僕はイエス様が嫌い

劇場公開日:

僕はイエス様が嫌い

解説

大竹しのぶ主演の短編「Tokyo 2001/10/21 22:32-22:41」がショートショートフィルムフェスティバルのコンペティション部門に出品されるなど、注目を集める弱冠22歳の若手監督・奥山大史が、脚本、撮影、編集も担当して手がけた、初の長編作品。祖母と一緒に暮らすため、東京から雪深い地方の小学校へ転校してきたユラは、同級生たちとおこなう礼拝に戸惑いを感じていた。礼拝の習慣や友だちとも慣れていったある日、お祈りをするユラの目の前にとても小さなイエス様が現れる。ユラは願いを必ずかなえてくれるイエス様が持つ不思議な力を次第に信じるようになっていく。

2019年製作/78分/G/日本
配給:ショウゲート
劇場公開日:2019年5月31日

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(C)2019 閉会宣言

映画レビュー

4.5少年の別れ

2024年12月30日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

少年・ユラの心の揺らぎ、
広がる神様へ不信、
ある事故をきっかけに少年の心に起きる波紋を
瑞々しい感性で描いた映画。
撮影した当時、奥山大志監督は22歳だったと言う。

子供の頃に受けた残酷な情景を、
ありのままに、見る者にも分かるように、
分かりやすく映像にする。
簡単ではない。
たった75分の映像に、死んだ友達への思い、
お祈りしても願いを叶えてくれない神様への不信。
お別れの言葉のお終いで、
いつも現れる小さなイエス様を
ユラはボカーンと叩き潰してしまう。
(それは幻想の神様への訣別?)
“怒り“
“理不尽“
“お願いしても、報われないこと“
ユラはそれを知った。

奥山監督は時として人間一般に起こる不条理を、
けっこう残酷な表現で、意図して明確に向き合って描く。
人はなぜ神に祈らずにはいらないのたう。

私は、毎朝、神棚に水を変えて、新しい熱いお茶を供えて、
神棚に手を合わせてしまう。

神様はいないと思うのに、
お願い事をしてしまう。

「ぼくのお日さま」を観て、とても良かったので、
この映画を観ました。
奥山監督、只者でなぃです。

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琥珀糖

4.0長く感じる余韻の中で

2024年12月25日
iPhoneアプリから投稿

興奮

難しい

この作品を作った人は時間の流れが優しくゆっくりなのかなと感じた。
しかし、なき友に捧げる為、終わらせたくないがための引きなのかも、と最後のエンドロールにて改めて思った。

あの余韻のある時間の中に何を込めたかったのか、1回見た今は分からない。

例えば、1000円相撲のシーンや、病院帰りの走り出すシーン。
尺が長いなと感じたのは何故だろう。私だけなのだろうか。
その余韻の長さに逆に引き込まれた自分もいて、いつの間にか奥山監督ワールドへ取り込まれてしまったような気もする。

きちんと整えられた視点の中に、小さなキリストがちょこまかと暴れていて、ボーッとみてたら見逃してしまうかのようなアンバランスさに、画面から目が離せなかった。

キリストなんて信じないと言葉に出すのではなく、物理的に壊した表現に、少年の心遣いを感じた。

いつだって信じられるのは己の中の神様なのかもしれない。

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みそのぐ

5.0僕はカルト宗教が嫌い

2024年10月22日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD
ネタバレ! クリックして本文を読む
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共感した! 1件)
病人28号

4.5半ズボンの聖域、その破壊と再生

2024年9月22日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

この映画を配信でみました

こどものはなしですが、
子供扱いしていない厳しい作品

映像美と立体的な音響に圧倒されっぱなし

祈るということはどういうこと?
信仰とは何か
観ている間はただ物事が起きている様子を感じるだけ

ひきこまれていました

世界中の誰もが観てわかりやすい普遍性に満ちている

監督はまだ20代、これが大学卒業製作とは恐るべき才能です

きくと、奥山和由プロデューサーのご子息らしい
ハチ公物語や、北野武、竹中直人を監督デビューさせた、あの人!

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青樹礼門