ダンスウィズミーのレビュー・感想・評価
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思い切り笑いました!
まず、衣装がカラフル!
そして、懐かしい歌謡曲のオンパレード。
ストーリーも笑いあり、ホロっとする涙あり、スッキリ後味のいいエンディング、とても楽しむ事が出来ました。
英語字幕表示がされる映画館で特別上映版を観たのですが、同行した日本語が理解出来ない人も大いに楽しんでいました。世界に通用する映画だと思いましたよ!
幸せな気分
何故高級レストランで山本リンダが?!!
楽しい映画だが
面白かった
日本人がミュージカルに向かないのではない
踊るアホウに見るアホウ、
同じアホなら踊らにゃソンソン。
踊るアホウがどれだけ楽しそうに踊るか、
どれだけ多くの悲喜交々を踊りにぶつけてるか、
心の底から面白い!って思えるか、
をマジでやってれば、
見るアホウにみるみるうちに感染していく。
映画も舞台も祭りも学祭もカラオケボックスも基本は同じ、感染に、理屈も論評も不要。
一応、ミュージカル映画の難しさに関しての理屈を並べてみます。
日本人はミュージカルに向かない、
だけではなく、
ミュージカル映画の興行が難しい。
コッポラもスコセッシもボグダノビッチも失敗、
かと思えば、
ラース・フォン・トリアーはミュージカル映画としては異例の短調!の音楽で内容を成立させながら興行的には成功している。
大作になると、1600円(仮に前売り等平均単価)で100万人動員しても、興行的には失敗の場合もある。
舞台、ライブ、スポーツ等なら大成功。
本や雑誌は5万部、10万部でベストセラー?
同じくらいの単価で、100万人動員しても失敗となるのは映画興行くらいでは?
100万人以上動員するには、
ララランドやロケットマンの
唄う場面以外の細部の比較もしてみると、
わかりやすい。
ミュージカル映画の難しさは
単純に言葉の違いだけや、オマエが唄うんかい!や、比較文化研究、
欧米人とのノリの違いだけでは説明しきれない事は多い。
理屈は以上。
主人公が冒頭でミュージカル映画に対する考えをカウンターで放って物語は始まる。
そんなカウンターは不要!
見るアホウにはエクスキューズよりも、
熱を感染させることの方が大事。
主人公が美しい。
表情や佇まいはもちろん、
肘から手首、そして指先まで、
を活かしたコリオグラフ、
動き、衣装、何度も見たいです。
それ以上に驚いたのは、
マーチン上田の立ち居振る舞い。
背中に鉄板が入ってるようなピンとした姿勢、俳優さんの矜持でしょうか。
選曲、好みも色々あるだろうけど、
日本人の日本人による、
世界へ向けたミュージカル映画でした。
ダンスウィズミー上映中
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ミュージカルではない
ただのミュージカルコメディじゃない!
何も考えずに楽しい映画を観たいと思ってみたら、まさかのミュージカルロードムービーコメディで最高だった。あざとくない笑いで飽きさせず、ラストは感動で不覚にも涙してしまった。久しぶりに長いと感じさせない映画で最後まで楽しめた。
三吉彩花の透き通った歌声と背が高く整った顔立ちが、そこまで本格的ではないダンスに華を持たせ、艶っぽさすら感じさせる一方で、三吉の個性のなさをあり余る濃すぎるキャラでアシストするやしろ優とのコンビがここまで絶妙とは、予告では予想ができなかった。
評価の低さ、興収の悪さは、どうせスクリーンの中の人だけが楽しいんだろうと感じさせた予告のせいだろう。
劇場を出て音楽が流れていると、つい踊りたくなっちゃう秀逸な作品。
楽しい!
シンセより生演奏派の人におすすめ
楽しい!!!
生きる歓び
「生きる歓びです。」これは、フランスの名匠・ジャック・ドゥミー監督が、自作のミュージカルの傑作『ロシュフールの恋人たち』(1966年)のテーマを問われた時に答えた言葉です。
その黎明期に観客が映画に求めたもの、そして日本映画全盛期の1950年代に年間12億の人々が映画館に足繁く通った誘因、それは決して心震える感動や社会の不条理への憤怒のためではなく、心が浮き立って晴々とした気持ちにしてくれ、明日への活力を心の奥底から湧き立たせてくれる「歓び」の時間を得るためであり、これこそ“娯楽の王様”たる映画の原点であって、映画館という非日常空間でドキドキワクワクしながら観る映画の真髄だと思います。
ミュージカルやスラプスティックコメディはその象徴的ジャンルであり、トーキー以降の映画の草創期に多く制作されたのもそれゆえです。
本作は将にその典型であり、小刻みなカット割りによるテンポの良いストーリー展開と、寄せカットやローアングル等の凝った映像ではなく、引いた画面を流麗にパンしていくことで心地良いリズムに満たされた軽快で歯切れ良い画面が作られ、観客は落ち着いて眺めながら、いつしか感情移入してスクリーンにのめり込んでいきます。
現実から遊離しながら現実に立脚した、馬鹿みたいにシンプルで馬鹿みたいに単純明快で軽妙なスジ、これを基に主人公を含め皆がユニークで滑稽なキャラクターが設定され、これに演者たちの切れの良いリズミカルな動きと音楽と優雅にシンクロした集団のダンスが物語を通じて盛り込まれ、映画に求められる三要素である「笑い、泣き、(手に汗)握る」という愉悦の極致に導いてくれます。
明日への希望と意欲を昂揚してくれるという映画の原点を忠実に遵守して、再現してくれた間違いなく快作です。
劇中で流れる音楽はどれも快いノリがあり、馴染みやすく耳に残る旋律とダンサー達の溌溂とした快活な躍動には、つい映像に釣られて体が自然にスイングしてしまいます。それは恰も映画のストーリーの如く、催眠術に罹ってしまったかのようです。
人生は楽しさに満ちているという確信と、そして今日の辛いことを陽気に全て忘れさせてくれ、また明日に向かって頑張ろうという活力を与えてくれました。
観終えた後、泉谷しげるのフォークソング全盛時の名曲「春夏秋冬」の一節を、思わず高らかに歌いたい気分です。
「今日で全てが終わるさ、今日で全てが変わる、今日で全てが報われる、今日で全てが始まるさ!」
これはミュージカル映画ではない
私はミュージカルファンです。今までにウェストエンド中心にもちろん日本でも多くの、多分100本近い作品を観てきました。ミュージカル映画も基本的には全部観に行くことにしています。そんな私はこの作品に死ぬほど退屈しました。監督も音楽担当者もミュージカルが何なのか、全くわかっていらっしゃらない。「音楽が鳴ると勝手に歌って踊ってしまう」設定なのに、歌って踊る登場人物たちを見ながらミュージカル的カタルシスを一切感じさせない、というミュージカル映画がかつてあったでしょうか?しかもこれはコメディですらない。満席の場内からは「くすり」とも笑いが漏れませんでした。そんな意味では、歴史的作品と言えましょう。しかし私はこの作品をミュージカル映画とは認めません。これは陳腐で滑稽なミュージカルもどきに過ぎず、全ての出演者に「災難でしたね。私も忘れますからあなた達も前を向いて次の作品に臨んでください」と申し上げたいと思います。
催眠術の安易さ
痛快自分探しムービー
都会の一流オフィスに勤めるOLが、姪を遊びに連れていった遊園地の怪しい催眠術ブースで、「ミュージカルが上手になりますように」という姪の願いに付き合い自分が催眠にかかってしまう。
それからは、音楽が聞こえると、体が勝手に動き出し、口から勝手に歌が飛び出す。
せっかく掴みかけた恋も仕事も滅茶苦茶に。
元に戻してもらうために、催眠術ブースに駆け戻ると、そこはもぬけの殻になり、借金取りがうろついていた。
かくて、自分に催眠をかけた落ちぶれた催眠術マジシャンを追って、新潟→秋田→札幌の珍道中が展開される。
なぜ、OLは姪を差し置いて催眠にかかってしまったのか。
実は、少女時代の体験が元で『後催眠』というものにかかってしまったらしい。
旅の途中で『自然体の自分でいればいい』という人の言葉に自らを顧み、旅の終わりにやっと催眠が解けた時、OLは自分の過去を受け入れ、新たな人生を歩み始める。
今度は、自分の気持ちに正直に、そして自信と納得を持って。
最初のミュージカル場面から、久しぶりに感動の鳥肌を味わった。
見ごたえあるダンスシーンが、テクニカルなカメラワークで切り取られていく。
夢のような場面の後に現実の惨状が映され、そのギャップに苦笑する。夢と現実の見事なマリアージュだ。
そして、耳覚えのある懐メロ?!に畳み掛けられれば、主人公のダンスに誘われるように「人生の喜怒哀楽も捨てたもんじゃないな」と心が開放されていく。
そして、彼女の新しい人生に、自分の人生を重ね合わせ応援したくなる。
土曜の午後、若い人を中心に満席の観客。ハートウォーミングなストーリーと懐かしのJポップの数々を共有し、久しぶりに『ワクワク』と『ドキドキ』を体験できた。
この映画は、自分探しの途中にいる全ての人を応援する、痛快ハッピーミュージカルムービーだ♪
〔追記2019/9/24〕
新幹線で新函館北斗駅に到着し改札を出ると、この映画のポスターが貼られていた。映画では広々と見えた見送りデッキが、それほどの広さではなかった。
映画のマジック。
それにしても、沢山の人が往来する新幹線の駅で、どの時間帯にあのロケはなされたのだろうか。数分間の映像を撮る為に、幾人の人がどれ程の時間関わり、働いているのか。それを想うと、改めて一本の映画の重さを感じる。
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