志乃ちゃんは自分の名前が言えないのレビュー・感想・評価
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場面緘黙症
最近、目にするようになった場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)の少女のお話だった。
家では普通に話せるのに、一人では普通に話せるのに…
人の前だと緊張して話せなくなる。
現実にその悩みを抱えてる子たちはたくさんいて、
志乃ちゃんみたいにかよちゃんみたいな存在がいるのといないのとでは雲泥の差だろうと思う。
殆どの子たちが孤独と戦いながら日々を生きているのかと思うと志乃ちゃん良かったね…って気持ちで見ていた。
自分で自分の殻を割れというメッセージなのか、
志乃ちゃんのように誰もが自ら殻を破ることは出来ないとしたら、周りの人間が手を差し伸べてあげれるような世の中であってほしいなと感じた。
親目線で見て泣ける
原作が漫画とは知らなかった。
侮れないよね。。
メチャメチャ良かったよ。
自分には高校生の娘がいるのでかなり刺さったな😭
最初橋で初の路上ライブをやるシーンなんて、恥ずかしさと甘酸っぱいさが
マックスに描かれて見ていても恥ずかしいんだけど、頑張れ~!って応援したくなるよね。
青春時代って未熟故に自分の能力値もわからないけど、なんだか根拠の無い自信があったりして
だからこそやっちゃえることがあると思う。振り返れば無謀だったと思ったりするんだけど
それはそれで青春の1ページなんだよね。初路上ライブのシーンはなんか熱くなったなー。
菊池はかなり痛い。
でもわかる。
溶け込もうと頑張って、頑張るほど浮いてしまう。
人との距離感とか空気とか読めない。悲しいくらいウザいんだよね。
個人的には大ッキライだけど、映画ではちょっとずつ気がついて行ったのかな?
相手のことを考えてやる事が大事なのが。
また菊池がバンドに入ったことで志乃は加代を取られてしまうのではないかという
焦りが出ちゃうのもよくわかるー。
人間て3人あつまって二人が話盛り上がっちゃうとすごく疎外感感じるんだよね。
グループの中が良ければ良いほどね。
3人のクラスでも浮いてしまう子供たちが
必死で友達作りや趣味に打ち込む姿が結構リアルに描けていたと思う。
誰もが感じるであろう、孤独感や疎外感、それらから逃れるために必死に
なっている姿は青くって笑えて痛い。でもそれがなんとも心地よいのよね。
それが青春さー。
ちょー良かった。
ただの青春ものではない。10代の葛藤を描いた人間ドラマである。
歌は上手いが吃音で悩む志乃。
ギターは弾けるが音痴で悩む加代。
中学時代いじめにあい空回りする明るさを振りまく強。
志乃と加代が「しのかよ」のヂュオを結成し、ストリートで度胸試しをしているところに強が通りがかり、居場所を求めていた強が無理やり加入してくる。
志乃はよほど心を許さないと緊張で吃音が激しくなる傾向があるので、強の加入を快く思わない。
そのまま学園祭になり、加代だけがバンドコンテストにソロ出演。
私は軽い吃音がある。これは同じ悩みを持った人でないとその苦しみは分からないだろう。
電話をするとき、大人数の前で話すとき、言い換えができない固定された言葉を発しないといけないとき。それはそれは深呼吸では乗り越えられないほどの緊張感がある。
何か言いやすい言葉への変換、勢いで続きで発する、などのことをしていかないといけないという追い込みがさらに緊張感を増していく。
作品を見ながら痛いほどその思いが伝わってくる。志乃の吃音の演技に関して、苦しむ人に対して差別的だと非難する人もいるだろう。でも、それを分かってもらわないと隣の人がそれに苦しんでいるかもしれない、他のことで悩んでいるかもしれない、ということにも気づけないだろう。
それをNHK的な表現ではなく、文学作品的な表現で知ってもらえるなら自然に受け入れてもらえるかもしれない。
有名な俳優さんが出ているものがいい作品ではない。それぞれの心へ印象付けることができるものがいい作品である。
成長するってこと
志乃ちゃんの歌も聞きたかった。
ギターが引けて、音楽は大好きなのに音痴なコンプレックスを持つ少女カヨと、吃音でコミニケーションが取れず人と交われないシノが巡り合う。
なぜかシノは歌なら歌えた。そしていい声でタッグを組む。2人の路上ライブ良かったな。あの素晴らしい愛をもう一度♪
いい歌だね。
思春期の中学生のうつりゆく心情や、友情を、うまく表現していた。
あまり点数が高くないのは、シノカヨの文化祭での歌が聞きたかったなあというところ。あそこまでやったら歌聞きたいでしょう。
また、シノの吃音の演技が僕にはうまくは見えなかったかなあ。あまりこだわるとこじゃないかもだけど。シノやカヨの今後が気になった。
志乃ちゃんは自分の名前が言えない
よくある主人公がいったんはポジティブになったけど、何かがきっかけで絶望して、最後には結局ハッピーエンドという流れかと思ったけど最後が違った。
最後もう一回2人で歌うのかと。
このラストには驚き。見方によってはみんな1人ぼっちになったみたいな感じだけど、最後のありがとうを言った後の志乃の表情からは彼女たちの未来に対する希望を感じずにはいられない。
来年3人で文化祭で歌っている姿が容易に想像できる。
入学して時が経つにつれるクラス内の人間関係の変化がリアル。アイネクライネナハトムジークでも演じていた通り萩原利久は高校生役が似合う。
吃音という言葉を一切使用していないのも興味深い。
自分が恥ずかしがるのを恐れて逃げずに立ち向かう。
学校の周りや町の景色が綺麗すぎる。
加代ちゃんはやっぱりひかりちゃんか
いい女優さんだ。
要注目。
時間の使い方がとてもいい。
志乃が話せるまで、はじめは紙に書かせてたけど、次第に話し終わるまで黙って待ってる時間。
優しさが伝わってくる。
歌い出したら、透明な歌声。
とても大きな声で発音もよく、それをうまくシャベルコトガできないのは相当なストレスだろう。
最後は彼女達はどうなったんだろう?
涙と鼻水と青空
児童文学にまで引き上げる様な実写化アレンジ
後味の残る作品
どんどんわるくなる
いつもの日本映画なんだろうな、と思って見た。
が、抑制があった。
素朴な田舎の高校生である。
それを描写する映画も、お涙頂戴や承認欲求や岩井俊二風や、吃音に対する特別な問題提起を用いていない。
また、ここでの演技があがなわれることで、別のステージが拓けるアイドルが演じているわけでもない。
無欲で、ピュアな映画だと思った。
のは、菊池君の加入までである。
孤独が躁になって顕れてしまう奴はいるし、志乃が心を閉ざすきっかけとして、分かり易いが、あまりに過剰だった。
人と対峙したとき、感情をつかさどるのは、相手のデリカシーである。どもりがあろうとなかろうと。
すなわち彼が必要悪となり、そのオブセッションを乗り越える曲線が描かれるはずだった。ところが菊池君、あまりにけたたまし過ぎて、志乃だけでなく、観る者の感情をも著しく乱してしまうのである。そこで、雰囲気を崩したついでに文化祭の演劇風さらけ出しで、凡庸な映画になった。
実体験に基づく原作であることを顧慮したい気持ちが無いでは無いが、個人的には菊池君が強すぎた。文部科学省選定映画が関山であろうかと思う。
寂しげな志乃、クールな加代。海辺で、光りのおびただしい土地である。顔にあたる光彩がまばゆい。うつむいて泣いたとき、鼻水の条がきらきらと輝いた。かえすがえすも残念だった。
【”ずっと独りぼっちだったけれど、もう魔法はいらない・・” 葛藤しながらも自らのコンプレックスと向き合い、新たな一歩を踏み出す少年少女の姿が心に沁みいる作品。】
■今作の魅力
1.キャラクター設定の妙と演じる若き俳優さんたちの姿
・志乃(南沙良):人前に出ると、緊張のため吃音になってしまう高校一年生の少女。美しい唄声を持つ。
・加代(蒔田彩珠):音楽が大好きで、ギターを奏でる事で自分の居場所を保つ少女。少しだけ、音痴のため友達と距離を持つ。
・菊池(荻原利久):おバカキャラを出そうとするが、クラスの中で浮いてしまうちょっとイタイ男子。中学時代に苛められていたらしい・・。
という、様々なコンプレックスを抱えた高校一年生を演じる、南さん、蒔田さん、荻原さんの姿。取り分け南さんが演じる志乃の姿は沁みる。
白眉は、ラストに近いコンサートでの志乃の魂の叫びのシーンであろう。
又、ツンデレだが、心優しき加代を演じる蒔田さん。イタイキャラを演じる荻原さんの姿も印象的。この三人が奏でる演技のトライアングルが素晴らしいのである。
2.1970年代のフォークソングの使い方
・随所で奏でられる”あの素晴らしい愛をもう一度” ”翼をください”のメロディが醸し出す風合。
3.1990年代のJ-POPの使い方
・曲数は少ないが、”ザ・ブルーハーツ”、”ミッシェル・ガン・エレファント”と、上記フォークソングとの相乗効果。
4.盤石の”足立紳”の脚本
・3名の若手俳優の名演を引き出す安定の脚本。劇中の音楽の使い方も素晴らしい。
今作の素晴らしさは、足立紳の脚本と南沙良さんを筆頭とした若手俳優3名の方々の演技に依って成り立っていると言っても、過言ではないであろう。
<ある視点から、様々なコンプレックスを抱えた若者たちを描いた青春映画の秀作。改めて、足立紳の書く脚本の凄さを認識した作品でもある。>
<2018年9月 シネマテーク高崎にて鑑賞>
ー鑑賞当時、激しく心に沁み入ってしまい、とても恥ずかしい思いをした挙句、鑑賞記録を紛失・・。-
<2020年6月 別媒体にて再鑑賞>
南沙良さん凄い
「ありがたくない個性」の話。
先に結論から言っておくと、良い映画だったと思う。
アバンタイトルでグッと掴まれて、序盤は泣きっぱなし。
海辺の町の夏の風景の懐かし美しい雰囲気もとても良かった。
でも最後までは乗り切ることができなかった。
これは僕が『ムーンライト』や『ワンダー 君は太陽』で感じた乗り切れなさなんだと思う。
映画の中で語られているのは、“ハンデ”なのか、“個性”なのかという話。
例えば、ムーンライトの主人公はゲイで黒人。それがハンデとして語られるなら、LGBT差別とか人種差別とかを考えさせられつつ、観客は道徳心でもって主人公に同情的な感情移入をする。
また例えばワンダーの主人公は顔が醜い。それをハンデとして語るなら、「人を見た目で判断しちゃダメ!」って道徳心で主人公の頑張りや成長に割増しで感動する。
でも、本当にそれらを差別しないんだったら、ゲイとか黒人とか顔が醜いとかドモリ症とかって「個性に過ぎないんじゃない?」って話になってくる。
「ありがたくない個性」なんて誰もが背負っている。そして多くの「ありがたくない個性」は“ハンデ”として同情されたり、免罪されたり、救いの手を差し伸べられたりしない。
体に障害がある人への差別は社会問題になるけど、例えば性格に障害がある人への差別は、ただ嫌われ者の自己責任になるだけだよね。
例えばセクシャルマイノリティとか身体障害者の日常生活と、
例えばフツーにブサイクで性格悪くて嫌われてしまう者の日常生活と、
どっちが同情されるべきだろうかみたいなことを考えちゃう。
僕にとって、登場人物が「ありがたくない個性」を乗り越えて成長していく話を観るのは大好きだけど、そこに“ハンデ”という要素があると、それが逃げ道になったり、無駄に感動を煽る大袈裟さに感じられてしまって苦手だったりする。
そのへんについて本作は、ちゃんと言及していてエラかったと思う。学校から一緒に帰る道の場面だったと思うけど、加代は志乃に「あんたはいいよね、吃音って障害というエクスキューズがあって」というような意味のことを言う。つまり志乃のドモリには吃音という“やむを得ないレッキとしたハンデ”があるけど、加代の音痴は障害でもなんでもないから、“ありがたくない個性を、純粋なコンプレックスとして背負わなきゃいけない”んだっていう話だよね。
「レッキとしたハンデを持つ弱者」からの視点で映画を観ると、「ちょっと迂闊な物言いをする先生」も、障害者に理解がなく無神経で独善的な、すげー悪役に見える。でも僕は「あぁ、この登場人物、観客にすげー悪役だと思われて可哀想だな」って思っちゃう。もちろん志乃という主人公が、この教師を悪役の位置に立たせてるわけじゃないし、この主人公もまっとうに可哀想なんだけど。
そういうひねくれた見方でこの映画を観る僕には、いちばん可哀想だったのは、この菊池という男子だった。単に僕にキャラが近いから不要に感情移入してるだけなのかもしれない。
「ウザいヤツだけど、悪いヤツではない。」でも、「悪いヤツではないけど、やっぱりウザい。」
物語が主人公に対してする救済みたいなものは、菊池には与えられない。それは「彼のウザさは自己責任であってハンデではない」からなのかもしれないし、ただ単に主人公じゃないからなのかもしれない。この映画に映る彼の最後の場面はとてもリアルで残酷だったと思う。その残酷さに多くの観客はたぶん見向きもしないだろうという残酷さ。
志乃と加代は、「しのかよ」としてまた一緒に音楽やるのかな?
やれたらいいなとも思うし、やらなくてももういいのかなとも思う。
そのどちらかを、正解として押し付けてこない。そこもこの作品のエラいところだと思う。だから良い映画だった。良い映画だったけどスッキリと泣けなかった。だからこそ良い映画だったんだと思う。
志乃です!加代です!しのかよです!
吃音によりコミュニケーションがとれないことはよくある話。ところが音楽というツールによって発声がスムーズになる。どこかで聞いたことのあるような設定ですが、生活をすべてミュージカルにしちゃえばいいじゃん♪などと催眠術を勧める母親を見て思った。あ、でも踊りだすのはやっぱり変だな・・・
スキャットマン・ジョン(1942~1999)がメジャーデビューしたのが52歳の時。自身の障害である吃音症を逆手に取ったスキャットソングで、いきなりのミリオンセラーを記録した。彼は日本の吃音者団体である全国言友会に寄付した。意味を持たない言葉だったら自由に喋ることができるということ、当時はかなり話題になったものだ。その代表曲「スキャットマン」を初めて聴いたときには愛川欽也のパック・イン・ミュージックのジングルを思い出したものですが、コピーするのも難しく、何十回も聴いたことをも思い出しました。
で、この作品は音楽映画であるのか?「あの素晴らしい愛をもう一度」や「翼をください」といった懐かしのフォークソングを歌うあたり、またしても『ダンスウィズミー』と世代的に同じところを狙っているような気がする。しかし、加代ちゃんがとても下手だったり、歌よりも加代志乃の百合っぽい映像に惹かれてしまう。文化祭のコンサートの「魔法」というオリジナルは下手すぎて歌詞にばかり気を取られてしまうほど。
彼女の心の中は誰にも伝わらない。加代ちゃんだって孤独な少女なので、作詞によって思いを伝えることしかできないのだ。空気を読めずにずけずけと彼女たちに割り込んでくる菊地が緩衝材となってるところもいい。それがなければ二人の絆はただ楽しいだけの関係になっていたのだろうから・・・とにかく壊れやすい乙女心。俺も昔はわかってなかったな・・・・
きれいな絵づくり
吃音の女子高生、アコギギターを弾くのが大好きだけど歌が下手な女子高生、はしゃぎすぎの浮いた男子高生、3人共にうまく友だちをつくっていくようなキャラではない設定。内容よりも、引いた構図、逆光のライティングの織りなすきれいな映像がとても良かった。ラストは3人ともに友だちと群れない絵をみせていて現実感ある。
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