キャラものは卒業という娘に、徹底したキャラ弁で対抗―。
本作は実話ベースの作品とのことですけれども。
娘の高校在学中の3年間も続いた…否、続けられたというのは、母・かおりと娘・双葉との母子の関係性が(外見とは裏腹に?)それだけで濃厚、濃密だったことの、実は裏返しだったのではないかと、評論子は思いました。
好一対だったのは、信介・健太郎の親子だったのではないかとも思います。
(形だけ同じにしても、ダメなんですねぇ)
翻(ひるがえ)って、本作は、前鑑賞作『35年目のラブレター』が素晴らしかった塚本連平監督の手になる作品として、改めて鑑賞したものでした。
正直、劇場公開時に初観したときには、そんなに印象に残った作品ではなかったのですけれども。
しかし、改めて鑑賞してみると、かおり・双葉の母子関係の温かさに、今更ながら、心が洗われるような感慨もあります。
作風としては、人と人との間の情愛(前鑑賞作では夫婦間の情愛、今作では母娘間の情愛)を描くことに長(た)けた監督さんということなのでしょうか。
本作の、そして前鑑賞作『35年目の…』塚本連平監督は。
次の作品を鑑賞することが楽しみになった監督さんにもなりました。
本作の佳作としての評価も、間違いのないところと思います。
<映画のことば>
お母さん、話をする代わりに作っていたんじゃないの、お弁当。
(追記)
元々のアルミの弁当箱から、最初に変わった白のプラスチック製のそれには、くっきりと「CONTINUE=継続」の黒文字が。
そこに、母・かおりの毅然とした決意を読み取ったのは、独り評論子だけではなかったことと思います。
(追記)
前記と少しく重複しますけれども。
男の子にキャラ弁は、ちょっと厳しかったかなぁ…とも、評論子は思いました。
「二番煎じ」は、うまくいかなかったということでしょうか。
お父さん・信介は、息子・健太郎君との間柄としては、いかにも信介と健太郎との間柄らしい関係を築けると良かったのだろうと思いました。
評論子は。
実は、評論子も二人の子供のお弁当を作っていた時期がありました。
息子は、持たされたお弁当を黙って食べていた(他に食べるものがないから?)のですけれども。
しかし、娘は大いに不満で、ある時から「自分で作る」と宣言し、さっそく翌朝から実行に着手しました。
しかし、すぐに頓挫。
その後も、何度も決意を新たにしては、頓挫することの繰り返しでした。
それでも娘は、頓挫するごとに「心機一転」、また弁当作りに勤(いそ)しみます。
そのこと自体は、親としては褒めてはやれるのですけれども。
ただ、決意を新たにする度(たび)に娘は弁当箱を買い直すので、家の中が女の子・女の子の弁当箱だらけになっていたことを、評論子は思い出しました。
(追記)
「パパ、バカだったよ。」
「バカって言う方がバカなんだよ。」
「いや、パパは、自分のことがバカだったと言ってるんだから…。」
「2回もバカって言った。」
健太郎君は、たぶん、こう言いたかったのだろうと、評論子は思いました。
人をバカ、バカ言うバカは、
己(おのれ)のバカに気がつかぬバカ。
それは、自分自身に対していう場合も含めて。
(追記)
「もう少しでエンドロールだから、我慢して付き合ってね」と、台詞で言われたことは、評論子の映画鑑賞生活の中で一度だけありましたけれども。
出演者が(しかも一度ならず二度まても)エンドロールを差し止めたという作品は、本作が初めてでした。