「人生の清算と戦争の残酷さ」家(うち)へ帰ろう しずるさんの映画レビュー(感想・評価)
人生の清算と戦争の残酷さ
この映画の主軸は、二つあるように思われる。
一つは老い。
88歳のアブラハムは、明日には老人ホームへの入居が決まっている。死や痴呆が現実味ある恐怖として目の前に迫った時、過去の記憶と果たせていない約束が甦り、清算を思い立つ心情は、親が次第に老いていくのを体感する私にも、他人事でなく共感できる。
不自由な足を引き摺り、少し移動するにも息を切らしながら、それでも人生の最期にと、恩人である友を探しに旅立った老人の気持ち。
娘や孫に厄介者扱いをされているという孤独感を抱え、不甲斐なさや自尊心で偏屈になった心が、旅の途中で出会い、手助けしてくれた人々の人間味によって、少しずつ解きほぐされていく様が、心に染みる。
もう一つが戦争。
何故彼が、頑ななまでに『ポーランド』の一言を避け、ドイツを厭い、老体に鞭打って、遥かな地を目指すのか。
途切れ途切れに挟まれる回想や、語る思い出が、かつて彼の身に起こった悲惨な戦争体験を明らかにしていく。
私の祖父や祖母の世代の多くは戦争体験者であったが、自らその話題を語る人は殆どなかった。悪夢のような現実、心に刻まれた傷の深さは、過去の記憶としてさえ、思い出すのも口にするのも辛かったのだろう。
この作品の前に『ちいさな独裁者』を見ていたのもあって、戦時の命の軽さが胸に迫っていた。親も兄妹も目の前で失い、体に傷を負い、死をすぐそこに感じながら命からがら逃げ延びた彼の恐怖と恨みを、過去のものと割り切る事はできない。
それでも、あれほど嫌悪したドイツのホームに足をつけ、ドイツ人の彼女と抱擁を交わして別れた。人と人として向き合った二人の間の、小さくて大きな和解に、この映画は希望を託したのだろう。
主人公アブラハムの、偏屈で嫌味ながら、身嗜みもお洒落でプレーボーイな一面も伺える、憎めない老人像がこの映画のミソ。コミカルな展開も交えて、重いテーマを暗くなりすぎずに描いている。
再会を果たした友人と、見つめ合い、互いにじわじわと疑念から確信、驚き、喜びへと変わっていく感情変化を、二人の老俳優が表情だけで演じ切っていたの、は素晴らしかった。
人生の最期、彼が帰りたかったのは、追われた故郷であり、幸せなあの頃であり、家族同然の友の傍らであった。
「家へお入り」でなく「家へ帰ろう」と言った友人には、それが身に染みて解っていたのだろう。