ヘレディタリー 継承のレビュー・感想・評価
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つなぎ
アリ・アスター監督作品。
『ボーはおそれている』を観に行きたく無くなるぐらい気持ち悪い作品でした(好き)!
ひとりで行きたくないけれど、こわがっているのみられたくないからひとりで行きたい。
さて、本作。
祖母が亡くなる。別に誰もが祖母の死別を悲しんでいるわけではない。娘でもあった母も、母の子どもたちの兄と妹も、父も。そこに祖母の恨みがあるわけでもない。けれど祖母の秘密が遺品整理で開いていく。狂気が満ちていく。
でも別に元から家族が「正常」だったわけではない。母は夢遊病を患って精神的に不安定だし、妹も内向的でチック症を患っているからちょっとこわい。お世辞にも可愛いとは言えない。そんな妹を事故で死なせて兄も狂いだしていく。その環境に居続け、第三者の助けを借りない父もどうかしている。狂気が狂気を呼んで、どんどん家族を壊していく。皆が眠れなくなる。悪夢みたいな現実を生きないといけない。そしてその崩壊は、祖母が信仰していた悪魔崇拝のカルト宗教の儀式に通じていたのだった。
どこにも救いがない。救いを求める宗教が狂っているのだからどうしようもない。兄に王位が「継承」されるが、父母は首をふっとばして死んでいるし、兄自身も傷だらけのボロボロだ。
家族をつなぐ絆。そんな「つなぎ」を果たす母のミニチュアの断面は、絆の代わりにカルト宗教の世界とを繋ぎ、狂気と死を招いて、家族を崩壊に向かわせるのだからあまりにも不条理だ。
このようなカルト宗教の世界観が導入され、現実で白昼夢みたいな狂気をもたらす感じは次の『ミッド・サマー』に引き継がれているから、さらに次の『ボーは~』どうなんでしょう。
こわいからみたくない。けれどアリ・アスターの狂気に浸りたいから、はやく観に行きたい。
「家庭崩壊劇」と「カルト」のミスマッチが気になる。
◯作品全体
ファーストカットはミニチュア模型へのトラックアップから始まり、近づいていくと実際の部屋と人物になる。ミニチュア模型というプロップ自体が「俯瞰」とか「客観」みたいな意味を持たせるから、なんとなく「大きな何か」に動かされていることがまず伝わってくる。「大きな何か」が不確かな間は目に見えない恐怖として上手く機能していて、シーン冒頭の遠景カットもトイカメラで撮ったような、ミニチュアっぽい撮影処理を使うことで、アニーたちの生活の不協和音を演出していた。
ただ、その「大きな何か」が具体的に触れられることは少なく、終盤の災厄が訪れる時にもスピリチュアル的な呪いが災厄だったのか、というようなぼんやりとした感想で終わってしまった。
カルト教団によって仕組まれた状況だったということも終盤で明るみになるが、カルト教団やアニーの母・エレンがどうやって本当の呪いにしたのかも謎だし、呪いではなくカルトにハマるエレンの振る舞いに狂わされたのだとしても、元はと言えばアニーがエレンからチャーリーを守れなかったうえに、ピーターへヒステリックを起こしたのが悪い。アニーが不安定になって家族全体が狂っていくのはスピリチュアルがなくても起こりうるし、本作はアニーの夢遊病の設定を活かした家庭内の歪みに対して時間を大きく割いていて、ホラーというより「リアルで地に足のついた家庭崩壊劇」だった。そこにカルト教団のスピリチュアル空間という別のベクトルの大オチを継ぎ足すのは、あまりにも突拍子なく、そして相性が悪いと思う。
カルト教団の影はエレンのアルバムで意識させたりしていたが、家庭崩壊劇にかける時間と比べるとあまりにも少なかった。
ミニチュア模型というプロップや家庭崩壊劇…いくつかのアイデアや描写は面白いものがあったが、その「面白いもの」が大オチである「カルト」とイマイチ噛み合っていないように感じた。
◯カメラワークとか
・ミニチュア模型がもつ「俯瞰」・「客観」の意味をもっとカメラワークで見せても良かったと思った。チャーリーが死んだ直後、停車した車を横位置で見せるカットはカメラを引いて、ミニチュアっぽいフォーカスになる。ここの暗闇の不気味さと非現実味はピーターの心情とも合致していてとても良かった。ただ、終盤になるとスプラッター映画特有のグロい絵面をドンと出したり、追いかけっこしたりで、あんまり効果的に使われていなかった。
◯その他
・チャーリーのビジュアルは立っているだけで不気味で怖かった。だからこそ序盤で死んでしまうのと、死んでしまった後もそんなにビジュアルで登場しなかったのは残念。
・アニーのヒステリックな感じは見てて不快だったなあ。それが狙いなんだろうけど。
・ギャグっぽいホラーがありすぎて、なんだかなあとなった。本を燃やしてアニーが燃えると思ったらスティーブが燃えるのは「タライが落ちてくると思ってる人には落ちないで、安心して見てる人に落ちてくる」みたいなバラエティギャグっぽくて、なんとも。天井に張り付くアニーとか屋根裏の梯子にしがみついてガンガンやってるアニーとか全裸のカルト教団とか…B級スプラッタ系ホラーとかならいいけど、画面の質感とか落ち着いたカメラワークがミスマッチすぎて凄い変。
・ミニチュア模型が持つ「偶像」の要素をもっと見せても良かったんじゃないかなと思った。ラストでチャーリーの顔が使われてる像があったりしていたし。
他の方のレビューでも言及されてるけど、PROが付いてる人の感想、「マジで言ってんのか?」ってなるなあ。ミニチュア模型の演出に触れてる人もいるけど、客観視された画面なんて全然なかったじゃん。都合のいい語り口は避けなきゃいけないな、と自省させられたという意味では参考になるけども…
観たことのないような静謐な不穏
この映画の不穏で恐ろしいのだけれど、どことなく笑ってしまうような感覚は、どこまでが監督の手のひらの内なのだろうか?
とにかく主人公たちを突き放した、ただ無機質に観察しているかのような映像によって、われわれは傍観者の役割を与えられる。主人公家族はとんでもない悲劇に見舞われ、やがて超常現象的な恐怖が矢継ぎ早に訪れる。彼らの身になったらとても正気ではいられないのだが、映画の視点の冷徹さが、そしてその冷徹さを成立させるミニチュアを見ているかのような画郭が、感情移入を許さないのだ。
それでいて、あらゆる場面がいちいち異様であり、その圧が尋常でないため、どれだけ静かなシーンであっても目をそらすことができない。ぶっちゃけるとラストシーンはあれでよかったのだろうかと疑問を抱いたりもするのだが、表現の力という点で、全編、監督の才気に気圧されずはいられないパワーに満ちた新種のエンタメだと思う。
邪悪だ・・・この映画はあまりに邪悪だ・・・
この映画はあまりに危険だ。最近はホラーというジャンルも様々な偏移をたどって細分化され、決定的な場面を見せずに恐怖を描いたり、また笑いの要素を逆手にとって身の凍えるほどの場面を作り上げるなどの異色作も多く見られたが、本作はそのいずれとも大きく異なる。ある意味、この時代に現れるべくして現れた、真の恐怖をもたらず人間離れした存在とでも言おうか。序盤からあらゆる細部に胸の奥をゾワゾワとさせられ、A24らしいアーティスティックな演出(映像、音響、演技)がかつてない感触で肌を撫で続ける。そして幾つかのシーン。思わずギャッと悲鳴をあげそうになった。ストーリーの詳細は明かさないが、一言で言えば「邪悪」。かつて『エクソシスト』が世に放たれた時にも、人々は触れてはならないもの、見てはいけないものを目にしたような感覚を覚え、この邪悪さに心底恐怖したのだろう。以上、私は警告した。後は自己責任で存分に震撼されたい。
尋常でない禍々しさ。ひきつった笑いで逃避するしかない
ドールハウスから現実の室内へシームレスにつなぐショットの冒頭から異常な感覚が持続する。不穏な気配をあおるインダストリアル系のBGM。重さと不気味さに圧倒される。
アリ・アスター監督、戦慄のデビュー作。30そこそこの若さでこの確かな演出力はどうだ。自身の脚本で紡ぎ出すストーリーは、欧州由来の伝統的な悪魔信仰や悪魔的な存在への畏怖に根差す要素もあり、ロジカルな点で日本人の腑に落ちるとは言いがたいが、感覚を直撃する恐怖描写でグローバルなホラー映画としての価値を獲得した。
演技達者なトニ・コレットの表情も怖い(ハイライトのシーンは脳裏に焼き付くインパクトだ)が、娘役ミリー・シャピロの“異物感”とでもいうべき唯一無二のルックスと存在感も本作の成功要因だ。これが長編映画デビューという彼女の出演作をもっと観たい。
近年の「イット・フォローズ」「ドント・ブリーズ」に並ぶ独創的な傑作ホラーだと感じた。
視覚と聴覚の「余白」が呼び覚ます、極上の恐怖――『ヘレディタリー/継承』に潜む気配の正体
映画『ヘレディタリー/継承』を視聴した。ジャンルとしてはホラーに分類されるのだろうが、本作がもたらす恐怖の本質は、お化け屋敷のような安易なビックリ箱のそれとは一線を画している。全編を包み込むのは、日常のすぐ裏側にへばりついているような、じっとりとした不穏さと逃れられない絶望感だ。この映画を観ている間、私の脳裏にはかつて『リング』の原作者である鈴木光司氏が語っていた言葉が浮かんでいた。「幽霊が画面に現れてくれば怖くなくなってしまう。気配と余白で迫るのが、極上の恐怖だ」という名言である。本作はまさに、この「気配と余白」の演出を極限まで突き詰めた、現代ホラーの金字塔と呼ぶにふさわしい傑作であった。監督のアリ・アスターは、怪物の姿をこれみよがしに画面中央に映し出すような野暮な真似はしない。あえて部屋の暗がりや天井の隅といった、カメラワークの「余白」を観客に凝視させる。私たちは「あの闇の中に、誰かがいるのではないか」という不穏な気配を自ら探させられ、想像力によって勝手に恐怖を増幅させていくのだ。そして、この「気配の恐怖」を決定づけるのが、作中で執拗に繰り返される音の演出だ。生前に妹のチャーリーが鳴らしていた、口の中で「コッ」と音を立てるあの特異な癖。彼女が凄惨な事故でこの世を去った後、誰もいないはずの暗闇や、静まり返った車内にあの音だけが突如として響き渡る。元々はただの日常の癖だったありふれた一音が、彼女の死を境に、姿なき「何者かの気配」を告げる最悪のシグナルへと変貌する。視覚的な余白に、あの聴覚的な「コッ」という音がカチリとはまった瞬間、観客の恐怖は頂点に達する。化け物の姿をまざまざと見せつけられるよりも、あの音一つを暗闇で聞かされる方が、私たちの防衛本能を遥かに激しく揺さぶるのだ。血縁という抗えない呪いに引き裂かれていく家族のドラマをベースにしながら、計算し尽くされた光と影、そして音響によって「本物の恐怖」をビルドアップしていく職人技。お化けの正体が見えた瞬間に冷めてしまうようなB級ホラーとは次元が違う。観終わった後も、自分の部屋の暗闇や、ふとした日常の物音すら怖くさせてしまうような、まさに「一見の価値あり」な極上の心理スリラーであった。
恐怖の継承!衝撃が突き抜ける物語と映像!
比較的、評判の良い本作品。以前見た覚えはあるんだけど全く記憶に無い。初見時に書いたレビューより単なるホラーとは違う、今までにない恐怖の感覚 ということを頭の片隅に置いて再見した。
確かに独特の雰囲気を醸し出している。 そこへ持ってきて、ホラーの定番はしっかり押さえているって言うよりも、これほどのストレートは久しぶりに味わったって感じで大満足だった。何故覚えていなかったんだろう?って程、好みのシーン、エロとグロが半端じゃなかった。
ただ、贅沢を言わせてもらえばエロが美しくない。どちらかと言えばグロに近い(なんてね)。
先ず、お祖母さんの亡くなったところから話が始まる。てっきりゴーストものかな?何て思ってたら、続けざまに娘まで亡くなってしまって・・・
怒濤の展開って言うより、凄絶な話になっていく。
それにしても、あのお母さん、スッゲー怖い。顔芸まで披露してくれて。
【ネタバレ】
娘が亡くなるシーンがホンっと衝撃だった。野ざらしにされた生首映像も凄いんだけど、そのあとの展開も辛かった。
愛するものを、突然不慮の事故で失うと、よくある話だよね。子供をなくして夫婦仲が上手くいかなくなる。
本作品では、奥さんがおかしくなったみたいで家庭崩壊になりそうなんだけど、それだけじゃ済まなかった。
実はお祖母さんが怪しいカルト教団みたいなところに入っていて・・・
もう、ここからの展開は、正に驚愕の映像が続く。前述したグロいエロのオンパレード。露骨なヌードシーンの満載です。って訳の解らない異様な世界観です。
結構、面白かったんだけど、何で忘れてたんだろう?後半の展開が淡々としちゃったからかな。確かに長いと感じたし・・・
『追記』
皆さんのレビューを読んでいて思ったんですが・・・
アリ・アスター監督作品で最初に観たのが「ミッドサマー」でした。面白いとは思いましたが、その異様な世界観に圧倒され、もう一度観ようなんて気が全く起こりません。所々のシーンが脳裏に焼き付いていて、不快感が込み上げてきます。
その後で「ヘレディタリー 継承」を見たので、同じ様な作品として記憶に残らなかったのかな。
わたしには、イマイチ、、
完璧な悪夢
原題
Hereditary
感想
アリ・アスターの長編デビュー作にして現代ホラーの金字塔。家族に潜む呪いとトラウマを描き、緻密な伏線、薄暗い映像美、日常に忍び寄る恐怖は「現代ホラーの頂点」(USA today)、「史上最も恐ろしい」(The Guardian)と評された。
緻密に張り巡らされた恐怖の罠。フィナーレまで瞬きさえ許されない
この家族の物語は、あなたの永遠のトラウマになる
たとえ目を逸らしても、二度と忘れることはできない
長編デビュー作にしてこれぞアリ・アスターだなって思いました笑
ホラーですが派手な驚かせがない、テンポがゆったりなのでつまらなく感じる方もいると思います。
私も物語の前半は退屈だなと思いました…が後半になると物語が動き出して伏線などが回収されて楽しめました!
印象的だったのは電柱に衝突したチャーリーの頭部!
そしてトニ・コレットの怪演!
絶望の慟哭からの憑依される表情は凄かったです!そして自らの首を切断してる時の表情は怖かったです!
オカルトやカルト宗教の要素があり、分からなかったところは考察を見て納得しました!笑
救いのないラストも納得です。笑
アニーの亡き母はカルト教団の王妃
妹チャーリーの異常行動はペイモンの仕業
兄ピーターは乗り移りのための生贄
父スティーブは唯一の常識人
悪魔崇拝の血統に組み込まれた家族の崩壊
※ペイモン万歳!ペイモン万歳!万歳!
違和感はずっと。
胸糞悪さと恐怖が最高に詰まった作品でした。
カルト宗教の不気味さや、じわじわと追い詰められていく家族の崩壊が本当に怖い。派手な驚かしよりも、「何かがおかしい」という違和感がずっと続いて、観終わったあとまで嫌な余韻が残ります。
気持ち悪い描写も多く、精神的にもかなりくる作品ですが、その不快感すら魅力に感じるほど完成度が高かったです。
胸糞最高。カルトの狂気、人間の弱さ、家族の闇を描いた、忘れられないホラー映画です。
いったい、何が受け継がれたのか?隠された悪意を露悪的に描く、前代未聞の劇薬ムービー!
アリ・アスター監督作品で、僕が今まで観たことがあるのは、「ミッドサマー」「エディントンへようこそ」。
ミッドサマーを観たあとに、監督の長編デビュー作である今作を知ったものの、
今世紀最恐ホラー!(意訳)
なんていう煽り文が目に入り、当然、怖いのは嫌なので忘れるよう努めました。
それから「エディントンへようこそ」を観て、もうしばらくはアリ・アスター作品は観ないぞ、と心に誓った僕でしたが、
夏の猛暑で気がおかしくなったのか、軽い気分で再生ボタンを押してしまいました。
ヘレディタリー 継承
観なきゃよかったよおお!!!!😭
怖い、怖すぎる。
やめてくれよもう…
ラスト20分は、「もうエンドロール行ってくれ!」が何度も何度もやってきて、ホントに辛かったです。
コッをやめてくれ。
頼むから舌を鳴らさないで!!
今作は、割と序盤からヤバメな空気が漂っているものの、中盤から毛色がガラリと変わります。
グラスがすぅっと動くように、オカルティックな物語へと蠢いていくのです。
キモというかオチというか、何が受け継がれたのか、といえばそれは、悪魔ペイモンだと思います。
実験を繰り返していたBBAエレンが、チャーリーにペイモンを宿し、
ペイモンはチャーリーの首を飛ばして脱出、
ピーターの体に着地します。
そうしてみると、アニーはずっと抵抗していたんじゃないでしょうか。
かつてピーターとチャーリーを殺そうとしたことがあったと語られますが、
それはエレンがホントは何をしていたのか、父兄の死の真相、を、理解していたんじゃないでしょうか。
ピーターは器で、チャーリーは悪魔の仮住まい。
殺すことは、悪魔崇拝団体の思惑とは外れているからです。
調べてみると、今作は阿呆みたいに伏線だらけだったようで、 序盤の葬式に知らない人がいっぱいいたのも、
チャーリーの首を飛ばした電柱の謎のマークも、
そもそもチャーリーという名前が男っぽいのも、
何もかも全て隠された悪意によるもの。
なんだけど、そうなんだけど、
この映画はそれを隠す気がなさそうなのが怖いです。
結果として観客は謎が明かされてそこで驚くわけですが、それまでの露悪的な表現からみても、
はじめからこの映画のカメラが追っていたのは、
家族の崩壊ではなく、
悪魔崇拝団体の計画の経緯だったのだと思います。
そういう意味で考えてみると、
冒頭の、シルバニアファミリー的なミニチュアへズームインして始まる物語というのも、
どこか俯瞰的で、すべて掌の上で、すべて見られているという伏線だったのかもしれません。
ちなみに僕的最恐シーンは、ラスト不法侵入してきたネイキッド・ヒューマンたち。
お前ら!せめて怖い顔してくれよ!なんで満面の笑みなんだ畜生!!
これを作ったアリ・アスター監督がいっちゃんヤバいのは言うまでもなく、観なきゃよかったのに観た僕が最もヤバい。
…………………あれ?
ミッドサマーでも、エディントンへようこそでも、同じ事を思ったような?
どうやら完全に中毒になってるみたいです。
アリ・アスター監督作品という劇薬に。
次は「ボーは恐れている」かなぁ………
( ゚д゚)ハッ!
いかんいかん、もう怖い思いはごめんだ…!
光と闇
ある組織にとっては成功であっても、犠牲になった本人からすれば恐怖ということなのか。
鑑賞者は登場人物に感情移入し、応援するからハッピーエンディングによってカタルシスを味わうが、本作は誰視点でもイマイチ応援し難い。
映画鑑賞に行くふりをする母親だけでなく、裏表のある登場人物たちを俯瞰して観る...
お兄ちゃんが妹を連れてパーティーに行くシーンで、兄妹のクルマが通過した時に何かのマークにピントが合う、ここから終わりが始まる。
終盤、天井と床がひっくり返るカメラワークのシーンで、悪魔側にとってはハッピーエンディング確定なのだろうな。
夢中になって観た。
後を引く怖さあり。
悪魔の継承
「ヘレディタリー」のオチも「ミッドサマー」のオチと同じ
アリ・アスター監督の名前を知り始めて観たのが「ヘレディタリー/継承」でした。
その後この映画は、ホラー映画の古典と呼ばれて、ホラー映画の歴史を変えたと
言われるそうです。
「ミッドサマー」そして「ポーはおそれている」は、
アリ・アスター監督の究極の3部作なのだそうです。
■恐怖・視覚・音響の衝撃が最大限に生かされている。
《ストーリー》
★☆お母さんが、かなり変。
一つの家庭・・・両親と高校生の息子ピーターと13歳の娘チャーリーの
4人家族。
ある夜、ピーターがマリファナ・パーティーに誘われる。
「お酒飲まないわよね‼️」と念押しした母親アニー(トニ・コレット)は、
お目付け役にチャーリーを強制的に連れてゆくように命じる。
しかしチャーリーはナッツの入ったケーキでアナフィラキシー・ショック
を起こして慌てたピーターは車で帰途に着くが、途中で交通事故を起こして、
チャーリーは死んでしまう。
母親の死に続く娘の死。
アニーは落ち込み、セラピーの教室に参加する。
そこで息子と孫を水の事故で亡くしたというジョーンと知り合う。
「いつでも話に来て・・・」と教えられたアニーは、ジョーンのアパートを
訪ねる。
するとジョーンは「死者の霊を呼び寄せる儀式」を始める。
降臨した孫の霊は、コップを動かし、黒板に「おばあちゃん愛してる」と、
書くのだった。
すっかり信じたアニーは夫と息子と3人で降臨の儀式を行う。
◆怯えるピーターを見て夫はアニーに水をぶっ掛ける。
この辺から未知なる霊がチカラを現してアニーは正気を失い、
ピーターは自分の肉体を制御出来なくなり、異常行動を起こす。
ただ一人正気を保っていた夫のスティーブだったが、アニーの懇願に負けて
「悪魔の書」を暖炉に焼べると引火して丸焼けになってしまう。
■●この映画が怖いのは、美しい山小屋風の邸宅。
アニーの仕事はミニチュア・ハウスを作るアーティストで、
ミニチュアハウスが可愛いし、家の装飾も美しくてロマンティックです。
風景も白樺林を抜けて走る国道など、とても洗練されて美しい。
そんな幸せな一家が一人また一人と狂いながら死んでいく。
◆吃驚するような音響は使わず静かだが全てがオカシイ。
オチは、悪魔界があって悪魔たちは彼らの後継者の「王」を探していた。
チャーリーも候補だったが、より健康な男の子を求めていた。
つまりピーターが「悪魔の王」に選ばれたのだった。
前半では、悪魔界の血を引く家族・・・なんて兆候は殆どないのだけれど、
アニーが夢遊病をぶり返してからは、あり得ないことが続け様に起こり、
畳み掛けるホラー展開が恐怖を極限まで追い詰めて行きます。
気持ちのいい映画ではないけれど、アリ・アスター監督のエッセンスの
詰まった作品でした。
「ミッドサマー」もカルト宗教王国の女王に主人公(フローレンス・ピュー)
が選ばれる、そんな映画でしたね。
オチは同じでしたね。
悪意の玉手箱
劇場公開時にスクリーンで見てます、久々の配信視聴。
見どころは、
全編に満ち満ちる不穏感
妹ちゃんの繭のような特異な存在感
家族という密室的地獄
トニ・コレットの顔芸
ガブリエル・バーンの無駄使い
等など、しかし結論からいうと私には怖くなくて、「触れ込みと違うなぁ」と初見時はおおいに不満でした。
周りのオタク仲間にも「怖くなかった」と言う人のほうが多く、こっそりリサーチしたところ、この作品が怖いって人は、家族にあまり問題を抱えてないって事かも、という結論になりました(笑)
ある程度、家族という存在にうんざりや恐怖を抱えてる人は、この作品に対する耐性があるのかもしれないです。
宇多丸師匠によると「世の中に対してシッカリ恨みを抱いてる人」の作る映画だそうで、確かに。
「ミッドサマー」見てアリ・アスターへの評価は俄然上がるのですが、その出発点として興味深く再見しました。
だいたい、ガブリエル・バーンが出てきて良いお父さんだけやってるなんて!なんちう無駄使い、でもそこが新世代なのか…
私見ですが、2000年代のホラー映画では「メンタルの弱いオトーサンが状況を最悪にする」がトレンドで、本作ではそれがさらに進んだ「オトーサンは家族の問題に全くの無力」になってしまってる、仲間にも入れてもらえない埒外。
と、ガブリエル・バーンの扱い見てて思いました。ただ燃やされちゃうなんて、あのガブリエル・バーンが!!
でもまぁ、悪魔オチって怖くないんですよね、ヤオヨロズの日本人だからなのかなぁ…悪魔ネタを怖いと思ったことほとんど無くて。
じつは劇場での初見時に、映画本編よりゾワっとしたことがありました。以下それを記しておしまいにします。
座席は4分の1程度埋まっていて、いつものように真ん中へんの端っこを選択、ゆったり座れました。同列の反対側には割と人がいて、ほぼ真ん中に座ってる男が、ポプコーンバケツをヒザにのせて食べている…ポップコーン意外と食べる音ボリボリするので、ちょっとヤダな…と思ってたら、食べる音だけじゃなく、ポップコーン減ってきたらバケツをカラカラ回す、というのを繰り返しよる。
早く食べ切っちゃえよ💢と思ったが、これが終わらない。どんなヤツなんだ、と席のほうを見てみたら、隣に女性が座ってるのが見え、夫婦か恋人か知らんが相方のマナーを注意しろよ、と腹立だしく思う。はっきり言って、作中の不気味ポイントの1つ、妹ちゃんの舌を鳴らす音より、ポップコーンカラカラ音のほうがずっと耳につきました。
映画が終わって客電が点き、カラカラ男のほうをちょっと睨んでやろうかと見た、ら、男の隣は空席でした。カラカラ男は1人。え?? 女の人いたよね…見たんだけど
まぁ、多分、見間違えただけなんでしょうが…
にしてもちょっとゾワッとしました。映画本編よりもこっちのほうがゾッとした、ヘレディタリー初見時の出来ごとでした。
さて、次はミッドサマー見よかな。
すぐそこにある恐怖
物語の流れは「ローズマリーの赤ちゃん」。ともに家族という心休まるべき場所が悪霊の巣窟と地続きだったという憂鬱なオチが特徴なのだが、ポランスキー監督の方は不安、こちらは生々しい恐怖。ローズマリーの方はどこか夢のようで、実は彼女の妄想だった、という解釈も成り立たなくはないのだが、アニーの方は普通の家族である。しかも狂っていくのではなく、狂気が祖母から「継承」されて最後にどす黒く悲劇が成就するというプロットなのである。「家族」という存在そのものが狂っているのだ、という身もふたもない断定に逃げ場がない。監督がたった2作でホラーの大家と呼ばれる所以だ。あと、あいかわらずアカデミー賞はホラーに冷たい。アカデミーの偽善ぶりもまあホラーかな。
ホラー?SF的構成のサスペンスxミステリー。継承される修飾された文化的遺伝子。
観ていて怖いし家族目線からだと極めて不快(笑
とは言え、本作は、1) プロット(構成)がハードSFの作りによく似ていて、2) 表現はホラーながらも主題や謎を繰り返し想起させる演出、3) 大きな意外性を伴って結末の謎解きに着地させる・・異色のサスペンスxミステリー作品になっていると感じます。
考察対象として⭐︎5、視聴対象として★1、とても興味深いけど繰り返し観たくない(笑
・・・
ハードSFの作りを図式化すると、
「仮説設定」→ 「仮想文明の構築」→「人々の振る舞い」(ドラマ)→「結末」(解釈)
本作の作りを対比させると、
「教義の設定」→「教団・結社の仮想構築」→「家族の振る舞い」→「結末」(謎解き)
ドラマは終始、家族視点で描かれていますが、教義も教団も当初はその正体が全く明かされていません。家族が怪異に見舞われていく中、演出として教義・教義の断片的な映像イメージ(ギミック・ガジェット)が繰り返し重ねられ、ラストに向かって伏線/謎解きの手掛かりが一気に収斂して、驚愕の結末に至るとともに、教義・教団の全容も明らかになるというミステリー的な決着。
(決着させているのが、サスペンスxホラーである「ローズマリーの赤ちゃん」@1968/ポランスキーと大きく違うところ。)
・・・
【本作の構成の特徴〜SFxミステリー】
ミステリーの作りを対比させると、
「人々の振る舞い」(事件・謎)→「謎解き」(捜査・動機・手段)→「結末」(犯人)
本作は「ミステリーの作り」を採りながら、裏設定的に「SFの作り」を組み合わせているところに大きな特徴があると言えそうです。
追記1) ミステリーの叙述トリックの1つである「信頼できない主人公」を本作では採用しているので、途中まで心理ミステリーの趣がありますが、発火現象を契機に一転してホラー色を強め予想が裏切られます。
追記2) ミステリーとして見た時、本作では禁じ手とも言えそうな普通あり得ない解決を見せています。それは、「表の探偵役=被害者、犯人=裏の探偵役」という仕掛けによる解決です。
・・・
【継承されるものとは何か?〜修飾を施された文化的遺伝子です】
・ 本作の作品名である「Hereditary」(継承)には、遺伝という意味もあり、また本作の主要登場人物の精神疾患が作中で指摘されているので、表面的には遺伝的欠陥の継承を示唆するかのようにも見えますが、それは違います。
・ 継承されるのは、文化的な《トランスジェニック》です。トランスジェニックは、分子生物学での限定的な「ラマルク説」の復活です。分子生物学のテーゼである「セントラルドグマ」では、遺伝子型は継承されても表現型(形質)は継承されません。
・ トランスジェニックでは、ごく一部、「生存環境」の影響の元で生じる分子レベルでの「修飾」により、形質の一部が子孫に継承されます。
・ 【問】これを環境の影響を受け易く、より可変的な《文化的遺伝子》(ミーム)に適用するとどうなるのか? 【答】ある社会集団の文化的な特性が継承される、となります。そこでは環境とは「社会的条件付け」であり、継承されるのは「規範」です。(掟、慣習、祭司、価値観、もろもろ)
・ 本作では教団の教義と組織が継承されています。作中での家族は、特殊な社会的条件付けに曝されていたということになります。
・・・
【本作での教義とは何か?〜たかだか120年前のタロットでの設定です】
・ タロット占い師をしているので解説をつけておきます。
・ 「ゴエティア」とか「ソロモンの鍵」とかが教義のキーワードになりますが、内容は重要ではありません。
・ ポイントとなるのは、そうした話がたかだか120年ほど前の英国でタロット占いを体系化するのに際して、「設定シナリオ」として習合されたということです。古代への繋がりという意味での信憑性には乏しいです。神秘的で権威的な装いを凝らしてみたという捉え方になります。
・ 教義は虚構なのでそれ自体は怖くもなんともないですが、その設定の元で仮想構築されている教団の組織や祭司、供儀や狂信などに怖さがあります。
・ タロットはルネサンス期の「賭博」が起源であり、本作で仮想構築されているモデルはタロットとは無関係です。一方で、悦楽・恐怖・熱狂・暴力が入り混じった「血の儀式」は、人類史のあちこちに見られるリアルなモデルであり、状況依存的な「集団心理」は未だなお全く変わっていません。(←ジョルジュ・バタイユ)
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