生きてるだけで、愛。のレビュー・感想・評価
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異なる種類の俳優のぶつかり
趣里は生粋の舞台女優で、菅田将暉は生粋の映画俳優。スクリーンに収まらないからこっちが合わせるか、スクリーンにビタッとハマルから安心して見られるか、その異なる2人が同じ空間にいることを見られる映画。
映画館で観たかった
酔っ払ってんのにめっちゃ滑舌いいとか、勤務日数浅いのに家族同然とか、細かな矛盾は置いといて、趣里さんの演技に見惚れた。もっともっと違う表情も見てみたいと思った。生きてる理由が、たった一瞬分かり合えたこと。わかる気がする。
“普通”ができない自分に疲れたことのある人は共感できるものがあると思う。人間皆、少しだけ分かり合って生きているのかもしれない。リアル。
寧子にイライラする人も多いと思う。寧子に共感できるような自分は嫌だと思うかもしれない。津奈木に同情、またはなぜ一緒にいるのかと疑問に思う人も多いと思う。でもラストのシーン、パソコンを窓から投げて仕事をクビになった津奈木に対して寧子が「津奈木、私みたいなことしてる」と笑ったシーンで、誰しもがまだ出会っていないか、見て見ぬ振りをしているだけで、心の奥底に寧子のような一面を持っているかもしれない。と私は思った。あの時死ぬ気で挑んだ受験に失敗していたら、大切なあの人が死んでいたら、就活に失敗していたら、どこにも自分の居場所を見つけられなかったら。自分の中の普通を保っているところがバグる可能性なんて、誰にでもあると思った。
寧子の、自分がダメなことは分かっているけれど、何とかして人のせいにしていないと生きていられない感覚、正直私は共感できる部分があった。鬱病の中、よし、頑張ろうと思った時に行動に移してみても、何だかうまくいかない、タイミングが悪い。自分に振り回されて疲れる。ここなら大丈夫かもしれないと思えたアルバイト先での「大丈夫だと思ったのにな」「バレちゃう」という台詞がすごく印象的で、その感覚にすごく共感した。自分は鬱病、周りは健常者、優しくしてくれる、会話して笑える、なんだか自分は普通ができている気がする、自分は大丈夫になる気がする。だけれど自分が本気で発言したことに対して理解を得られなかった瞬間、あ、やっぱり自分はダメだったんだ。みんなに違うことを見透かされてしまうと思うとどうしようもなく辛くなり、泣きたくなる。さっきまで近くに感じていた人が、一気に遠くに感じる。冷たく感じる。
津奈木は、いつからか自分の感情と向き合えなくなったのか、諦めたのか、そうしないと生きていけなかったのか、セリフにもあった通り自分の感情ではなく相手を納得させるための言葉を言うことで無意識に自分を保っている。しかしだからこそ、寧子と一緒にいられたし、寧子も無意識にそれに救われて今まで生きてくることができたのだろう。
現代人の生きることに対する苦悩が、2人の人間性にすごくよく現れていると感じた。私は元気付けられた。
誰かがそばにいてくれるって、大きい。
中学の頃
「僕には何にもない、空っぽで『無』なんだ」と言ったら、
母が
「お前には『無』が充満している」と言ってくれた。
あのひと言が自分を生かしてくれている。
映画を観て思い出した。
“生きづらさ”に苦しんだ人間には あの寧子の有り様が心象風景として親く感じられるだろう。
寧子は自分?
前半は観ているのが辛かった。なぜ時間どおりに起きられないんだ?なぜあんな風に人に接するのか。意味がわからない、イライラ。自分とは真反対の寧子にイライラ。度々なる目覚ましの音が実に不快であった。
しかし最後の屋上のシーンを見て考えが変わった。寧子に持っている要素は、自分にもあるんじゃないかと思い始めた。自分が苦しんでいるだけ自分に苦しまされてほしい。好きだからわかってほしい。目の前の人が好きなのかもわからないけどわかってほしい。それって依存かもしれないけど、誰にだってあることなのではないかな、もしかしたら寧子は自分かもと思えてきた。
それにしても趣里の演技力、、圧巻であった。菅田将暉も登場時間は少ないけど、印象に残る演技。
考えさせられる映画でした。
鬱を経験した者として
数年前に鬱の症状が酷く、
会社に行けなくなった頃を思い出します。
当たり前ができない苦しさ、
朝起きれない、
それを家族や職場の人に指摘される。
そんなことわかってるのに言われる悔しさ憤り。
できるならやってるよ!っていう怒り。
鬱なんて気分の問題でしょ?
なんて、言われる冷たい世間。
リアルで共感し、泣きました。
津奈木は菅田将暉しかいない。
趣里さんがとにかく素晴らしく、ヒヤヒヤさせるけど愛らしく、美しかったです。
2人で走るシーンはだいすき。
恋人とは別れられるけど、
じぶんとは別れられない。
痛切なメッセージ。
ずっと大事にしたい映画です。
共感全然できなかった
菅田将暉も趣里も良い芝居してます
音楽も映像も素敵
だけど良い年したおばちゃんには全然主人公に共感できず
ただの怠け者のワガママ娘としか感じられない
きっと現代にはよくあるんだろうライトな鬱病なんてしょうね
それにしても周りの方々の優しさに感動すら覚えます
私ならこんな主人公と一緒に住むのもぞっとするし、一緒に働くのも嫌だし、話すのすらめんどくさいと思っちゃう
自分はなんて心の狭い冷たい人間だろうと思います
だけどむりむり
こっちが病気になっちゃうよ
とは言えとても良い映画だとは思います
共感はゼロですがね
主人公躁うつ病に見えました、、、。
通院、治療すれば楽になるのに、、、と思いながら観てしまいました。
でも、あの設定の生活スタイルのなかではただでさえお金がかかる心療内科への通院、服薬はできないな、と。
躁うつ病、うつ病になった人を職場で何人か見てきたので、どうしてもその観点がぬぐえないまま、エンディングを迎えてしまいました。
菅田さんの役も、うつ病一歩手前的な。。
私そのもの
寧子、、ここに居ますよ。
客観的に自分を見ている状態でした。寧子に対する周りの人の言葉、グサグサ来ました。アラーム何個掛けても起きれない。家事も何もしなく部屋はぐちゃぐちゃで。コンビニで弁当買ってきてくれるのに相手に悪態つく。辛いんだって聞いて欲しいけど相手からすれば何も出来ない奴がほざいてる面倒などうしようもないこと。
客観的に自分を映像化したみたいで、混乱や破壊も不注意なところも。
二十代前半から去年までの結婚生活に酷似していてリアル過ぎました。
生きてるだけ愛って言葉はよく分からないし良い意味でも悪い意味でも心に深く残る映画でした。
彼氏に見て欲しいけど過去の自分を見られるのは怖いな
やすこ、いなそうで意外といそう
なかなか面白かったしグッとくる場面も色々あったけど、ちょっとアレだわ、菅田将暉がかっこよすぎる…。
最終的にエンドロールでは「ああああーーー菅田将暉かっこいいわあああーーーーーー」てなっちゃったから、このキャスティングは多分失敗(私の中では)
それでもがんばって内容を掘り起こすと、屋上でふたりが語り合うシーンの趣里ちゃん演じるやすこのセリフは自分の中のモヤモヤを言語化してくれた感じがした。
そうなんだよ、こっちが真剣に想いを伝えてる時、ぶつからないようにいなして空気を乱さないのは決して「優しさ」なんかじゃないんだよ。
やすこは大変エキセントリックで、人によっては「いねえよこんな奴」って思うかもだけど、私はかなりリアルだと思ったし人生で出会った何人かの顔が浮かんだ。
朝起きれなくて絶望するのは40才の今でもちょくちょくあるし、ほんのちょっとズレてたら私もやすこだったかもしれない。
まあでも趣里と菅田将暉だし、部屋も散らかってるけど川の見える屋上があったりしてお洒落だし、やすこの服もいちいち可愛いし、バイト先もカフェバーだし、なんだかんだでイケてんなー、とも思ったけどそこまで含めてリアルな気もする。
趣里
初めて実力を感じた。すごくいい女優。妹が鬱だったからなんとなく人ごととは思えなかった。初めて知ること、それでもわからないことが多かった。躁鬱の人の生きにくさ。大丈夫、の偉大さと、頑張って、の残酷さ。近くに躁鬱の人がいたら、あのバーの人たちのように、寛大に受け止められるだろうか。二人の行く末も気になる。ただ仲里依紗のキャラクターはあまりにも現実離れしてた。あんなやつ実際いるか?正気ならやつも病気だ。
分かり合える一瞬
ひきこもりヒロインの寧子と津奈木は共鳴していたんだなと思う。それでも、3年一緒にいて、本当の意味で向き合えたのは最後の一瞬だったのか。こんな風に3年も一緒にいられる関係も、、、割とあるんだろうな。
きっと、向き合い方で、分かり合える度合いも変わるだろう。
鬱、過眠症、感情コントロール不能、、、観ている側としても辛かった。本人は本当に生きづらいんだろうなと感じた。その感情に真正面から向き合っている映画だった。
個人的には
仲里依紗に、『私より症状ひどくないですか』と突っ込んでいるシーンが好きです。
寧子に共感できるか否か
バイト先のカフェバーでのウォシュレットの件は衝撃を受けた。前半から既に自分と重なる部分が多く、寧子に感情移入しながら見入っていたから、余計に。
長いこと社会から離れて生きてきた分、あのカフェバーのスタッフは寧子にとって、救われる場所になるかもしれなかった。「家族のようなもんだから」って奥さんの台詞に、どれだけ希望を見出しただろうか。だがその直後にあのウォシュレットの一件。ああ、やっぱり自分とこの人たちは別の世界の人間なんだ。とわかってしまった。「私はやっていけますかね?」「私は、ここでやっていけますかね?」と何度も聞いた。安心したかったのに、自らの手で崩してしまった。そんな自分が嫌になる…痛いほどわかる。ダイイングメッセージのように残されたウォシュレットの噴き出すトイレが、寧子の心情を描いているように思った。
趣里さん演じる寧子に共感できる人は特に心に刺さる映画だと思うが、ウォシュレットの件でスタッフ側の人たちの方が共感できる人たちには、理解しがたい映画だろうなと思った。
すごく、好き。
始まりから終わりまで、この2人に没入。
いい演技するなぁ、、、てか演技?
え?樹里さんこんな人なんじゃないの?
と思ってしまうぐらいの憑依感。
カメレオン俳優、菅田将暉さん。
菅田さんの出ている作品ほとんど観ているのですが、
この映画の世界観と相まって、
もうほんとうにもう、津奈木、にしか見えなかった。
目の光、息遣い、目線、歩き方、立ち姿、話し方。
菅田さんも樹里さんもすごい。そのものだった。
なんだこれって思いながらの一瞬で終わった映画。
感情の揺さぶられ度合が半端じゃねぇです。
現実に、この社会で揉まれはじかれ、
病んだことがある人は
きっと響くものがあると思います。
過去の自分はもしかしてこんなだったのかも…と
映像を観ながらフラッシュバックした場面もある。
ふたりのそれぞれの姿に揺さぶられて
涙が自然とこぼれる場面。
こんな作品は初めてだった。
また繰り返し観られたらいいな。
津奈木くんも十分に躁鬱病かと
躁鬱病で無職の寧子が同棲中の彼氏:宇奈木の元カノをキッカケに喫茶店で働く事に。
現在進行形の鬱の方や元鬱病の方には辛い描写も含まれますが、それ以上の鬱病の本音がこの映画には含まれていており、鬱病の方&鬱病以外の方どちらにも真剣に観て頂きたい映画でした。
寧子の鬱病回復話かと思いきや、津奈木の鬱病まっしぐらの様な話もあり、対局した2つの話が進んでいく。
どちらにも言える事は「キッカケ」と「取り囲む周りの人間が大事」と言う事。
周りの人間もベクトルが合ってなさそうでも、ある1人の人間を思いやると言う点では一致している。
現代の社会には厳しい事かも知れないけど、こんな優しい社会の一面がもっとあればいいな。。。
それさえあれば、鬱病の一線なんかどうにかなるのに。
育む愛も必要だが、分け与える愛も必要。支え合う愛も必要。
鬱病の本音を語った映画はこれまであったかな?
日常面倒な人間と関わりたく無い方はご視聴お控えください。つまらないと思います。
タイトルも納得です。
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