ドッグマンのレビュー・感想・評価
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この小さな町、小さな人間関係に「世界」が透けて見えてくる
犯罪社会の実相をドキュメンタリー・タッチで描いた『ゴモラ』で注目を集めたガローニ監督だが、最近はその不条理感をファンタジーの領域にまで高めた作品が続いていた。で、今回の新作はというと、久々に小さな町の社会、リアルな人間関係を追求しつつも、観た人の誰もが「寓話的!」と評さずにいられない、一人の風変わりな男の心根に深く寄り添った怪作となった。 誰にでも厄介な友人は一人くらい存在するが、本作の「友人」は怪物クラスに厄介な男だ。関わった全ての人を不幸にするし、心を尽くして付き合っても必ず裏切られる。そんな時、我々はどこまで微笑みを絶やさぬキリストになれるのか。ヒョロッとしてギョロッとした主人公の職業が犬のトリマーという着眼点が面白く、ラストもまさに寓話的なオチが待っている。 この小さな町に、時々、世界が透けて見える。とりわけトランプ誕生後の世界政治は、まさにこれと瓜二つなのではないだろうか。
似たような話は現代社会にもありそう
シモーネ≒チンピラ 小心者で心優しい人間のマルチェロは、シモーネに媚びることで身の危険を回避してきた。シモーネもチンピラ特有の飴と鞭を使い分ける。 マルチェロは、シモーネを懲らしめようと檻に閉じ込めたけど、暴力的なシモーネは檻を破ろうと暴れてまくり、恐怖を感じたマルチェロは殴打する。 顔面血だらけになって、ぐったりしているシモーネに薬を塗ってあげる。「どっちなんだい!」とマルチェロにはイライラする。 気の小さい、想像力が欠如している男の結末は 殺人犯と最悪な結果に。 構成にメリハリがなかった? アメリカ映画に慣れちゃった? 途中で眠たくなってしまったので、星は2つ。 寝ちゃったので二度観ました。
犬のような男
イタリアの寂れた町に住む悪魔のように腕っぷしの強いシモーネとシモーネが怖くご機嫌を伺っている犬のトリミングサロンを経営しているマルチェロ。 物語は映像も薄暗く進んでいきます。 近所の人たちとは仲良く、裕福ではないがたまに娘とダイビングしたり幸せそうマルチェロですが、めちゃくちゃケンカも強く町中から恐れられてるシモーネにいいように使われています。 シモーネには逆らえず、たまにエサを与えてもらっては嬉しそうなマルチェロ。 シモーネに逆らえず彼をみる目はところどころでアップで映される犬たちの怯えた目そのものです。 ラストがどうなるのか読めず、食いついて観てました。 ラストは秀逸です。 ただこの映画の最も素晴らしいのはマルチェロを演じる役名も同じ名前のマルチェロさん。 縁起が素晴らしいです。 犬を愛しているところ、シモーネに怯えているところ、鬼気迫る目をしている時、そしてラストの目。 目で全て物語れるようなそんな役者さんでした。 違う出演作品もみてみたいなと思いました。
悪い縁を断つ事も必要!
マルチェロはシモーネを友達と思っていたのか、怖くて逆らえなかったのかどっちだろう。シモーネの身勝手さは観ているだけで腹立たしい。シモーネがマルチェロの店の壁を壊して盗みに入ると言った時、あの時に断ち切るべきだった。何故そうしない?しかも自分が刑務所に入ってまで庇うとは!本当の事を話して後々シモーネに仕返しされるのが怖かったのか?どちらにしても、マルチェロの決断は間違っていた。あれでは他の仲間に避けられても仕方ない。 マルチェロの娘がパパのことを好きな事がこの映画の唯一の救い。最後の、事を成し遂げたにもかかわらず、仲間に無視されるマルチェロの長めのアップがとても虚しい。
アメリカと日本の関係
親しい相手に悪事を強要させる最終手段「友だちだろ」。相手が他に親しい友だちがいないことを知っての上での言葉だ。もちろん小心者で断り切れない性格をも熟知している奴だ。借金したり連帯保証人にさせるのもこの手口が多い。 そんな気弱なマルチェロは犬が大好きで、娘を溺愛。犬の心ならすべて理解できるのに、人間関係も犬社会と同じように考えてる節がある。乱暴者シモーネに対しては自分が従順な犬であるかのように、商店街の友人たちもサッカーと食事だけ楽しんでいれば上手くやっていけると思ってる様子だ。 多分、心の奥底ではシモーネのことを金も払ってくれない酷い奴だと思いつつも、酒を飲ませてくれたり、女の子とダンスを踊らせてくれたりと、ちょっとだけ頼ってくれてるんだという安ど感という餌をも与えてくれるのだ。完全なる従属関係。アメリカと日本みたいなものか・・・ そんなある日、関係を考える決定的な事件が起こる。ドッグマンの隣の店に窃盗に入るためにマルチェロの店の壁に穴をあけるというもの。シモーヌがドッグマンの店のドアから鍵を使って逃走したため、脅迫されてやったものだと警察もご近所さんもわかっているのに、マルチェロは証言しない。そのため彼が1年間服役することに・・・ 出所してみると、商店主からも嫌われ、マルチェロは再び孤独に。友人関係の修復不可能とわかり、シモーヌとの主従関係を打破するために思い切った行動に出るのだった。 爽快感があふれるはずだったのに、マルチェロは自分の愚行に気づく。結局は動物的行動に過ぎない。犬と同じだ。人間として人間と付き合うことの難しさをも痛感する。人間の幸せって何なのだ? 結構暗い雰囲気で終わってしまいますが、わざわざ後から空き巣宅に忍び込んでチワワを救い出すシーンには涙・・・自分もやっぱり犬好き。『グレタ』の保健所のシーンでも泣けたし。
哀しいほど哀れ。彼が何がしたかったのかわからない。娘のために金がほ...
哀しいほど哀れ。彼が何がしたかったのかわからない。娘のために金がほしかった。少なくとも、街の仲間の中に埋没できない余剰を彼は抱えていた。でもこうなることは見えていて、愚かさの積み重ねをただ見ていく。およそ主人公にはなれないタイプのパーソナリティの描き方が秀逸。風景が美しい。
へなちょこドッグマン
イタリアの海辺の町で犬のトリミングを生業にしている主人公、善良で気の弱いところがあったが、町の嫌われ者で暴力的な男シモーネに従属する関係ができてしまう。 シモーネにはめられて警察に捕まり、1年の刑務所暮らしの後・・・。 へなちょこ男の復讐は、なんというか。
【”ブルドッグ”を甘やかしすぎてしまい、”飼い慣らす事”が出来なかった、愛すべき犬好きの男の哀話。】
ー マルチェロは、何であんなに”乱暴者で町の嫌われ者”のシモーネの言いなりだったのだろうか?ー ・盗みを手伝わされたり、クスリを無理やり調達させられたり・・。けれども徐々に、”マルチェロはシモーネの事が好きなんだ。愛する犬と同様に・・。” と思うようになった。 何故なら、マルチェロはシモーネの無茶な要求に”困った顔で”答えながら、時折とても嬉しそうに笑うから・・。 ・フランチェスコの遊戯店のゲーム機を、シモーネが壊した時もマルチェロは、おろおろしながら・・”うちの犬が、すいません・・”と謝っている、人の良いおじさんに見えたし・・。(私だけか?) ・”飼い主の責任”として、シモーネの罪を被って、一年も刑務所に入るし・・。(愛娘アリーダとの約束を果たすための報酬期待もあるけれど・・) ー 日本の法律でも飼い犬が人を噛んだ場合は、飼い主に瑕疵が認められた場合、過失傷害罪に問われたケースがあったよなあ・・。ー ・そして、”飼い犬”が言う事を聞かなかった場合は、”飼い主の責任”として、キチンと”叱らなければならない・・” ・愛娘アリーダと海外の海に行くために、盗みの手助けをした報酬”1万ユーロ”をシモーネが払わない、と分かり、マルチェロはまずは軽く”お仕置き”として、バイクを傷つける。 ・が、”飼い犬に手を噛まれ”、身近な海にアリーダと行った時のマルチェロの遣る瀬無い表情・・。 ・そして、マルチェロは決意するのだ。 ”もっと、厳しいお仕置きを!” ”飼い犬の粗相”のために、失くしてしまった大切なサッカー友達を取り戻すのだ・・。 ・マルチェロが”飼い犬に厳しいお仕置きをした後”に観る幻のサッカー仲間達の姿。 そして、その仲間たちはもういない・・という現実に気付いた時のマルチェロの表情が何とも言えない。 <狂暴な犬を飼う時には、”首輪”をつけて、きちんとした躾が大切。でないと、”ツケ”は自分に帰って来る・・。 ー あくまで、”犬が苦手”な人間が感じた感想である。ー 今作は実に”多様な見方”が出来る作品でもある。> ■マルチェロを演じた、”マルチェロ・フォンテ” この俳優さん、表情と醸し出す雰囲気が良い。 なかなか、あそこまで親しみを持てる”小物感”を出せる俳優はいないだろう・・。
自分でまいた不条理な種は、自分で刈り取る
デカくて粗暴な友人(と一応は思っている)にいいように扱われる気弱な主人公を、どうしようもない不条理が襲う。 主人公を演じるマルチェロ・フォンテが、例えるならMr.オクレにアンガールズ田中のエキスを注入したような、実生活でもいじめられまくってきたのではと思えるほど、実にイイ顔している。 ついでに言うと、開始冒頭で出てくる犬も実にイイ顔している。 主人公に降りかかる不幸は、欲に目がくらんだが故の結果でもあるので、そういう意味では自業自得な面もある。 だからこそ彼は、落とし前として自分でまいた種を自分で刈ろうとする。 道は踏み外してしまったかもしれないが、そこで初めて独り立ちするのだ。 それにしても本作といい、先日観たフィンランドの『アンノウン・ソルジャー』といい、ヨーロッパはどうしてもこうも観終わってダウナーな気分にさせてくれる映画づくりが上手いのか…
主人公の流されっぷり、考えのなさにたびたびツッコみたくなるかつイラ...
主人公の流されっぷり、考えのなさにたびたびツッコみたくなるかつイライラ。でもこれが実際の事件をモチーフにしてると知り、現実はこんなふうなことの方が多く不条理にまみれているものかもな。。 ただ個人的には後味スッキリ映画が好みの私、ドン引きしてしまいました。。
犬は誰か
自分の承認欲求を満たしてくれる相手は、たまに会う娘ではダメだったのかな? あんな男を相手にしなくてはならない心のひもじさが辛い。卑屈な笑いが演技とはいえ凄い。最高。 最後に死体をみんなに見せつけようとする誰もいないシーンは凄い。
小さいコミュニティでもそこが世界の全てなんてことザラだよね
犬好きな男の話。 昔からの腐れ縁なのだろう、ジャイアンのような暴君に振り回されて一見かわいそうに見える男だが、共感はできない。 主人の言う事を聞けば見返りとしてエサをもらえるのを男は知ってる。そう、男はエサが欲しいのだ。それがどうしても浅ましく汚い。 男が孤立していく様もなかなか醜く描かれている。 リアリティは薄いようにも見えた。 餌付けされたペットは主人を失ったらその先どう生きていくのか。
飼われる犬と飼われる人
2018年のカンヌ国際映画祭で男優賞&パルム・ドッグ賞受賞。こんなに犬出てきてパルム・ドッグ逃したら泣いちゃうね!...それはさておき。 繰り返し映し出される同じ街の光景。狭い街。近所の友人。トリマーとしての仕事も順調。離婚してるみたいだけど娘も懐いてる。いかにも平和そうな主人公マルチェロ。 しかしマルチェロの友人(...というかのび太にとっての邪悪なジャイアン?)であるシモーネは、マルチェロを散々に良い様に使う。あれでなぜマルチェロがシモーネを見切らないのか不思議だが、「腐れ縁・暴力による脅迫・口先」の三点セットで丸め込まれている感。それにしても「誰かに殺されないかな」と周囲に思われる男シモーネは激ヤバである...。 よく言えば素直、悪し様に言ってしまえばとにかく間抜けで弱く従順な男、マルチェロ。男優賞を受賞したマルチェロ・フォンテの気弱な、媚びる表情と困った顔がさもありなん...という感じで迫ってくる。とにかく表情演技が凄いのだ。 シモーネの代わりに刑務所で服役した挙句、街の皆から村八分にされ、お金も貰えない哀れマルチェロ。なぜその道をゆくのだ...というくらいの転落っぷり。 最後に立てた計画さえも間が抜けていて。シモーネを怖がっていながら、ひとときの征服感が欲しいのか、信頼があると思っているのか...のび太とジャイアンというだけでは複雑すぎる感情だ。完全に片思いというか、恋愛だったら都合の良い女扱いの筈なのに、どこまでも素直というか、都合の良い解釈に流されてしまうのだ。 結局、街の誰もが恐れてできなかったことを成し遂げてしまうのがマルチェロであり、そこで彼が見る幻影があまりにも切ない。現実は「やったな!」では済まないはずなのだが。 そして、成し遂げてしまった後のマルチェロの表情。堕ちきった後の虚無なのか。友人を亡くしたことへの哀悼か。現実に直面しつつある恐怖なのか。虚無がいちばん近い気がする。飼い主を喪った犬のような、といえば穿ち過ぎか?底なしに堕ちていくさま。 人に飼われる犬と、さらに人に飼われる人。冷凍庫に入れられたチワワは救えても、自己は救えないというのが非情だ。
何とも言えない余韻
暗い空、閉鎖的な小さな町で、支配する人間としたがう人間。 小心者でやさしくて、犬と娘を愛し友人たちと穏やかに過ごしたいのに、突き放しきれない不思議。 なぜあそこまで彼に従うのか、彼とはなんなのか? 追い詰められて狭窄的な思考が難しく理解しがたいのですが、耐えつつも依存しているような関係は、共感できないがゆえにその奇妙さに妙に引き込まれました。 なんともざらりと残る後味が物悲しく痛々しくて、悩ましくて、じわじわと余韻が広がっていく作品でした。
こーゆーキャラ、いるわ、創作には
と思ったら実際に80年代にあった事件をモチーフにしているのか! 主人公マルチェロ役のマルチェロ・フォンテの怪演がすごい。予告だとマルチェロはハームレスみたいなニュアンスで紹介されていたと思うけど、初っ端からそんなことはないです。精神的にグロテスク。視覚的にもかなりあれですけど。
不穏とユーモアの奇妙な味わいがある
ほとんどの登場人物に感情移入できない。 行き当たりばったり、問題はあるのに、誰もそれをなんとかしようともしないで、破滅的なラストに向かっていく。 経緯にも結末にも、救いはない。 冒頭の吠える猛犬からして不穏。この、クサリにつながれた犬は主人公の悪友シモーネの象徴。 舞台となっているのは、イタリアの荒れた田舎町の風景。そこに、このシモーネという存在がいる、というだけで景色が不穏に見えてくる。 これは主人公の心象風景そのものである。 コンテストに入賞しても不穏。海に入っていても何か起こるんじゃないかと思えてくる。 本作は終始、不穏な雰囲気に覆われ、心休まるときがない。 それにも関わらず、どことなくユーモアがある。 これが、なんとも言えない、奇妙な味わいである。 犬はかわいい。 犬本人(?)は何かに必死だとしても、それを見る人間は、彼らの本心など分からず、いつも見下ろしている。 スクリーンを通して観る僕たちにとっては、主人公もシモーネも町の人々も、犬でしかない。 僕たちは町で見かける犬のように、彼らを見てしまう。 これがユーモアの根源ではないか? カメラは登場人物のアップか、引いた構図が多い。特に後者の引きの絵が、ザラついた白黒写真にも似て見事。
いやーな映画
シモーネが救いのないやつで、それが唯一の救いかな。足利事件とか埼玉愛犬家殺人とか気が弱いだけで事件に巻き込まれたり犯人になったりするっていうのは何度かニュースやらで見てるけどこういうディテールを見せられると本当に息苦しい。他に方法はいくらでもあったろうにって。
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