この世界の(さらにいくつもの)片隅にのレビュー・感想・評価
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素晴らしかった
前のバージョンで、2回見ていてそれで充分だったし、長いからあまり見たくなかったのだけど、見たら素晴らしくて、特に前はエンドロールだけだった浮浪児を引き取るところが、場面で描かれていて涙が止まらない。家族のみんなが、特にお姉さんがあの子によって救われると思うと本当に素晴らしい里親映画展開。
座敷童が浮浪児で、のちに女郎になってすずの旦那さんが水揚げしようとして、やめて、すずが偶然知り合うのはちょっと出来すぎではなかろうか。
はるみちゃんが亡くなるところは何度見てもつらい。
見ていて長さはあまり気にならなかったのだけど、それでもやっぱり長いは長い。一日のけっこうな部分が終わってしまう。
説得力が格段に増した
より日常の人間ドラマにフォーカス
オリジナル版の方が良かった!!
オリジナル版を観て旦那の愛情と印象が薄いと感じました。今回、旦那に関するエピソードが追加されて、元々薄かった旦那の印象が悪くなってしまったと感じました。また終盤にまだ主人公がリンさんリンさん呟いているので、晴美ちゃんの印象まで薄くなって、全体的にボヤけてしまったと思います。旦那から愛情溢れる一言があったり、ラストが幼馴染エンドになる等何か変わる訳ではないですし、追加部分は蛇足だったと思います。観賞後は不快な気持ちです。オリジナル版の制作で、この構成で行こうと初めに監督がバッサリ決断したものが、文字通りの英断で間違いなかったのだと思います。すずさんは健気で可愛く、山の上から軍港を眺めるのは変わらず良かったですし、空襲が来る度に怖くて悔しくて泣けました。片渕監督が自分の名前と似ている「片隅」に魂を込めるのはとても分かりますが、同じ作者の「夕凪の街 桜の国」を劇場アニメにして欲しかったです。
寛容であり続けたすずさん
2016年の「この世界の片隅に」を観てから、もう3年になるのかという感慨がある。2018年にTBSのテレビドラマが松本穂香主演で放送され、そちらも全部見た。そのドラマのインタビューで北條周作の母を演じる伊藤蘭が「すずさんという大役を」という言い方をしていたのが印象に残っている。この作品に対する伊藤蘭の尊敬の念が感じられて、大変に好感を持った。彼女の言う通り、北條すずは大役なのだ。
3年の月日が経っても、最初の子供時代のシーンからラストシーンまで、3年前と同じように食い入るように観続けることが出来た。名作は何度観ても名作だ。飽きることがない。ひとつひとつの場面が繊細で意味深く作られていて、3年前とは違う感慨がある。次に観たらまた違う感慨があるのだろう。そしてまた観たいと思う。
本作品は反戦の映画である。従って戦争をしたい現政権に対しては、反体制の映画ということになる。前作品も同様だ。あれから3年。この3年に日本は戦争をしない国になっただろうか。残念ながらそうなっていない。むしろ戦争ができる国にしようという勢力が勢いを増したように思う。安倍政権はこの3年間に何をしたのか。
森友学園の問題が起きたが、安倍晋三は何も説明しないままいつの間にか誰も話題にしなくなった。そして自民党総裁の3選が可能になり、辺野古の工事が開始された。加計学園問題が発覚したが、森友学園と同じく安倍晋三は何も説明しないまま、いつの間にか誰も話題にしなくなった。共謀罪法が成立した。伊藤詩織さんが、強カン事件で逮捕状が出された山口敬之が逮捕されなかったことを明らかにした。国連で核兵器禁止条約が採択されたが、安倍政権は参加しなかった。そしてイージス・アショア2機の購入を決定した。また「重要なベースロード電源」という意味不明な言葉で原発の再稼働を決定した。杉田水脈衆院議員が「LGBTは生産性がない」と発言した。翁長県知事が亡くなり、同じく辺野古反対の玉城デニーが知事に当選した。その後辺野古埋め立てに関する県民投票が行われ、埋め立て反対が72%を占めたが、安倍政権による埋め立てはいま(2019年12月)も続いている。慰安婦像を展示したあいちトリエンナーレの「表現の不自由展」が中止され、補助金が不交付となった。その後再開されると、名古屋の河村市長が再会反対の座り込みの講義を行なった。桜を見る会の疑惑が浮上したが、安倍政権はすべての証拠を既に廃棄したとして提出を拒否、予算委員会の開会も拒否した。予算委員会は一問一答で野党からの追求が厳しい。本会議なら一方的に述べるだけだから、安倍晋三は本会議で桜を見る会の私物化を否定した。首里城が火災で消失した。
社会はますます不寛容になり、あおり運転が多発していて、京アニには火が着けらた。国民全体が不満を持ち、怒りの矛先を探しているようだ。一方でラグビーの日本チームの活躍にナショナリズムが高揚し、日本中が沸き立った。この状況はもはや戦争の一歩手前であることに気づいている人は少ない。ガンバレニッポンは他国の不幸を祈るのと同義なのだ。
寛容は不寛容に弱い。寛容は平和主義だが、不寛容は暴力主義、そして戦争主義だ。不寛容の暴力に対抗するために寛容が取りうる手段は非暴力、不服従しかない。それはガンジーの専売特許ではない。聖書にも「悪人に手向かうな。もし誰かがあなたの右の頬を打つなら、他の頰をも向けてやりなさい。あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい」(マタイによる福音書)と書かれている。
しかし人類には寛容を継続する覚悟がない。つまりは、戦争をしない覚悟がないということだ。これからも無垢の子供が殺されるだろうし、あおり運転が殺人に発展する事件も多発するだろう。他人の不幸を祈るのが人間だとすれば、それはあまりにも悲しい事実だ。悲しくて悲しくてとてもやりきれないと歌いたいのはコトリンゴだけではない。我々はそういう時代に生きているのだ。いや、歴史的にずっとそういう時代だった。
国家が自国だけの存続と繁栄を望めば必ず戦争になる。戦争になると人間は共同体のための消耗品に過ぎなくなってしまう。人格も人権も蹂躙されてしまうのだ。その中で人を憎まず正気を保って生きたのが北條すずである。寛容であり続ける覚悟を持っていた女性だ。確かに大役である。
この作品を観て、戦時下の庶民はこんな風に生きていたのだということを知ってほしい。そして苦労して生きていたのは日本人だけではなく、戦争をしたすべての国家の庶民も同じように苦しんでいたことを想像してほしい。戦争で苦しむのは必ず弱者なのだ。
最近は世相を反映して、反戦の映画が多く上映されている。マスコミが権力に忖度して特定秘密保護法や安保法制、集団的自衛権の行使容認がどれほど危険なことであるかを全く報じないため、映画人が映画によって表現するしかなくなったのだ。危機感を感じているに違いない。それらの作品を観た人々が、戦争をしないためには寛容でなければならないことに気づくようになれば、表現の自由がはじめて力を持ったことになる。しかし果たしてそんな日が来るだろうか。
※いいねをくださった方々、ありがとうございます。私に対する人格攻撃みたいなコメントが付いてしまったので、一旦削除して再アップさせていただきました。本レビューに対するコメントは受け付けないことにしましたので悪しからずご了承ください。
追加部分があることで、随分と違う印象
「この世界の片隅に」は劇場で2回観ていて好きな映画。ですが、この度の長尺版は168分と聞いて「長い…どうしようかな」と思ったこともあったのですが、観てヨカッタ!
まず、原作を読んでいないと分かりづらかった点が、追加シーンによりかなりわかりやすくなったと共に、すずさんの心理描写が増えてただの”天然”じゃなかったんだなという印象も受けますね。
観る前には約3時間という上映時間に身構えていましたが、いったん観始めればまったく長いとは思わず、本当に完成度が高いエクステンディッド版です。でも、台風の場面はなくてもよかったかな。
劇場の入りがイマイチのような気がしましたが、もう観ているしねぇという理由で観ないのはもったいないので、音響のよい映画館でぜひ観てください。
完成版。決して戦争映画ではありません。
前作に新規カットを多数加えた完成版というべき作品。
追加点も随所随所のエピソードを補完する形で導入されております、前作視聴済みでもまるで新作映画のように楽しめました。
主人公やその周りの人は軍人でなく、かつ一度も戦争を否定も肯定もしません。
ただの壱市民の生活視点から戦争の悲惨さやその中での幸せ、いろいろなことを考えさせられるまさに今の時勢に見るべき映画です。
また見に行こうと思います。
時代の空気感まで感じられる完全版
3年前に公開された「この世界の片隅に」には、やむなくカットした場面があったらしいが、本作はそのカット部分を復活させた完全版である。カットされていたのは、主に遊郭に迷い込んだ主人公・すずが出会う白木リンに関する物語で、彼女はすずとの友情を育んだのみならず、すずの夫とも浅からぬ縁があり、さらにはすずとの本当の出会いは幼い頃まで遡るという話になっていた。このエピソードを加えたことによって、話に重みが加わったし、交わされる各キャラの人間性が際立つことになったと思う。上映時間は 180 分近くに伸びていた。
これは,見る人が試される映画だと思う。問われるのは,この映画の価値をどこまで認識できるか,ということである。まず,驚いたのは戦中の広島と呉の風景が見事に描かれていたことである。どちらも,原爆と空襲で灰燼に帰しているので,写真すら残っていないはずである。それが徹底的にリアルに再現してある。どれほどの熱意を持って,どれほどの調査をすればこの風景が描けるのかと,気が遠くなりそうな思いがした。
徹底的に描写されているのは風景ばかりではない。当時の風俗から食事のマナーに至るまで,徹底してリアリティにこだわってある。例えば,食べ始める時には右手で上から箸を取り,左手で下から支えてから右手をくるりと回して下手に持ち替える訳だが,そうした所作を省略せずに丁寧に描いてある。こうしたこだわりによって,当時の生活や価値感は観客が肌で感じられるほどになり,ひいては,架空の主人公の存在がリアリティをもって感じられるようになるという仕掛けである。
物語は非常に起伏に富むものであり,数多くの痛みを伴った話である。だが,脚本は実に淡々としている。客を泣かそうと思えばいくらでもできるはずなのだが,そういう作りになっていないのは,きっとこの映画を泣けるだけの映画にしたくなかったのだろうと思う。実際,見ている間に客が集中しているのは,主人公すずが今何を思っているのだろうと推量することであり,物語をすずの目を通して見るようになってしまっているのに気付かされる。恐らく,これこそ監督のやりたかったことなのだろうと思う。当時の人々が常識的に持っていた価値感を,決して年寄りの説教のように高飛車に教えるのではなく,その当時の生活をリアルに見せることで客に感じさせようとしているのが痛いほど良く分かる。
こういう作り方の映画において最も肝心なのは,主人公の実在感である。いかにもホントに目の前にそういう人がいるようなリアリティがなければ,この試みは成立しない。従って,主人公を演じる声優の配役には非常に神経を使ったはずである。絵柄では幼げに見えるが,主人公は 19〜20 歳の約2年間を映画の中で過ごしているのである。その点,主役を演じたのん(元能年玲奈)は,実に見事にその役割を果たしていたといえるだろう。というより,彼女のこの演技がなければ,この映画そのものが失敗していたのではないかとさえ思えるほどである。持ち前の天然性を感じさせながら,決して激することなくこの役を演じ切った彼女の声の演技には本当に感心した。
音楽は,少し力不足なのではないかと思った。淡々としている場面には過不足はないのだが,空襲など動きの激しい場面では物足りないものを感じた。また,歌い方が囁くような声だったので,囁き声が蛇と同じくらい大嫌いな私には全く嬉しくなかった。
監督は,ジブリに長くいた人だそうである。魔女宅の監督として指名されながら,スポンサーの圧力で宮崎駿に代わられてしまったという経歴は,察して余りあるもので,それでも宮崎駿を支援して魔女宅を作り上げたという人柄の良さは,この作品の綿密な作りにも通じているのだろう。私が生まれるほんの 10 年ほど前の話なのに,この時代感は私の中にはないものであり,この映画を見ることで教えられたことが沢山あった。日本人が 74 年前まで持っていた価値感が,決して現代に通じないということではないと強く感じさせてくれるこの映画に出会えたことは,非常に大きな収穫だった。今の日本人に是非見て欲しい映画だと思うばかりでなく、被害者意識を見る者に押し付けないこの作りは、海外での公開に非常にふさわしいと思う。
(映像5+脚本5+役者5+音楽3+演出5)×4= 92 点。
やっぱりいい映画でした!
プロローグでコトリンゴの悲しくてやりきれないが流れた時から目頭が熱くなってしまいました。ハルミちゃんの手を引き不発弾が爆発した時の色んな線香花火が燃えていくことで表現するシーンやすずが右手があった時のことを年月日とともにコマ送りのように回想するシーンなどは悲しさを的確に表現しております。
一方、憲兵に軍艦の写生で捕まった時に家族が神妙な表情で憲兵を見送った後にすずが諜報活動で疑いを受けたことで大笑いするシーンなどは思わず吹いてしまいそうでした。
遊郭で出会った白木リンが空襲でなくなったことや飯塚弁の貧しい娼婦テルが肺炎で亡くなったこと。
テルに暖かい南方の景色を雪の上に描いたシーンなどは涙、涙でした。
最後はすずに対して冷たく接していた義理の姉がすずにモンペを縫ってくれたことは見てて嬉しかった。
見終わった後、何とも言えないほっこりする感情や戦争のために命を落とした人達のことなどで胸が熱くなりました。
やはりひと思いに称賛はし兼ねるのです
この映画は前作から何度も見て見るたびに
「きちんと感謝して丁寧に生きよう」と
思わされる素晴らしい映画だと思います。
ただ、やはり二次大戦及び太平洋戦争中に日本がアジア諸国でやったことを
全部スルーしてあの時代を捉えることに抵抗感があります。
そこにただ生きていた庶民はただの被害者なのかもしれませんし
何も知らなかったのかもしれません。しかし
日本は被害者である以上に加害者でもあります。
その側面を丸々描写なしで切り取った映画を称賛はできません。
あの時代を表現する以上日本の加害性に言及することから逃げないのが
表現者としての責任ではないのかなといつも感じます。
さらにいくつもの感動が…
見ようか迷いましたが
絵がすごいのは言うまでもなく
相変わらず素晴らしい
【完全ネタバレではないが、描写に関する記述あり】
まず、自分の人生でもトップクラスの映画。
何が素晴らしいって、描写が緻密かつ中立。
人々の暮らしをこれでもかと言うくらいリアルに描いている。
自分は、戦争世代の祖父祖母の昔話好きな人間であり、そこかしこにちりばめられたネタやこだわった描写がよくわかる。
戦争を知ってる世代が見たらもっと気づけるのでは?
瓶つき精米、くず落としの穴、落とし紙、陶器のアイロン、灯火管制と、それをやめる描写、建物の防空迷彩、着物の女性が「細袴穿いてるから」木に登れる・・・
兵器関係も緻密に再現している。
焼夷弾ひとつとっても、不発時含む作動、ストリーマーに火が点く現象、刻印まで完全に。
色付煙は、軍艦が自射弾を識別するため(識別できないと射撃修正できない)だし、大和の手旗も意味がある内容を打っているし、あの時限爆弾シーン前に投下される爆弾には時限信管の識別塗装、米軍機の機銃掃射時に曳光弾の混入率まで再現(笑)
これを聞いてオタクだ右寄りだと言う方がいるでしょうし、勝手にどうぞという感じですが、描き手側は中立です。
だって右寄りも左寄り作品も、自分に良いようにオーバーに表現したり、嘘を混ぜ混むが、この作品は真実のまま描いているだけだもの。
そこが凄いんですよ。徹底して真実のままに日常を切り取っている。受け取り方は我々に任されている。
私がこの映画を見て感じたのは「人生なるようになるし、どうにもならないこともある。戦争しなくても死ぬときは死ぬ。過ぎたことは覚めた夢と同じ。価値観や気持ち、秘密や過ちは人それぞれ。しかし芯を持って生きねばならない。」
ということ。
右寄りの方、日本が核武装すれば、強硬な政治をすれば、領海侵犯は即撃沈すれば、戦争はなくなりますか?
左寄りの方、自衛隊なくせば、米軍撤退すれば、オスプレイを締め出せば、戦争はなくなりますか?
この作品の人間関係や当時の風習にあれやこれや苦言を呈する方、それは価値観の押し付けになってませんか?
難しいですが、人生は「許しと思いやり、ただし芯を持つ」ことだと自分では思っているので、人間関係が多少拗れる描写も含め、しっくりくる映画でした。
だってああいうの現実にもありますもんね。
すずさんの歌うような広島弁がいい
美しいアニメーションとすずさんの歌うような広島弁に引き込まれてしまって、当時にタイムスリップしたのではと錯覚するような感覚だった。すずさんの描く絵がすごくいい。海を飛び跳ねるうさぎの絵は、頭の中にずーっと保存しておきたいね。
一番印象に残ったのは、すずのセリフではなく、玉音放送を聞いた後に小姑の桂子が言った「あー、終わった終わった」この一言が自分には一番響いた。戦争で家族を失い、家も失い、涙も枯れ果てたころに終戦の知らせを聞いて、憤りを通り越えて馬鹿馬鹿しくなったのだろう。桂子の心の中では、「あー、この馬鹿馬鹿しい戦争を始めたやつはどこのどいつなんだろうね。責任とって、腹でも掻っ捌いてんだろうね」と言っているんだと思う。
アメリカに戦争を仕掛けることの無謀さを大半の日本軍幹部が認識していた。にもかかわらず、売国奴と呼ばれることの恐怖に打ち勝つことができずに、ずるずると無謀な戦争に突き進んでいった。そういった時代の空気を桂子は、わかっていたんだろうね。
映画としては、168分の長さを全く感じない素晴らしい出来だった。何でもないエピソードが、最後には一つにつながっていく気持ちよさ。美しいアニメーション。市井で生きる人々の温かみ、力強さを感じた作品だった。
押しつけがましくない戦争映画
「さらにいくつもの」ほうで初見でした。
かなりのボリュームなので寝てしまうかもしれないかと不安でしたがそんなことはなく。
静かに過ぎていく日々の中で、突然の空襲などのギャップがすごくて引き込まれます。
静かに泣き続けました。
またお芝居がみなさん本当に素晴らしい。
オープニングでキャストさんの名前が出るので、見ている間に気になってしまうかと不安でしたが大丈夫でした。
今回の追加分はりんさんのシーンだそうですが、私もりんさんが大好きになりました。
りんさんに魅了されない人はいないのではないでしょうか?
映画を見た後、劇場でたくさんの人と映画を見ていることも、とても幸せなことなんだと思いました。
切ないシーンも多いですが、笑えるところもあり、戦中・戦後の時代の人々の生活を身近に感じることが出来る、素晴らしい映画です。
家族とは幸せとは人間とは
2020年一発目に鑑賞した映画!『この世界の片隅に』におよそ30分の新たな場面を追加し、より前作よりも登場人物や当時の背景を深く掘り下げた完全に新作と言っても過言ではない出来に、前作でも号泣したのに今回は劇中で2回ボロ泣きしてしまった!
日本の戦争映画やアニメと言えば関連付られるのが蛍の墓や、はだしのゲンの2つ。如何に当時は悲惨で惨いかとこれでもかと描写された作品に対してこの作品は、反戦映画とはひときわ違い舞台が戦時中に設定された以外は、対極的に家族や、戦時中の日常生活の大切さ、そして何より重要なのが絶望のどん底にある時への逆境の克服。言わば破壊と再生がテーマであった。
主人公「すず」のフィルターを通し見る世界では、時に過酷な状況に希望を無くすことがあったとしても、愛する者たちと共に笑うことが如何に世界をより良い場所に見せてくれること気付かされ、異常な環境で常にその中で凪の様に佇む彼女の普通さこそが改めて戦争への悲惨さや今の暮らしの尊さを感じ取らせてくれ
彼女の生きる。のどかな暮らしが、この世界の片隅に確かに存在していたという「現実」が確かに自分の中に根付き、その場所に住む人達、自分自身がこの世界の中心で、物語の主人公であり、何があってもそれを守り、生きていくことの大切さを失ってはいけないはずなのに、今自分たちが生きているこの現代では、それらを忘れがちなのに気が付いた時は悲しかった。だからこそ当時の何気ない暮らしの当たり前にある日常を描いているこの作品は人の感情に敏感に触れ心を震わせてくれたのだと、改めて当たり前にあるこの日常や尊さを人は人間は忘れがちであることを深く思い知らさた気がした。
過去と比べることで今現在自分たちが持っていることに感謝の念を持て生きるという面で、日本人いや人間本来の姿がこの主人公の「すず」なんじゃないかと思う。そして何より、過去こそが今現在の自分たちを形作ってきたのだから、、、
いまだにこの映画を見てから気持ちを克服、消化することが出来ないでいるが、すずさんのように自分も穏やかに日常を毎日に感謝し家族を隣人を思ひ笑顔を忘れないでいようと見習いたいと深く感じた作品であった。
前作と今作はどちらがが良いのか
私にとって、この作品は、浜辺で見つけたサクラ貝のように、ずうっと取っておいて、時々取り出しては見たくなる、宝物のような映画です。
勿論、この感動は人に伝えたいです。
この世界(それは日本だけに限らない)のどこにでも居る普通の人々の平凡な幸せ、戦争はそれを奪ってしまうのだということ、しかしそんな状況でも生活は続いていくのだ、ということに愕然とします。
食料や物資が日毎に入手しにくくなっていく中でも、献立やらその他雑事に頭を悩ませ、些細な事に一喜一憂する、そんな当たり前のことに気づかされます。
今作を観た人が低めの評価をするとしたら、それは前作と比べて、ですよね。私はどちらも良い、と考えます。前作では、無名の誰かにも一人一人の人生があったのだ、と解らせてくれ、反戦のメッセージがストレートに伝わりました。
今作では、視点がいくつか増えた分、すずの心情もより深く掘り下げているので、焦点がぼやけてしまうことはないです。
話がそれますが、近頃よく巨大地震のシミュレーションとやらで死者1万人などと学者が言いますが、人命を数字だけで考える、あれには苛立ちを覚えます。仕方ないけど。
本作についてはこれ以上語らなくても、これはまさに「観れば解る」映画なのですが、あと少しだけ。
この映画は多くの人に観てもらいたいし、社会科の教材にすればいいと思います。
しかしもし、道徳の教材にするというなら、それには賛成しかねます。
政治家の中でも特に右寄りの人達は、古臭い家制度を重要視しています。女性活躍とは、家の中で女性が大いに働いて、家計を切り盛りし、病人や高齢者の世話をする事を指すのか、と思ってしまいます。
下々の者は互いに助け合って身の丈に合った生活をし、どんな苦難にも笑って耐えなさい、などという間違った思想教育に、この美しい映画が利用されませんように。(これは仮定の話で、もしそうなったら悲しい、という意味です)
そう考えると、今作でのすずは、ただおっとりして、気立てがいいだけではなく、感情を露わにする激しいところもあったりして、より好感が持てます。
さらに濃く、深く
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