存在のない子供たちのレビュー・感想・評価
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子役がみんな愛らしい
ゼインに声をかけて一緒にご飯を食べたいと思いながらも、見守るしかなかった。
とっても心根の優しい子供が、ほぼ毎日への字口で暮らしている。それだけで見てるほうは悲しい。
たまに見られる笑顔は、なにより貴重だった。
ゼインはこの先幸福に暮らして欲しい。
きっと愛情豊かな父親になれるでしょう。
貧困の中で生きる現実に戦慄!
最低辺の貧困の中で生きるってこういうことかと、絶望的な思いが体を突き抜けた。
虐待が普通の日常の中で、親からの一番の優しい言葉が「ここから出て行け」だったとは。「育てられないなら子供を作るな」と叫びたいほどの絶望感を私は知らない。ただ、その中でも生き抜く力強さは感動もの。
子供の不遇は世界の不幸そのもの
貧困層に生まれた子供たちもまた貧困スパイラル。非力な子供たちに容赦なく降りかかる不幸に社会問題を垣間見る。子供、特に女の子の人権が恐ろしく低い中東では11歳の娘でも容赦なく売られてしまうことに絶望。
現実に実際起こっている事で、日本で生まれたことがどれほど恵まれているのだと思い知らされる。
救いは主役の少年が決して折れない諦めないこと。
ラストで写真を撮る笑顔に心から幸せを願わずにいられない。
なぜ、国はできたの?
ひとりよりもふたり、
2人よりも5人、
5人よりも10人、100人・・・
助け合いながら生きる方が、
よりよい生き方ができる。
そんな理由で群れができたのでは?
幸せとはいわないけど、
不幸を遠ざける事はできる。
そんな理由で村や国ができたのかもしれない。
強い者が弱い者を助けるだけではない。
弱い者が(ゼインは強い)強い者を助ける時もいっぱいある。
ルールはひとつ。
全員で生きる、全員でより良い暮らしをする。
助け合いをしないならコミュニティなんて要らない。
自己責任に終始するなら国なんて要らない。
つまづいた者がいれば立ち止まって待つ。
弱っている者がいればみんなで協力する。
待つ、協力する為に法律はあるはず、
不公平にならないように。
そんな勉強よりも何百万年も前からあったであろう習慣、
スポーツや芸術よりも何千年も前からあったであろう古い文化、
そんな大事な事を周りの大人より、
感じ取ってるゼインは、
立ち止まります、
走ります、
協力します。
ゼインにとっては、妹も他人のあかちゃんも関係ありません。
そんなゼインをルールや法律が通せんぼします。
だったらその法律を僕も使う・・・・。
赤ちゃんヨナスの実際の(映画ではなくプライベート)両親は国外追放されてヨナスと遠く離れて暮らしているらしい。
国って何?法律って何?
ルールは誰の為?
絶望しているのは周りの大人や観客で、
その周りの大人や観客の絶望を燃料にして、
ゼインの笑顔と希望が世界中のゼインに拡散しますように!
神様でさえ答えられない少年の叫び
個人評価:4.3
まずは少年と赤ん坊に主演男優賞と助演をあげたい。
実際に同じような境遇の子供をオーディションして選んだとの事なので、フィクションでありながら、本物を描いており、演技や台詞にも嘘がなく、芯に迫るものがある。
12歳の少年が感じる世界観。わずか1歳たらずの赤ちゃんの足を路上にロープで繋ぎ、少年が置き去りにするシーン。その赤ちゃんを見る少年の眼差し。この酷い世界に何故お前は生を受けたのか、何故自分は生まれしまったのか。
生まれなければ良かったという少年の世界観に、心をナイフでえぐられる思いになる。
「神さまは僕らをボロ雑巾のように生かすのが願いだ」という法廷での裁判官と神様へ対しての訴え。その答えを大人達も神様も返す事は出来ない。
本作は見る人を選ぶ作品かもしれない。しかしながら、映画作品として記録に残し、世界に伝えるべき内容である。
貧困問題や移民問題をリアルに描くも…
厳しいばかりの作品かと思い、観るのを躊躇していたが、今週限りで上映終了と知りトライした。
主人公の少年は両親を告訴する。自分を産んだことが罪だと、世話できななら産むべきではないと…
確かに中東の貧困問題、そして移民問題を厳しく描くも、厳しいだけの作品ではなかった。かすかな希望を感じさせるエンディングに救われた。この希望は作り手の祈りでもあるのだろう。
子供を作り続ける貧困層やアフリカやアジアからの移民たちへの警鐘でもあるのだが、残念ながら彼らが映画を観ることはない。
「判決、ふたつの希望」の感動も記憶に新しいが、それに続くレバノン映画の秀作だ。
彼はどんな大人になるんだろう
貧しく自分たちが生きることに精一杯の両親と多くの子供達の生活。両親や社会への憎しみと無力な自分への怒り。子供は文字通り親が生きるための糧であり、大人たちに簡単に売り買いされる存在でしかない。
初潮を迎えたばかりの妹を、底辺の生活を守るために知り合いに嫁がせる両親。両親や社会への憎しみと無力な自分への怒りに家を飛び出す主人公は、赤ちゃんを抱えた女性に助けれ一緒に暮らし始める。
しかし、女性が不法就労のために逮捕される。そのことを知らない主人公は、女性の帰りを待ちながら赤ちゃんとの生活を必死に守ろうとするも当然成り立たず、甘い言葉を囁く男に赤ちゃんを売り渡す。その構図は幼い娘を好色家の知り合いに嫁がせた自分の両親と重なって見える。
自分を産んだことを罪とし両親を訴える主人公が「育てられないなら子供を産むな」と叫ぶ姿には、ただただ圧倒される。その叫びは、憎むべき親と同じことを自分にさせた社会に向けられると同時に、将来の自分に向けた戒めにも思える。
『ひょっとしたら自分の両親も彼と同じような怒りを抱えた少年だったのではないか?』『自力では抜け出せない状況下で擦り減らされた未来の自分の姿なのではないか?』そんな考えを、未来を必死に振り払おうとしている姿にも見える。
映画の舞台は中東だが世界中で存在し続ける問題だと思う。あまりにリアルで演技とは思えないような登場人物たちの姿に、色々なことを考えさせられる。
何を奪われようとも「心」だけは。
評価なんておこがましい。感想を書くことすら躊躇する。「とにかく見たほうがいい」と思わせてくれる映画に出逢えることは、数少ない。
この物語は、物語ではあるけど、異世界の話でも、遠く離れた銀河の話でも、どこかの誰かが考えた話でもない。現実だ。今、ぼくたちが生きている世界のどこかで起きている現実だ。
「登場人物がみんな誰かのためにがんばっている」とかそんな甘いものではない。現実は、無慈悲。誰が救われた?登場人物の中の誰が救われただろうか。誰も救われてはいない。物語が終わった後のことを想像してみる。つらい現実が待ち続けていることは容易に想像できる。しかも、それがつらいことだと自覚することもできない。だって、日本でのうのうと暮らすぼくのような生活すら知らないのだから。
大人は子どもをどう思っているのだろう。少なくともこの物語の大人たちは、自分のことしか考えていない。他人を思いやるなんて隙間すらない生活を送っている。でも、子どもは違ったと信じたい。ゼインは違ったと信じたい。ゼインも自分のためだけに生きていたかもしれない。大人になくて、ゼインにあったもの。それは「心」
人の心さえ蝕む人種の壁、戦争、宗教問題、貧困。いわゆる、幸せな国に、幸せな時代に、幸せな環境に生まれたぼくは、一体何を思っていいのだろうか。
考えなければならないこと
文字通り「存在のない子供」の視点が追う世界。
諦めきった主人公ゼインの目。妹を救えず、親には罵倒され、家出した先で得たささやかなな平穏も、抗えない「現実」に壊される。
搾取する者とされる者。生まれた時点で決まってしまっている人生。ゼインの諦めは「生まれてしまったこと」に達している。それでも必死で、妹や「弟のような存在」ヨナスを護ろうとする少年の美しさ。そしてその痛々しさ。誰も救ってはくれない現実がそこにある。
結局ゼインは「罪を犯す」ことによって自分の訴えを世間に知らしめ、両親を「自分を産んだ罪」で訴える行動に出る。罪を犯さなければ...彼の訴えは届かなかったのだろうか。考えると胸が詰まる。
レバノンに見られるこのような格差は、決して他人事ではない。この映画を映画館で観ている我々が当事者意識を持って考えなければいけないのだと思う。
そしてもうひとりの主人公ともいえるラヒル。エチオピアからレバノンに出稼ぎにやって来た彼女の苦闘も、また考えなければならない問題だ。そしてそこにつけ込み続ける人間がいる。負の連鎖をどこで切るのか、切れるのか...。
ほんの少しの救いを持って映画は終わるけれども、彼らにはこの先も苦難があるのだろう。どう防ぎ、どう護るか。それは国を作っていくということそのものであり、自分の話ではないからといって無視できない問題だ。
人生観が変わった素晴らしい映画!!
重ーい内容でしたが、人生観が変わる素晴らしい映画でした。
出生届けが出されるのがあたりまえ、身分証明書があるのがあたりまえの生活をしている私たち。
日本にも出生届けが出されない人を取り上げたドラマを観たことがありますが、この映画の舞台の中東のスラム街には、沢山の出生届けが出されない子供たちがいる。
そして、想像もできない極貧困の生活。
悲しすぎる人生。
ある程度の生活が保証され、ある程度の未来が保証されている私たちがどれだけ幸せなのか‥。
そんな私たちの悩みは、どれだけちっぽけなものなのか‥。
いろいろ考えさせられた、心に残る映画になった。
思ったほどでは…
レビューがだいぶ良かったので期待して見ましたが、うーんそれほどでも…が正直な感想。
全体的に淡々と進んで、そのまま終わりでした。まぁ日常をリアルに描けばそうなるよなぁ、と。
ドキュメンタリー番組の物語版といったところ?
ゼインの愛情と眼に心打たれる
わたしがこれまで当たり前に享受してきたモノが、当たり前じゃない人々がいるんだなと認識させられる。ゼインの親に何を求めるかという答えに涙がとまらない。最後の笑顔に救いがあることを願いたい。
いやぁ。素晴らしかった。観た後、暫く固まりました。なんていうか、感...
いやぁ。素晴らしかった。観た後、暫く固まりました。なんていうか、感想がうまく出てこない。でもなんかスゲーものを観てしまったという感じ?
シリア情勢のニュースはよく耳にする。大量の難民が発生し、政治はめちゃくちゃ。何だかヤバそうなイスラム教の人達がたくさんいて、ロケット弾がガンガン飛んできて、空爆がドンドンあって、死体がそこら中に転がっていて。。。
でも本当にそうなのかな?ニュースで聞くだけであり、実際にそれを自分の目で見たことはないでしょう?
本作では、シリアからレバノンへ入った難民の生活を疑似体験できる。その生活感の描き方がとても上手い。万引き家族、フロリダプロジェクト、のレバノン版という感じ。
この映画の偉大な点は、難民の生活に親近感を感じれるところだ。主人公視点の普通の生活を撮ってるだけ。それが驚くほど普通なんだよね。イスラム教も紛争も描かれない。とにかく普通。しかし、その普通の裏側では、何かとんでもないことが起こっている。そして、「彼らも結構普通に生活してんだなー」と感じさせたところで、物語が急展開。後半はわりとエンターテイメントよりです。
我々は、悪者を見つけて、悪者に罪を背負わせることが非常に得意だ(特に日本では)。しかし、悪者なんてどこにもいない。この映画を観ればそれがよく分かる。だからこの映画は偉大です。
とはいえ、そんな簡単な話じゃない。
この映画を観れば、我々はその感傷に浸ることはできるだろう。戦争が良くない!とか、難民を救え!とか言い出す人もいるだろう。
しかし、この映画には、そんな傲慢な我々自身に対する批判も込められている。
彼らをどう救えというのか?彼らを目の前にして「生きてりゃ良いことがある!」なんて言えますか?僕は言えない。ただただ打ちのめされるだけ。無力感しか感じない。いくら平和を唱えたところで救われない人もいる。グローバル化と情報技術の発達によって明らかになったのはその点だ。
我々が傲慢でいられるのは、まだ比較的に豊かだからに過ぎない。この豊かさを失った時、我々はどれだけ平静を保てるのだろうか?そのことをよく自問自答してみると良い。
その人間が偉大であるかどうかは、自分自身が窮地に陥っている状態でも、他人を救おうと行動できる人だ。豊かさ故の幻想の中で、それができたとしても、それはただの傲慢に過ぎない。
多くの人が、他人を救おうと思えるかどうかが、民主主義を成り立たせる上での必須条件だ。しかしその豊かさは、いま消えつつある・・・。
いやぁ・・・とにかくね・・・人間が多すぎるんだよ。
この話をすると「じゃあお前が死ねよw」と言われるのが関の山であるが・・・。
ホモ・サピエンスは仲間意識を保てることにより、集団を形成し、組織的な行動ができる。人間の原動力はそれだ。民主主義の原動力もこの仲間意識だと言われている。
しかし、仲間意識を保てる集団の最大値は決まっており、100-200ぐらいと言われている。この最大値は、我々のDNAに起因するものだ。
例えば、日本であれば1億人。本来であれば、1億人の集団の中の、名前も知らない構成員に対して、我々は仲間意識など持ちようがない。
かなり話が逸れましたが・・・何が言いたいかというと・・・
「存在のない子供」などあってはならない。しかし、我々は「存在のない子供」を仲間だと思えるのか?もし、思えないのであれば、それは存在していないことと同じではないか・・・。
頭ごなしに「存在のない子供」などもってのほかだ!、と考えるのではなく、「存在のない子供」が発生しうるという前提で物事を考えた方が、より建設的な議論になるはずだ。
イエス・キリストに滅びを預言された街
原題はギリシャ語の Capernaum。イエス・キリストの宣教活動で、最も重要な街であったにも関わらず、人々が悔い改める事は無かった街の名前。ゆえにキリストから「ハデスに落とされる」との預言を受けた街の名前が、この映画の原題です。「ハデス」とは「死者が行く場所」。
悔い改めよ。まずは、その負け犬根性を捨てよ。
だと思うんですよね、主題は。「子供の養育問題と貧困問題」はキャッチーなので、今の日本では。だからこの邦題なんでしょうけど。名作の意図を、完全に踏み外していると思う。
昨年のダントツの傑作(俺的には)「判決-二つの希望」の原題は「侮辱」でした。そもそも、建国の在り方に始まり、レバノンの抱える問題の全ては諸外国からもたらされており、「その侮辱的な状況に甘んじて国内でいがみ合っている」のが今のレバノン。皆が手を取り合う必要は無いが、各々が、それを乗り越えて行かねばならない。
これが「判決」の主題だったけど、日本では全くと言っていいほど伝わっていない。それを考えると「存在の無い子供達」はマシな方だと思いつつ。でもね、存在が無いのは子供達だけじゃなくて、その親達からしてなんだけど。
まずは「悔い改めて滅びの運命を自らの手で変えよ」。で「乗り越えよ」。この映画と「判決」は繋がってるよなぁ、って思いました。レバノンからの傑作、まだまだ出て来ると思います。
希望のあるラストカットだけで涙腺決壊したけど、判決ほどじゃ無かったのは、救いの範囲が狭すぎるからかなぁ。今も、宗教的に幼女婚を許容している国が幾つあるのかと考えると、本当に胸が痛い。
僕を産んだ罪
わたしは映画通でもなんでもないですが、興味がそそられ見ようと思い、鑑賞しました。(以下ど素人のコメントですが)
タイトルのことば、衝撃的でしたね。12歳の子供にこんなことを言わせるなんて。でも、両親も同じ立場であって、誰が悪いかって言われたら、もう負の連鎖でしかなくて。国と時代と、日本ではありえないことが当たり前のようにあるんですね。
見ていて、辛くて、でもそんな辛さにも負けずに、勇敢でいる主人公、その強さに心打たれました。
人ってここまで窮地に立たされても、毎日地獄で、毎日闇の奥底にいるような感じでも、こんなに強いのかって。たぶん、この主人公は希少種だと思いますが。(自分が日本人で甘ったれてるからそう思うだけかもしれませんが。)
少し逸れてしまいますが、最近読んだ樹木希林さんの本のお言葉をお借りします。
「幸せというのは常にあるものではなくて、自分で見つけるもの。なんでもない日常や、取るに足らないように思える人生でも、面白がってみると、そこに幸せが見つけられるような気がするんです。」
日本人のわたしからしたら、毎日帰るお家があり、当たり前にお風呂を入って歯を磨いて
毎日違う服を着れて、食べる物があります。もはや選ぶ余裕さえあります。
そんななか自分が誰であって、自分が誰であるかと証明されて、、なんて考えることないくらいなに不自由なく生きていけてる。そんな当たり前のことすら、ありがたいことなんだなとつくづく感じました。
人間は貪欲だから自己犠牲にしてまでも、見知らぬ困っている相手を助けられるかわからないですが。自分がある程度幸福を感じたら、それ以上のものはこのような人たちに分けてあげられる、そんな人になりたいなと思いました。
笑顔の行方
ゼイン坊やの親だけが、悪い人?。たった1つの証明書がない故に、人生翻弄される映画、たくさんありますね。「キリング フィールド」とか。あると便利な身分証。ないと地獄を見る社会。誰か直す方法を教えて。
まぁ、産まれた瞬間に、IC チップ埋め込まれる未来映画にも、うんざりですけど。
いろいろあって、およそ5ヶ月ぶりの映画館。積もり積もった憂さ晴らしのはずが、余計に鬱。そんな作品ですが、多くの皆様におすすめします。この不自由な世界の片隅で、可哀想では済まされない現実に、立ち向かう意味、それと、ゼイン坊やの親は、どんな罰を受けたのか、御一考下さい。
子が親を訴えると云えば「私の中のあなた」ですが、違う意味で泣けます。ほぼ、真逆の意味でね。子供に訴えられるって、どんな気分なんだろう。
あの子が手にするであろう証明書。そこに映る写真。その写真の先にある未来に、思い馳せると、ラストショットが正視できなかった。存在の耐えられない私がいました。
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