ジュディ 虹の彼方にのレビュー・感想・評価
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ジュディあんまり
アメリカの女優の話なのに、ほとんどイギリスのキャストとスタッフで、イギリス映画という不思議な作品。描かれている中身が晩年のロンドン公演が中心で、かつもともと舞台劇ということもあるのだろうが。
酒と薬で自滅していくミュージシャンの物語というのも既視感が半端なく、新味に乏しい。特に(ジャニス・ジョプリンをモデルにしたという)ベット・ミドラーの「ローズ」を思い浮かべた。ライブの前に公衆電話から電話をする痛々しいシーンがあるのも似ている。(ライザ・ミネリも母親と同じ轍を踏んだというのも悲しい性としか言いようがない。)
意外だったのは、レニー・ゼルウィガーの歌に素晴らしく説得力があったこと。「シカゴ」でも歌を披露していたはずだが、さほど印象に残っていない。
聴衆が「虹の彼方に」を合唱するシーンは、正直ずるいと思った。
光と影を見た悲劇の歌姫
メンズデーに何かということで鑑賞
まあここのところフォーマット化しつつある
伝記ものという感じでイメージしていました
感想は
悲劇的な話ながら
レニー・ゼルヴィガーの歌唱力演技力に
ただただ圧倒される完成度でした
オズの魔法使いで世界的に有名な子役となった
ジュディ・ガーランド
その栄光の裏には映画会社に徹底管理された世界で
薬物まで用いられて人前でのパフォーマンスを要求され
精神を壊すものでした
当時はダイエット薬と称して子役にアンフェタミンを
平気で投与されていたそうです
ジュディは夢の国を飛んでいたのではなく
本当に「飛んで」いたんですね
その後ジュディは活躍しますが精神的に不安定に
なって出演やステージを拒絶したりドタキャンを繰り返し
次第に干され借金まみれになっていき
家庭も結婚離婚を繰り返し
拠り所の子供たちも親権争いに発展と泥沼化
酒と睡眠薬に溺れ私生活はズタズタ
映画はほぼ最後のステージとなったロンドン公演を
中心に回想をまじえながら進んでいきます
相変わらずステージに上がれば最高のパフォーマンスを
見せるジュディですが私生活の影響が顕著に現れ
上手くいかなくなってきたりしますがそこで出会う
様々な人に支えられていきます
ジュディは大人になってからおかしくなったのではなく
前述の通り2歳からクスリを盛ってでも無理やり
ステージに上がっていたのですからもう壊れていたわけですが
当時認められていなかった同性愛などには全く寛容だった
そうで今でもゲイカルチャーの象徴的存在
だったそうです
クライマックスで歌う「虹の彼方に」は途中で歌えなくなって
合唱に支えられて立ち直るシーンなどは感動しました
そうやって感動を与えてきた存在だったからなのでしょうね
こうしたシーンを含めレニー・ゼルウィガーの演技は
本当に乗り移ったかのようでした
アカデミー賞ノミネートもわかります
こうした伝記的作品
また作られていくのでしょうが
日本のヤツも見たいかなと思いました
レニーのパフォーマンスが圧巻でした。
ラスト10分が素晴らしい
スタアは彼方に。
ジュディ・ガーランドといえば「オズの魔法使い」のドロシー役で
未だに崇拝される大スターでありながらも本人は47歳の若さで急逝。
その晩年の期間にスポットを当てていることから華々しさはないが、
最近ご無沙汰だったレネー・ゼルウィガーが見事に彼女を演じている。
顔立ちそのものが全く違うので瓜二つではないけれど、額に刻まれた
皺とクシャクシャ顔で笑う彼女の表情は健在で、より哀しみが増した。
歌声は見事にシンクロしており、多くはないが名曲が幾つか使われた。
往年のファンがご健在ならば、懐かしさに浸れる。自身はリアル世代
ではないので、娘のライザ・ミネリ(ヴィンセント・ミネリとの子供)
が「キャバレー」で受賞したことの方がまだ近い記憶という感じだが
それらも含め、彼女の初期の作品などはビデオ映画でほとんどを観た。
何よりその天性の歌声とパフォーマンス力、決して美人ではないけど
(ゴメンなさい) その顔で近しいスタア(スター)としての地位が築けた。
レインボー・フラッグが同性愛者解放運動の象徴として用いられるのも
ドロシーが歌った「虹の彼方に」に由来していることから、今作でも
登場するゲイ・カップルが重要な役割を占めている。彼女の行動癖は
決して褒められたものではないが、人々を差別しなかった人柄は鉄壁。
未だにゲイ・アイコンとして不動の地位にいる彼女らしい気がする。
そんなこんなで晩年の彼女はステージ以外は見る影もない落ちぶれた
雰囲気を纏っていたけど、子供時代から与えられた薬(実は覚醒剤)で
ドラッグ漬けにされ、昼夜を問わず働いて、精神のバランスを崩して
何度も結婚、離婚、自殺未遂を繰り返した人生を振り返ればなるほど、
と思えてしまう。夢を叶えてスタアになれたとはいえ、彼女が多くを
捧げたハリウッドで、本当の虹の彼方を見ることはできたのだろうか。
パワフルで、ゴージャスで、奔放にふるまう傍らで見せる彼女の涙と、
小さな小さなケーキの一片を「おいしい、、」と呟いた笑顔に泣いた。
意外に楽しめた。
ジュディガーランドを通して自身の幸せとは
レネー・ゼルウィガーの主演女優賞受賞作品、まず本人に注目すればアカデミー賞を受賞の演技は納得。
本作品の内容は、彼女が47歳の若さで死去する2年位前からのお話。
人って、皆ある意味平等に生を受けているモノだと思うのだけど、そのエネルギーの使い方が分からず、早い段階からそのエネルギーを使い過ぎたモノだから、生涯の後半にエネルギーを使い果たしたつけと言うかエネルギーの消耗が人生の生き方に出てしますのかな・・・・
本作品も、ジュディ・ガーランドが子役からスター街道を走り続けて、思春期の彼女の苦闘、自由でない今ままでの人生・・・・きっと自分が誰だか分からなくなるんdなろうね・・・・そう言った当時の彼女の苦悩をしっかり表現出来ているかな・・・・
芸能人や成功者って、意外に人が羨む程幸せではなかったりするよね・・・・
本作品、ジュディ・ガーランドの人生を通して、自分の本当の幸せとは何かかを考えさせられました。
哀しみ
レニー・ゼルウィガーがアカデミー賞主演女優賞を獲ったので、劇場まで足を運びました。それまでジュディ・ガーランドの事はオズの魔法使いの写真をみたことがある程度でほとんど知りませんでしたが、子供の頃から薬物やペドフィリアへの枕営業までさせられていたとは、恐ろしさに絶句しました。マイケル・ジャクソンと被ったりして。もうちょっとそのあたりを切り込んでも良かったのでは?と思いますが、今でもきっといろいろな圧力があって難しいのでしょう。人間の醜い部分ばかり見てきたから、彼女が薬物やアルコールに依存し続けてきた理由も理解できるし、ジュディの様に金儲けの犠牲になった歌手や俳優は沢山いるのだと想像します。
レニー・ゼルウィガーの演技も歌も迫力があって、圧倒されました。時空を超えてショービジネス界に生きるふたりの孤独な女性がシンクロしてみえたのは、レニーも哀しみを背負っているからなんですよね。心に残る作品は、俳優が演技技術だけではない何かで観客の感情を揺さぶるのだと思います。私も作品からふたりの哀しみを受け取りたいから劇場に来たのだと思いました。
ショー・マスト・ゴー・オン! どれだけ愛されるか --- 歌唱シー...
ショー・マスト・ゴー・オン! どれだけ愛されるか --- 歌唱シーンが圧巻。ジュディ・ガーランドの晩年についてのこの伝記映画は心揺さぶられるし、何よりレニー・ゼルウィガーの演技によって高められているけど、それ以外の面で幾分薄味でもある。実話なのかもしれないけど終盤のこれみよがしな展開とか「あ、そういう感じ...」とフィナーレと感動がサラッと駆け足すぎて、置いて行かれしまったきらいもあった(主人公のその特異なシチュエーションを受け入れる早さもまたショーマンシップ?)。そしてまた、今まで文章などでしか知ることのできなかった実際の彼女の悲しい過去、壮絶に歪められた生涯の片鱗をフィクションであれ垣間見ることで、僕自身ミュージカルは大好きだけど、やはり『オズの魔法使』は特別な作品になり得ないなと再確認もした。どうしてもその撮影の舞台裏が見て取れてしまうようで。
今年有料鑑賞20本目たぶん
不世出の歌手の不器用な生き方
ラストシーンに息を呑むほどの感動がある。それだけでこの映画を観てよかったと思わせる何かがあった。レニー・ゼルウィガーは天性の歌の巧さに加え、猛特訓のおかげで晩年のジュディー・ガーランドの掠れた声よりも遥かに艶のある歌声を披露していた。
子供の頃から活躍して盛りのうちに夭折した歌姫というと、どうしても美空ひばりを連想してしまう。美空ひばりが生涯を通じて裕福に過ごしたのに比べ、本作品の主人公ジュディ・ガーランドはアメリカのドライで非情なショービジネスの世界で不遇な一生を送った。
ひばりもジュディも最初は大人によってプロデュースされたスターだ。厳しい束縛と強要の生活は精神性を攻撃し、大人になっても決して治癒することのない深い傷を齎したに違いない。
普通の人は泣きながら歌を歌うことは出来ない。しかし鍛えられた歌手は泣きながらでも歌える。美空ひばりが「悲しい酒」を歌うたびに泣いていたのは有名な話である。ジュディ・ガーランドもまた、子供の頃から鍛えられたその喉で、泣いていても酒を飲んでいても、どんな状態でも歌える本物の歌手だ。
自作であれ他人の作詞であれ、言葉である以上、歌はメッセージ性を持っている。メッセージは歌っている本人に最もよく伝わるもので、人それぞれに、歌うとどうしても涙ぐんでしまう歌があるものだ。そしてその歌は元はといえば、ひとりの歌手が世に広めた歌なのだ。
多くの歌手にとって歌は生きる糧であり手段であり、人生そのものである。最初は人からプロデュースされていても、歌い続けていくうちにその歌手なりの歌を探し当てていく。公に歌うことが世の中にどれほどの影響を与えるかを自覚している歌手は幸せだ。歌はその歌手をストイックに、敬虔にしてくれる。
歌に正解はない。自分の歌が正しいのか、世の中に受け入れられるのか、歌手は常に不安に駆られる。ある者は酒に溺れ、ある者はクスリに手を出す。それでも彼らの天性の美声は人を感動させずにいない。
金を取って人前で歌うのは、並大抵の神経ではできないことに違いない。華やかだが不安で不幸な歌手の人生は、人間の欲望と弱さを曝け出すようだ。ジュディー・ガーランドの歌手としての人生をオスカー女優レニー・ゼルウィガーは存分に演じきった。決して幸福とは言えなかったジュディの人生だが、不世出の歌手の不器用な生き方に、そこはかとない感動を覚えた。いい作品だと思う。
ところで中森明菜は元気かな。
何が幸せかは誰にもわからない。
リバー・フェニックス、マイケル・ジャクソン、「一つの才能を見出されて華やかに生きるか?」、「それ以外の平凡な人生を送るか?」冒頭に主人公に迫る台詞がこの映画を語っている。
若くして名声を得ると周りの悪い大人に振り回される(ドリュー・バリモアやマコーレ・カルキンしかり)若いからこそ、商業主義に消費されるジュディ・ガーランドの物語。
結果として才能とともに人気も開花するが、深い闇に呑みこまれてしまう。
最後のテロップに流れるオズの魔法使いの中の台詞「心はどれだけ愛するか?ではなくどれだけ愛されるか?」だ。に物語の全てが集約される。
締めの「オーバー・ザ・レインボー」に込められたジュディの「決して埋められない心模様」に心打たれる作品。
レネー・ゼルビガーの作り込みも見事。だけに本人の人生の短さが、切なくてたまらない。
2020年ベストムービー!⭐️✨
いやいや、何とも感動的で、素晴らしい作品でした…(笑)
やや感傷的で、演出過多な気がしないでもありませんでしたが、悲運の映画スターの晩年の人生が、痛ましくも感動的に描かれていて、心揺さぶられるものがありました。主演のレネー・ゼルウィガーは、名演でした!
*もし本当に、この映画のように、ジュディ・ガーランドが晩年において、良いスタッフと舞台に恵まれ、感動的なパフォーマンスを残したのが事実ならば、それは幸せと言えるのかも知れませんね…
しかし、彼女の人生は、あまりにも不幸で理不尽ですね…往年のハリウッド・スターの悲しき宿命なんでしょうか…。
*この映画の予告編も、ネタバレになってますね…なので、本編でその場面が来ても、今ひとつ感動が薄れる。もう少し考えて、予告編を作って欲しいですね。
久しぶりに泣けました。ジェシーバックリーいい感じに美しい。
レニーの、浮き出た肩甲骨か印象に残ってる
悲しすぎるジュディの生涯
再起をかけてロンドン公演を行うジュディと子役時代のジュディ、華やかで煌びやかなハリウッド黄金期、スタジオの支配力も強く幼いジュディはスター街道を進みながらも少しづつ薬物やアルコール依存する状況に陥っていきます。スターになってからも5度の離婚や死ぬまでまつわるドラッグ依存症など、悲しいエピソードが多い生涯です。日本でも昔から今でもアイドルや女優のわがまま、遅刻、ドタキャンや芸能人の薬物犯罪など、一般庶民から見れば憧れの芸能界でそれなりにスターとなってお金持ちになってるのに、なんで全てを棒に振るようなアホな事するんだろうと思いますが、その人しか分からない特殊な環境なんでしょうか。
以下はジュディの人生を抜粋
1939年にミュージカル映画『オズの魔法使』で主役ドロシーに大抜擢され、人気スターとなる。1941年に作曲家のデヴィッド・ローズと結婚、翌年妊娠したが、当時違法だった堕胎手術を受けている。1943年に離婚。この頃から神経症と薬物中毒の影響が表面化し始め、撮影への遅刻や出勤拒否を繰り返すようになる。
1945年、映画監督のヴィンセント・ミネリと再婚。翌1946年3月、のちに女優となる娘ライザ・ミネリを出産する。1947年精神病院入院、自殺未遂事件を起こす。以降、度々薬物治療のための入退院を繰り返すこととなる。
1954年、ワーナー・ブラザースで撮影された『スタア誕生』で久々の映画出演を果たす。この作品は大ヒットし、ジュディはアカデミー主演女優賞にノミネートされた。しかしワーナー・ブラザースは、彼女の撮影中の遅刻や出勤拒否、それに伴う制作費の増大を問題視し、彼女の受賞のための宣伝や根回しを一切行わなかった結局ジュディの受賞はならなかった。受賞を逃した失意により、彼女の私生活は再び荒れはじめ、数度の自殺未遂を起こしている。薬物中毒と神経症はさらに悪化。逮捕されることはなかったものの、FBIはジュディを監視しており、膨大なFBIの監視記録が残されている。1963年を最後に表舞台から姿を消す。
1965年にはシドニー・ラフトとも離婚。その後、2度結婚している(生涯に5回結婚)
1969年6月22日に滞在先のロンドンで、睡眠薬の過剰摂取にてバスルームで死去。自殺とする説もある。47歳だった。彼女には莫大な収入があったがその大半を浪費してしまっており、埋葬の費用にも事欠いたという。長女のライザ・ミネリは、「母はハリウッドが大嫌いだった」「母を殺したのはハリウッドだ」と発言している。
ストーリーの面白さはない
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