「神でなく、人には何ができるか。」幸福なラザロ xmasrose3105さんの映画レビュー(感想・評価)
神でなく、人には何ができるか。
見終わった後の感想は「つらい...」。
ボディの奥底に、どすんと来ます。人間という生き物の真実。リアルに人生生きるほどに、人の残酷さが見えてきますが、残酷さは無知ゆえだったり、生きるため致し方なくそうなることもある。色々な経験と共振するから、観ていて辛すぎる。
一方、観ても全くわからない、感じない人もいるかもしれない。その方は、この世界を悩まず生きられる。いいな。深刻にならず、死ぬまでずっとそんな感じで生きられるのなら、真実は知らない方がむしろhappyかも。
でもその人達も、実はこの世の一端を担っているという真実に変わりはない。気付く気付かないは、別にして。
ラザロはシンプルです。元来、神はシンプルなのかも。でもこの世は神でなく、人が思ったことがカタチになっていますから、ごちゃごちゃだ。そして残酷、だけれどリアルです。
人が、「悪も善も兄弟だ」と思えばそうだし、善を悪だと思えば、殴り殺すこともできる。キリストは磔になりました。
逆に悪を善と信じて、騙される。
宗教は選ばれし者だけの恩寵と思えば、汚れた者や劣った者を悪として差別して排他する仕切りに使える。入れてやんない、と。
でも一方で、神という幻想を、人が作ったということも真実。人の中に、善なるものを行いたい思いがある。
アントニオという女性が、それを持っています。
彼女が何かとラザロを助け、かばい、それがまるで微弱な電波を出す発信地のよう。彼女が属する弱者集団さえラザロを見下し厄介者扱いしますが、アントニオだけはラザロの「不思議ちゃん」的なところを排他しない。シンプルにその不思議さを認めている。なんか凄くない?神ですか?と。
かといって、確信もってみんなに正義の説教をするのではなく、みんなが受け入れやすそうな、うまい口実も織り交ぜながら、仲間に入れていく。
そうすると半信半疑ながら、ちょっとだけラザロの凄さを垣間見て、驚き、好感を持つメンバーが出てくる。
一瞬だけ善の火が灯ったかのような。いえ期待しすぎ。次の瞬間には、またすぐ消えてしまう灯。
ラザロ自身は、何も望みません。親切に与えます。でもラザロが逆に、人にわずかなことを頼んでも、人はそれを断ります。ラザロは誠実。聞かれたら本当のことをいう。人はそれを利用します。ラザロは断られても、利用されても、恨みません。ラザロはただシンプルに、人が望んだように、叶えてあげようとするだけです。
まるで人が神に願い事をするかの様に。
その結果、どうなったか。
いやはや...一言では語れない映画。
「幸福なラザロ」は、多分私たちの傍、そこかしこにいるんでしょう。
自分の傍にラザロが現れたとき、私は気付けるだろうか。自分も生きていくのに必死なのに、ラザロを庇い、パンを分け与えられるだろうか。感謝や見返りを期待せずに。
いつだって属する群れは、同調圧力というブレーキをかけます。やめとけと言われる。皆の機嫌を損ねたら、自分も攻撃されかねない。一斉砲火を浴びかねない。
でもアントニオ。あなたがヒントをくれた気がする。
幸福なラザロを生かすも殺すも、ただ人に委ねられているだけ。厳しい現実です。