この世界の(さらにいくつもの)片隅にのレビュー・感想・評価
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タイトルなし(ネタバレ)
広島で見るこの映画は感慨深い。この世界の片隅にもサロンシネマで見ましたが、土地のもつ力を感じながら見る映画は格別。あの最後のシーンがお兄さんだったとは、、、。
すずさんは良いなぁ
この世界のさらにいくつもの片隅に
当時の夜の星の位置から釘の頭にギザギザがあったか?まで6年かけて時代考証や検証をし、商店街を再現、その家族まで出演させ、徹底的に普遍性を追求した前作をベースに、さらに原作の登場人物の個人の伏線を掘り下げた完全版になります。初めて観られる方も違和感なくストーリーを追える良作なので、気が付いたら片隅の世界に浸ってしまい、3時間近い上映時間が、あっという間に過ぎることでしょう。前作は11回映画館で鑑賞しましたが、特に、前作で伏せられていた、遊女のリンさんと周作さんとすずさんの際どい絡みや人間関係、リンさん、テルさんのある意味、片隅からの達観した悲しいエピソード。特にテルさんの全てを語るような、博多弁 よかねー で思わず感極まりました。呉工廠に務めるお父さんのシーンでは、35.8Lの副列星型空冷18気筒
2000馬力を誇る 誉 エンジンや二式大艇なども登場し、鉄道オタクさんだけでなく軍事兵器オタクさんも満足できる仕上がりです。当時の広島や呉にタイムリープし浸れる不思議な映画です。
とことん逞しく
168分の長尺が、自分にはまったく長いと感じなかった。
まるで新しい作品をもう一本観ているような、とはいえ
オリジナルの記憶がまだ新しいことで再発見にも至れる。
すず、リン、径子のこれまでの人生とこれからの運命を
丹念に掘り下げてやや大人版となった今作は、鑑賞者の
年齢や立場等で観る角度がかなり違ってくる。一女性が
たどる成長驒として、数奇な運命を振り返るきっかけと
して、現在の自分が感じるありのままを今後もこの作品
で追体験できることだろうと思った。
個人的には、径子の印象がかなり変わった。
意地悪な義姉でなく数々の不遇に見舞われた女性だった。
それでも自分で選んだ人生だから悔いはないと言い切り、
晴美を失った後すずに広島行を促す姿には涙がこぼれた。
すずが周作への愛を確実なものと認識する水原やリンの
エピソードでは、腹を立てて夫を罵る姿が印象的だった。
そうそうもっと想いをさらけ出せ、すずさん!と笑った。
喧嘩して言い合いを重ねて夫婦はどんどん成長するもの。
リンは周作の名書とお茶椀とすずの描いた絵を、きっと
死ぬまで大切に持っていただろう。
自分の居場所を最も分かっていたのは彼女に他ならない。
世界の片隅に活きている女性たちはとことん逞しいのだ。
径子を通じて思うこと
「この世界の片隅に」はDVDで観ました。そしてこの作品は劇場で。映画はやはり劇場が一番ですね。世界観にどっぷり浸かれます。
おっとりとした性格のすずを通して、その対極にあると言っていい戦争の存在が強烈に胸を痛くします。「戦争はダメです」‥このことを語り継ぐために必要な作品。そう思いました。
どんな時代にあっても、その中で繰り広げられるそれぞれの人生。時代のせいにすることもできる、人のせいにもできる。しかし、僕はこの過酷な状況で語られた径子の言葉が強く残りました。
「自分が選んだ道の果て」
恋をして、結婚をして、戦争が起きて、疎開して、離縁して息子を手放し、かけがえのない晴美を失っても「自分が選んだ道の果て」と言える彼女の強さに打たれました。そして、それだけに日本の敗戦を知った時に人知れず晴美の名を呼んで泣いていた姿が愛おしくさえ思えたのでした。
僕らは彼女に学ばなければならないと思います。「自分の選んだ道の果て」と言えるように。時代がどうであろうとも自分の人生を生きることの大切さを教えてくれたように思います。
径子の存在もまたすずの性格と反対側にあるものだと思いますが、戦争を通じてお互いの痛みを知りながら歩み寄っていく光景もまた印象的でした。
戦争が終わり、新しい家族が増えた北条家の幸せを祈らずにはいられませんでした。
いい映画
だいぶ経っていることをもあってか、別の映画を観ているような気がした。
前回のレビューは下記みたいな感じ。
-------ここから引用
主人公があまりにも普通で純粋なので、対比によって周りの環境の激変が際立つ。戦時中の疑似体験として、最高峰ではないか。それも、それを体験しようと観に来た訳ではないのに、体験するという凄さ。こういう作品が、戦争を風化させない映画なんだろうな。
-------ここまで引用
今回は、このレビューにはならないな。ひとりの女性の視点で数年を体験する映画、かな。(その点は変わっていないんだけれど、長くなりエピソードが増えた結果、そちらの印象が非常に強くなった)
すずと周作、すずと径子(晴美)、すずとリン… 知らない者達が知り合い、ウマがあったりあわなかったり、お互いを好ましく感じる時もいやあな気持ちになる時も経験しながら、暮らしていく姿、かな。その舞台として、たまたま大戦下の呉を選んだ、という感じ。
今回追加されたうちの多くを占めるリンとのやりとりは、楽しさとやるせなさに彩られていて、リンのセリフ「この世界に居場所はそうそうのうなりゃせん」が、この映画の中心にあるのだろう。
自分も、通常版を先に出したことが、結果として大成功だったと思う。こっちの作品(長尺版)は、咀嚼が大変。もちろん観た人それぞれの受け取り方なのだが。
余談
168分(2時間48分)は長かった。今回は、後に座ったカップルの男が、愚にもつかないことを大声で喋るヤツで正直参ったので、余計に長く感じたのかな。あ〜、鬱陶しかった!
より丁寧に描かれる事で感じる普通の暮らしと戦争
ぐっと大人の物語に
素晴らしかった
前のバージョンで、2回見ていてそれで充分だったし、長いからあまり見たくなかったのだけど、見たら素晴らしくて、特に前はエンドロールだけだった浮浪児を引き取るところが、場面で描かれていて涙が止まらない。家族のみんなが、特にお姉さんがあの子によって救われると思うと本当に素晴らしい里親映画展開。
座敷童が浮浪児で、のちに女郎になってすずの旦那さんが水揚げしようとして、やめて、すずが偶然知り合うのはちょっと出来すぎではなかろうか。
はるみちゃんが亡くなるところは何度見てもつらい。
見ていて長さはあまり気にならなかったのだけど、それでもやっぱり長いは長い。一日のけっこうな部分が終わってしまう。
説得力が格段に増した
より日常の人間ドラマにフォーカス
オリジナル版の方が良かった!!
オリジナル版を観て旦那の愛情と印象が薄いと感じました。今回、旦那に関するエピソードが追加されて、元々薄かった旦那の印象が悪くなってしまったと感じました。また終盤にまだ主人公がリンさんリンさん呟いているので、晴美ちゃんの印象まで薄くなって、全体的にボヤけてしまったと思います。旦那から愛情溢れる一言があったり、ラストが幼馴染エンドになる等何か変わる訳ではないですし、追加部分は蛇足だったと思います。観賞後は不快な気持ちです。オリジナル版の制作で、この構成で行こうと初めに監督がバッサリ決断したものが、文字通りの英断で間違いなかったのだと思います。すずさんは健気で可愛く、山の上から軍港を眺めるのは変わらず良かったですし、空襲が来る度に怖くて悔しくて泣けました。片渕監督が自分の名前と似ている「片隅」に魂を込めるのはとても分かりますが、同じ作者の「夕凪の街 桜の国」を劇場アニメにして欲しかったです。
寛容であり続けたすずさん
2016年の「この世界の片隅に」を観てから、もう3年になるのかという感慨がある。2018年にTBSのテレビドラマが松本穂香主演で放送され、そちらも全部見た。そのドラマのインタビューで北條周作の母を演じる伊藤蘭が「すずさんという大役を」という言い方をしていたのが印象に残っている。この作品に対する伊藤蘭の尊敬の念が感じられて、大変に好感を持った。彼女の言う通り、北條すずは大役なのだ。
3年の月日が経っても、最初の子供時代のシーンからラストシーンまで、3年前と同じように食い入るように観続けることが出来た。名作は何度観ても名作だ。飽きることがない。ひとつひとつの場面が繊細で意味深く作られていて、3年前とは違う感慨がある。次に観たらまた違う感慨があるのだろう。そしてまた観たいと思う。
本作品は反戦の映画である。従って戦争をしたい現政権に対しては、反体制の映画ということになる。前作品も同様だ。あれから3年。この3年に日本は戦争をしない国になっただろうか。残念ながらそうなっていない。むしろ戦争ができる国にしようという勢力が勢いを増したように思う。安倍政権はこの3年間に何をしたのか。
森友学園の問題が起きたが、安倍晋三は何も説明しないままいつの間にか誰も話題にしなくなった。そして自民党総裁の3選が可能になり、辺野古の工事が開始された。加計学園問題が発覚したが、森友学園と同じく安倍晋三は何も説明しないまま、いつの間にか誰も話題にしなくなった。共謀罪法が成立した。伊藤詩織さんが、強カン事件で逮捕状が出された山口敬之が逮捕されなかったことを明らかにした。国連で核兵器禁止条約が採択されたが、安倍政権は参加しなかった。そしてイージス・アショア2機の購入を決定した。また「重要なベースロード電源」という意味不明な言葉で原発の再稼働を決定した。杉田水脈衆院議員が「LGBTは生産性がない」と発言した。翁長県知事が亡くなり、同じく辺野古反対の玉城デニーが知事に当選した。その後辺野古埋め立てに関する県民投票が行われ、埋め立て反対が72%を占めたが、安倍政権による埋め立てはいま(2019年12月)も続いている。慰安婦像を展示したあいちトリエンナーレの「表現の不自由展」が中止され、補助金が不交付となった。その後再開されると、名古屋の河村市長が再会反対の座り込みの講義を行なった。桜を見る会の疑惑が浮上したが、安倍政権はすべての証拠を既に廃棄したとして提出を拒否、予算委員会の開会も拒否した。予算委員会は一問一答で野党からの追求が厳しい。本会議なら一方的に述べるだけだから、安倍晋三は本会議で桜を見る会の私物化を否定した。首里城が火災で消失した。
社会はますます不寛容になり、あおり運転が多発していて、京アニには火が着けらた。国民全体が不満を持ち、怒りの矛先を探しているようだ。一方でラグビーの日本チームの活躍にナショナリズムが高揚し、日本中が沸き立った。この状況はもはや戦争の一歩手前であることに気づいている人は少ない。ガンバレニッポンは他国の不幸を祈るのと同義なのだ。
寛容は不寛容に弱い。寛容は平和主義だが、不寛容は暴力主義、そして戦争主義だ。不寛容の暴力に対抗するために寛容が取りうる手段は非暴力、不服従しかない。それはガンジーの専売特許ではない。聖書にも「悪人に手向かうな。もし誰かがあなたの右の頬を打つなら、他の頰をも向けてやりなさい。あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい」(マタイによる福音書)と書かれている。
しかし人類には寛容を継続する覚悟がない。つまりは、戦争をしない覚悟がないということだ。これからも無垢の子供が殺されるだろうし、あおり運転が殺人に発展する事件も多発するだろう。他人の不幸を祈るのが人間だとすれば、それはあまりにも悲しい事実だ。悲しくて悲しくてとてもやりきれないと歌いたいのはコトリンゴだけではない。我々はそういう時代に生きているのだ。いや、歴史的にずっとそういう時代だった。
国家が自国だけの存続と繁栄を望めば必ず戦争になる。戦争になると人間は共同体のための消耗品に過ぎなくなってしまう。人格も人権も蹂躙されてしまうのだ。その中で人を憎まず正気を保って生きたのが北條すずである。寛容であり続ける覚悟を持っていた女性だ。確かに大役である。
この作品を観て、戦時下の庶民はこんな風に生きていたのだということを知ってほしい。そして苦労して生きていたのは日本人だけではなく、戦争をしたすべての国家の庶民も同じように苦しんでいたことを想像してほしい。戦争で苦しむのは必ず弱者なのだ。
最近は世相を反映して、反戦の映画が多く上映されている。マスコミが権力に忖度して特定秘密保護法や安保法制、集団的自衛権の行使容認がどれほど危険なことであるかを全く報じないため、映画人が映画によって表現するしかなくなったのだ。危機感を感じているに違いない。それらの作品を観た人々が、戦争をしないためには寛容でなければならないことに気づくようになれば、表現の自由がはじめて力を持ったことになる。しかし果たしてそんな日が来るだろうか。
※いいねをくださった方々、ありがとうございます。私に対する人格攻撃みたいなコメントが付いてしまったので、一旦削除して再アップさせていただきました。本レビューに対するコメントは受け付けないことにしましたので悪しからずご了承ください。
追加部分があることで、随分と違う印象
「この世界の片隅に」は劇場で2回観ていて好きな映画。ですが、この度の長尺版は168分と聞いて「長い…どうしようかな」と思ったこともあったのですが、観てヨカッタ!
まず、原作を読んでいないと分かりづらかった点が、追加シーンによりかなりわかりやすくなったと共に、すずさんの心理描写が増えてただの”天然”じゃなかったんだなという印象も受けますね。
観る前には約3時間という上映時間に身構えていましたが、いったん観始めればまったく長いとは思わず、本当に完成度が高いエクステンディッド版です。でも、台風の場面はなくてもよかったかな。
劇場の入りがイマイチのような気がしましたが、もう観ているしねぇという理由で観ないのはもったいないので、音響のよい映画館でぜひ観てください。
完成版。決して戦争映画ではありません。
前作に新規カットを多数加えた完成版というべき作品。
追加点も随所随所のエピソードを補完する形で導入されております、前作視聴済みでもまるで新作映画のように楽しめました。
主人公やその周りの人は軍人でなく、かつ一度も戦争を否定も肯定もしません。
ただの壱市民の生活視点から戦争の悲惨さやその中での幸せ、いろいろなことを考えさせられるまさに今の時勢に見るべき映画です。
また見に行こうと思います。
時代の空気感まで感じられる完全版
3年前に公開された「この世界の片隅に」には、やむなくカットした場面があったらしいが、本作はそのカット部分を復活させた完全版である。カットされていたのは、主に遊郭に迷い込んだ主人公・すずが出会う白木リンに関する物語で、彼女はすずとの友情を育んだのみならず、すずの夫とも浅からぬ縁があり、さらにはすずとの本当の出会いは幼い頃まで遡るという話になっていた。このエピソードを加えたことによって、話に重みが加わったし、交わされる各キャラの人間性が際立つことになったと思う。上映時間は 180 分近くに伸びていた。
これは,見る人が試される映画だと思う。問われるのは,この映画の価値をどこまで認識できるか,ということである。まず,驚いたのは戦中の広島と呉の風景が見事に描かれていたことである。どちらも,原爆と空襲で灰燼に帰しているので,写真すら残っていないはずである。それが徹底的にリアルに再現してある。どれほどの熱意を持って,どれほどの調査をすればこの風景が描けるのかと,気が遠くなりそうな思いがした。
徹底的に描写されているのは風景ばかりではない。当時の風俗から食事のマナーに至るまで,徹底してリアリティにこだわってある。例えば,食べ始める時には右手で上から箸を取り,左手で下から支えてから右手をくるりと回して下手に持ち替える訳だが,そうした所作を省略せずに丁寧に描いてある。こうしたこだわりによって,当時の生活や価値感は観客が肌で感じられるほどになり,ひいては,架空の主人公の存在がリアリティをもって感じられるようになるという仕掛けである。
物語は非常に起伏に富むものであり,数多くの痛みを伴った話である。だが,脚本は実に淡々としている。客を泣かそうと思えばいくらでもできるはずなのだが,そういう作りになっていないのは,きっとこの映画を泣けるだけの映画にしたくなかったのだろうと思う。実際,見ている間に客が集中しているのは,主人公すずが今何を思っているのだろうと推量することであり,物語をすずの目を通して見るようになってしまっているのに気付かされる。恐らく,これこそ監督のやりたかったことなのだろうと思う。当時の人々が常識的に持っていた価値感を,決して年寄りの説教のように高飛車に教えるのではなく,その当時の生活をリアルに見せることで客に感じさせようとしているのが痛いほど良く分かる。
こういう作り方の映画において最も肝心なのは,主人公の実在感である。いかにもホントに目の前にそういう人がいるようなリアリティがなければ,この試みは成立しない。従って,主人公を演じる声優の配役には非常に神経を使ったはずである。絵柄では幼げに見えるが,主人公は 19〜20 歳の約2年間を映画の中で過ごしているのである。その点,主役を演じたのん(元能年玲奈)は,実に見事にその役割を果たしていたといえるだろう。というより,彼女のこの演技がなければ,この映画そのものが失敗していたのではないかとさえ思えるほどである。持ち前の天然性を感じさせながら,決して激することなくこの役を演じ切った彼女の声の演技には本当に感心した。
音楽は,少し力不足なのではないかと思った。淡々としている場面には過不足はないのだが,空襲など動きの激しい場面では物足りないものを感じた。また,歌い方が囁くような声だったので,囁き声が蛇と同じくらい大嫌いな私には全く嬉しくなかった。
監督は,ジブリに長くいた人だそうである。魔女宅の監督として指名されながら,スポンサーの圧力で宮崎駿に代わられてしまったという経歴は,察して余りあるもので,それでも宮崎駿を支援して魔女宅を作り上げたという人柄の良さは,この作品の綿密な作りにも通じているのだろう。私が生まれるほんの 10 年ほど前の話なのに,この時代感は私の中にはないものであり,この映画を見ることで教えられたことが沢山あった。日本人が 74 年前まで持っていた価値感が,決して現代に通じないということではないと強く感じさせてくれるこの映画に出会えたことは,非常に大きな収穫だった。今の日本人に是非見て欲しい映画だと思うばかりでなく、被害者意識を見る者に押し付けないこの作りは、海外での公開に非常にふさわしいと思う。
(映像5+脚本5+役者5+音楽3+演出5)×4= 92 点。
やっぱりいい映画でした!
プロローグでコトリンゴの悲しくてやりきれないが流れた時から目頭が熱くなってしまいました。ハルミちゃんの手を引き不発弾が爆発した時の色んな線香花火が燃えていくことで表現するシーンやすずが右手があった時のことを年月日とともにコマ送りのように回想するシーンなどは悲しさを的確に表現しております。
一方、憲兵に軍艦の写生で捕まった時に家族が神妙な表情で憲兵を見送った後にすずが諜報活動で疑いを受けたことで大笑いするシーンなどは思わず吹いてしまいそうでした。
遊郭で出会った白木リンが空襲でなくなったことや飯塚弁の貧しい娼婦テルが肺炎で亡くなったこと。
テルに暖かい南方の景色を雪の上に描いたシーンなどは涙、涙でした。
最後はすずに対して冷たく接していた義理の姉がすずにモンペを縫ってくれたことは見てて嬉しかった。
見終わった後、何とも言えないほっこりする感情や戦争のために命を落とした人達のことなどで胸が熱くなりました。
やはりひと思いに称賛はし兼ねるのです
この映画は前作から何度も見て見るたびに
「きちんと感謝して丁寧に生きよう」と
思わされる素晴らしい映画だと思います。
ただ、やはり二次大戦及び太平洋戦争中に日本がアジア諸国でやったことを
全部スルーしてあの時代を捉えることに抵抗感があります。
そこにただ生きていた庶民はただの被害者なのかもしれませんし
何も知らなかったのかもしれません。しかし
日本は被害者である以上に加害者でもあります。
その側面を丸々描写なしで切り取った映画を称賛はできません。
あの時代を表現する以上日本の加害性に言及することから逃げないのが
表現者としての責任ではないのかなといつも感じます。
さらにいくつもの感動が…
見ようか迷いましたが
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