コレ観るといつも大泣きしてしまう。
作家の記憶、幻覚、感情を
断片的に視覚化して並べる。
全てが彼の作品の中の出来事かも。
シドニーという男と
それに関わる人々が総て
ビショップの創作した架空の悲劇の
主人公達だったというフィクション映画でも
それはそれで全然構わない。
如何様にでも自由に感じられて好きだ。
(成程、だからこの奇跡的な
エル・ファニング起用なら大納得!
だってこんな世界一可愛い女の子に
惚れられるなんて最高の経験をした挙句
結婚までして、そんなヤツが更なる贅沢で
他の女と遊びまくって小節描き続けて結局は
離婚だなんて最高のファンタジーでしょうが!
だって、この映画のエル・ファニングが
キャリア最高純度最高濃度だと思わない!?
いや、ガルヴェストンも譲り難い悲劇だな。
なんか構成似てるし。)
で、果たして「郊外の悲劇」はどの程度までの事実を
どんな形で著した本なのかは明らかにされていないが
その本と作者が伝説に名を連ねた、
というフィクションの出来事を、
関係者しか知り得ぬ事情を交えて
じっくり堪能出来る構成。
全てのシーン(記憶、幻覚、夢など)を
無作為に並べたのでは映画産業での必要な
約束事、つまり
「観客にカタルシスを感じて帰って頂く事」は
到底果たせないので、
並行させたそれぞれの”死”という最高の山場を
最後半に揃えといて、グッ刺さるシーンに
ブッ刺さる幻覚と音楽を添えると、
これ以上は有り得ないくらいの幽玄かつ強烈な、
かつ「映画でなきゃ絶対味わえない」時間を
残酷なくらい堪能出来る、記憶体験没入型映画が
出来上がった。という訳。だと思う。
折角最高に上手に並べてくれたのに、
それにケチをつけるなど発達中の子供のする事。
だって話はフィクションだと判っているのに
何処が幻覚で何処が昔の話か解らないなんて。
各自、「あ、この部分は現実と受け取っても面白い」
と色々なパターンを並べるのがこれまた楽しい、
いや、幻覚こそ彼個人の記憶の最重要部分であって
シドニーにとっては最も辛い現実なんじゃね?
この映画を理解する、そしてこの幻覚を
理解したかのように感じられるか否か、の
ハードルは案外低くて柔らかい、かも知れないと
思う事も出来る。と、個人的にはそう思う。
後悔後悔後悔和解涙の抱擁からの、
また幻覚後悔幻覚後悔爆発から更に後悔幻覚、
もう自分がこの世に生きてるかすら怪しい。
で、ビショップ参上。
総てを救って紐でくるんで持ってってくれた。
こんな友人が本当に欲しい。心の中に。
破壊しまくって後悔しまくるシドニーの対極。
後悔後悔幻覚の果ての寝落ちからのパーティー。
読者の自殺が政治に利用され報道され
自分の価値、立ち位置まで揺るがされる。
自分の周りで起きた事を(どんな感じに、が肝だが)
書いた本を売ったらバカ売れしちゃって、
(おかげでビショップという、類い稀なる
文才を持つ友人を得る事が出来た訳だが)
更なる不幸を浴び倒す生涯がのし掛る。
不幸だから美しいのだし、
混沌というのは完成された状態であり
無秩序とは全く別物だと感じた。
この世界の家庭の内側の秘密は総て不幸なのか?
だから個人の後悔は総て美しいとでも云うのか?
ビショップの家庭もどん底だったようだし。
シドニーは逃げて逃げて記憶と幻覚に埋もれて
美しいまま泣いているとでも云うのか?
犠牲が大き過ぎた。
だからこそ美しい。
人生クソ悲劇だよ。
一個人の私見だよ。
人生No.1映画。