「いやぁ。素晴らしかった。観た後、暫く固まりました。なんていうか、感...」存在のない子供たち tさんの映画レビュー(感想・評価)
いやぁ。素晴らしかった。観た後、暫く固まりました。なんていうか、感...
いやぁ。素晴らしかった。観た後、暫く固まりました。なんていうか、感想がうまく出てこない。でもなんかスゲーものを観てしまったという感じ?
シリア情勢のニュースはよく耳にする。大量の難民が発生し、政治はめちゃくちゃ。何だかヤバそうなイスラム教の人達がたくさんいて、ロケット弾がガンガン飛んできて、空爆がドンドンあって、死体がそこら中に転がっていて。。。
でも本当にそうなのかな?ニュースで聞くだけであり、実際にそれを自分の目で見たことはないでしょう?
本作では、シリアからレバノンへ入った難民の生活を疑似体験できる。その生活感の描き方がとても上手い。万引き家族、フロリダプロジェクト、のレバノン版という感じ。
この映画の偉大な点は、難民の生活に親近感を感じれるところだ。主人公視点の普通の生活を撮ってるだけ。それが驚くほど普通なんだよね。イスラム教も紛争も描かれない。とにかく普通。しかし、その普通の裏側では、何かとんでもないことが起こっている。そして、「彼らも結構普通に生活してんだなー」と感じさせたところで、物語が急展開。後半はわりとエンターテイメントよりです。
我々は、悪者を見つけて、悪者に罪を背負わせることが非常に得意だ(特に日本では)。しかし、悪者なんてどこにもいない。この映画を観ればそれがよく分かる。だからこの映画は偉大です。
とはいえ、そんな簡単な話じゃない。
この映画を観れば、我々はその感傷に浸ることはできるだろう。戦争が良くない!とか、難民を救え!とか言い出す人もいるだろう。
しかし、この映画には、そんな傲慢な我々自身に対する批判も込められている。
彼らをどう救えというのか?彼らを目の前にして「生きてりゃ良いことがある!」なんて言えますか?僕は言えない。ただただ打ちのめされるだけ。無力感しか感じない。いくら平和を唱えたところで救われない人もいる。グローバル化と情報技術の発達によって明らかになったのはその点だ。
我々が傲慢でいられるのは、まだ比較的に豊かだからに過ぎない。この豊かさを失った時、我々はどれだけ平静を保てるのだろうか?そのことをよく自問自答してみると良い。
その人間が偉大であるかどうかは、自分自身が窮地に陥っている状態でも、他人を救おうと行動できる人だ。豊かさ故の幻想の中で、それができたとしても、それはただの傲慢に過ぎない。
多くの人が、他人を救おうと思えるかどうかが、民主主義を成り立たせる上での必須条件だ。しかしその豊かさは、いま消えつつある・・・。
いやぁ・・・とにかくね・・・人間が多すぎるんだよ。
この話をすると「じゃあお前が死ねよw」と言われるのが関の山であるが・・・。
ホモ・サピエンスは仲間意識を保てることにより、集団を形成し、組織的な行動ができる。人間の原動力はそれだ。民主主義の原動力もこの仲間意識だと言われている。
しかし、仲間意識を保てる集団の最大値は決まっており、100-200ぐらいと言われている。この最大値は、我々のDNAに起因するものだ。
例えば、日本であれば1億人。本来であれば、1億人の集団の中の、名前も知らない構成員に対して、我々は仲間意識など持ちようがない。
かなり話が逸れましたが・・・何が言いたいかというと・・・
「存在のない子供」などあってはならない。しかし、我々は「存在のない子供」を仲間だと思えるのか?もし、思えないのであれば、それは存在していないことと同じではないか・・・。
頭ごなしに「存在のない子供」などもってのほかだ!、と考えるのではなく、「存在のない子供」が発生しうるという前提で物事を考えた方が、より建設的な議論になるはずだ。