「半ドラマ半ドキュメンタリー」アメリカン・アニマルズ 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
半ドラマ半ドキュメンタリー
先日(2023/05/08)、白昼の銀座で高級腕時計強盗があった。
実行犯はアノニマスのお面をかぶった高校生を含む10代4、5人。
すぐ捕まったが盗品は黒幕に渡った後だった。
状況から見てかれらは捨て駒で、さしあたっての目標は達成された模様。
闇バイトを勧誘するにあたって、組織の人事係は、おそらくこんな風にかれらを誘ったのではなかろうか・・・。
「若いから(刑期も)はやめに出てこられるし、出所したらSNS界隈で強盗逮捕歴ありの強面インフルエンサーになることもできる。希少な経験だから箔付けと考えよう」
今の社会では、善悪さえもが「多様性」のなかに埋没している。
迷惑系という言葉が説明するように有名になりたい者は初動でニュースに取り上げられるような悪事をする。
炎上しても佳境を過ぎると均されて、万人の妥協ポイントの中に浮遊する、しょうがない気配の著名人になる。
悪名は売名のスタート手段と化した。
強盗をやった若者たちも、出所したら反省して真人間になったという体裁で、若者が闇バイトへ零落するのを食い止める活動家になるかもしれない。
あっち系のライターに「あのときぼくをかりたてた悪魔のささやき」とかなんとか、活動を後悔している元シールズみたいなエモい記事を書いてもらえば、ばかな同調者を釣れるかもしれない。
いずれにせよ、あれをやったティーンたちは強盗やそこからもたらされる泡銭を本気で夢への一歩だととらえていた可能性がある。
社会ではヤカラや「昔はワルをやった」がセールスポイントになりえる。
かのBreakingDownは男らしさを象徴するイベントと定義されている。
われわれの解釈がどうであろうとワルが衆目をさらい人気をあつめる。周囲からの畏怖も得られる。なんとなく劇的な感じがして、あこがれてしまう。
多感な思春期であればなおさらだろう。
若年期は誰にでも葛藤がある。
大学へ行っていい会社に入って出世して何になるのか──という順風な路線をはしることへの危機感、抵抗感、不安感に加え、野心家ほど「生ぬるさへのジレンマ」のようなものがある。世の偉人たちは波瀾万丈をへて偉業をなしている。ならばじぶんも何かすごい経験をしなければならないのではないか──とかれらは考える。
アメリカンアニマルズの犯行動機もそんな感じ。
映画は刺激をもとめて大学の図書館から稀覯本を盗み出す学生らを描いている。
実話にもとづき、じっさいの当事者へのインタビューを挿入しつつ、役者が演技をする珍しい構成をもった「半ドラマ半ドキュメンタリー」映画になっている。
7年の刑期をまっとうし更生した当事者が出演していた。
おれはこんなんでいいのか──という漠然とした倦怠感から強盗へ変節していく学生をバリーコーガンやエヴァンピーターズらが演じているが、やはりバリーコーガンがもっていく。眼窩に得体のしれない韻があって出ているだけで映画格をあげる俳優だと思う。またエヴァンピーターズは時計じかけの頃のマルコムマクダウェルにそっくりだった。
4人は計画をたててやるが実地ではひどい醜態で、主目標だったオーデュボンの画集「アメリカの鳥類」は逃走時に落としてしまう。(それは半畳もある巨大本だ。)
緊迫した強奪の様子や実行後の不安と恐怖が生々しく描かれる一方、全体を哀感が覆っていた。
強行に奔る若者の動機にはあるていどの普遍性がある。
将来に対する悲観。
世界に対する不信。
アメリカのすべての学園ドラマの裏側はボウリングフォーコロンバインだ。あれと同質の哀感があった。
余談だが先日の強盗事件でひとりの若者の逮捕の瞬間が動画にあがっていた。
多数の警官に追い詰められ横倒しに捕らえられた若者が「痛いです、痛いです、痛いですぅ」と大声で叫ぶ様子がうつっていた。
かれはいったい強盗がどんなことだと思っていたのだろう。