劇場公開日 2019年4月19日

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「とても難解だ」愛がなんだ R41さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0とても難解だ

2024年5月23日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

難しい

「私のこの執着の正体とはいったい何だろう? それは、恋でも、愛でもない。なぜだろう。私はいまだに田中守にはなれない」
主人公テルコの最後のセリフ。ある種のループにはまり込んでいる状態か。
物語に登場するテルコの少女時代の子供、彼女はテルコに話しかけ、守についての気持ちをはっきりさせろと言う。
しかしテルコにはその子供と折り合いがうまくつけられずにいる。
テルコは守になろうとしているのは、かつて守が話した「33歳までに像の飼育係になる」というのに自分自身がなっていたことで、ある種言葉通りのことだということがわかるが、その真意については難解だ。
彼女が本当は何を求めたのかは、おそらく彼女、または彼女に共感を持てる人にしかわからない。どうしてもそこの共感が持てないところにこの作品の捉えどころのない難しさがある。
こればかりは妄想しても難しかった。
人は誰も、今の立ち位置にいることで、他人から見れば「そんな人」に見えるのだろうが、人間関係が変化すれば立ち位置も変わり、「そんな人」の真逆になるのだろう。この作品はその事を登場人物たちの立ち位置で描いている。
タイトルは、主人公が仲原に対して言った言葉。おそらく、「そんな単純な言葉でわかったフリをするんじゃねーよ」的な意味が込められていると思う。
仲原が彼女である「ヨウコにもう会わないと決めた」ことをテルコに打ち明けるが、仲原の少し変わった考え方にテルコは怒りをあらわにする。
しかしおそらく彼の話したことこそが、テルコの言う「執着」を手放せたことなのかなと思った。仲原の中からヨウコを手放したとき、自分がしたかったことがはっきりしたからこその「個展」だったのだろう。
そしておそらく、仲原の出した答えの反対の答えを出したのが主人公のテルコだ。
「守になりたい、彼の家族でもいい、何ならいとこでもいい」
明らかな執着のある言葉だ。テルコの中から守が消えれば、テルコ自身も消えてしまうと、彼女自身思っているように感じた。もはやそうして生きることが自分になってしまったのかもしれない。
テルコは幼少時代幼稚園の先生になりたいと思った。そして今は守が好き。自分自身から沸き起こる質問を否定しながら守を自分の中心に据えようとする。
もちろんこの作品は群像だ。
この構図は、テルコと守の関係にヨウコが怒りをあらわにしたのと同じ。そしてヨウコの母と父の関係も同じ。同じことを人間関係の違いで繰り返している。それに人は気づいていないことを作品は伝えているのだろうか?
「煮詰まった関係」
スミレが嫌う関係
そんなスミレが好きな守は、スミレの前だと立場が逆転する。スミレと守は、守とテルコの関係と同じ。
冒頭からのテルコと守の関係のよくわからないことは、最後にテルコが熱を出したところへやってきた守との会話で明らかにされるが、「もう会うのをやめよう」という言葉にテルコは動揺していた。そして自分にまた嘘をつく。
この自分についた嘘こそ、執着の正体かもしれない。
これが仲原とテルコの差だろう。
いや、登場人物たちで唯一最後まで自分自身に嘘をつきとおしたのがテルコだ。
そう考えると少々怖いブラックになるが、おそらくそうなんだろうと思った。
そんな人間関係にハマってしまった人って、見たことがあるように思う。
それがこの作品からのメッセージかもしれない。

R41