2019年10月18日
2019年製作/129分/G/日本
配給:KADOKAWA
綾野剛37才
杉咲花22才
佐藤浩市59才
柄本明
村上虹郎
片岡礼子48才
黒沢あすか
根岸季衣
石橋静河25才
長野県の集落で小学生の女の子が失踪する事件があった。
未解決だった。
その12年後にまた同じような事件が起こる。
根拠もなく疑われた綾野剛は灯油をかぶって焼身自殺をした。
集落内で便利屋的な存在だった佐藤浩市は皆から慕われていた。
しかし、役場に事業の融資を頼んだことが集落の班長の気に障った。
班長の頭越しだったという理由で。
些細なことで村八分となった佐藤浩市はついに事件を起こしてしまう。
理不尽な2つの事件ではあるが、
柄本明のことばに答えがあったと思う。
「皆、誰が犯人なのかわからないのが不安なんだ。
誰かが犯人だと判れば安心できる。」
個人的に田舎暮らしに少しあこがれがあったが、
この映画を見て無理かもと感じた。
片岡礼子が「帰郷」(2004年、30才)のときと比し、
いい意味で年をとったなあと感じた。
満足度は5点満点で5点☆☆☆☆☆です。
閉鎖的な環境
閉鎖感の中で苦しむ2時間 楽園はみつかるのか
原作は未読ですが、吉田修一らしい内容だなと納得。 田舎の狭いコミュ...
息苦しく生きづらい
サスペンスかと思っていたら違った。
二つの大きな事件が起こりますが、特に後半の善次郎が絡む事件はどこかで聞いたことがあると思ったら、実話ベースなんですね。
当時ニュースで知って村八分の恐ろしさと限界集落の閉塞感の怖さを感じたけど、この映画もまさしく。
孤独が人を追い詰めていく話だと思った。
どうでもいいけど、混浴誘っておいて相手が欲情したら思いっきり嫌悪感出す久子も罪深い。
存在しない村社会的共同性を攻撃する滑稽さ
『悪人』『怒り』の原作者と同じと聞いて、納得できる感じがした。何というか、尻切れトンボの感じが全部共通している。
本作のテーマは村社会的人間関係の閉鎖性ということであり、社会問題となった山口・周南5人殺害事件を連想させる。
現実問題としては、日本の村社会的共同体はもはやほとんど崩壊しており、地方の集落の多くは都市部と同様島宇宙化が進んでいるし、物理的にも限界集落化して消滅寸前なのである。
部分的には旧来の閉鎖的関係が盲腸のように残存する地域はあるし、それが都市部から地方への移住ブームと衝突する結果、村八分などという事態が新聞ダネになったりするが、それはもはや現代の課題とはなりえないはずである。
課題になるとしたら過去の残存遺制としてであるし、そんな遺制に直面したら引っ越せばよいだけだ。それができない場合には、個人の特殊事例の問題が残るくらいなものだろう。
前述の山口・周南5人殺害がそれで、そこでは犯人の人間関係のとり方に大きな問題のあったことが報道等で指摘されている。
ところが本作の前提としている社会認識は、この消滅寸前の村社会的遺制がさも現代社会における大問題ででもあるかのように正面から大仰に取り上げる。
面白半分に見ていくと、何やら集落内の犯罪や揉め事の責任をすべて弱者、少数者、異端者に押し付けてきたのが村社会的共同体である、と言いたげなのだが、
前近代の話ならともかく、現代日本においてそんな問題が本当に社会の大きな課題だと思っているなら現実認識を大いに誤っているとしか言いようがない。
その一例が、集落の多数の人間が犯人と疑わしい人間をリンチにかけようとするシーンで、小生は現代においてそんなことがあり得るとはまったく思わない。
また、山口・周南5人殺害事件における犯人の妄想らしき事柄をすべて実際に生じた出来事として描いているほか、中国からの帰国子女問題をそれにからめてしまったため、どうにも現実味がない。フィクションとしてはリアリティが希薄すぎるため、悪い冗談にしか思えない。
要するに、作者たちは過剰な修飾で村社会的共同体を攻撃したがっているが、倒錯論理で在日朝鮮人殺人者を擁護した『怒り』と同様、実体のない、どこかで聞いた絵空事を描いているだけだから苦笑いしか浮かんでこないのである。
初めに記載した「尻切れトンボ」の感想は、恐らくは作者たちの頭の中の攻撃対象が実際には存在しなかったことから、振り上げたコブシの置き所がわからないという中途半端さからくるのであろう。はっきり言って、バカバカしい。
最後に少女が「これではいけない」と歩み始めるようなのだが、そもそも前提自体が大いなる勘違いの産物なのだから、どう考えたって外国人参政権とかフェミニズムとかのデタラメな社会運動wにシャシャリ出て、社会に害悪をもたらすとしか思えないのは小生だけだろうか。
後味が悪かった
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