ドッグマンのレビュー・感想・評価
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DOGMANというタイトルがいい
主人公マルチェロフォンテ(役名、演者名が同様)は犬のトリマー屋さん。
悪友のシモーネにはタカられたり、犯罪行為には及ぶものの、コミュニティのみなを愛し愛され、また犬を愛する描写からビジネスではなく犬への愛情を感じさせてくれる、善人であり普通の人間。
しかしこの作品は主人公マルチェロという人物を通じて人と犬、飼い主とペット、主従関係をメタっている。
狭いコミュニティを犬小屋のように見立てて、実在する殺人事件をシニカルに描いている。
実社会の不条理を、シモーネの圧倒的な暴力や閉鎖的で小さいコミュニティなどの舞台装置で見事に構築するマッテオガローネ監督の手腕は素晴らしい。
そしてマルチェロ役の演者マルチェロの演技。
喜び、怒り、怯え、悲しみ、そしてラストシーンで見せる空虚な表情に惹き込まれること間違いなし。
予想と違う感じ。ラストが微妙
心して鑑賞されたし
かなり凄惨なシーンがあります。
同時期に公開されているバッタバッタ人を殺していく『永遠に僕のもの』と比べて、こちらはドーンとヘビーな仕上がりです。
時に人の優しさは凶器になりうる。
闘犬に出てくる様な獰猛な犬が最初に出てくるので、この犬にシモーネを噛み殺させるのかな?と思ったのですが、そんな生易しいものではなかった。
主人公の役者さん、どこからが素でどこからが演技なのか?も解らないくらいの見事な気弱さで。違う作品も観てみたいなぁ。
世界中のどこにでもある話…
犬はどっちだ?
犬のように暴力に隷属する男が…
傑作「ゴモラ」のマッテオ・ガローネ監督作ということで、プライオリティMAXで臨んだ。
イタリアの海辺のさびれた小さな町。犬のトリミングサロン「ドッグマン」を営む主人公のマルチェロは、犬と娘を愛する心優しき男だが、暴力的な友人シモーネに従属し、不条理な行動をとり続ける。
暴力に支配されたマルチェロの「ありえない行動」に悶々としながらもグイグイ引き込まれた。凄い緊張感だった。果たして彼は変わることができるのか、このまま従属し続けるのかと…
クライマックスの「抵抗」に胸を撫で下ろしつつも、すっきりしない鈍い余韻が残った。
現代社会の不条理をミニマムな空間に詰め込んだような今作。映像も秀逸で紛れもない傑作だ。
adidasのジャージが大嫌い⁉️
日経新聞や一部の新書などから得られるヨーロッパやEUの経済状況の1つの側面として『ドイツの一人勝ち』とか南北格差があげられます。ヨーロッパの経済危機のニュースは、イギリスのEU離脱を除けば、いつもギリシャや南欧諸国から発信されます。また、イタリア国内でもミラノに代表される北とナポリなどの南では経済格差があるとも聞きます。
南欧の人からすれば、ドイツは経済で勝ちを収めていい気になってるいけ好かない優等生。上から目線で財務改善、つまり公務員給与や年金の削減を迫ってくるドイツはシモーネのように見えるのかもしれません。だから、adidasのジャージを着せているのではないでしょうか?
それはさておき、同情するのも嫌になる程、主人公は客観的には情けない判断ばかり積み重ねていますが、愛娘とダイビングをしに海外に行くんだ、という決意だけは確固たるものでした。中長期的な予想や客観的な視点ではどうみても不可解な判断であっても、その瞬間ごとの優先順位から見ればある意味、合理的なことが分かります。
・鍵を渡してしまった以上、もう取り返しがつかないのだから1万ユーロのためには服役も辞さない。
・殺してしまった以上、もう取り返しがつかないのだから、せめてそのことで、また仲間として認めてもらいたい。
いつも暴力や精神的な威圧に晒されていると、否応無くその場しのぎでなんとか目先の被害をやり過ごすことが習い性になって、はたから見ればあり得ないほど短絡的な対処法に走ってしまう。
このような精神状態に人を追い詰めてしまうことは、児童虐待やDVや会社におけるパワハラなどの底知れない罪深さのひとつの要素なのだと思います。
タイトルの意味
まず、驚くべきは、マルチェロを演じるマルチェロ・フォンテの演技力だ。口を開かずとも、その目は、その表情は常に何かに怯え、何かを伺い…その時々の感情を事細かに表すのだ。
そして、この映画のタイトル「ドッグマン」の意味することろに、彼の演技が全て繋がっていたことに更に驚かされる。
そう、マルチェロは犬そのものなのだ。
怯えながらもシモーネに従い、
シモーネのピンチを助け、
シモーネのねぎらいには喜び、
周りの人々の動向には目配せをし、
シモーネの不条理な命令にも従い、
シモーネの身代わりにもなり、
しかし、いざ、シモーネが自分に十分報いる気がないと知ると、虐待には牙を剥き、
今度は、周りの人々に、あなた達の嫌なものを取り除いて、喜ぶようなことをしたよ!と成果を見せようとアピールする。
だが、誰も喜んでくれる人がいないことに気づくと、犬はポツンとひとりで途方に暮れるしかなかった。
人間の物語として観ると嫌悪感を抱く人もいるようなストーリーだか、仮に犬に置き換えたらどうだろうか。
切なさも感じさせる。
自分もかなり長い間、犬を飼っていたが、不条理な命令などしたことはないし、でも、彼らの気持ちを本当に理解していただろうかと、少し不安になった。
挑戦的だし、悪い意味ではなく、居心地の悪い強烈な余韻の残る映画だった。
首輪
イタリアの田舎町で犬のトリミングサロンを営む男と町の暴君との関係性を描いた話。
娘とは頻繁に会っているけれど嫁娘と離れ、独り暮らしのワンちゃん大好き主人公マルチェロ。
気に入らないことや思い通りにいかないことがあると暴れて奪ったり従わせたりとルール無用の町の嫌われ者シモーネ。
警察に通報して捕まえて貰ったところで直ぐに戻って来るしその後の方が面倒と町の住人達が駆除の相談までする始末。
一方的とも言える友人関係を続けざるを得ない上に、それでも彼を助け様とする主人公が、彼に、周囲に、追い詰められて行く様子が哀れというか不憫というか…。
展開としては二択ぐらいしかないところの一方をそのまま進んで行く感じで意外性は殆どなかった。
しかしながら、ちょこちょこと垣間見える主人公の汚さや人間臭さが無様で、心底主人公を擁護、同情する気持ちになれず哀しい感じもする。
暗く沈む感じではないけれどスッキリせず何ともやり切れない、良い意味でモヤモヤが残る作品だった
あまりに悲しすぎる…伊映画の伝統か─
ドッグとドッグマンがつくりだす絵や雰囲気が抜群の作品。彼を中心にすべてが構築されているような印象を受けるくらい、主人公がハマっていた。
内容は、こちらの気持ちまでが卑屈になってしまうくらいに不条理なもので、あまりのブラックに所々で笑ってしまう、決して楽しいものではないけれど─。
悲しみの触手が犬に及ぶことがないのが唯一の救いで、それ以外はやるせない。バカ!アホ!と言うのは簡単、実際にハマってしまうと抜け出すのは難しいかもなー、などと他人事のように眺め、そういう見方ができる自分にホッとしたりして、今のところはまだ大丈夫なのかなぁ…と不安になってしまうくらい、あまりにも悲しすぎる映画だった。これもイタリア映画の伝統なのかもしれない。
犬好きは観ない方がいいとのレビューがあったが、まさにその通り、チワ...
犬が主役ではないし陽気なイタリア人も出てこない
ゴモラは本しか読んでないが愛と銃弾で観た
ナポリ スカンピア地区を彷彿とさせる寂れた街が舞台
イタリア人の男といえば洒落たモテ男のイメージしかないが主役は真逆
役名と同じこの小男をずっとみる映画
ジャイアンみたいな男シモーネ
町の厄介者
コカイン
レーサーレプリカ
犬に人間喰わせるオチを想像していたので気が気じゃなかった
ラストシーンの長い溜め
決して美しいシーンは無いのに時折魅入られるカットがあった
コカイン多数
大小色んな犬
冷凍犬蘇生
ビクトリアシークレットのショーみたいなストリップクラブ
イタリアらしさはフットサルくらい
パスタは犬に食わせていいの?
イタリアの刑務所暮らしがどんなもんかちょっと見てみたかったので残念
タイトルなし
のび太とジャイアンにしか見えなかった…。
これを観ようと思っている人は要注意。
犬好きな人は絶対見ちゃいけない。
観たら絶対後悔すると思う。
犬にとってはストレスに感じたんじゃないかと思う部分が結構 あったので…。
そもそもの話。
この映画で、何を感じ取ったらいいのかよく分からなかったといのが、正直な感想。
どんな印象かというと、『リアルドラえもん』。
主人公はいじめられっ子ののび太で、近所に住むヤク中の男は、見た目も行動もジャイアンそのもの。
俺のものは俺のもの。
お前のものも俺のもの。
そんな言葉を言っていそうな雰囲気。
ヤクのため、金のためなら、どんな暴力事件をも起こす、町中から嫌われている男。
ジャイアンのお母さんみたいな、肝っ玉母さんがいるのに、ヤクにハマりまくっているから、もう性根の腐った男。
犬を愛する心優しい男が、どうしてここまで彼をかばっているのかよく分からない…。
一体二人に何があったのか?
彼を友達だと思う、主人公の頑なな意思は一体何か?
いろんな疑問が浮かぶけれど、答えは全く最後まで分からないまま終わるから、なんだか消化不良でした。
ただ、かなり過激な映像がバンバン流れるので、全く飽きはこなかった…。
むしろ、この先どうなるのか、ひたすら心が不安になっていく映画でした。
でも、最終的に、何も救われない。
心の底から、何も感じ取れない、寂しさとモヤモヤだけの残る映画だったことは確か。
唯一の救いは、主人公が犬を愛する優しい男だってこと。
犬たちが彼を慕う姿が唯一の観ていて、心が温かくなれました。
たまにはこういうマニアックな映画も良いかも…。
自分が猫好きでよかったと、犬好きだったらちょっと耐えられなかったかも…。
そんな気持ちになった映画でした。
そのままかよ~?
この映画の印象を聞かれたとしたなら、稚拙なものにとっては、ただ暗いとしか言いようがなく、また映画の撮影背景も青みがかったものなので余計にそのように感じてしまう。冒頭に「ジョン・ウィック:チャプター2(2017)」でも登場した相棒のピットブル犬の大写しから始まるのだけれども、この犬種、もともとは、闘犬用として生まれて、そのどう猛さからかしれないけれども国によっては、飼うことに制限を設けているところもあるが、そのどう猛さと反比例をするかの如く、忠誠心の塊な性格によって愛犬家もためらわずに飼うこともある。
モキュメンタリー風に作られたと思われるこの映画、主人公を含めて演技をしているのか、日常を淡々と描いているのか、訳の分からないようにシナリオが進んでいくので、この映画に出ている役者さんは素人の方たちかと疑ってしまう自分がいた。しかも主人公以外IMDbで調べてもあまり詳しくは、情報を載せていない。
主人公のマルチェロ、優柔不断さからか、それとも優し過ぎるのか、弱すぎるのか、言えるのは"強いものには巻かれろという"地でいくような性格をしている。しかも目に入れてもいたくない娘のためにコカインの密売で小金を稼いでいる。そんなことで、地元のチンピラのシモーネにいいように扱われることとなる。
Los Angeles Timesの記者は「せいぜい、私たちがマルチェロの目を通して「ドッグマン」として生きることができるとき、映画は人、動物、脅威と優しさ、そして私たちが自分たちのために作ったことに気づかない檻を思い続けることとなる。」またRogerEbert.comという映画専門サイトは、「厳しいメッセージにもかかわらず、悪魔との取引をしようとする、その優しい心根に同情すらしてしまう。」と述べている。この映画監督の映画作りのためか、対比する両者の関係が壊れた時、その人がとる行動は、計り知れなくなると言いたいように個人的には感じる。
娘に最後の願いをかなえたマルチェロ。しかし誰からも信頼を失い、誰一人として、彼の言葉に耳を貸さなくなった時に最後に行動を起こすのだが.....!?
批評家からと視聴者からも高い支持を受けているこの作品、イタリア映画が現在でも健在なのがよくわかるものになっている。
ドラえもんがいない街で爆発する虚しい怒り
廃墟のような小さな街でペットショップを営むマルチェロは別れた妻と暮らす娘に会うことが唯一の楽しみの優しくて気弱な男。その人あたりの良さで一定の信頼を得ている彼の悩みの種は友人のシモーネ。毎日どこかで騒動を起こす厄介な乱暴者のシモーネに突然呼び出されてはコカインを買いに行かされたり、空き巣の手伝いをさせられたりの日々にうんざりしていた頃、シモーネからまたある相談を持ちかけられる。必死で抵抗するマルチェロだったが仕方なく引き受けてしまい、それをきっかけに彼の人生は一気に暗転する。
要するにドラえもんのいない『ドラえもん』。”お前のものは俺のもの、俺のものも俺のもの”を貫くシモーネに支配され、どこでもドアがない絶望的な街の中で追い込まれていくマルチェロの姿がものすごくイタイ。遂に怒りを爆発させるマルチェロの魂の叫びすらも屍のような街に吸い込まれる、その乾いた陰惨さが実にラテンな不快感に満ちていて印象的でした。
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