愛がなんだのレビュー・感想・評価
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今泉監督の描く男性像が好きだ
今泉力哉監督の映画の男性像が好きだ。マッチョな思想の男性が出てこない。男性キャラは大抵男らしくないが、人間としての魅力や欠点は丹念に描かれている。男らしさ以外の男性の魅力を描くのが上手い監督だと思う。
今回の映画は、今泉監督作品としてはじめての小説原作ものだが(漫画原作はある)、いつもの今泉監督の色に染まった作品になっている。この映画に理想的な恋愛模様は描かれず、誰もが欠けたピースを埋めるかのようにもがくのだが、ぴったりはまるピースなど早々見つからないのだ。とても痛々しい恋愛模様だが、これが恋愛のリアルではないか。というより、メディアや広告で理想を喧伝されてしまうから、欠けた自分は駄目なのだと思いがちなのであって、むしろこの痛々しさのリアルは観る人の救いになるんじゃないだろうか。そして、ただの不毛な恋愛劇に終わらせずに主人公の小さな成長を描いているのも好感が持てる。女性客が多いようだが、男性にも観てほしい。
角田光代の感性と今泉監督の演出、相性どうなんだ
角田光代の小説はこれまでたびたび映像化されてきて、当然ながら女性ならではの感性や繊細な内面描写が大きな魅力だが、永遠のこじらせ少年のような男性のストーリーを得意とする今泉力哉監督に本作を託したのは、製作陣の大きなチャレンジであり冒険だったと思う。
テルコの愛は純粋だ。純粋過ぎて、常識人からすると馬鹿に見える。しかし、フィクションゆえの誇張であり、「恋は盲目」と言うように、恋愛は多かれ少なかれ周りが見えなくなるほど夢中になってしまうもの。中盤からの奇妙な三角関係にも笑ったが、ラスト近くでこの微熱に浮かれたようなフワフワした関係が、意外な人物の現実的な言動によって大きく動く。
男女の感情の行き違いが、女性作家の原作を男性監督が演出するというずれによって一層複雑化し、その相性はともかく、本作の味にはなっている。伊坂幸太郎「アイネクライネ…」の今泉監督による映画化も楽しみだ。
心の叫び
2024
124本目
うまいなぁ〜
題名どおり!愛がなんだ!と言いたくなるような男と女。
リアルじゃなさそうで、リアル。
少しながら、共感できる部分はあるのでないだろうか。
それぞれが何か足らなくで、補填しあってるのに満足しない。
心のピースがはまらない。
でも離れられない…好きとか愛とか…?
執着なのか恨みなのか、本人もわからない。
愛とゆう言葉の概念なんて誰にもわからないからこそ、この映画はあるんだろうな。
中原青、君が一番この世の中に多いような気がする。
好きだから相手をダメにする…
とか…とか…とか…
全員、自惚れ屋で勘違い!って冷静に考えてみるけど、人間みんなそう。
ちくしょう!
愛がなんだ!!!
芝居が上手い人しか出てこないー
リアリティーあって引き込まれたー!素晴らしい作品なのに今更ながら配信で観ました。ごめんなさい!
登場人物全員の気持ちがわかる!こんな映画ある?
いやぁ、この原作者さんも監督さんも凄いなぁ。
私はもうおばさんなので恋愛多分ないけど、人間関係全般にも当てはまる。
追う追われる、重い軽い、執着するしない、相手を振り回す振り回される。それらを客観視できる素晴らしい作品。
人の気持ちもよくわかるようになりそう。私はテルコみたいに気持ちを全面に出したりしてないけど、愛でも恋でもない離れられない人が昔にいて、この執着のような感情がずっとわからなかったから少しスッキリした。
懐かしい感情が呼び覚まされた
忘れていたけど確かにあったあの頃。甘酸っぱく、恥ずかしく、でも愛おしい季節、遠い記憶。
ハタチの頃の、恋愛に関するうまく言語化出来ないモヤモヤした感情を、久しぶりに思い出した。そして胸の奥がキュッと苦しくなった。
これが愛なんだ
2024年9月13日
映画 #愛がなんだ (2018年)鑑賞
一目惚れした男を愛しすぎ、最優先の日を送ったせいで会社を首になるが、男にとって彼女は恋人ではなく、まったくタイプの違う女が好きで、それでも一緒にいるだけでもいいからと男に尽くす
愛とはそういうものなんだな
#若葉竜也 がとてもよかった
角田光代と言えば「八日目の蝉」と「紙の月」しか知らなかったが、 恋愛小説も書くんだなあ。
動画配信で映画「愛がなんだ」を見た。
2019年製作/123分/G/日本
配給:エレファントハウス
劇場公開日:2019年4月19日
岸井ゆきの
成田凌
深川麻衣
若葉竜也
穂志もえか
中島歩
片岡礼子
江口のりこ
映画を観終わってから知ったのだが、
原作は角田光代の2003年の小説らしい。
結婚式の2次会で
テルコ(岸井ゆきの)とマモル(成田凌)は知り合った。
テルコはマモルのことが大好き。
いわゆる片想いだ。
テルコはマモルのことが好きすぎて、
仕事がおろそかになり、
映画が始まってから30分後には会社を解雇になる。
そして、映画が始まってから38分後には
マモルからテルコへの連絡は途絶えてしまう。
テルコには親友、葉子がいる。
葉子に片想いしている男はナカハラ。
ナカハラは葉子の都合のいい男だが、
葉子にはそんな自覚はない。
マモルも片想いしてる女性すみれさん(江口のりこ)がいる。
すみれさんはマモルのことを何とも思っていないようだ。
この映画には片想いの男女が3組登場する。
3人の男女の片想いの気持ちが描かれる。
見ていて痛いほどよくわかる。
オレもこんな年になっても嫉妬することや、
カミさんのことを切なく思うことは頻繁にあるからだ。
3人の片想いは解決されないまま余韻を残して終劇となる。
角田光代と言えば「八日目の蝉」と「紙の月」しか知らなかったが、
恋愛小説も書くんだなあ。
満足度は5点満点で5点☆☆☆☆☆です。
好対照の仲原とテルコ
この話は「自己中心」の思考回路で生きている3名と、自分を見失って人に流されている2名がメインキャストの映画と言ったら言い過ぎだろうか。
私には、仲原がテルコとコンビニの前でヨウコにもう会わない、と宣言するシーンが最も本作の大事な描写であるように思えた。
仲原は自分が振り回されており、振り回す相手もつけあがらせているとある種の「真実」に気づく。仲原はテルコが自らと同類の人間であることも理解しており、同じような境遇にあるテルコに「マモルに執着するのはやめませんか」というメッセージを込めて、これからの自分のスタンスを覚悟を決めて示す。プロの評論家の方が「男らしくない男性像」と言っているが、この局面や、スミレに直接人格否定的なことを言えた仲原には男らしさを感じる。
一方のテルコは、「真実」からいつまでも逃げようとして、逃げ切れない。テルコを見ているとイライラする視聴者の方がいたようだが、それはその通りだと思う。
私は岸井ゆきのさんの演技が素晴らしかったこともあると思うが、そんな自分軸を持てないテルコにほとんど恋愛感情に近い気持ちで約2時間の鑑賞を終えた。
あれほど健気に好意を示されたら、私なら気持ちを持っていかれる妙な「自信」すらある。だが、私の過去を思い返してみた時に、テルコのようなスタンスで接してきた女性に対して、もちろん理由は私なりにあるものの、嫌いにさせ振った経緯もある。
実に難解な人間群像を描いており、名作と言ってよい仕上がりではないかと感じた。
とても難解だ
「私のこの執着の正体とはいったい何だろう? それは、恋でも、愛でもない。なぜだろう。私はいまだに田中守にはなれない」
主人公テルコの最後のセリフ。ある種のループにはまり込んでいる状態か。
物語に登場するテルコの少女時代の子供、彼女はテルコに話しかけ、守についての気持ちをはっきりさせろと言う。
しかしテルコにはその子供と折り合いがうまくつけられずにいる。
テルコは守になろうとしているのは、かつて守が話した「33歳までに像の飼育係になる」というのに自分自身がなっていたことで、ある種言葉通りのことだということがわかるが、その真意については難解だ。
彼女が本当は何を求めたのかは、おそらく彼女、または彼女に共感を持てる人にしかわからない。どうしてもそこの共感が持てないところにこの作品の捉えどころのない難しさがある。
こればかりは妄想しても難しかった。
人は誰も、今の立ち位置にいることで、他人から見れば「そんな人」に見えるのだろうが、人間関係が変化すれば立ち位置も変わり、「そんな人」の真逆になるのだろう。この作品はその事を登場人物たちの立ち位置で描いている。
タイトルは、主人公が仲原に対して言った言葉。おそらく、「そんな単純な言葉でわかったフリをするんじゃねーよ」的な意味が込められていると思う。
仲原が彼女である「ヨウコにもう会わないと決めた」ことをテルコに打ち明けるが、仲原の少し変わった考え方にテルコは怒りをあらわにする。
しかしおそらく彼の話したことこそが、テルコの言う「執着」を手放せたことなのかなと思った。仲原の中からヨウコを手放したとき、自分がしたかったことがはっきりしたからこその「個展」だったのだろう。
そしておそらく、仲原の出した答えの反対の答えを出したのが主人公のテルコだ。
「守になりたい、彼の家族でもいい、何ならいとこでもいい」
明らかな執着のある言葉だ。テルコの中から守が消えれば、テルコ自身も消えてしまうと、彼女自身思っているように感じた。もはやそうして生きることが自分になってしまったのかもしれない。
テルコは幼少時代幼稚園の先生になりたいと思った。そして今は守が好き。自分自身から沸き起こる質問を否定しながら守を自分の中心に据えようとする。
もちろんこの作品は群像だ。
この構図は、テルコと守の関係にヨウコが怒りをあらわにしたのと同じ。そしてヨウコの母と父の関係も同じ。同じことを人間関係の違いで繰り返している。それに人は気づいていないことを作品は伝えているのだろうか?
「煮詰まった関係」
スミレが嫌う関係
そんなスミレが好きな守は、スミレの前だと立場が逆転する。スミレと守は、守とテルコの関係と同じ。
冒頭からのテルコと守の関係のよくわからないことは、最後にテルコが熱を出したところへやってきた守との会話で明らかにされるが、「もう会うのをやめよう」という言葉にテルコは動揺していた。そして自分にまた嘘をつく。
この自分についた嘘こそ、執着の正体かもしれない。
これが仲原とテルコの差だろう。
いや、登場人物たちで唯一最後まで自分自身に嘘をつきとおしたのがテルコだ。
そう考えると少々怖いブラックになるが、おそらくそうなんだろうと思った。
そんな人間関係にハマってしまった人って、見たことがあるように思う。
それがこの作品からのメッセージかもしれない。
誰の中にもある歪んだ愛の形のデフォルメ
「愛なのに」を観た後、そういえば「愛がなんだ」を観ていなかったと思い、今泉脚本作品を2本立てで観た。原作未読。
正直、前半はイライラして途中で観るのをやめようかと思った。しかし、岸井ゆきのが脱力感たっぷりなのに不思議と引きつける演技をするものだから、ダラダラ見続けているうちに、中盤から俄然見入ってしまった。
テルコ(岸井ゆきの)の守(成田凌)への一方通行の恋愛感情は、自分の生活を犠牲にしてまでも尽くすという究極の都合のいい女ぶり。一方の守からすれば、呼べばいつでも来る便利な女。それで自分の気が済んだら用はない、頼みもしない余計なことをして欲しくないという究極のダメ男(しかも本人に悪気なし)。
同じ構図が男女逆転して仲原(若葉竜也)と葉子(深川麻衣)の間にも。
アラサーでなにやっているんだ!と、テルコを筆頭に、このどうしようもない4人全員にイライラしていたが、すみれ(江口のりこ)が登場し、守もすみれに対して一方通行の恋愛感情を抱いていることがわかってから、考えさせられる展開に。
仲原が葉子ともう会わないとテルコに告白する重要な場面。自分を見てくれないことがわかっていても、好きすぎる故にどんな形でも側にいたいという気持ちでいたが、それが苦しかったと。そりゃ苦しいですよ。ダイレクトに「あんたじゃない」という気持ちが伝わるんだから。しかし、こういう気持ち、誰しも少なからず抱いたことがあるんじゃないか(超モテ男、モテ女の方を除いて)。この場面で、ああ、なんかちょっとわかるなあ、という気持ちになってしまった。
そうすると不思議なもので、ちょっとヤバいテルコも言動もなんかわかるなあ、という気に。守のすみれへの気持ちもなんかわかるなあ、という気に。
逆に、相手の好意に甘える守や葉子と似たようなことを少なからず自分もしたことがないか?と胸に手を当ててみたり。
詰まるところ、これは1人の女性の執着愛を描いた物語ではなく、若かりし頃、誰しもが少なからず抱いたことがあるような感情や、やってしまいそうな行動を、強烈にデフォルメして濃縮して登場人物達に演じさせているんじゃないか、という解釈に自分は至った。
テルコの「愛がなんだよ!」という心の叫びは、「愛でも執着でも何でも好きに呼べばいい。どんなことをしたって私は守を見ていたい、何なら守になりたい!ただそれだけだ。」という彼女の宣言であり、吹っ切れた瞬間。そこまで宣言するならとことんやってみなよ、と応援しそうになった(いや、応援はせんけど。幸せにはなれないから)。
しかし、守の気を引くために好きでもない男を見つめ、それを見つめる守を横でチラ見するすみれの構図は秀逸。
そしてラストカットは、下手すると狂気(サイコ)に見えそうな場面だが、それをほんわかした印象にしてしまう岸井ゆきのと今泉監督って・・・一体・・・。
考えさせられるけれど、後味のさっぱりした不思議な映画だった。
『街の上で』がハマったのでコチラも鑑賞。 アラサー女性の片思い恋愛...
『街の上で』がハマったのでコチラも鑑賞。
アラサー女性の片思い恋愛ドラマと、そこからの脱却の物語。主要登場人物達の嫌な部分もちゃんと描く、直木賞作家・角田光代の同名恋愛小説を今泉力哉が映画化。
まるで以前の自分のよう…
とても面白かったです。
よくある恋愛映画とはまた違ったリアルさで。
そしていろいろと刺さったり、中原がどこか昔の自分を見てるようで、いろいろ考えさせられたり。
自分は以前、とある女性に2年片想いをした。
こっちから誘って、たまーに軽く遊んだりはした。
でも向こうからは、都合が良い時くらいしか連絡は来ず。時には便利屋になったり。しかしきっと向こうは、なんとも思ってないなと。
本当に苦しかった。
中原と違い、自分は最終的に気持ちは伝えたけど、いろいろあって前には進まず。
(揺れてはくれた)
そして最後になってわかったことは、向こうは本当になんとも思っていなかった。
こういうことで、中原がどこか以前の自分と重なった。
一緒に寝たりなんかできてないけど…笑
しかも字は違えど、下の名前が同じでした。
彼女の存在、今でもちょいちょい思い出してしまいます。
もし連絡が来たりすれば、どこか嬉しいような気持ちが出てしまうんだろうなあ。付き合うことがないのがわかっていても。
中原の言った
「幸せになりたいっすね」
は、本当に刺さりました。
苦しい恋をしてるみんな、幸せになればいいのにな。
いろいろ考えさせられた映画でした。
「恋愛哲学映画」
🎦恋は光に代表される「恋愛哲学映画」と僕が命名した映画群のひとつと言って良い。愛する事、愛されることに不器用なひとりの女子が自らの姿勢の欠点に気付きながらもその姿勢を崩さず貫き通し様を描く事で、愛の本質を描き切った作品。🎦インターステラーも僕にしてみたらこの「恋愛哲学映画」に過ぎぬのだが、ノーランの愛の概念の背景には恩寵が横たわっている。それ故に物理学的概念の延長上に据える点においては、クブリックと何ら変わりはない。が、しかしそれではやはり人間主体の愛を語るにはちと本質が見誤れる危険がある。📖源氏物語に見られるように、徹底した地上愛における無常観ともののあわれの概念で描いた「愛」の本質には神も関与する隙が無いほど生々しくリアルで鮮明である。この作品はそんな何気ない日常に名の知られる事の無い市井の人の織り成すリアルに見ごとにフォーカスされた作品と言える。
主人公も彼氏も仲良くなれない人種だな
好きな彼ができると流されて、自分の事を含め 他の事を全て疎かにしてしまう主人公。
一途とか、尽くすでも、愛とも違う、これはもう一種の「依存」。
一方その彼は主人公を自分の都合で主人公を振り回している自己愛男。
作中のセリフを借りると「自分系」。
自分の事が大事で、相手の気持ちを考えないタイプ。
結婚願望の強い女性で主人公のタイプは、割といる気がする。
結婚でリセット予定。だから仕事は腰かけ、気に入らないとすぐ辞めて
花嫁修業という名の引き籠り。結婚すると朝遅く起きる癖に旦那の不満ばかり。
そんな情景が目に浮かぶ。
ラストをやんわりまとめてあるが、こんな人達とは関わりたくない。
本当の望みの理由に「愛」を使う
もちろん全ての男性、全ての女性がというわけではないが、男性と女性の心理傾向を探ることは出来る。
例えば「白馬に乗った王子様が迎えに来てくれる」という言葉は女性が発するものであるが、今の自分の現状を劇的に変えてくれる出来事を望んでいるといえる。
これが男性の場合だと「突然目の前に良い人が現れて自分と一緒になってくれる」にでもなるだろうか。もし良い人が現れたとしても自分の現状は、その人が現れた以外に変化がないのだ。
つまり、男性は今を維持したままさらなるものを求めるのに対して、女性は全く違う状況、違う自分になりたいと願うということだ。
もう一度書くが、もちろん全ての人が当てはまるわけではない。本作でも葉子やすみれはこれに該当しないだろう。
しかし、ドンピシャこれにハマりこんで、こじらせているのが主人公テルコだ。
自分の劇的な変化の究極形が「マモルになりたい」なのである。
テルコの望むものに自分が入ってないと指摘されるのだが、入っていないようで実は究極のところで入っているのだ。
一見「愛」について語り合う物語のようでありながら、「愛」は本当の望みに対する「言い訳」でしかない。
言い訳が都合よく機能するようにそれぞれ登場人物が「愛」について語り行動するわけだから、どこかチグハグでそれぞれ自分勝手に見えてしまうところが面白い。
そもそも「愛」の解釈などは人それぞれなわけである。
にもかかわらず実際は「愛」についてなど語っていないわけだから、行き詰まり辻褄が合わなくなれば「愛がなんだ」となるのも頷ける。
テルコ、マモル、葉子、ナカハラ、すみれ、主要な登場人物たちは誰かと誰かがどこかで半分似ていて、似ていることと恋愛感情の矢印がバラバラなことから関係性の複雑さを生み面白い。
矢印が、よくある恋愛もののように三角や四角にならないのも興味深い。矢印は常に一つの方向にしか向かないのだ。
いびつで極端な恋愛ものといえるかもしれないが「大人の恋愛の始まり方」から始まる物語は、大人ならではの面倒臭さをはらんで単なる人間関係構築の話と、「愛」を言い訳にした変身願望についてだったようにも思える。
キャストも良く、今泉力哉監督作は「街の上で」から二本目だが、本作も中々良かった。
クズなのはヒロインの方でした
ジャケと予告から『クズ男にボロボロに振り回された後、女としても人として一皮剥ける』みたいな展開を予想して勝手に高まっていましたが、
それを実現していたのは若葉竜也が演じる脇役の中原くんだけでした。
総じてこの中原くんのシーンは全て良かった
オドオドした優しい内気な青年が、恋とも愛とも呼べぬ得体の知れない沼でもがいている様を生々しく感じれた
一方ヒロインのテルコには嫌悪感を抱いた。
自分の弱さと向き合う事から逃げているように見えて
人としての魅力が無いし、応援できない。
途中から"お前はどうでもええわ"と思って見てしまった
ステレオタイプな陽キャの描き方も違和感だったし、あのポジションに江口のりこをキャスティングしてる所もも何か違うなぁって感じがしたし、
ディテールの浅い感じがちょっと無理でした…
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