機動戦士ガンダムNTのレビュー・感想・評価
全175件中、101~120件目を表示
両隣のおじさまに挟まれて。
私のガンダムの知識といえばseed(途中までしか見てない)くらいしかない。
そんなほぼない知識の中鑑賞した本作。
正直言うと???でした。
内容が入ってこないのは私の頭の悪さと世界観を理解せず行ったのが問題(笑)
両隣のおじさまが号泣してて真ん中で申し訳ないな…と思ってましたごめんなさい。
最後うるっと来ましたがニュータイプってなんだよガンダムってそもそもなんだよっていう所からなので作品世界を理解してないと
少々難しいかもしれません。
超常現象だらけ
だったけど、
個人的には、これまでの歴代ガンダム超常現象に一定の解釈を与えてくれたので、『あぁ、なるほど...そういう事か...』とは思いました。
冒頭のフェネクス VS (デンドロ)ナラティブを筆頭に、テンポよく、カッコいい戦闘シーンが続いて個人的には満足.
キャラが微妙だったけど、尺的に、そこを見せる作品でもなかったと思うので、そこまで気にならず。
この尺の中で、設定と戦闘シーンで駆け抜けた感じっすね...
もう一回見に行こうかと思案中...
ところで、UC97年以降の物語の整合性合うんかい?という気が...
次回作のハサウェイは、超常現象お断りだったと思うんですが、大丈夫ですかねぇ・・・という...
宇宙世紀のイデの発現
作品の評価の前に、ストーリーの考察になるのですが、今作では前作ユニコーンで描かれた以上に超常的なニュータイプ能力の描写があります。
肉体を捨てた真のニュータイプ、というのも出てきます。
これは今までのシリーズのニュータイプと比べて、明らかに逸脱しています。
これについて、UCシリーズを手がける福井晴敏のインタビュー等に目を通した結果、福井はガンダムをイデオンに帰結させるつもりなんだと思いました。
そもそも福井は「イデオンがなければ小説家になってなかった」と公言するほどの大のイデオンファンです。
思想の根本にイデオンがあり、多大な影響を受けています。
福井は今作ナラティブのインタビューで、
「あの世界では体が滅んでも魂は存在し続け、最終的に自我は溶け合って共有される。
それを受信するのがニュータイプ。
しかも彼らはメカニカルの援用を受けると、無限のエネルギーを引き出して現実世界に物理作用をもたらすこともできてしまう。
それは死後の世界と現世を隔てる界面を揺るがす、凄まじく危険な力なんです。」
「宇宙世紀は今後どこかで一度非道い目にあって、ニュータイプの威力を目の当たりにする事になる。
それは虐殺とかではなく、生死の界面を揺るがしてしまう、最後の審判みたいなことが起こる」
と答えています。
これは完全にイデオンのストーリーと告示しています。
UC2はイデオン発動篇のようなことが起こり、ヨナ、バナージ、ミネバがサイコフレームを封印、ニュータイプがあまり重要視されないF91に繋がる、といった構想のようです。
また、過去に福井がイデオン30周年に電ホビで書いた記事で、
「『めぐりあい宇宙』で示された人類進化の可能性が、『イデオン 発動篇』で早々に究極にたどり着いてしまった。」
「『ガンダム』を経て『イデオン』で結実した物語は、アニメという媒体のみが語り得る究極のドラマである」
…といった旨の発言をしています。
(『そしてアニメは死に、イデオンだけが残った』で記事が読めます)
つまり福井は、当時からイデオンはガンダムのアンサーだと捉えており、ニュータイプの行き着く先は無限力だと捉えているのです。
こうして考えてみると、今作のニュータイプ描写にも腑に落ちるところはあるのですが、やはり宇宙世紀のガンダムシリーズとしては異質なものに感じます。
福井はガンダムじゃなくイデオンを書いてるので、さもありなん、といった感じです。
福井のニュータイプ論はともかく、ストーリーはサプライズやロボアニメらしい面白さもあり、わりと好きでした。
ただ、編集が良くなく、脚本をただなぞって90分に収めたような感じで、総集編のような足早な展開になってしまっていました。
特に序盤は時系列が前後して落ち着かなかったです。
それと、作画はもっと頑張ってほしかったです。
サンライズ第一スタジオなんだから…
作画は大いに期待していたところだったので、とても残念でした。
ブルーレイで修正されることを期待したいです。
よかった
まずはじめに、オカルトがひどいというレビューをよくみかけましたが、初代のララァとアムロの別れ(の描写)、Zのカミーユに逆襲のシャアのラスト、ここまでみてきてそれらは受け入れられているのに、今回のナラティブをオカルトだと論じるのは正直わたしには今更のことかと思います。
今までの人類ではないのです、オールドタイプから抜け出した、人類の新たな可能性を秘めたニュータイプの話なわけですから…。
今回の映画にて、人類は死すら超越し、克服できるのではないか?という問いに対し、人類にはまだ早すぎる、と描写されました。(わたしはそう解釈しました。)
そしてこれは死の克服だけの話ではなく、ニュータイプがニュータイプとして受け入れられる、皆がニュータイプとして開花するにはまだ時間がかかる、時間が必要なのであると、そういう示唆でもあると思います。
初代ガンダムから今回のナラティブでも同じことを言っていたり繰り返しています。人間(オールドタイプ)はニュータイプを、ニュータイプの示す奇跡(人の可能性)を受け入れられないということ。そこから生まれる苦悩と悲劇、過ち。
何度も何度も同じことを…と不満に感じる人もいるかもしれません。けれど、それを何度も繰り返すのは仕方ないことであり、その繰り返しに意味があるのだとわたしは思います。
だってまだ人類全体がニュータイプとして開花する「その時」には至ってはいないのですから…。ガンダムで描かれる苦悩と悲劇を克服した時、それはガンダムが真のエンディングを1つ迎える時ではないでしょうか。
そうやって同じような苦悩と悲劇、過ちを繰り返して、でもそのたびにニュータイプは希望をみせてくれる。
どれだけ時間がかかろうとも、いつか「その時」はやってくるんだって、そう信じていてねって、わたしは何度も呼びかけられるのです。
久しぶりの劇場版
サイドストーリー?橋渡し?な話の劇場版ではありますが90分の話としては良く出来ていると思います。
説明不足な所もありますが個人的には楽しめました。
作画に関してはレビューを見てそうだったのかと感じる次第です。
音楽は良かったです。
つまらなくはないけど微妙
物語としては楽しめたけど、ガンダムとして満足かっていうと不満かな
ニュータイプの戦いというか、超能力ロボットの戦いだよね。
バリアはいいけどサイコキネシスは止めてよ
兵器としてのモビルスーツの戦いが見たい
あと、作画は確かに映画レベルに遠く及ばない
残念。
追記:2019/5/24bluray/DVDの発売に合わせて、作画の手直しがされました。劇場で見たのを全て覚えているわけではないではないけど、観るに絶えないと思う場面はなかったので良くはなってると思います。
でも全部直せるわけではないのでやっぱり劇場版としては残念だなあ、と。ステファニーは結局まともなのは、最後の小さなモニター越しの姿だけだったな(T-T)
UCでは輪郭が崩れることはほとんどなかったのに。制作期間はしっかり取ってやってほしい。
内容に変更はないので評価に変更はないけど、発売に合わせて企画された福井氏のインタビューを読んで、ニュータイプ=超能力になってしまったな、と。サイコフレームの力を借りて、昔ながらの超能力を使えるようになっただけで新解釈なんて思えないし、じゃあ超能力て呼び方でよくない?
福井ワールドがこのまま進むとVガンダムの時代は、ノーマルスーツにサイコフレーム組み込んで戦艦握りつぶして、ケガしたらヒーリングと称して細胞の時間戻して治療してそう。
「澤野弘之、音楽格好良過ぎる」
本年度104本目。
音楽が格好良過ぎる。澤野弘之やりましたね。
澤野弘之と言うと、色々な楽曲を出していますが、自分はAimerの楽曲が一番好きです。
「甲鉄城のカバネリ」の「ninelie」などが有名ですね。
5月にガンダム第6章が終わって、「ガンダム終わりかぁ」と思っていたら、予告でNTがやると言う事で、楽しみにしていました。
本編はと言うと、最後泣きました。良かったです。
絶対、劇場で観るべき!
予備知識ある人もない人も、レビュー目線で「診る」よりは、エンターテイメントとして『観る』べき!
圧倒的にBGMと表現力が素晴らしい!
ここ数年の劇場版アニメではトップクラスの出来映え。含みを持たせた謎部分はあるけど難しいとは感じないし、むしろもう一度観たい気持ちにさせられそう。
もうvigilanteとnarrativeの2曲が耳に残って離れない!
過去作のセオリーを脱せず
ファーストからUCまで代表的な作品は観てきたが、良く言えばその各作品をオマージュした構成で所々はそれでも楽しめたが、個人的にもう少し意外な展開が欲しかった。
あと、シャアやフルフロンタルとは異なり敵役に魅力が全く感じられなかったことが残念。
ガンダムUCのスピンオフ
F-91以来の劇場新作という謳い文句だったが…単なるガンダムUCの外伝だった。
ストーリーの流れも、SS版ゲームのブルーデスティニーと大差無かった。そもそもNT-DがEXAMシステムと似てるし。
キャラデザはキービジュアル見てハードル下げていたから動いている所を見れば印象変わるかな?って思ってたけど、結構 作画にムラがあって更にガッカリ。
メカもUC系ばかりだし、今更ディジェを出されても…
メカの動きは良かったけど、それこそUCと似たような印象を受けてしまう要因の一つになっていた。
ニュータイプに関しての解釈は、これでいいのか?
富野氏の作ってきたニュータイプ像と食い違っていると思うのだが…まぁ映像化されてしまった今となっては公式なニュータイプ像となってしまった訳だが…。
スタッフロール後に入った映像が まるでマーベルみたいだった。
UCが好きじゃないなら見なくていい
オカルトオカルト言われてますがむしろオカルトじゃないガンダムってありました?
・戦闘シーンがしょぼい←外注に投げてるしそこまで酷くないです。初代から見てるなら別にそこまで酷く感じないと思いますが・
・用語が多すぎてわからない←ユニコーンを見てから見たほうがいいかと思います。ユニコーンが受け入れられないなら見ないほうがいいです。
・サイコフレームがやりたい放題←公式ですらわからないという答えです。オカルトは昔からのことなので気になる人はなると思います。確かにやり過ぎ
後付け設定のオンパレードのガンダムですが、
それも一つの作品として見れない方は見ないほうがいいですよ
ユニコーンも後付け!ナラティブも後付け!! 何もかも後付けになりますから・・
もはやオカルト
一見さんお断り。
『UC』を観てないとわからないことしかない。
それどころか、『1st』『Z』『ZZ』『逆シャア』も観てないと、意味がさっぱり分かりません。
以上の宇宙世紀に関する知識があって、新型モビルスーツが暴れるだけでOKな人や、小難しい説明を並べ立てるだけでうれしい設定マニアには、いい作品だと思います。
作中で出てくるエピソードが、ことごとくセリフだけ。
コロニー落としも、コロニーの中に、落とされたエリアに何人いて、どのくらい非人道的か見せていない。
兵器類も、(その世界の)既存兵器との対比でどのくらいの大きさと強さなのか、と理解されるような見せ方をしていない。
必要なのは説明セリフではない。
直感で理解できる「描写」が重要なのに。
一切それらがなく「皆さんご存知の」ではじまる。
他人の作った過去作品におんぶに抱っこ。
さらに私にとってつらかったのは、『UC』と同じく、いやより一層、「ほとんど設定語り」が強くなった点。
映像学校の若い学生に「構成が分かるプロット書いて」と指導したら、設定の羅列の企画書用文書を見せられたような、徒労感に似たセリフの山にうなだれつつ。
「ナラティブ 」とは「語ること」、また別に「叙情的、神話的な話」や「見えない部分を個々が考えられること」を意味します。
そこから「ストーリーごと、歴史ごと、設定ごとの隙間から、いろんな解釈ができる」と広げ、モビルスーツもオプションでいくらでも機能拡張できる痩せた素体みたいなデザインにしているのはわかるが。
「俺ははこう解釈してる」って同人誌の二次創作どころか、三次四次レベルの設定ごっこ。
しかもニュータイプとサイコミュの在り方が、フォースと新興宗教の融合みたいになっちゃってて。
「ニュータイプ教福井派」みたいな、異端宗教っぽく。
キャラの語るニュータイプの定義を聞いてると、カトリックから何がどうやってモ●モン教になったんだ?レベル。
それどころか、超能力や超常現象というスピリチュアル同然の、謎の論理が展開されて頭痛が。
これ、オカルトだよ。
その教義を示すためにキャラを用意し、オモチャのためにモビルスーツを作り、話をでっち上げて無理に乗せた感が強く。
他の作品で言えば、映画ならエイリアンシリーズの『プロメテウス』『コヴェナント』、アニメなら『GODZILLA 星を喰う者』『宇宙戦艦ヤマト2202』が内包する問題に連なります。
『宇宙の法』または、『ヘレディタリー/継承』とも変わらない印象。
おかげで、物語に入り込むことも、キャラに感情移入することも、全然できませんでした。
作画も全体に崩れ気味。
劇場クオリティじゃない。
タイトルを『ガンダムUC外伝 ナラティブ~奇跡の子供たち』とでもして、ちゃんとOVAイベント上映と謳ってほしかった。
Z世代あたりのオールドガンプラファン相手のフィルムとして、こういう作品があってもかまわないけど、新作劇場版とするのはいかがなものか。
自分の苦手要素がてんこ盛りで、「ああ私が観てはいけないものだった」という無念さに覆われました。
あの人がチョイ役すぎ
天空のエスカフローネとエヴァを足して2で割ったような作品になってしまいましたね?
難しくなり過ぎて
ファーストガンダムに想いを馳せると
安心感すら覚えてしまう。
映画にしてはいけないクオリティ
作り手は、映画で遊んでるな。映画を舐めてるとしか思えない。単発だからやりたいようにやっとる。ガンダムファンは、必ず観るから売上もある程度確保できる。
そう思える、作品だわ
リタは何処に…
見終わってから、冒頭シーンのリタの「怖いことが始まる。悲しいことも…。」の「悲しいこと」が何をさしているのか?を改めて考えると、すでにあの時点でリタは全てを見透していたんだね。と思える。
そしてミシェルには生き残っていて欲しかったね。残されたヨナ含めて、誰も幸せになれてないね。
戦闘シーンのテンポはグッドです。
グスタフカール弱し。道路壊すな!
あと、シェザール隊の隊長も良いですね。スピンオフ作れそう。
何だろ…
ファーストから見ているものからの意見ですが 最早ガンダム では無く別物です。
ntガンダム は弱いし、いきなりジオング?
サイコミュとか何?
もう少し作り込んで欲しかったな
所によりエバって何?
ユニコーンに被せる必要あったのか?
色々疑問…
新たな問題提起
ガンダムユニコーンの時と同様作画が綺麗ですのでスクリーンで見る価値ありだと思います。(特にフェネクスの描き方)
大音量で聞く澤野さんの音楽も良かったです。
ガンダム作品は様々な社会問題を取り上げてきました。ユニコーンは人間の感情というものに重きを置かれた作品であり、その点で優れた作品であると思います。今回のナラティブもユニコーンの流れを汲んだ作品だろうと思っていましたが、良い意味で裏切られました。
ナラティブで取り上げられた、人間は死を超越するかという疑問。それは確かにあまりに現実離れしているように思われますが、作品で言っている通り人間の脳はまだ使われていない部分が多く、人の心にはまだ未知の領域があります。他の動物と違い人間は言葉を用い、自己を認識し、己の死を認識する。つまり人間は他の動物と異なり肉体よりも精神が大幅に発達している。肉体は存在しうるものとしての限界をもつものの精神は物理的に存在しえないという意味で限界をもたない。肉体が死してなお、精神が存在し続けることは人間ならありえることであると思います。それを具現化するマシンができたとして(十分ありえる可能性)人間は死(ここでは己の存在の限界)を超越したと言ってよいのか。
今まで外物であった自然を克服することに向けられていた人間のエゴが今度は己の内に向けられる。
だからフェネクスは最後に人の手の届かない宇宙すなわち自然へと飛び立っていったのでしょう。ヨナが絶望するなかバナージがかけた一言はマシンなど使わずとも人間自らの精神を広げていけばいつか死んだものとも心通わせることができるのではないかという意味ではないかと思いました。
と言いつつ、未成年の私からしても死は恐ろしいものですが…
はぁ〜
ガンダムインフォ等からこの作品の冒頭23分見てからの鑑賞となりました。その23分の内容は、物語の起となる部分なので、さてどう展開するか興味つつ最後まで観た今日です。ファーストガンダムから観て作品の殆どを追いかけてきた自分、その中でサイドストーリー含めて宇宙世紀絡みのガンダム作品には一定の評価をして受け入れてきた自分ですが、これはさすがに…。
全175件中、101~120件目を表示