永遠の門 ゴッホの見た未来 : 映画評論・批評
2019年11月5日更新
2019年11月8日より新宿ピカデリーほかにてロードショー
デフォーの青い瞳が湛える、ゴッホの“伝道師”としての揺るぎない信念
自身も現代美術のアーティストであるジュリアン・シュナーベル監督が、画家を主人公にした映画を発表するのは、デビュー作の「バスキア」に続いて二度目だ。「バスキア」は、NYアート界の商業化の波にもまれて疲弊していくバスキアの無垢な魂に光を当てていた。対して「永遠の門」は、ゴッホの目にこの世界がどう映っていたかを観客に体感させる映画になっている。
ゴーギャンのアドバイスに従って南仏へ移住したゴッホが、初めて絵筆をとる場面が印象深い。無造作に脱ぎ捨てた靴がゴッホの脳内で瞬時に構図を得て絵画のモチーフになる過程が、靴のクローズアップの画角の変化で表現される。ここから先の映像は、風景も静物も、色彩もアングルも、ゴッホの感受性というフィルターを通したものであると予告する演出だ。実際、その映像は豊かで美しい。糸杉は風をはらみ、黒い雲はうねり、麦畑はオレンジ色に輝く。ゴッホが対象物のどの部分に意識を集中させているかを表すために、映像の半分が接写、半分がノーマルに映し出されるレンズ(スプリット・ディオプター)も使われる。シュナーベル監督は、どこまでもわかりやすくゴッホの視点を解説してくれる。
それだけじゃない。シュナーベル監督は、「なぜ絵を描くのか?」という画家の命題を、ゴーギャン(オスカー・アイザック)、聖職者(マッツ・ミケルセン)、2人の医師(ウラジミール・コンシニ&マチュー・アマルリック)との対話を通してゴッホに語らせている。芸術的、宗教的、心理学的な観点から理路整然となされるゴッホの自己分析は、説明が過ぎる感じがしなくもないのだが。
ウィレム・デフォーのゴッホは、知的で繊細で孤独で、人や酒に依存しなければ生きられない弱さを抱えている。が、この映画で最も強調される性格は、伝道師としての使命感だ。神なる自然の中に宿る美を解放し、永遠の命を宿す絵画に変え、人々に知らしめる。その使命を果たすために自分は存在するのだという揺るぎない信念を、デフォーの青い瞳は湛えている。それを見て気づかされる。「バスキア」と同じく、やはりこれも画家の魂の映画なのだ、と。
(矢崎由紀子)