ヘレディタリー 継承のレビュー・感想・評価
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怖いと聞かされすぎた
こわい、こわいとメディアなどで聞かされ過ぎたので、心構えのハードル上げすぎました。
静寂の中に地響きの様な低音。来そうで来ない緊張感。多くのホラーが、「ドンっ!」とか「ガシャン!」で驚かせるか、ルックの気色悪さを売りにする中、「不穏」を使いこなすこの作品の凄さよ。
出演者全ての表情も不穏なのも素晴らしい。
伏線も複雑ではなく、何となく行先が見える分、「そっちかい!」ってなるのも楽しい。
終盤に畳み掛けるけれども、俗なホラーに耐性があると、盛り上がりはソコソコに感じてしまうかな。
とは言え、全体のバランスや流れにツッコミどころもなく、スゲー!って終わっていく。
怖さソコソコ、雰囲気の悪さは強い作品。
キャストの圧倒的魅力
これ以上があるのか?と思わせるキャストに脚本、そこにアリ・アスターの才能が炸裂してます。
個人的には『ミッド・サマー』はダメだったのでどうかな?と思いながら観ましたが、これは完全に好みでした。
新感覚
催眠術にかけられてる過程のような…そんな感覚を覚える作品だった。
脳内を侵食されていくような感覚。
正直…退屈だなぁと思いながら中盤あたりまでくる。前半から不穏な要素は散りばめられてはいて、何だかよく分からない不安だけを抱く。これらの前振りは一体何に結実していくのだろうか?
霊のような存在も出てはこない。
起こる事柄は疑心暗鬼だったり、不信だったり、おおよそ人の業から発せられるもののようだった。
主人公は夢遊病を患っていて、自分の意思とは関係なく行動を起こしてしまう。その家族構成も散々たるものだった。
「サマーバケーション」の方を先に観てたから、恐怖の根源は人が自ら産み出すものみたいな事なのかと観てたら、悪魔崇拝の話だった。
どおやら、祖母は悪魔と結婚したらしい。
選ばれたって事になるのかな?
おそらく主人公の血縁者は、その犠牲というか贄というか…祖母がその資格を得るまでに払った代償なのかもしれない。
で、まぁ…孫に悪魔を転生させようとするようなのだが、ここら辺のシステムが複雑ではある。
その膨大な計画がタイトルである「継承」って事なのだろうな。
主人公は結局、悪魔に憑依され人外の者になり果てる。天井に頭を打ち付けてる絵は怖かったなあ…。
別に楽しいわけでもない。
面白いなあと思ってみてたわけでもない。
むしろ、つまんねえなと思ってみてた。
でも、なんだろ…全部観てた。
どころか…観終わった今でも「なぜ最期まで観てられたのか?」その答えを出せずにいる。
なんとなく、最期まで観ちゃった。
こんな作品を?
どこに惹きつけられてた?
飽きてたろ?…いや、飽きてはいない。
何で飽きてないの?
…何でだろ?
催眠術にかかったようなって印象は、こんな自問自答をしてしまえたからだ。
しかしながら…この監督の頭ん中はどおなってんだろ?ホラーとも言えずサスペンスとも言えず、よくまぁ、こんな話を思いつくもんだ。
好きなのかな?
その好きになる要素が、俺にはサッパリ理解できない。なんとなーくだけど「悪魔崇拝」自体はさして珍しいネタではない。ただ、原因というかスパイスで使われる事はあっても、こんな方向性に使われてる作品を俺はあまり観た事がない。
悪魔はいたとしても、それの触媒になってるのは人間で、その儀式を執り行うのも人間で…つまりは、人間を介してなければならないわけで、そう考えると悪魔云々よりもソレを盲信してしまえる人のキャパシティの方が怖いとも思えるのだけれど、どうもそういう事でもないらしい。
この監督の頭はおかしいと思う。
…どんな感想やw
disってるわけではないが、褒め言葉でもない。発想の源からして俺には想像もつかなければ、理解もできないって事だ。
■追記
ああ、そうか。
序盤からの流れもそうだけど、あまり誇張表現を感じなかったのか。起こり得る範囲の事、説明できる範囲の事しか起きない。ホラーらしい表現がほぼなかった。
最後にガッツリと起こるくらいだ。
悪魔を引き合いに出さずとも、幻覚やら幻聴、精神異常と、ほぼ自身が起こし得る精神的な病に置き換えられてしまう。
人間の内側に向けた陰惨たる疑念を引きずりつつ観てたのか…何気に父親の目線で物語を観ていたのだな。
全く意識してなかった。
本当にそんな面白かったか??
前評判が良かったので期待して観たが、
期待値を下回りました、、、。
みんな怖いもの見たさで行って、
衝撃受けた!みたいな感じなんすかね。
なんだろう、
やっぱりアリアスターが苦手なのかな。
シャマラン的なストーリーの入り方の割に
オチが薄いイメージ。
ジョーダンピールのほうが好き。
どこかで見た設定に加え、複数の考察記事を見ても納得感を得づらい映画
①有名ホラー映画等の創作でよく見るテーマの組み合わせでしかない
エクソシスト、インシディアスのようなホラー映画で使われてきた「悪魔憑き」「家族崩壊」のテーマと、クトゥルフ神話のような「カルティスト」「儀式」のテーマを混ぜ合わせた映画である。
そのような「どこかで見た設定」の組み合わせ以上の見どころがが劇中になく、退屈に感じた。
②カルティストによる「呪い」が存在する世界観だということが、劇中で分かりづらいため、チャーリーの死の真相を納得しづらい
「カルティストがチャーリーに呪いをかけて、ペイモンの印が書いてある電柱にぶつけて殺す」というの殺し方は納得しづらく感じた。そのような効果を持つ呪いが存在する世界観であることを説明するか、もしくは何者かが暗躍していることをより分かりやすく示唆する殺害方法にすべきだったと思う。
③アニーに起こっていたことの背景が不明瞭
ただ狂気に陥っていただけの人間なのか、母を含むカルティストに操られていたのかが明確でない。前者であればラストシーン付近の天井際に張り付く描写と首を切る描写がよく分からなくなるし、後者であればジョーンから儀式を習うのではなく、操ることによって儀式を遂行することができるだろう。
新感覚ホラーの時代から、Jホラーとの融合へ
先に「ミッドサマー」を観ましたが、構成から何から同じようなものを感じました。あくまで「同じような」であって、全く違う作品で、どちらも素晴らしいです。
近年、ホラー業界はもうネタ切れだなと感じてたところに、「イット・フォローズ」や「ゲット・アウト」などの新感覚ホラーが量産され、新時代に入ったかと思ったら、一転して古典的な手法でありながら古さを感じさせないアリ・アスターが登場。彼が今後のホラー界を牽引すること間違いなし。
さりげない背景や小物が重要な意味を持っていたり、音楽ともいえないくらい控えめな音が逆に恐怖を誘ったりと、アメリカン・ホラーらしからぬ心理的追い詰めがすごい。
最初からわかっているのはバッドエンドらしき雰囲気だけで、全く先が読めない。
そしてアニーやチャーリーの顔が怖い……。
今回もまた1回観ただけじゃ回収できないことが多すぎて、2回観たいという異様なホラー。今後も監督には期待大。
オリジン
アリアスターは、よくわからない。
すごい映画だと感心し、圧倒されるが、なんでこうなるのかが、わからない。
『(~中略)ところで、シオドア・スタージョンはよくわからない作家だ。話そのものはよくわかる。文体が凝っているということでもない。結局、なんでこんな話ができあがるんだろう、という点がわからないのだ。何年もSFを読んでくれば、どんなに突っ拍子もないアイデアでもそう驚かなくなるものだ。というより、発想の根幹から小説として料理されるまでの内的プロセスに対して、ある種の納得をえることができるのが普通である。それができないのだ。(~後略)』
(シオドア・スタージョン作、矢野徹訳「人間以上」の水鏡子のあとがきより)
2021現在、全二作だが、二作だけでもカラーは見える。かんたんに言えば悪魔崇拝に弄ばれ、屠られるひとたちの話──だと思う。
だが、そんな話だとわかるにしても「結局、なんでこんな話ができあがるんだろう、という点がわからない」。
くわえて箍(たが)である。日本語には箍を外すということばがある。規律や束縛から抜け出す──の意味だが、アリアスターは箍が外れてしまっている。
人間界の倫理・秩序・暗黙のルールがことごとく蔑ろ(ないがしろ)にされている感じを受ける。
たとえば「ふつうの」映画では、少女を電信柱に直撃させてギロチンさせることはない。意味不明の殉教や生贄をしない。それらが、ふつうに描かれてしまうので、衝撃を受ける。不安になる。
こういったアリアスターに対する疑問点に、回答とまではいかないが、なるほど、これがオリジンか──と思わせたのが、過去のショートフィルムだった。
アリアスターは、過去にいくつかショートフィルムを撮っていて、YouTubeやvimeo等で見ることができる。
アリアスターの過去のショートフィルムは、とてもアリアスター的に見える。とうぜん、それらをアリアスターがつくったことを知った上で見たから──でもあるが、HereditaryやMidsommarで見た不安を煽る方法の原点が、そこにあらわれているような気がした。
簡約すると、特長は衝撃と不安だと思う。The Strange Thing About the Johnsons(2011)は衝撃でありMunchausen(2013)は不安があった。合わせるとアリアスターができあがる──気がした。(ものすごく簡単に言えば)
他のショートフィルムも監督の原点がかいま見え、興味深いものだった。
とはいえ、ヒントにはなったが「結局、なんでこんな話ができあがるんだろう、という点がわからない」は変わらなかった。
海外のインタビュー記事で監督は以下のように述べていた。
記事の時期はHereditaryの公開後。まだMidsommarは制作中だった。
『一般的に、そして特にホラーというジャンルの映画制作で私が気に入っていることの一つは、ある人にとっては消化しにくいテーマ性のある素材や、正直に話したいと思うような素材を、自分のメッセージが何であれ妥協することなく、また観客を失うリスクと同じように妥協することなく取り入れることができるということです。
悲しみやトラウマ、人々が悲劇を乗り切ろうとしたり失敗したりすることについての荒涼としたドラマを作りたいと思っているならば、素晴らしい映画を作ることになるかもしれませんが、それは配給が見つからないか、見てもらえないか、単に資金が出ないだけです。日の目を見るかどうかは忘れてください。あなたはそれを作ることができないかもしれません。
10年近く長編映画を作るのに苦労してきた者として、それがどうなるかはよくわかります。しかし、あるジャンルの観客の妨げになるかもしれないものが、別のジャンルでは突然美徳になるのです。
トラウマが家族のユニットに与える腐食した影響についての映画を作りたいと思っていました。悲しみの中で自分自身を蝕んでいく家族について、ウロボロスのような映画を作りたいと思っていました。それは私の中に確かにあった物語です。それを見つける必要はありませんでした。』
機械訳なのでわかりにくいが、要約すると、悲しくてトラウマな話を撮りたくて、それを妥協せずやりたいならばホラーにせざるを得ない──という話。
ウロボロスとは悪循環と訳すのだろうか。自分の体験からHereditaryをつくったと言っているが、そのあと、このインタビューで自分は家族とすごく良好な関係にある、とも述べている。
とんでもない話を撮りたくても、それがとんでもなさすぎると、観客を失ったり、配給が見つからなかったり、資金が出ないだけだが、ホラーにしたら、それが美徳になったと述べている。わけである。
その発言を踏まえてThe Strange Thing About the Johnsons(2011)を見ると、すごく意味がわかる。そのショートフィルムはアリアスターが撮ったという予備知識がなければ、かつこれはホラー映画ですよの告知がなければ、トラウマになる話──だからだ。
アリアスターの衝撃には、こけおどし感がない。
たとえば日本の残酷映画の巨匠が「衝撃」を見せるとすれば、それはおそらく「過剰」と同義語になる。のではないだろうか。
風呂場で屍体を解体したり、真っ赤なスパゲッティをわしづかみで食べたり、女子高生が手をつないで列車に飛び込んだり、をもって衝撃を表現するのではないだろうか。あなたは「おおすげえスパゲッティわしづかみで食ってるよ」と感嘆するだろうか?
アリアスターの不安は不快である。
ぎこちない、気まずい、などの意味でawkwardという英単語がある。より分かりやすい日本語にするなら「放送事故」という感じ──だろうか。
わたしは俗物なので、その手の動画をけっこう見る。知ってのとおりYouTube等で、awkward interviewや放送事故などの検索語で探すと、ざくざくと出てくる。
トークショーや、なにかのインタビューや、会見などで、舌禍などから妙な雲行きになる──ことがある。怒らせたり、ぎくしゃくしたり、日常が飛んで人間の素を露呈する瞬間がある。
海外にも多いが、日本でも朝生の激高シーンみたいなものが山ほどある。あるいは多目的トイレを利用したお笑い芸人の会見。あの会見で、かれを質問攻めにした芸能マスコミの記者たちのサイコパスっぷりたるや「怖い」を超えていた。大の大人が犯罪者でもない人間を寄ってたかって吊し上げて。完全にホラーフィルムだった。
人は「怖い」を超えると「嫌」(いや)になる。
わかりやすく言うと「ああ見ていられない」という感じ。
「怖い」は見ていられるが「嫌」は見ていられない。
とんでもない不快感。(と言いつつ見るわけだが)
アリアスターの描く不安はawkwardや放送事故に見る不快感に似ている。
とりわけチャーリーが亡くなった後の家族の食事場面。すさまじい気まずさ、不快さ。
将来ある若手監督を協賛し、みずから何本もの製作総指揮に名乗り出ているスコセッシ監督だが、アリアスター監督も褒めている。
海外の記事でスコセッシ監督は以下のように述べていた。
『数年前、アリ・アスターという監督の『ヘレディタリー』という作品を初めて観た。最初から感銘を受けた。明らかに映画を知っている若い監督だった。形式的なコントロール、フレーミングの正確さ、フレーム内の動き、アクションのテンポ、音など、すべてがそこにあり、すぐに明らかになった。
しかし、絵が進むにつれて、それは私にさまざまな影響を与え始めました。特に妹が殺された後の家族の夕食のシーンでは、不快になるほど不安になった。
すべての記憶に残るホラー映画のように、この映画は名もなき言いようのない何かに深く入り込み、その暴力は肉体的なものと同様に感情的である。』
機械訳なのでわかりにくいが、巨匠も不快を認めつつ、それをsomething unnameable and unspeakableな=なんと言ったらいいかわからないような、衝撃を受けたと言っていた。
巨匠さえ、名状しがたいものだった──わけである。
ずっと、同監督が「わからない」と言ってきたが、巨匠もそう言ったように、それらは映画ファンにとって面白さに他ならない。さまざまな表現方法に慣れているわたしたちは、unnameableな、unspeakableなものを積極的に見たいと思っている。
ので、ちょいちょいわたしはAri Aster next movieとかで検索をする。あちらの映画情報は、かなりまとまった話でもお釈迦になることがあるので、話半分だが、いろいろ出てきた。韓国映画のカルト、地球を守れ(2003)のリメイクとなるホラーコメディをつくっている。という話があった。ホアキンフェニックス出演でタイトルはBeauisAfraid、との情報もあった。BeauisAfraidはアリアスターの過去のショートフィルムにあった。
いずれにせよもっとも気になる映画監督のひとり。
映画を見て、もう一度という気には、ほとんどならないのに、次回作が見たくて仕方がない。のがAri Aster監督なのです。
雰囲気良し。
賛否両論、好き嫌いあると思いますが、ハマる人には最高の作品かな。
個人的にはどちらでもなく普通に楽しめましたー。
よそ見できない雰囲気がメンタルにくるって感じですかね。
役者さんたちも素晴らしく、ガブリエルバーン最高でした。
何なんだこれは…
とにかく不気味。
ずっと何か仕掛けられてる気がして疲れました…
俳優も怖けりゃ後ろの背景も怖い、
音楽も怖いし台詞も怖い。あれも怖いこれも怖い。
しんどいです。
ただ僕はアリ・アスター監督苦手。合わない。
勝手に僕がビビってるだけで何も起こらないんかい!
って言う印象。
後半の畳み掛けを最初からやってくれよ!
仕掛けの時間が長いよ!って思ってしまう。
ミッドサマー然り、2時間たっぷり疲れて観た割に
で、僕は何を見せられたんでしょうか?
と言う終わりでした。
期待しすぎた
期待してみたが、ナーンだ悪魔崇拝の話かとガッカリ。
既成宗教や民間信仰によりかからないものかと思った。
というのも、そういうのをベースにすると、超常現象の真実らしさは全てそこに理由を預けてしまうから。
ホラー映画は怖いかどうかより、オリジナリティがあるかどうかを見ている。
気持ち悪さはあるがオリジナリティは低い。従来のホラーの寄せ集め。
アニー役の女優が楳図かずおを実写した演技で点数を上げている。
家族崩壊、不穏系陰鬱ホラー
ミッドサマーでお馴染みアリアスター監督処女長編作。
最恐ホラーとうたわれてますが個人的にはさっぱり怖くはなく拍子抜け…。
随所にミッドサマー感があって、終始不穏な空気の胸糞系ホラー。
祖母の死をきっかけに崩壊していく家族の話なんだけど、家族の関係性描かれてないから家族崩壊していく様を見てもイマイチ入ってかないんだよなあ····。
序盤の交通事故での長男のカットはリアルで良かったけど、そこがこの映画の面白さの限界だったような…。
降霊術とか悪魔召喚系は、聖書圏ではない日本人には怖さが伝わりづらいのかも。
尤もらしいが、つまらぬ
西洋人はこの手のオチが世界に共感されるといつまで誤解し続けるのか。
不穏に一点透視図法多用だが、だから シャイニングに成れぬのだ。
トニコレット、激演ご苦労様だが、その事に結局無頓着な母で終るシックスセンスの方が格段に良い。
尤もらしいが、つまらぬ。
何この物語…
結論として、地獄の8人の王のうちの一人を受肉させたかった話…でしょうか。元々は祖母にいたけど、健康な若い男の肉体に再受肉させたというお話。
妻が暖炉の前で謎のノートを燃やし、夫が燃えたのは意味がわからなかった。母親の夢遊病は、祖母(に取り憑いている地獄の王の力の一端)による「操作」だったのかもしれない。教室で頭を打ち付けたのは、「さっさと体を渡せ!」と地獄の王が直接手を下したのかもしれない。
ラストシーン間近、亡霊が家を取り囲み、王の帰還?降臨?を待ち望んでいる様子にも伺える。
ただ、チャーリーが死ぬ必要性はあったのか。単に祖母に操作されやすいチャーリーだったのか。正直、ホラー映画好きに好評なのは、予備知識(ホラー映画を観ている経験・情報量)があるからそれに基づいて(あーこれはこういうことかー)(そういうパターンね)とか、ヒモづけて楽しめてるのだと思います。
ほぼほぼホラー映画初心者の見解では、家族内でその地獄の王は継承(ヘレディタリー)されるルールになっていて、母親は祖母に操られていた節がある。
しかし、子どもへの愛から、その母親が祖母の操りに抵抗していた様子も見える。結局、最後には乗っ取られてしまったが、母の愛は、長男を堕ろそうとしていた罪悪感を地獄の王に則られて、勝てなかった。という風に受けとった。
この家族に加わった、祖母の血を引かない夫は邪魔者として燃やされたくらい。これが一番かわいそう。日記燃やしたついでに燃やされた感がすごいかわいそう。
シンプルに怖いけれど、カルトという価値感に馴染みが薄いと、ちょっと楽しみづらい。しかし、映画の雰囲気やセットへのこだわりが随所に感じられます。このへんはミッド・サマーと同じ。
最後に、母親の職業(個展を開くとか言っていたのでたぶんアーティスト?)柄で、ミニチュアを作っていたのが気になりました。
おそらく「地獄の王の目線」を暗示していたのかなと。俯瞰で全体をみえている異形な存在の視点。事故現場を再現する狂気っぷりは、アーティストそのもの。
「家族」ではなく、「家族になろうとしている」人たちの物語に思えました。
ピーターに受肉してしまったが、この血筋で、この継承(ヘレディタリー)が終るのは、本当に「家族」になれる世代なのだろうなと思う。
雰囲気ホラー
よくある王道ホラー映画を求めて鑑賞すると期待はずれと思う方もいらっしゃるかもしれません。
雰囲気がオシャレで、世界観は唯一無二だと思います。似た映画を挙げろといわれてもすぐには思い付きませんでした。好きな人にはとことん好かれる映画ではないでしょうか。
前半の事故まではかなり良かったと思います。全てに無駄がありませんでした。
夢に出そうで、気持ち悪くて、よかったです。
1度ではわからないけど面白い
主人公アニーの母の葬儀の朝から映画は始まる
子供達がまだベッドなのに
自分だけ用意して車で待っているアニーは
きっと子供の世話をほとんどしてこなかったのだろう
秘密主義で閉鎖的な母の葬儀に人が予想外に来たことに戸惑うアニー
実は母、リーはカルト集団のお后的な立場だった事は後からわかるのだが付箋だろう。
不仲だった母の死に予想外に苦しむアニー。
『なぜかわからないが母に責められている気がする』
『兄は母が自分の身体の中に他人を入れたと言って首を吊った』
『息子には近づかせなかった』
この事からアニーは過去に母のカルト的な秘密を知り、息子が狙われている事にも感づいていたようで縁を切っていたが自分でもその事について記憶がなくなっているようだ。
ピーターを産みたくなかった、という発言や夢遊病の症状で殺そうとしていたことからもわかる。
リーが死んで、魂がチャーリーに宿ったのか
光が部屋で動き、死んだ鳥の首を切る。
チャーリーのナッツアレルギーの症状やピーターが車で危険運転をしたことは偶然だが、事故にあい首がとんだのは悪の力が働いてるように思う
※首の切断は必要な儀式なようだ。
カルト集団の仲間の嘘で家で降霊の儀式を行い
王は男の身体ではないといけないことから
ピーターを悪の王に捧げるための手助けをしてしまうアニー
気づいた時にはもう遅い
ピーターにはチャーリーの魂がのりうつり、悪の8番目の王になる。
謎
鬱病で物が食べられなくなり餓死したアニーの父は
悪の王だったのか
鳥の首を切ったあとにフェンスの向こうからチャーリーに笑顔で手を振る人はだれ?
思いつくままの駄文の感想ですいません。
キリスト教徒にとっては心底怖いかも
厳格でやや常軌を逸した所があった祖母エレンが死に,彼女の怨念のようなものが残された家族を襲うのかと思いきや,そうではなかった。祖母とも深い関わりがあった第三者が実は悪魔崇拝主義者だったという点がポイントなのだが,彼女がなぜ一家に執拗に関わり続けたのかがよく分からない。それゆえ終盤で悪魔崇拝が関係していると判明した時の恐怖が減退してしまっている。それまでは地味な展開ながら,ジワジワと心が蝕まれるような恐怖が心に重くのしかかってくるようで,なかなか強烈な印象だっだけにちょっぴり残念だ。
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