万引き家族のレビュー・感想・評価
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現実に経験した人でないとわからない事
過去に血のつながりがあった両親から捨てられた隠し子と一時期とあるマンションに一緒に住んでました。自分はその頃は20代の頃で他人の家に居候してました。その子は同じ5歳の男の子でしたが、結局また違う他人の家にその子はたらい回しにされてました。
血のつながりがある両親に捨てられ愛情も注がれない子と映画の子と折り重なって見えて泣けました。それと自分も親から虐待を受けて育ちました。それが嫌で親から離縁無一文で今まで頑張ってきました、結局虐待を受けても血のつながりはあるなしに関わらず、親身に育てれば絆が生まれるということも映画を通じて学びました、夢が叶う人はわずかです。でも、叶った瞬間は、実は夢が消えてしまう瞬間なのです。ですから本当は、夢に向かってトライしている時が、一番幸せな時間ですそれでやっと車を買える程まで夢は叶いました、要は人生この仕事を、やって良かったと思える人生を歩んできたかに限ります。だから最終上映までこの映画を見続けます!
観て満足
面白くないハズはないと思って観た。
当然ながら、面白かった。
物語の始まりは虐待女児を拾ってきてからで、そこから思っていた以上に丁寧に構成されていた。本来なら飽きちゃうところなんだけど、女児が入ってきたことで起こるリトマス的リアクションが心地よく楽しく観れた。勉強になったのは、息子が成長するにつれて感じる万引きへの違和感が、ある種のタイムサスの様になっていて、間接的に焦燥できる面白さがあった。
ゴミ屋敷
昔観たテレビで、ゴミ屋敷の住人が「物が捨てられているのを見ると可哀想で、つい拾ってくる」と言ってた事を思い出しました。
万引き家族は、家族にも社会にも捨てられた人間を「可哀想だから」という理由だけで助けて拾ってくる人達のお話です。それはまるで昔から日本に伝わるお伽話のよう。お伽話には、人や色々な動物を助けるお話しが沢山あります。「助けあい」はずっと昔から物語の中心にあり続けました。今は少しだけそれを忘れてしまっているだけ。多分、お金の損得を考え過ぎてしまっているだけ。
「可哀想だから」
きっと私も誰かを助けたいんだ。誰かに助けられたいんだ。そんな温かさの残った現代版お伽話は、時間が経てば経つほど私を優しさの中に誘います。今年アカデミー賞を受賞した「シェイプ・オブ・ウオーター」もマイノリティがマイノリティを助けるお話しでした。国を問わずに今求められている声なのかもしれません。
家族って。。。。タイトルの意味が深い。
小学校5年の息子が見たがってましたが、今日友達に誘われて見てきましたがPG12ともあって、子供には女子の過激なシーンがあるので見せれないですね。でも家族愛、親子愛はすごく伝わってきて素敵な映画でした☆子供を産んだから母親になるのが決まっているからと言って、育て方を間違っている人もいる。血が繋がっていなくても愛情はいくらでも与えられる。家族が多くて楽しそうに見えても、それぞれみんな色んな悩みを抱えてる。涙が溢れるシーンがあり胸が苦しくなりましたが、最後はしっくりこないで引きずる感じで友達と映画館を出ました。ストーリーは完璧すぎて、役者も子役から全て完璧な演技力を見せてくれました。この作品は人生を深く考えされられる内容でした。
ダメだけどいとおしい
安藤さくら力がパネエ〜〜(笑)
いろんな方がたくさんレビューを書いておられるので簡単に〜〜
安藤さくら力がパネエ〜〜(笑)
予告編と配役を見ただけでこれは良いに決まってるだろ!!(笑)
弱いものが寄り添って生きる〜
よく「ふれあい〇〇」とか「絆〇〇」とかそんな言葉は
気恥ずかしくなるだけで、何の実質も伴ってないことが多いよね。
言葉や表現ではなく、
できる事を何も言わずにそれぞれがやっていけば
それが本当に寄り添って生きることになるんだろうな〜〜
社会のシステムから溢れる人〜〜
ちょっと怪我でもしようものなら自分もいつそうなるか〜
ある意味、目の前の現実であって考えると恐ろしい〜〜
月に8本ほど映画館で映画を観る中途半端な映画好き的には
安藤さくらさんの過去作「0、5ミリ」で演じた「山岸サワ」が
巡り巡って今回のお父ちゃんや「家族」たちを引き寄せた様な〜〜
「柴田信代」も「山岸サワ」も現代の女神様だわ〜〜
主要キャストの俳優さんはみんな注目してると思うので
私的には出番は少ないけど池松壮亮さんが良かった。
彼も多分、何かで(ネタバレになるので書かない)
孤独な青年なのだろう。
松岡茉優の前で見せた表情にその切なさが一瞬で伝わってきた。
みんな何かが弱くて、どこかで繋がりを求めてるんだろうな〜
@もう一度観るなら?「近いうちに絶対映画館で」
星は樹木希林と安藤さんに。
樹木希林さん
自分の生きている現実世界とはあまりにかけ離れていて、ああいう経験を...
自分の生きている現実世界とはあまりにかけ離れていて、ああいう経験をしたことのない人間には理解の限界があるように感じました。少し悔しいけど。簡単に分かったようなことは言えないなと思いました。
ですがわたしも保育を専門で勉強をしています。
育児や貧困問題などについても知識はあります。
結局、人の心を救うのは人なんです。
誰かがどうにかしないといけない。
支えないと。助けないと。
取り調べで泣いていたお母さんの顔を見てそう思いました。
検事さんの言葉に、そういうことじゃない。そういうことじゃないよ。と思いながら。どうか、誰か、分かってあげて、と祈るような思いでした。理屈では片付けられない事情や気持ちが誰にでもあるはずなのに、そんなことみんなが分かっているはずなのに、世の中のルールや掟なんて窮屈で鬱陶しくて、もどかしいです。
あの家族は、社会的に排除されてしまった人たちの象徴で、居場所がほしい、何かの誰かの役に立ちたいという思いがいちばんにあったと思う。自分の存在価値を見いだすのにもがいているように見えました。
お父さんは働いていたけど、会社から頼りにはされていなかったんだろうなとわたしは読み取りました。
お金がないから万引き、というより、食料を確保することで家族の役に立てるから、役に立ちたいから万引き、だったのかな……とか思いました。
もっと言うと本当は無意識に、誰かに見てほしかったのかも、気づいてほしかったのかもしれない。
ただ、子どもには大人以上に未来があります。
だからあの時しょうたに声を掛けてくれた、駄菓子屋のおじちゃんの優しさは深かったと思いました。
(現実にあんなことがあったら、児童相談所などに通告するべきだとは思いますが。)
そのあとすぐに「忌中」でお店のシャッターが閉まっていて、世の中いい人ほど早くいなくなってしまうことも痛感しました。
いつも思いますが、是枝作品はキャストの使い方が贅沢です。出る人出る人知っている顔ばかりで飽きないけど、急にファンタジー感が増すという意見も分からなくはない。
より多くの人に観てもらって、感じてもらおうとするなら、終わり方ももう少し分かりやすくていいのかなと思いました。スッキリしないと「難しい」で終わってしまう人が多そうでもったいない気がします。
わたし自身は、人との向き合い方について改めて意識させられる映画になりました。
現実だとなかなか難しいこともありますが、こういう状況があるということを知れただけでも違うと思うので。
偽物と本物とは
いきなり万引きをする父と子から始まる。
手際よく商品をカバンの中へ入れていき家に帰ると、小汚い家で盗んだもので食事をする家族の姿が。一見万引きをして生計を立ててる貧しい家族。実は全員血の繋がっていない疑似家族ですが、みんなで海に行ったシーンは本物の家族以上に家族で、全員が幸せの絶頂にいたのだと思う。しかし幸せは束の間で、一気に下り始める。嘘はいつかバレるように、虚は真になりきれないように犯罪で繋がる疑似家族が本物の家族になりきれないように。
しかし妹が生まれてから妹にだけ愛情が注がれ家を出て初枝の元へきた亜紀や虐待されていたじゅりなどは特に、この家族と過ごした日々や愛情は本物の家族より大切なんじゃないかと思う。
じゅりは後半のシーンで信代が教えた数え歌を歌う、それがまたあの家族で過ごした日々を尊く思っていることを思わせる。
ラストは全員自分の気持ちをあまり語らないまま終わるがそれも含めこの映画らしくて個人的には好きな終わりだった。
歪んだ家族愛、絆
決して美化してはいけない愛と絆で結ばれた擬似家族の物語。
私はこの映画から何を学ぶべきなのか。
「歪んだ」とタイトルに付けたが、では真っ当な歪んでいない家族とは?冷蔵庫のCMで見るような家族で料理を手伝い、食卓を一家で囲み、笑いが絶えない家族のこと?この映画にも家族団欒のシーンはいくつもあった。
所謂、社会の底辺、貧困層として喘いでる人たちは其処彼処にいる。その人たちが事件を起こしたとき、私は、ニュースで結果しか知ることが出来ない。何故その事件を起こしてしまったのかは、報道というバイアスのかかった情報でしか知ることが出来ない。彼らの生の声を聞くことは出来ない。
こうした貧困層に目を向けたとき、何を考えるべきなのでしょう。社会が悪い、政治が悪い、手を差し伸べない誰かが悪い…といった犯人探し?
映画は道徳の教科書ではない。
「誰も知らない」にも通じる、こういう人たちがいるのは聞いたことあるけど遠い世界の出来事、と一蹴してしまいそうだけど、知っておかなければならない、見ないふりをしてはいけない現実を描いた映画。
重いテーマの映画でした、と一言で片付けてはいけない映画。
直視しましょう現実を。そして、考えましょう。
親子とは家族とは…突きつけられる
パルムドールを拾った男
万引きによって生計をたてている家族の絆を描いた映画なのか。それとも、ダルデンヌ兄弟風の演出で貧困と再生を描こうとした映画なのか。ラスト、唯一法の裁きを受ける信代(安藤サクラ)の罪状に注目すると全く別の見方ができる1本である。
家族が暮らす隅田川沿いのあばら家をロケハウスに選んだ是枝は、美術のお姉さんに徹底的な“汚し”処理をするよう注文を出したという。そんなゴミ屋敷に集う家族が、周囲から隔絶した闇の中に花火のようにぽつんと浮かぶシーンが印象的だ。
本編で詳細は語られないものの、自分の本名を子供たちにつける治(リリー・フランキー)や亜紀(松岡美優)もまた、かつては親に見捨てられた子供たちだったのではないか。日雇い労働と風俗嬢に身をやつした現在は、親からそして社会からもネグレクトされた存在なのだろう。
幼いゆりにも万引きの手伝いをさせようとする治のやり方に疑問をいだきはじめる翔太が、駄菓子屋の店主(柄本明)に万引きを見逃してもらった時、亜紀が4番さんとふれあった時、そして信代と治がSEXした時、けっして自分たちが幽霊ではないことに気づいたのではないか。
しかし社会というものは残酷にできている。一度見捨てた人間たちに対し、けっして居心地のいい楽園を与えたりはしない。その証拠にこの偽家族は、世間のスポットライトを浴びた瞬間、いとも簡単に“絆”を放棄し、ものの見事に崩壊してしまうのである。
本作で描かれている“万引き”とはつまり、(自分たちを捨てた社会への復讐というよりは)夫や親、そして社会からゴミのように捨てられた人間たちの、「自分の存在に誰か気づいてほしい」という“声なき心の叫び”だったのではないか。是枝が当初考えていた映画タイトル『声を出して呼んで』に映画の真意がよく表れている気がするのだ。
万引きを助長する反社映画との的外れな批判もあるようだが、むしろ是枝裕和の進化したストーリーテリング・テクニックを堪能すべき作品といえるだろう。「捨てたんじゃない、ひろったんだよ」信代がふともらしたこの台詞には、「パルムドールを受賞するのは俺だ」という是枝監督の確信がこめられていたのかもしれない。
予想通り
カンヌのパルムドール賞を取り話題になり映画館で観ないと一生観ないと思い鑑賞。
家族の物語で大きな山場もなく何を伝えたいかもわからず終了した。
ほかのレビューなど読んでいくとそうゆう解釈もあるのかと思い、楽しめなかったのは自分の捉え方の問題なのかなと感じた。
残る映画
賛否両論 色々ありますが、その人達を責められないような…あんたは正しいのか?って突きつけられる思いになる。
役者陣のせいか、是枝監督だからか、下品にならないのですよね。
樹木希林の老婆は、もう本当に凄いです。高齢者の施設に行ったことがある人ならわかるでしょう。リアルに沢山いるお婆さんです。
映画を見に行く人の大半が 高良健吾であり池脇千鶴でしょう。正しく生きています。私も。
では、リンは親元に戻されて幸せなのか?
ラストシーン、リンが見つめる先にあるものを考えさせられました。
観たあとに、心に何かが残る映画でした。
『親からの精神的自立』
★親から精神的自立ができていない大人がたくさんいます。
👨ラスト男の子は万引き家族から自立します。
👧女の子は家族から生き残り自立できるのか?
家族にコロサレル❗
悲鳴がキコエル❗
万引き家族
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