機動戦士ガンダムNTのレビュー・感想・評価
全178件中、1~20件目を表示
奥行きがあって味わい深い
『機動戦士ガンダムUC』
(以下「UC」という。)が
とても面白くて、
円盤の episode6 と episode7 の
初回限定盤のオマケ
Blu-ray(2012年に行われた
声優とオーケストラのコラボライブ映像、
『百年の孤独』の完全版)も入手して観た。
ネットフリックスの配信を
字幕を付けてホームシアターで鑑賞。
先日、UC の episode7 の鑑賞時、
爆発音が逆側から聞こえるような
違和感があった。
本日、
冒頭のヨナとミシェルがリタを追いかけて
コロニー落としの映像を見て驚いて転ぶシーンで、
右側でヨナが倒れた時、
左のスピーカからドタッと音がしたのを機に
配線しなおして最初から観直した。
最近
音響環境をリニューアルしたばかりだったから、
氣が付いて良かった。
本作のキャラクターデザインは
安彦良和氏ではなく、
作品名は NT であり、
主人公がバナージとオードリーではない。
クワトロ・バジーナの演説や
懐かしい映像を流用しており、
モビルスーツの描写は
手書きに拘るなど実験的な作品。
本作に限らず
宇宙世紀ガンダムは、
幽霊や亡霊や超能力など
スピリチュアル要素が強く、
ラヴストーリーであることも特徴。
本作の主人公は、
どちらかと言えば
ヨナというよりミシェルなのだろうな、
と思った。
本編90分弱と尺が短く
情報量が多い。
テンポが速すぎるが、
繰り返し鑑賞できる魅力がある。
ーーー 好みと蘊蓄等 ーーー
モビルスーツのこと...
ユニコーンガンダム3号機フェネクスが
抜群に恰好良いかと言われれば
そうは思わない。
ナラティブガンダムにも
惹かれなかったが、
初代ガンダムのように
腹部に格納されている
鳥のように翼が大きいコア・ファイターは
とても良いデザインだと思う。
個人的に好きなシルヴァ・バレト系に
私の好きなバナージが搭乗していた。
このモビルスーツは
資料によって若干異なるようだ。
調べてみると
シルヴァ・バレト・サプレッサー
という名前らしい。
ドーベン・ウルフをガンダム・ヘッドにして
カラーリングを変更したシルヴァ・バレトは
UC episode7 でやられ役で登場したが、
そのモビルスーツを
さらに色を変え
脚部等を改修した
交換用の複数の腕が背中にある
ビーム・マグナム射出用
新型モビルスーツなのである。
本作は灰色のディジェが2機登場する。
Zガンダムで初登場した緑色のディジェは
エルメス風のゲルググという印象で
アムロが搭乗していた時は
不細工だと思ったが
今となっては
好きな機体である。
0が目に見えないからといってその概念を馬鹿にする白人には難しい話である。
本作はガンダム史における「ニュータイプとは何か?」という極めて繊細で触れづらいにも関わらず、我々のガンダムに対して込み上げる思いの棘のような部分について、焦点を当てかつ、あえて、その議論に明確な答えを出さず批判を受ける立場になることを分かっていながらこの作品を世に送り出した親中を察するに。。。やれ「プラモの宣伝だ」だの「宇宙世紀で金鉱を掘り当てるまでの過程」だの、よく自らの思考の上限を恥じられないものか。ソクラテスの言う「無知の知」の如く我々いわゆるこちら側の読者はニュータイプがなにかですらわかっていないにも関わらず、先の映像化作品にはニュータイプは存在しない、サイコフレームも一切語られないなどとほざけるものだ。たかが二十年や三十年。ニュータイプに言わせれば、いやニュータイプを超えたニュータイプ、それこそ次元の違うレベルのニュータイプを超えた【何者】や【どこそこ】だのに言わせれば、「時間ですが概念のたかが一つに過ぎない」ということに関して、丁寧にも本作で明言されているのに。
本作の言葉を借りるのならば、あくまで我々、物語の登場人物たちも、これを作品として視聴している我々も「ようやく門にたどり着いた。」それだけである。門を開けたのかすら明言されておらず、まだそれが門なのかすら解明されてもないのに。
決めつけ、暴論に至る。この他のレビューを読んだ汚れなき幼子たちを外科的に解剖するが如く。心なんて、メスで目に見えるようなものでもないのに。。。
よって目に見えないものを小馬鹿にする信念にも似た固定観念の持ち主たちには、論理的に目に見えないものを馬鹿にする習性があるものたちには、まだ自分の知らない論理がこの宇宙にはあまたあるにもかかわらず、現代科学がここまでさまざまなものを方程式化し、便利にし、豊かにし、その上で未だ我々が知らないものが無数に、無限にあるにも関わらず、知らない、説明されていない、明確に定義されていないとわめき主張し、そして偉そうに語る者たちには、本作はあまりにも。もったいないと切に思う
見る価値なし。
良質なSF
観始めたとき、あまりにも訳がわからず「あれ?何か見逃した?」と心配になった。人物も時代も判然としないままで、このまま見続けて楽しめるのか…と不安だったが、回想を織り交ぜて巧みに展開するストーリーのお陰で全てを把握した頃には納得の面白さだった。
「ちょっとしたエスパーみたいなもの」としか認識されていなかったニュータイプ能力が、その意味づけを変えていく様は宇宙世紀作品を楽しみ続けてきた層には興味深い。
ララァ・スンという偉大なニュータイプに見えていた「時」とは一体何だったのか?
それに技術と精神の2つのベクトルで迫ろう、という挑戦的な作品だったように思う。
あと、何と言っても「ガンダム大好き!」というガンダム愛にあふれた作品だった。
過去作へのオマージュとみられるシーンやセリフもちょいちょいあり、宇宙世紀オタクには嬉しい限り。
難点と言えば、戦時下の人間ドラマという側面はかなり薄れ、テーマに占める精神世界の割合が高くなり過ぎてしまっていることくらいか。
それを差し引いても「人の革新」とは何か?を思う存分考えられるガンダムらしい作品だ。
凄い駆け足
ユニコーンがただただ良作だったんだと深く嚙み締めた
最近ガンダムにハマり、1st~逆シャアまで履修、UCを観終わった辺りで宇宙世紀年表を参考に次に見る作品を探していたら、NTがUC直接の続編と知り、早速U-NEXTで視聴。
UCはUCで綺麗に完結していたので、ここから話をどう作るか期待していたが、やってることはラプラス事変の後始末と言っていいだろう。
調べたらUCの設定資料集の掲載された書下ろしが原作で、UC最終決戦とほぼ同時に行われていた戦いを後日談として再構築したようで。そりゃ後始末っぽくもなりますわな。
基本的には描写不足が目立ち、これは終盤になるにつれて改善されていく…というより、序盤で描写されなかった主人公たちの過去が終盤で一気にやってくるので、見終わった後はそれなりに納得できるのだが、序盤は心捕まえられることなく淡々と話が進んでいくように感じた。
基本寡黙な主人公や、メインの会話パートは過去編でやるのであまりこれといった印象も沸かない。なぜだろう、ほとんどキャラクターの名前を忘れてしまった。見終わってから1時間しか経ってない筈なのに…
モビルスーツ面でいえば主人公機がユニコーンのように赤いサイコフレームを身に纏った姿は鳥肌モノだが、あまり目立った活躍や戦果に乏しいのは残念。
結局乗り換えた3号機フェネクスに活躍を奪われ、最後の最後に出てきたバナージも相まって、全部ユニコーンが持っていった感は正直否めない。
UCのというのもあってどうしても比較してしまうが、あっちはOVA6作で濃く描かれているので、90分の本作の比べるのは少し酷であろう
しかし単品で見ても展開の早すぎるスピード、年代ごとコロコロ変わる場面、不足すぎる心理描写など、いざ振り返るとどうしても良作とは判断出来なかった。このレビューのタイトルをもって、オチとします。
科学を超えたなんでもありの超能力
総合:50点 ( ストーリー:40点|キャスト:60点|演出:50点|ビジュアル:75点|音楽:75点 )
テレビでしていたので鑑賞してみたが、陣営に組織に登場人物が複雑に絡み合っていて設定が非常にわかりにくい。ずっとガンダムを観ていないと理解が難しいのではないか。自分は途中で興味を失い理解することは諦めた。
ガンダムは子供向けのロボットアニメとして制作されながら、科学的な設定を取り入れて大人でも視聴して楽しめる内容になっていた画期的な作品であった。それでも説明が出来ない部分をニュータイプという新人類の登場によって強引に穴埋めした。
しかしこの作品ではもう科学を超えた超能力のなんでもありの戦いになっていて、説明のつかないものになっているように思えて、設定の理解の難しさもあって納得できない部分が多かった。物語も陣営の話か3人の幼馴染の話か中途半端さがあった。映像も『閃光のハサウェイ』に比較して劣る。音楽は良かった。
中身空っぽ、 バトル シーンは大迫力
いつもどおりの [中身空っぽ、 バトル シーンは大迫力] のガンダムでした。
今回は今までよりもオカルトようそが強いです。 しかし、 そもそも ガンダム = オカルト なので、 こればかりは どうしようも有りません。 初代ガンダムに登場した [ニュータイプ] とは、 [宇宙で生活し始めた人類が獲得した、 予知能力や ししゃと はなすような特殊能力] を意味します。 この初代ガンダムのアニメじたいの出来栄えが素晴らしかったため、 ニュータイプという言葉は後にアニメ雑誌の名前にもなりました。 このニュータイプがガンダムの物語における主要素なので、 どうしてもオカルトからは とうひできません。 ただし、 今回は ついにモビルスーツが勝手に動く (整備無しで) という状況になってしまい、 もはやニュータイプの範囲を超えている気がしました。
加えて、 登場人物は説明不足で、 名前が飛び交うものの [誰が どれ?] と、 視聴者が ついてこれませんでした。 もう少し丁寧に説明すれば、 感情移入できたかもしれないのですが。
それでも、 相変わらず映像美が素晴らしく、 戦闘シーンのためだけでも見る価値が有ります。
「生まれ変わったら、 私、 鳥になりたいわ!」 → なんども言い過ぎです。
戦闘する意味とは?
ガンダムは戦争の話だが、この映画では戦う意味が感じられない。大勢の人が住むコロニー内で戦闘を行うのが、1人の暴走する軍人によって始まり、最後は彼の暴走を止めるために皆で戦う。鍛えられた軍人があんなめちゃくちゃな戦いしたらあかんやろ。罪のない大勢の人が死んでるのに、その描写も少ない。私が思うにこの物語では、失敗作である彼が1番の悲劇の人物だ。もっと彼の戦う意味をわからせて欲しかった。
内容も姿勢も問題山積
OVAで全7巻、それを再編した地上波アニメで全22話あった「機動戦士ガンダムUC」、その1年後の世界を90分の映像で描く。
UCの頃には影も形もなかった「ユニコーンガンダム第三号機 フェネクス(フェニックス)」の捕獲を巡る物語。連動して、3人の幼なじみの物語のようでもあり、UCに続いて「ニュータイプ(以下NT)とは何だったのか」に対する物語でもある。
主題や物語を描くための手段としてNTが登場するのではなく、「ガンダム世界におけるNTとは、どういうものなのか」を定義・解説することが目的となっている作品のため、独立した活劇として観ることが困難な作品。なので、「ガンダムというシリーズ作品としては」という見方しかできず、感想もその中でしか生まれない。
その上で感想を述べるとしたら、自分としては終始うんざりが続く90分となった。
その理由は
①旧作の主観的、比喩的な表現を「客観的事実」として1つ1つ解説することにセンスを感じない
②その「客観的事実」をフル活用して描かれるかつてない大スケールの戦闘(?)が、宇宙世紀作品として受け入れがたく、シリーズが積み上げてきた数々の風味を台無しにしていると感じる
③上の二つについて、非シリーズ原作者が公式の宇宙世紀正史作品でやるべきことでないと感じる
④主要人物たちに魅力がない
⑤人物の作画も、2018年の映画としては非常に弱い
という5点から成る。
それぞれについて、具体的に言及する。
【①旧作の主観的、比喩的な表現を「客観的事実」として1つ1つ解説することにセンスを感じない】
ガンダムUCの頃からそうだったが、福井氏の悪癖であると感じる。
例えば、1stガンダムでララァが「時が、見える……」と言って散れば、福井氏はララァの心象としてではなくて「ニュータイプは、過去や未来が見えたんだ」と、「(ララァ以外でも)NTならできること、できるという事実」として受け取ってしまうらしい。
このような解釈が
「1stホワイトベース隊の、NTが多すぎる事実」=NTは感染するから
「1st最終話の、アムロとカツレツキッカの念話」=NTは能力を分け与えられるから
「ジ・Oのビームを弾き、動きまで止めたZガンダム」=NTはサイコフィールド・サイコシェード(シャード)を使えるから
「カミーユやジュドーに加勢した、死亡済みの面々の幻影」=思念体として別次元で次の生を得ているから」
「小惑星アクシズの落下を止めたνガンダムとアムロ」=サイコフーレムの共振で、意思を物理的なエネルギーに変換することができるから……
と、過去作の数々の超常的な決めシーンすべてに対して当てはめられ、解説される。
よく言えば、かつて主流だった独自解釈&独自解説主流の同人誌のノリ(妄念に入れ込んでいる作者以外はまず面白くないという点を含めて)なのだが、公式の正史の作品として語られるときつい。その「解釈・解説・事実定義」が面白くなる方向ならともかく、宇宙世紀やNTを巡る物語としては決して面白い方向に機能していないからだ。
執拗な癖ともいえるこの「定義癖」は、例えばある野球部員が甲子園決勝のマウンドで「昔亡くなった、エースピッチャーだった弟の声が聞こえた気がした」なら、「全てのエースピッチャーは、死者と交信できる能力を持つ。全てのエースピッチャーは死後に思念体として別次元で生きている」と解釈するようなものである。「個」の主観的体験として演出された事物を「法則」として解明するかのように物語るのは、本当に面白さに繋がっているだろうか。
【②その「客観的事実」をフル活用して描かれるかつてない大スケールの戦闘(?)が、宇宙世紀作品として受け入れがたく、シリーズが積み上げてきた数々の風味を台無しにしていると感じる】
①で挙げた内容はガンダムUC、ガンダムNTの作中ではすべて「やろうと思えばできること」として認定されるので、作中人物たちは敵も味方もそれらを「手段」として駆使した超常の戦いを行う。
ビームは強い意志を持ったサイコフィールドで弾けばいい。サイコシェード(シャード)で敵の装備を組み立て前まで時間を戻して無効化すればいい。念話で連携をとればいい。亡くなった者たちの思念体としての力や、人類の集合無意識を拾い上げる力を駆使して、物理エネルギーに変えて圧倒すればいい……など。特に本作では、(サイコフーレムで増幅されているとはいえ)、敵側がかめはめ波だけでなく何の捻りもないサイコキネシスで物理的破壊を行う。コックピットでふん、はっ、と念力的なポーズを取ると、超巨大なヘリウムタンクが見えない力にねじ切られ爆発するのだ。これは福井氏の「現実世界を賑わせたサイコキネシスも、サイコなんだからNTで説明できる」という解釈だろう。ただ、それを実弾やビームを超えるより便利な武器として描かれると、宇宙世紀ものとしては観たくなかったという感想が勝る。
【③上の二つについて、非シリーズ原作者が公式の宇宙世紀正史作品でやるべきことでないと感じる】
ガンダムUCの頃からそうだが、福井氏のこだわりは「ガンダムという世界観を自分が包括する」ことである。シリーズ原作者である富野氏よりも自分の方がこの世界を理解している、それを表現するというベクトルがつきまとう。ガンダムユニコーンと銘打ってUC(ユニバーサルセンチュリー、宇宙世紀)の0年と原罪を描き、ガンダムナラティブと銘打ってNT(ニュータイプ)の解説と帰結を描く。「後発の、ファンの一人」にすぎないにもかかわらず、枝葉を描くのではなくて、幹を自分という塗料で塗り尽くそうと試みるのだ。しかもその手段が「思念体としてのシャアの亡霊がそうさせた(比喩ではない)」など、上述の通り70年代~80年代スーパーロボット感であり、私としてはセンスを感じない。結果、不遜を尽くしていると感じる。
そもそも2002年の氏の出世作である『終戦のローレライ』の時点で、1996年の『ガンダムX』の言葉置き換え物語すぎて、「この人はガンダムが好きな人なんだなぁ」と苦笑いだったが…元より、「誰かになりたい人」でしかなかったクリエイターが、「その誰かを超えたと見えるように包括的な話を書いて、全力でそういうことにしたがる」という悪戦苦闘は、本作よりも物語として面白い。
【④単純に、主要人物たちに魅力がない】
観れば誰でもわかるので割愛。
【⑤人物の作画も、2018年の映画としては非常に弱い】
自分は作画を重視しない人間だが、それにしてもアップが多いミシェルの顔などは、もう少し美人にしないと画面が持たない。「最低限クリアしないと、お粗末さに笑われてしまう」水準のまま出ていると感じるので、これは制作進行のミスだろう。
【総評】
自分はガンダムUCの時点で氏の傾向を嗅ぎ取って「なんだかな」と思っていた人間なのでこの程度の落胆で済んでいるが、UCの大ファンで「4年後のUCの新作」として待ち遠しく思っていたファンには、より顕在化した氏の個人的嗜好傾向や格段に落ちた人物作画で、非常に苦しい思いをした人も多いのではないだろうか。
「正史として、宇宙世紀やニュータイプの包括」に執着する原作者であり、その目的のために作られた作品だが、とはいえ本作で描かれた「進化人類」たちのサイエンス・ファンタジーは、U.C105年の正史「閃光のハサウェイ」や、それ以降とはまったく繋がっていない。そういう意味で雑で半端な作りであり、ガンダムシリーズファンとしても、UC後半や本作の設定・定義を肯定する方が全体世界観の調和を損なうので、観ないでいい作品だったと思う。
こうして次の100年は始まる…
これまで、ガンダムの2作目以降は「ジオンが何の悪い事をしたのか」というのは、台詞でしか説明されてこなかった。だが、近作は冒頭でコロニー落としの地獄絵図が描かれ、それによって宇宙世紀ガンダムの予備知識が無い人でも理解できる内容となっている。例えば、Zガンダムの劇場版1作目は「あのアムロとシャアが再開!」と描かれるが、宇宙世紀ガンダムを知らない人は「何のアムロで、何のシャア?」となり、一般観客に対しての映画としては、不親切だ。対し、近作の主要3キャラはオリジナルの為、以前の作品の知識は関係ない。
コロニー落としの描写も戦慄だ。あの地獄絵図は、過去に感性が鋭い年齢時に、大きな震災2回を経験した若い世代だからこそ出来た描写である。これに対し、安彦良和のジ・オリジンのコロニー落とし描写は、今だに太平洋戦争時代の戦場写真をアニメ絵に写し変えた物にしかなっていない。
人物描写も光る。昨今のアニメによくある、子供→純粋→善、大人→汚い→悪、といった、安易な構図で若者に迎合せず、大人の役割を、きっちり描いている。
物語中盤に「ニュータイプは生と死を超えた存在になる」と語られる。だか、ここで大人は「こうも思います。うげっ!こんな事を後10年も続けて生きなきゃいけないのかよ!?」「だな…永遠の命なんか人類が手にしたって、持て余すだけだ」と語る。
宇宙世紀の世界が、今の時代から300年後位、先の時代かどうかは不明だが、21世紀現在、人類は核の力・原子力エネルギーを完全にコントロール出来ていない。その為に、大変な悲劇の大惨事を起こしてしまった。現代で人間は核のエネルギーを完全にコントロール出来ていないのに、300年後に生死を超えた力など、自分の物に出来る訳がない。そんなメッセージを込められている。
過去のガンダム作品は、少年が主人公の場合、必ず最後に帰る場所というのを描いてきた。だが、近作の主人公は成人した大人。既に自分の意思で軍人を続け、飯を食ってる。ラストに主人公の帰る場所を明白にしなかったのは「もう大人なんだから、帰る場所は自分で見つけろ」という着地点を描いたのだろう。
ただ、終盤に観念的な描写が多い嫌いはあるが、それも★をマイナスにする要因にはならない。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
ニュータイプ
もはや人類補完計画
前から気になってた作品。スパロボ30に参戦とのことでUCと獅子の帰...
モビルスーツとニュータイプがいればガンダム?
全178件中、1~20件目を表示





