ヘレディタリー 継承のレビュー・感想・評価
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ミッドサマーの後に観たら
アリアスター監督とヘレディタリ-の評判はメディアを通してよく知っていたが、近くの映画館で上映していなくて、ミッドサマーを先に観てしまった。ミッドサマーはドはまりしてしまって、作品に散りばめられたメッセージを調べまくった。まさに監督の思惑通りのトリコに、一時期なってしまった。北欧の澄んだ青空の下で花と、狂喜と。ヘレディタリ-の全裸でにこやかに見つめる狂信者と重なる。ヘレディタリ-はエクソシスト的なホラーがあって、そこが面白くもあり、物足りなくもあり。ミッドサマーへと続く、前奏のような作品と思った。
無題
信用できない語り手のアニー視点で進む話は物語に浸って怖がるというより、いつ裏切られるのか分からない緊張が続く。
けど最後の息子が目覚めるシーンから悪魔に取り憑かれたような母親との逃走劇、首を切る映像、幽霊のような死んだ登場人物の映像はめちゃくちゃ怖かった!
妹を殺した直後の学校でバックミラーを教室で浮かばせるシーンとか良かった~。
オチは悪魔崇拝でした!なんだけど、しっかりギョッとさせてくれた。
でも、なんだか作品って言うより一人の全裸を見せられているようで気持ち悪いんだよなあ。
頭のおかしい人間を出してる、人が見たくない面を強制的に見せている、露悪的といった嫌悪感じゃなくて、なんなんだろうこの感じ。特に変哲もない一人の人間の家庭内不和を精神世界よりに映像化して見せられているから?いや本編が正にそれなんだけど。
他人に継承する、親になるということの恐怖を肯定してもらいたい、難しいというようなメッセージを感じた。
「選択のない結果の悲劇と選択のある結果の悲劇でどちらがより悲劇的か」とか、「前者ならその悲劇の中の駒でしかない」とかなんか気持ち悪い。同情してもらいたいみたいな、そんなメッセージ全然ないのに言われたように感じる。
なにはともあれ母親のアニーは好きになれない。妹を殺した兄に同情してしまうし、この映画の中でなら、家系で継承された選択のない結果の悲劇だろう。
不気味なのよ
でもなんか所々面白くなかった?ギャグ的な意味で。
分からない、理解が足りなかったのかもだけど。
例えば、パパが燃えちゃったのも「いやそっちが燃えるんかい!」ってツッこんじゃったし、その後ピーターが暖炉の前に立った時背後でママが天井に張り付いてたり。
なにより、その後ピーターとママが追いかけっこを始めるあの瞬間、友達と爆笑してしまった...。
ホラーというホラーではなく、不気味な空気とグロさがあって中々目を背けてしまった。あとアリ!私アリがすごく嫌いなので、あのシーンはちょっとダメでした!笑
最後、ママが首を自分で切るシーン、最初何やってるのか分かんなくて、「ママ何やってるん?何その手の動き笑笑.....?ア!?ママ!?ママそらあかんて!!!痛い!」ってなってた。
他の方のレビューで解説を見て、継承の意味だったり、皆の不可解な行動が私なりに納得することができた。
分かりやすい解説してくれてありがとうございました!
怖いと聞かされすぎた
新感覚
催眠術にかけられてる過程のような…そんな感覚を覚える作品だった。
脳内を侵食されていくような感覚。
正直…退屈だなぁと思いながら中盤あたりまでくる。前半から不穏な要素は散りばめられてはいて、何だかよく分からない不安だけを抱く。これらの前振りは一体何に結実していくのだろうか?
霊のような存在も出てはこない。
起こる事柄は疑心暗鬼だったり、不信だったり、おおよそ人の業から発せられるもののようだった。
主人公は夢遊病を患っていて、自分の意思とは関係なく行動を起こしてしまう。その家族構成も散々たるものだった。
「サマーバケーション」の方を先に観てたから、恐怖の根源は人が自ら産み出すものみたいな事なのかと観てたら、悪魔崇拝の話だった。
どおやら、祖母は悪魔と結婚したらしい。
選ばれたって事になるのかな?
おそらく主人公の血縁者は、その犠牲というか贄というか…祖母がその資格を得るまでに払った代償なのかもしれない。
で、まぁ…孫に悪魔を転生させようとするようなのだが、ここら辺のシステムが複雑ではある。
その膨大な計画がタイトルである「継承」って事なのだろうな。
主人公は結局、悪魔に憑依され人外の者になり果てる。天井に頭を打ち付けてる絵は怖かったなあ…。
別に楽しいわけでもない。
面白いなあと思ってみてたわけでもない。
むしろ、つまんねえなと思ってみてた。
でも、なんだろ…全部観てた。
どころか…観終わった今でも「なぜ最期まで観てられたのか?」その答えを出せずにいる。
なんとなく、最期まで観ちゃった。
こんな作品を?
どこに惹きつけられてた?
飽きてたろ?…いや、飽きてはいない。
何で飽きてないの?
…何でだろ?
催眠術にかかったようなって印象は、こんな自問自答をしてしまえたからだ。
しかしながら…この監督の頭ん中はどおなってんだろ?ホラーとも言えずサスペンスとも言えず、よくまぁ、こんな話を思いつくもんだ。
好きなのかな?
その好きになる要素が、俺にはサッパリ理解できない。なんとなーくだけど「悪魔崇拝」自体はさして珍しいネタではない。ただ、原因というかスパイスで使われる事はあっても、こんな方向性に使われてる作品を俺はあまり観た事がない。
悪魔はいたとしても、それの触媒になってるのは人間で、その儀式を執り行うのも人間で…つまりは、人間を介してなければならないわけで、そう考えると悪魔云々よりもソレを盲信してしまえる人のキャパシティの方が怖いとも思えるのだけれど、どうもそういう事でもないらしい。
この監督の頭はおかしいと思う。
…どんな感想やw
disってるわけではないが、褒め言葉でもない。発想の源からして俺には想像もつかなければ、理解もできないって事だ。
■追記
ああ、そうか。
序盤からの流れもそうだけど、あまり誇張表現を感じなかったのか。起こり得る範囲の事、説明できる範囲の事しか起きない。ホラーらしい表現がほぼなかった。
最後にガッツリと起こるくらいだ。
悪魔を引き合いに出さずとも、幻覚やら幻聴、精神異常と、ほぼ自身が起こし得る精神的な病に置き換えられてしまう。
人間の内側に向けた陰惨たる疑念を引きずりつつ観てたのか…何気に父親の目線で物語を観ていたのだな。
全く意識してなかった。
本当にそんな面白かったか??
どこかで見た設定に加え、複数の考察記事を見ても納得感を得づらい映画
①有名ホラー映画等の創作でよく見るテーマの組み合わせでしかない
エクソシスト、インシディアスのようなホラー映画で使われてきた「悪魔憑き」「家族崩壊」のテーマと、クトゥルフ神話のような「カルティスト」「儀式」のテーマを混ぜ合わせた映画である。
そのような「どこかで見た設定」の組み合わせ以上の見どころがが劇中になく、退屈に感じた。
②カルティストによる「呪い」が存在する世界観だということが、劇中で分かりづらいため、チャーリーの死の真相を納得しづらい
「カルティストがチャーリーに呪いをかけて、ペイモンの印が書いてある電柱にぶつけて殺す」というの殺し方は納得しづらく感じた。そのような効果を持つ呪いが存在する世界観であることを説明するか、もしくは何者かが暗躍していることをより分かりやすく示唆する殺害方法にすべきだったと思う。
③アニーに起こっていたことの背景が不明瞭
ただ狂気に陥っていただけの人間なのか、母を含むカルティストに操られていたのかが明確でない。前者であればラストシーン付近の天井際に張り付く描写と首を切る描写がよく分からなくなるし、後者であればジョーンから儀式を習うのではなく、操ることによって儀式を遂行することができるだろう。
新感覚ホラーの時代から、Jホラーとの融合へ
先に「ミッドサマー」を観ましたが、構成から何から同じようなものを感じました。あくまで「同じような」であって、全く違う作品で、どちらも素晴らしいです。
近年、ホラー業界はもうネタ切れだなと感じてたところに、「イット・フォローズ」や「ゲット・アウト」などの新感覚ホラーが量産され、新時代に入ったかと思ったら、一転して古典的な手法でありながら古さを感じさせないアリ・アスターが登場。彼が今後のホラー界を牽引すること間違いなし。
さりげない背景や小物が重要な意味を持っていたり、音楽ともいえないくらい控えめな音が逆に恐怖を誘ったりと、アメリカン・ホラーらしからぬ心理的追い詰めがすごい。
最初からわかっているのはバッドエンドらしき雰囲気だけで、全く先が読めない。
そしてアニーやチャーリーの顔が怖い……。
今回もまた1回観ただけじゃ回収できないことが多すぎて、2回観たいという異様なホラー。今後も監督には期待大。
オリジン
アリアスターは、よくわからない。
すごい映画だと感心し、圧倒されるが、なんでこうなるのかが、わからない。
『(~中略)ところで、シオドア・スタージョンはよくわからない作家だ。話そのものはよくわかる。文体が凝っているということでもない。結局、なんでこんな話ができあがるんだろう、という点がわからないのだ。何年もSFを読んでくれば、どんなに突っ拍子もないアイデアでもそう驚かなくなるものだ。というより、発想の根幹から小説として料理されるまでの内的プロセスに対して、ある種の納得をえることができるのが普通である。それができないのだ。(~後略)』
(シオドア・スタージョン作、矢野徹訳「人間以上」の水鏡子のあとがきより)
2021現在、全二作だが、二作だけでもカラーは見える。かんたんに言えば悪魔崇拝に弄ばれ、屠られるひとたちの話──だと思う。
だが、そんな話だとわかるにしても「結局、なんでこんな話ができあがるんだろう、という点がわからない」。
くわえて箍(たが)である。日本語には箍を外すということばがある。規律や束縛から抜け出す──の意味だが、アリアスターは箍が外れてしまっている。
人間界の倫理・秩序・暗黙のルールがことごとく蔑ろ(ないがしろ)にされている感じを受ける。
たとえば「ふつうの」映画では、少女を電信柱に直撃させてギロチンさせることはない。意味不明の殉教や生贄をしない。それらが、ふつうに描かれてしまうので、衝撃を受ける。不安になる。
こういったアリアスターに対する疑問点に、回答とまではいかないが、なるほど、これがオリジンか──と思わせたのが、過去のショートフィルムだった。
アリアスターは、過去にいくつかショートフィルムを撮っていて、YouTubeやvimeo等で見ることができる。
アリアスターの過去のショートフィルムは、とてもアリアスター的に見える。とうぜん、それらをアリアスターがつくったことを知った上で見たから──でもあるが、HereditaryやMidsommarで見た不安を煽る方法の原点が、そこにあらわれているような気がした。
簡約すると、特長は衝撃と不安だと思う。The Strange Thing About the Johnsons(2011)は衝撃でありMunchausen(2013)は不安があった。合わせるとアリアスターができあがる──気がした。(ものすごく簡単に言えば)
他のショートフィルムも監督の原点がかいま見え、興味深いものだった。
とはいえ、ヒントにはなったが「結局、なんでこんな話ができあがるんだろう、という点がわからない」は変わらなかった。
海外のインタビュー記事で監督は以下のように述べていた。
記事の時期はHereditaryの公開後。まだMidsommarは制作中だった。
『一般的に、そして特にホラーというジャンルの映画制作で私が気に入っていることの一つは、ある人にとっては消化しにくいテーマ性のある素材や、正直に話したいと思うような素材を、自分のメッセージが何であれ妥協することなく、また観客を失うリスクと同じように妥協することなく取り入れることができるということです。
悲しみやトラウマ、人々が悲劇を乗り切ろうとしたり失敗したりすることについての荒涼としたドラマを作りたいと思っているならば、素晴らしい映画を作ることになるかもしれませんが、それは配給が見つからないか、見てもらえないか、単に資金が出ないだけです。日の目を見るかどうかは忘れてください。あなたはそれを作ることができないかもしれません。
10年近く長編映画を作るのに苦労してきた者として、それがどうなるかはよくわかります。しかし、あるジャンルの観客の妨げになるかもしれないものが、別のジャンルでは突然美徳になるのです。
トラウマが家族のユニットに与える腐食した影響についての映画を作りたいと思っていました。悲しみの中で自分自身を蝕んでいく家族について、ウロボロスのような映画を作りたいと思っていました。それは私の中に確かにあった物語です。それを見つける必要はありませんでした。』
機械訳なのでわかりにくいが、要約すると、悲しくてトラウマな話を撮りたくて、それを妥協せずやりたいならばホラーにせざるを得ない──という話。
ウロボロスとは悪循環と訳すのだろうか。自分の体験からHereditaryをつくったと言っているが、そのあと、このインタビューで自分は家族とすごく良好な関係にある、とも述べている。
とんでもない話を撮りたくても、それがとんでもなさすぎると、観客を失ったり、配給が見つからなかったり、資金が出ないだけだが、ホラーにしたら、それが美徳になったと述べている。わけである。
その発言を踏まえてThe Strange Thing About the Johnsons(2011)を見ると、すごく意味がわかる。そのショートフィルムはアリアスターが撮ったという予備知識がなければ、かつこれはホラー映画ですよの告知がなければ、トラウマになる話──だからだ。
アリアスターの衝撃には、こけおどし感がない。
たとえば日本の残酷映画の巨匠が「衝撃」を見せるとすれば、それはおそらく「過剰」と同義語になる。のではないだろうか。
風呂場で屍体を解体したり、真っ赤なスパゲッティをわしづかみで食べたり、女子高生が手をつないで列車に飛び込んだり、をもって衝撃を表現するのではないだろうか。あなたは「おおすげえスパゲッティわしづかみで食ってるよ」と感嘆するだろうか?
アリアスターの不安は不快である。
ぎこちない、気まずい、などの意味でawkwardという英単語がある。より分かりやすい日本語にするなら「放送事故」という感じ──だろうか。
わたしは俗物なので、その手の動画をけっこう見る。知ってのとおりYouTube等で、awkward interviewや放送事故などの検索語で探すと、ざくざくと出てくる。
トークショーや、なにかのインタビューや、会見などで、舌禍などから妙な雲行きになる──ことがある。怒らせたり、ぎくしゃくしたり、日常が飛んで人間の素を露呈する瞬間がある。
海外にも多いが、日本でも朝生の激高シーンみたいなものが山ほどある。あるいは多目的トイレを利用したお笑い芸人の会見。あの会見で、かれを質問攻めにした芸能マスコミの記者たちのサイコパスっぷりたるや「怖い」を超えていた。大の大人が犯罪者でもない人間を寄ってたかって吊し上げて。完全にホラーフィルムだった。
人は「怖い」を超えると「嫌」(いや)になる。
わかりやすく言うと「ああ見ていられない」という感じ。
「怖い」は見ていられるが「嫌」は見ていられない。
とんでもない不快感。(と言いつつ見るわけだが)
アリアスターの描く不安はawkwardや放送事故に見る不快感に似ている。
とりわけチャーリーが亡くなった後の家族の食事場面。すさまじい気まずさ、不快さ。
将来ある若手監督を協賛し、みずから何本もの製作総指揮に名乗り出ているスコセッシ監督だが、アリアスター監督も褒めている。
海外の記事でスコセッシ監督は以下のように述べていた。
『数年前、アリ・アスターという監督の『ヘレディタリー』という作品を初めて観た。最初から感銘を受けた。明らかに映画を知っている若い監督だった。形式的なコントロール、フレーミングの正確さ、フレーム内の動き、アクションのテンポ、音など、すべてがそこにあり、すぐに明らかになった。
しかし、絵が進むにつれて、それは私にさまざまな影響を与え始めました。特に妹が殺された後の家族の夕食のシーンでは、不快になるほど不安になった。
すべての記憶に残るホラー映画のように、この映画は名もなき言いようのない何かに深く入り込み、その暴力は肉体的なものと同様に感情的である。』
機械訳なのでわかりにくいが、巨匠も不快を認めつつ、それをsomething unnameable and unspeakableな=なんと言ったらいいかわからないような、衝撃を受けたと言っていた。
巨匠さえ、名状しがたいものだった──わけである。
ずっと、同監督が「わからない」と言ってきたが、巨匠もそう言ったように、それらは映画ファンにとって面白さに他ならない。さまざまな表現方法に慣れているわたしたちは、unnameableな、unspeakableなものを積極的に見たいと思っている。
ので、ちょいちょいわたしはAri Aster next movieとかで検索をする。あちらの映画情報は、かなりまとまった話でもお釈迦になることがあるので、話半分だが、いろいろ出てきた。韓国映画のカルト、地球を守れ(2003)のリメイクとなるホラーコメディをつくっている。という話があった。ホアキンフェニックス出演でタイトルはBeauisAfraid、との情報もあった。BeauisAfraidはアリアスターの過去のショートフィルムにあった。
いずれにせよもっとも気になる映画監督のひとり。
映画を見て、もう一度という気には、ほとんどならないのに、次回作が見たくて仕方がない。のがAri Aster監督なのです。
雰囲気良し。
何なんだこれは…
期待しすぎた
期待してみたが、ナーンだ悪魔崇拝の話かとガッカリ。
既成宗教や民間信仰によりかからないものかと思った。
というのも、そういうのをベースにすると、超常現象の真実らしさは全てそこに理由を預けてしまうから。
ホラー映画は怖いかどうかより、オリジナリティがあるかどうかを見ている。
気持ち悪さはあるがオリジナリティは低い。従来のホラーの寄せ集め。
アニー役の女優が楳図かずおを実写した演技で点数を上げている。
家族崩壊、不穏系陰鬱ホラー
尤もらしいが、つまらぬ
何この物語…
結論として、地獄の8人の王のうちの一人を受肉させたかった話…でしょうか。元々は祖母にいたけど、健康な若い男の肉体に再受肉させたというお話。
妻が暖炉の前で謎のノートを燃やし、夫が燃えたのは意味がわからなかった。母親の夢遊病は、祖母(に取り憑いている地獄の王の力の一端)による「操作」だったのかもしれない。教室で頭を打ち付けたのは、「さっさと体を渡せ!」と地獄の王が直接手を下したのかもしれない。
ラストシーン間近、亡霊が家を取り囲み、王の帰還?降臨?を待ち望んでいる様子にも伺える。
ただ、チャーリーが死ぬ必要性はあったのか。単に祖母に操作されやすいチャーリーだったのか。正直、ホラー映画好きに好評なのは、予備知識(ホラー映画を観ている経験・情報量)があるからそれに基づいて(あーこれはこういうことかー)(そういうパターンね)とか、ヒモづけて楽しめてるのだと思います。
ほぼほぼホラー映画初心者の見解では、家族内でその地獄の王は継承(ヘレディタリー)されるルールになっていて、母親は祖母に操られていた節がある。
しかし、子どもへの愛から、その母親が祖母の操りに抵抗していた様子も見える。結局、最後には乗っ取られてしまったが、母の愛は、長男を堕ろそうとしていた罪悪感を地獄の王に則られて、勝てなかった。という風に受けとった。
この家族に加わった、祖母の血を引かない夫は邪魔者として燃やされたくらい。これが一番かわいそう。日記燃やしたついでに燃やされた感がすごいかわいそう。
シンプルに怖いけれど、カルトという価値感に馴染みが薄いと、ちょっと楽しみづらい。しかし、映画の雰囲気やセットへのこだわりが随所に感じられます。このへんはミッド・サマーと同じ。
最後に、母親の職業(個展を開くとか言っていたのでたぶんアーティスト?)柄で、ミニチュアを作っていたのが気になりました。
おそらく「地獄の王の目線」を暗示していたのかなと。俯瞰で全体をみえている異形な存在の視点。事故現場を再現する狂気っぷりは、アーティストそのもの。
「家族」ではなく、「家族になろうとしている」人たちの物語に思えました。
ピーターに受肉してしまったが、この血筋で、この継承(ヘレディタリー)が終るのは、本当に「家族」になれる世代なのだろうなと思う。
雰囲気ホラー
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