「クリード 炎は弱火」クリード 炎の宿敵 ヒロさんの映画レビュー(感想・評価)
クリード 炎は弱火
僕はロッキーシリーズが大好きだ。しかしクリードシリーズになってからはあまり乗れていない。それはロッキー第一作の「何者でも無い者が何者かになるとき、それは何かに挑戦する時」というテーマから外れているから。主人公アドニス・クリードは血統と才能を持った若者で彼の苦悩はロッキー第一作のテーマと真逆の位置に居る。加えてアドニスに感情移入できる魅力があれば良いがそれもどうも無い。なぜならクリードシリーズはスタローンが師匠・ロッキーをどうカッコ良く見せるかに重きを置いて書いている脚本だから。スタローンは自分をどう見せればカッコイイかを追求してきた人だ。ナルシズムの探究者と言っても過言では無い。
ロッキーがボクサーとして戦っていた頃はしっかりロッキーに感情移入出来るし、最後ちゃんと気持ち良くなる。
なぜならスタローンが主役だから自分がカッコよくなるための道筋をしっかり作っていた。
しかしクリードシリーズになってからロッキーをスターウォーズのヨーダやベストキッドのミヤギの位置、全てを見通した仙人としてかっこよく描くことに重きが置かれてしまっているのでアドニスに全然華がない。
恋人に結婚を申し込むときに師匠とは言えわざわざロッキーに相談するか?Champion of the worldなのだから自分でやれよと思う。
(例えばロッキーがエイドリアンを口説くのにミッキーに相談したか?スタローンは若い奴から恋の相談を受けたいのだ。若者から頼りにされたいという欲求からこのシーンが描かれている。この若い奴に頼りにされてるシニアになりたいという欲求は北野武にも共通している)
ボクシングを描くために細かい所に気を使っているのは分かる。しかしやはりボクシング描写は荒い。これはロッキーシリーズからの課題だ。ボクシングにおいてビッグパンチ一発でも入ったらそこでお終いだ。あんな打ち合いには体が耐えられない。
そしてこの映画は私が嫌いなジャンル、過去作を見ていないと付いていけない前作を見ていることが前提の映画だ。敵側のドラコ親子が昔の強敵が帰ってきたという売り以外、役割が何も無い。(キングギドラみたいなもん)
本作は一点修正していれば傑作になっていた。ビクタードラコがどんな奴でラスト自分の意思で戦いに挑む、という描写を入れるだけで良い。これだけで物語が締まる。
ビクターは母に捨てられ親父の復讐マシンとして生きていて自分の人生が何もない。親の呪縛に完全に縛られた男だ。この男が例えば自分と父を捨てた母とぶつかり、母自身も国辱となってしまった父から離れざる終えなかったという葛藤があったり、それこそ父ドラコの葛藤を理解したり親を許す事が出来た上で父ドラコを捨てて単身アメリカに行ってアドニスと戦う、とかにすれば自分の人生を取り戻す男の話として第一作に通ずる作品になったのでは無いか。
本作はこの展開だとこうなるよな、という予想通りに話が終わった印象だ。
そしてやはり気になるのは主人公に魅力が無い。アドニスは過酷な世界に身を置いていて、チャンピオンにまでなっているのにプロポーズの時にロッキーに頼ったり、子供が泣き止まない時に母に連絡したり、トレーニングを再開しなかったりと愛嬌というよりはなんとなくガキっぽく弱く写る。というより人物造形が雑。スタローンがアドニスにそれほど思い入れが無いのかなと思う。
スタローンが自分が若い頃に与えてもらったロッキーというチャンスを若手に返す、という心意気でクリードシリーズを続けるのならばプロデューサーに専念して脚本も若手に任せるべきだろう。
まぁ、そんな事したら恐らく速攻でロッキーが死ぬ展開になるだろうが…