「すべてを救ってくれた男」クリード 炎の宿敵 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
すべてを救ってくれた男
クリード1のときは楽しめたのだけどイマイチノリきれなくて、何でかなと思っていたのね。
それが本作を観てわかったのが、タイトルこそクリードだが、前作はロッキーとロッキーの弟子アドニスの物語だったのね。ロッキーシリーズもロッキー自身のことも好きだが、求めていたものはアドニスの物語でロッキーの物語ではなかったんだよね。
それが本作ではアドニスとアドニスのトレーナーロッキーの物語に変わって、完全に世代交代できたように思う。
よくわからなかったアドニスのキャラクターもわかるようになったのも良かったね。彼は、まあ、フットワークとしゃべりが軽いロッキーだったね。何でも、どうしたらいい?と聞いちゃうあたりとか初期のロッキーみたいで、そんなところはロッキーに似なくていいんだよと可笑しくなってしまったね。
これは前作の脚本に名を連ねていなかったシルベスター・スタローンが脚本に戻ったのが大きかったと思うね。前作はロッキーというキャラクターに敬意を払いすぎたよ。ロッキーはあくまで脇役のはずなのに、扱いを軽くできなかったのだろうと思う。
それを、スタローン自身がロッキーの役割を軽くし、物語の中心をアドニスに据えて、ドラゴのことまで汲み上げたよね。
大体の人はスタローンは俳優だと思っているだろうけど(一応それで合っているが)、俳優としてはいいとこ二流で、はっきり言っちゃうと才能がない。最初の「ロッキー」のときの演技とか本当に酷いからね。
しかし、脚本家のスタローンは本当に才能があるんだよね。「ロッキー」が名作なのも脚本が素晴らしいからだよ(それだけではないけど)。
スタローンは、シンプルなことをシンプルに伝えることに長けているんだ。ヒネリとか複雑さとは無縁の脚本かもしれないけど、大事なメッセージを観ている人にズドンと直球で届けられる力強さは才能としか言えないと思うね。
スタローン脚本の良さは本作のラストでまた輝いたんだよね。
アドニスとヴィクターのファイト終盤、脇腹をやられたアドニスにロッキーが「まだやれるだろ」と言葉をかける。これはロッキーがシリーズを通して伝えてきた、苦しい時に一歩踏み出すという教えそのもの。
んな無茶なと思いながらもアドニスを応援する気持ちは高まるしかないよね。
その後、アドニスはヴィクターから2度のダウンを奪い、私のテンションがいい感じに高まったところで、ヴィクターの母親が退席。それを見て落胆するヴィクター。
え!? ちょっと待って、ヴィクター!? 思わず落涙する私。泣けるとは聞いていたけどまさかドラゴ親子で泣くとは露ほどにも考えてなかったよね。
落胆するドラゴ息子の姿を見た瞬間に、愛されたかった彼の思いが一気に流れ込んできたよね。
ドラゴ父も母親が退席したことに気付く。彼は戦意を喪失しかけているドラゴ息子に対して必死に激を飛ばす。自分も彼女らの退席に酷く落胆しただろうに、立て、頑張れ、と声を出す。
うおおおお!ドラゴ頑張れ!負けるな!ヴィクター!ヴィクター!
これもうどうしたらいいの? アドニス勝て、ヴィクター負けるな、矛盾してますからね。なんとか引き分けってことに出来ないだろうか?などと考えていた私を救ってくれたのはドラゴ父でした。彼がタオルを投げたのです。
コーナーに追い詰められ打たれていた息子を「もういいんだ、もういいんだ」と言いながら抱きしめる。
タオルを投げられずアポロを殺してしまったロッキーを、タオルを投げ降参することで越えたのよ。ロッキーに試合で負けたドラゴ父はロッキーを越えたのよ。
ドラゴ息子だって負けてしまった。母親も去り何も得られなかったかもしれない。
だけど、何かを証明できたんじゃない? これってロッキー1のときのDNAそのままじゃない? ドラゴ親子の中にロッキーイズムを感じるじゃない? こんなの泣かずにいられないじゃない!
エンディングは3組の親子の姿。ロッキーシリーズはずっと家族と愛の物語だったよね。
主人公とタイトルがかわっても、そのメッセージは受け継がれる。