「「存在」に圧倒される」存在のない子供たち stさんの映画レビュー(感想・評価)
「存在」に圧倒される
シリア内戦がマスメディアでも盛んに報道されていた頃、私はUNHCRに少しばかりの寄付をしたことがある。
それによって、私は「何か」が為されるべきだと、確かに考えていたはずである。しかしその「何か」とは一体何を指し示していたのであろうかーーエンドロールを見ながらそう自問していた。
翻って、本作では、ゼインの弁護士役(監督)以外は、ほとんどのキャストが素人でかつ、役と類似した境遇を持つ人々であるという。
ゼイン(実際の名もゼインというらしい)も、シリアから家族と共にレバノンの難民キャンプに逃れてきていた所を、キャスティングディレクターにスカウトされたのだそうだ。
ゼインに限らず、彼ら/彼女らのその「存在」に圧倒されるのは、そのためだろう。演じるのではなく、ただ、スクリーンの中で自分自身を生きていたーーそれを私は目の当たりにして、言葉を失う。
ーーゼインは本作の出演を契機として、家族と共にノルウェーへの第三国定住を認められそうだ。
それを知ったとき、ゼインのあの、悲しみを湛えながらも未来への希望を宿しているかのような瞳と、その笑顔とに、私は救われたのだと思う。私の「行為」には意味がーーわずかなものでしかないかもしれないがーーあったのではないかと。
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