君の名前で僕を呼んでのレビュー・感想・評価
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DVDサントラ共に揃えたい。。。。
一夏、何かを待ちわびていて、つねに空洞を抱えている17歳特有の空気感がザラザラとした画質に含まれているようで、また雰囲気を立てていたように思える。後ろで流れるピアノの旋律が主人公の心情と重なり(時には扇情する役割があったのかもしれない)、途中からは終わらないで欲しいという想いもありつつ物凄く辛かった。
同性愛映画として捉えるべきなのか、むしろ同性愛だから美しいと感じるのかはそれぞれ主観だと思うが、壊れてしまいそうな美しい関係が成り立つのは同性同士だからかもしれない。
そりゃ好きになるわ要素が詰め込まれすぎて苦しかった、アーミー・ハマー。
ありがちな展開だけど、どこかでハッピーエンドを期待してしまっていて、ティモシー・シャラメの涙から始まるエンドロールは虚無そのものだった。こんなにも素敵なエンドロールがあるのだと衝撃を受けたがその前にひたすらに辛かった。
Visions of Gideon、素晴らしい。言語化の難しさをひしひしと感じる。どのタイミングでも今見てよかったと思える映画だと思う。
いつでもここに戻ってきてもいいのかもしれない。夏休みのありがちな思い出の1ページとしてこの映画をしまっておくにはあまりにも美し過ぎるのではないだろうか。
後にも先にも唯一無二の作品
初めはCMで見て、アーミー・ハマーがカッコいいから観てみようかな・・・位の気持ちでBunkamuraへ向かった記憶がある。ところが観終わって心を掴んだのはラストシーンでの、ティモシー・シャラメの美しさと涙だった。
この作品はフランスやイタリアの映画や美術館好きにはたまらない。まずオープニングの映像、これから始まる愛の高まりを感じさせるような音楽が、ジャン・コクトーの「美女と野獣」を思わせるようでワクワクしてしまう。
舞台は北イタリアの夏、瀟洒な邸宅。そこを夏の住居とするアカデミックな家族たち。
壁のタペストリーや季節の果物が重たげに実る庭に至るまで、全てが桃源郷のようで、アメリカから来て暫く滞在するアーミー・ハマーにとってもそれは別世界を経験する入り口となる。
初めは博識で回転の早い、いけすかない奴だったアーミーに、ティモシーの方はいつしか心惹かれてしまう。そして恋心が募ってついには深い関係になっていく。
途中、ピアノの音色に恋心をのせるシーンやガールフレンドとのやり取りも面白いけど(というか、原作では更に冷たい扱いをされる)何といってもガルダ湖から引き揚げられた彫像を見るためにシルミオーネへ行くところが最高に好きだ。ここは原作には無いシーンだけれど、素晴らしい(自分も聖地巡礼をすべく、ミラノから列車とタクシー乗り継いで行ったほど・・・)。
2人の関係を知ってか知らずか両親は応援していて、アーミーがアメリカに戻る前に小旅行にベルガモに行かせるのだけど、小さなバスで揺られる辺りにスフィアン・スティーブンスの歌が流れて、見るたびにここでもグッと来てしまう。
列車で見送るシーン。まるで新婚旅行のような旅の終わりは2人の永遠の別れへと繋がる・・・
永遠の別れ、なんて原作ではその後にも再会する事になるし、実際監督も続編を撮る気満々だったけど、アーミー・ハマーが私生活乱れまくりで計画は頓挫している様子。
ただ、続編は作らない方が良いと思う。
ラストでティモシーが暖炉の炎を見つめながら、楽しかったのか苦しかったのかわからないほど激しかった夏の思い出を想い起こし涙する・・・あのエンドロールだけでもう十分満点の作品。
続きは必要ないでしょう。
映像美
自然、音楽がとても心地よかった。
映画全体を通して1つのアートのように感じた。
ゲイを題材にしたこの映画、一番印象に残ったのは
主人公やオリバーではなく父親の方だった。
息子がゲイであることに対しての理解がお手本。
現代は特にLGBTに対する偏見を無くす動きが
強まってる中で、この映画は評価されるだろう。
確かに、思うところは色々あったし、少し見方も
変わるかもしれない。
しかし残念だったのは単調で退屈。
2時間越えする必要があったかな?という内容。
1時間半ほどであればもっとまとまってメッセージ性の
ある映画にできたと思う。
結局真に伝えたい意図は分からないまま
エンディングを迎えてしまった。
そして最後のオリバー結婚報告は2年後冬なのか
その年の冬なのかでまた評価が変わる。
2年後ならば新たなスタートと捉えられるが、
その年なら遊びだったと解釈される。
2年前から関係があったなら、都合よく2年後と
捉えることにした。
エンドロールの暖炉でのエリオの涙は美しかった。
美しい
主演のティモシーシャラメが美しすぎます。映像、音楽、人物すべてが綺麗ですごい。一夏の恋って切ないな、エリオの両親が理解ある人でよかったけど、やっぱり差別っていうのはあるんだろうな。エンドロールが良すぎて大号泣
10代の、ほんの一瞬しかない美しさ
ティモシー・シャラメの10代のほんの一瞬しかない美しさが詰まっている。それは数年経って演技が上達しても超えることはできないものだと思う。それを映像に切りとったという点は評価できる。
それ以外のところは正直退屈。
障害がなくてはならないとは言わないが、両親に理解がありすぎる。最後の数日の2人の旅行はロマンチックというより理解に苦しむ。
タイトルの君の名前で僕を呼んで。考えてみれば意味がわからない。
ラストシーンが!
美しい景色と美しい音楽
美しい男
前半は物語の盛り上がりもなく進んでいくので
いつもなら退屈に感じるはずの私が
この美しさに引き込まれてしまいました。
エリオは17歳らしく感受性豊かで
女の子にも、あわよくば。と思う普通の男の子
そこに現れた完璧な年上男性オリバーからだんだんと目が離せなくなって特別な感情を抱くように、、、
オリバーって常に少し遠目、上半身アップくらいで映されていたのが、エリオと一晩過ごした後急にアップがくるんだよね。
そこに2人の心の距離とかも現れていたのかな。
記述すべきは親の理解ね。
17歳の息子が同性の年上に惹かれてるのに
静かに応援。
性別なんて全く問題ではなく
素晴らしい人間性、そして愛し合うことの尊さを語る。
これが40年も前が舞台だなんて。
そして1番惹かれたのは
ラストシーンの暖炉の前の長回し。
エリオの完璧な演技。
そして暖炉の火のパチパチいう音でフェードアウト。
エモい!エモすぎる!
同性愛とかで分けられたくはない
純粋なラブストーリー。
OP映像で確信した。
傑作だって。
心踊るようなピアノ曲と、古代の彫刻の写真のOP映像。その時点でもう、傑作だと確信。
すでに文才あるお姉様方が充分な賛辞を送っていると思うので、下手な文句を付け加えるような野暮な真似はいたしませんが、そうですね、、しかし、美しい映画ですね。イタリアの片田舎の悠久の時を感じさせるというか、つまり(テンポの早いアメリカ映画に慣れきってしまったのか)やや冗長に感じる側面もありますけども、全体にとにかく美しい。羨ましい。私も庭で朝ごはん食べたい(そこか(笑))。
主演二人も上手い。気持ちが通じ合うシーン(銅像広場のとこね)の、像を迂回してまた合流するあの演出のニクさよ。気に入りすぎてこの映画は母にも見せたのですが、あのシーンについて「映画史に残る」とのお褒めの言葉を頂戴いたしました(笑)
ラスト近く、父親の長台詞もいいし。終わり方もいいですね。急に画面を暗転させないで、ああやって映像を続けたままクレジット出す演出、好きです。それ以前に、駅で二人が一言も言葉を交わさないのもいいですね。
エリオにとって、忘れられない青春でしょう、これは。
エリオ、オリヴァー。しばらく忘れられなさそう。時代背景として諸々、制約はもちろんあるんだけど、とても幸せなBL映画です。こういうのがランキングに並ぶ時代になった。よきかなよきかな。
(結局、いっぱい付け加えたな(笑))
隣に寄り添ってくれる傑作
同性愛を扱っているということで、どこか観るのを避けていたが、定額サービスで初めて鑑賞。同性愛を扱っているが、感情を大事にすることの大切さを教えてくれる傑作。
主演の2人が魅力的でありその演技に引き込まれ、同性愛者でなくても登場人物に感情移入してしまった。また、攻撃的な人や嫌な人物が1人も出てこないことで、音楽とともに心が包み込まれるような感覚にさせてくれる。
どこか心が荒んでしまったときに癒しとなってくれる映画です。生きるのに疲れてしまったとき、どこか寂しい気持ちになってしまったときにおすすめです。
父は優しく導く
父親は言う。悲しみから早く脱する為に感情に蓋をするなと。そして肯定して寄り添う。彼と同じくらいお前は善良で賢いと。身体も心も一度しか手に入らない。
先に生きた人間の、優しい配慮と、後悔すら受け入れる繊細さがそこにあった。こんな人になりたいと心から思った。
痛みを葬るな。感じた喜びを忘れずに。
恋路に向き合う三人
ジョン・アダムズのHallelujah Junctionが好きで、動画配信サイトでよく彼の曲を聞いていたのですが、その関連動画として、「君の名前で僕を呼んで」の予告を拝見しました。3年前の夏のことでした。ラヴェルのUne barque sur l'océanに乗せて流れる予告動画を見たときから、ずっと拝見したかった映画でした。そして、今年9月になって初めて、観る機会を得ました。鑑賞して以来、いままで折に触れてこの映画のことを思い返すようになりました。しかし、何故こうもこの映画を思い返すのか、何がそれほど気になるのかが、自分でも分かりません。
【「大人」と「子ども」の恋】
博学多才で、誰とでもすぐに仲良くなってしまう気さくな青年オリヴァーと、同じく才能にあふれているが、どちらかといえば内向的で気難しい少年エリオの恋。自転車に乗ってエリオがオリヴァーを街へ案内するシーン、バレーに興じるシーン、これらでさりげなくエリオに触れるオリヴァーは、最初からエリオに惹かれていました。しかし、エリオはと言えば、オリヴァーがエリオに対して「いろいろと難しすぎる」と零したように、その内面はどうにもよく見えてきません (オリヴァーがさっきの演奏をしてくれと何度頼んでも、素直に応じない件もそうです)。音楽の才能があり、オリヴァーの気品と知性に溢れた人格に魅力を覚えたのも間違いではないでしょう (エリオがイタリア人夫婦の矢継早なおしゃべりに堪えられなかったのは、見せかけの知性に対するアレルギーのようなものだったのかもしれません)。おそらく、表面からでは伝わりづらいエリオの情景を、M.A.Y. IN THE BACKYARD、futile devices、Une barque sur l'océanなど、様々な曲が表現(説明)していたのだと思います。楽しい、悲しい、嬉しい、憎々しい、といったただ一つの単純な感情ではなく、本人ですら翻弄されるような移り気で複雑な感情は、音楽によってしか表現しようがなかったのかもしれません。
しかし、流れるように虚ろ気な気分に委せたままのせいか、エリオが「いつも不安気」に話をしているようにオリヴァーには見えていました。オリヴァーとエリオの大きな違いは、相手にどのように向き合うべきかを、オリヴァーはその都度見定めていた点です。オリヴァーは、キアラという少女に表面的にでもきちんと応じる紳士であり、エリオの告白に対して嬉しくもありつつ、自分の感情・都合だけに流されず、世間一般の常識を省みて、「話してはいけない」、「恥ずべきことは何もしていない」と言ってエリオを制する善良な青年でした。初めてエリオとキスを交わしたオリヴァーは、エリオと距離を置きます。それは単に、常識を省みた上で節度ある態度を取るべきだと判断したからではなく、マルシアと結ばれる方がエリオにとって幸せなはずだと慮ったからにほかなりませんでした (鼻血を出したエリオの許へマルシアを向かわせたオリヴァーの行為は、そういうことだと思います。あるいは、オリヴァー本人にも、何とも言い難い戸惑いがあったのやも知れません)。
エリオには、オリヴァーの行為が「裏切り」に見えていました。そんなエリオに対するオリヴァーの言葉は、「大人になれ。夜に会おう」です。エリオは、約束の夜の前に、マルシアとデートをして、しかもセックスまでしてしまいます。こうして見れば、エリオはやはり「子ども」です。相手の行為の意味を冷静になって察するということは「大人」であろうと、難しいものでしょう。しかし、オリヴァーのことは気にはなるが好きなのかどうかも漠然としたまま、不安な気分に駆り立てられ、自分にとってマルシアとは何なのかも分からないままに、セックスにまで及んでしまう。エリオは、経験が浅く思慮が足りないガキである、と言っていいかもしれません。
オリヴァーとのセックスの後、オリヴァーはエリオの素っ気ない態度に不安を覚え、「昨夜のことで僕を恨む?」と聞きます。街に出たあと、オリヴァーは「悔やんでほしくない、君を苦しませたかと思うと辛い、どちらも犠牲になるべきじゃない」と言いますが、エリオは「昨日のことを誰かに言うつもりはない」と言います。オリヴァーが手紙で「大人になれ」と書いたのは、世間体も気にしろ、ということではなく、世間の常識もそうだが、一番大切なことは相手のことを気遣う思慮だ、という意味だったのだと私は解釈しています。24歳と17歳の恋は、その年の差のとおり、「大人」と「子ども」の間の恋です。
【研究者の孤独、父親の存在】
ではなぜ、気難しい上に「子ども」であるエリオにオリヴァーはそこまで惚れてしまったのでしょう。オリヴァーは初めからエリオに惹かれていたようですが、バレーボールのときから距離を取るべきと決めていました。それにも拘らず恋に落ちたのは、おそらく哲学者ハイデガーに関する論文の内容をエリオに聞いてもらった時だと思います。「根底的な隠蔽は人間を構成する。それは自己のみならず他の存在者との関係でも同じである。彼ら(古代ギリシア人)は存在者の人間との関係のみで隠蔽を解釈しているのではない」。隠蔽(「覆蔵(Verbergung)」のこと?)という仕方で、人間は真理に関わっているということがオリヴァーの主張だったのでしょうか (あるいは「僕には秘密がある」という遠回しな告解だったのでしょうか)。一読しただけでは読者のエリオも、書いたオリヴァー自身ですらも分かりませんでした。しかし、エリオは「書いてたときは違った?」と聞きました。オリヴァーは将来有望の研究者ですが、研究とは世間からは理解されない世界をたった一人で歩むことですから、その営みはずっと孤独なものです。エリオの何気ない一言は、エリオ本人にはそんなつもりでなくても、オリヴァーには自身の孤独を理解してくれたかのように響いたのかもしれません。何気なくボディタッチまでしてしまうほどに惹かれてしまった相手は、自分のことを理解してくれるかもしれない。これは、恋に落ちてしまう理由にはならないでしょうか。
エリオの両親は、そんなオリヴァーとエリオの様子をよく見ていました。大雨の日、エリオの母はドイツ語で『エプタメロン』を朗読し、ある王女に仕える騎士が自身の恋心を王女に「話すべきか、死すべきか」で葛藤するところを語って聞かせます。「話すべきか、死すべきか」とはつまり、自分自身にごまかしを許さない、という厳しい姿勢です。恋路とは単に甘いだけでなく、苦しく厳しいものであるのだと、この映画の中で初めて仄めかされます。エリオの父(パールマン教授)は「私たちはいつだって話を聞く」と言い、常に深い愛情を以ってエリオに接します。ですがその愛は、実は大抵の親以上に厳しいものです。
オリヴァーと駅で別れたエリオは、父の許で彼の話を静かに聞きます。この映画のもっとも静謐なシーンです。
「大抵の親は息子に早く立ち直ってもらいたいと願う。でも、私は違う。人は早く立ち直ろうとして自分の心を削り取り、30歳までに枯渇させてしまう。新しい出会いの度、与えるものが減っていく。だが何も感じないこと、自分の思いを無視することはあまりに惜しい。・・・・・お前の人生はお前だけのものだ。だが忘れるな。この心と身体を手に入れることができるのは一度だけだ。やがて心が擦り減る、気づかぬうちに。肉体については見向きもされない時が来る。そして近づく者すらいない。今お前は、悲しく、辛いだろう。だが押し殺すな。せっかくの喜びも死んでしまう」
パールマン教授は軽薄な気安めも慰めもエリオには与えません。彼はエリオに、自分が今抱えている苦しみから目を背けず、ちゃんと向き合いなさい、と言うのです。(それは、エリオにできる唯一のことだからでしょうか。それは、エリオだけでなく、私たちにも言えることでしょうか?) パールマン教授は、苦しいのだったら早く忘れて普通でいるのが一番いい、とは決して言いません。気安めや慰めで苦しみをごまかしてはいけない、そんなことをすれば喜びも絶え、心がすり減っていく。自身もエリオと「同じ」であったと告白したパールマン教授の言葉は、とても意味深長なものです。
プールサイドの光の乱反射、ガルダ湖の清らかな波打ち際、庭園の瑞々しい緑の場景、家の中を吹き抜けていく風.....イタリアの乾燥した空気の中に現れる強烈な光と影のヴィジョンのなかで、オリヴァーやエリオの肉体は、ギリシア・ローマの彫像のように美しく映えました。エリオにたかるハエや、汁気の多い桃に代表されるような豊穣な生命力にあふれたシーンもまた印象的です。しかし、それらもいずれ衰えていきます。肉体も季節も、心ですら、「気づかぬうちに」擦り減っていくのです。パールマン教授がエリオに示したことは、死すべきものの運命そのものです。それは、ただ単に、すべての事柄には終わりがある、というだけではないでしょう。「心と身体を手に入れるのは一度だけ」、「押し殺せば喜びも消える」、しかしどうしようとも心は「擦り減る」。死すべきものの運命には、悲哀が溢れています。(ですが、パールマン教授自身は、そんな死すべきものの悲哀があろうと、明るく朗らかで、深い愛情に満ちています。それが何故かは、これから自分なりに分かっていけたらいいなと、私は個人的には思っています。)
オリヴァーとエリオの電話でのやり取りの中、オリヴァーの印象的な言葉があります。お互いを自分の名前で呼び合い、そしてオリヴァーは「何一つ忘れない」と言います。忘れることで人は自分自身であり続けることができるものでしょう (変化することで同一であり続けるというヘラクレイトスの断片に関するオリヴァーの考察にあったように)。しかし、「何一つ忘れない」とは、死すべきものの運命に抗するかのような、「不死」の宣誓です。あるいはむしろ、この「不死(変化に揺るがされない自由?)」があるから、死んでいく時間や自分の心や肉体を受け入れていくことができる、という意味も、この映画の中には含まれているかもしれません (おそらく、考えすぎでしょうが)。何にせよ、オリヴァーもまた、パールマン教授の愛情を正しく受け取っていたのだと思います。
【エリオの涙、マルシアの存在】
ここまで映画の内容を自分なりにまとめて来て、どうしてこれほどこの映画のことが気にかかるのかが何となく見えてきました。ひとつは、エリオが最後に流した涙の意味です。エリオは何のため(何ゆえ)に泣いたのでしょう。オリヴァーの結婚と自身の失恋への涙? オリヴァーの誠実さに対して自分の過去の軽薄さが分かったから? あるいは、自身もまた何一つ忘れまい取りこぼすまいと、じっと堪えているから? 多分、複雑で難しい問題だと思います。
もうひとつは、マルシアという少女の存在です。結局この映画にとって、マルシアとはどういう存在だったのでしょう。「本を読む人って、謎めいてる。本当の自分を隠してる」と言うように、エリオの複雑さをマルシアもオリヴァー同様見抜いていました。「あなたは私を少し傷つける、それは嫌」、「私、エリオの彼女?」。エリオはそんなマルシアに対して、言葉で何かを明確にはしませんでした。
彼女との間での苦しみは、エリオにとって何の意味があり、傷ついたマルシアの苦しみは何のためにあったのでしょうか。オリヴァーとエリオとの間で、恋の苦しみがあったように、マルシアにも苦しみはありました。「私、怒ってない。エリオ、大好き。ずっと友達よね? 死ぬまで」。この言葉がどのような過程を経て紡ぎだされたのか、推し量るに余りあります。マルシアにとって、エリオとはどんな存在だったのでしょうか。そして、この映画(エリオの物語)全体の中で、マルシアとはどんな意味のある存在だったのでしょうか。
分からないことは諸々あります。ですが、モヤッとしたものを残せる分だけ、この映画は良い映画だったのだと思います。折に触れて、私はこの映画を思い返すことでしょう。
【ラブストーリーは男女じゃなくてもいい】
同性愛を描く映画は何本か観たことがあって、どこかで「これは同性愛の映画なんだ」という先入観をもって鑑賞していたけれど、この作品は一切それを感じなかった。人を好きになることって舞い上がるほど楽しくて嬉しくて、そしてとても苦しいこと。夏の北イタリアの風景と、主演の2人の演技が素晴らしく、この作品の繊細さをよりいっそう感じさせる。初恋の切なさ、儚さを思い出させてくれる、夏になると観たくなる瑞々しくてお気に入りの一作。
切ない
前半では、2人が惹かれ合う過程がいまひとつ伝わってこなかったのですが、気持ちを確かめ合ってからの後半、ぐんぐん引き込まれました。
横柄だったオリヴァーが見せる切ない表情。2人きりで旅行へ行くときの、誰の目も気にしなくていい開放感と好きな人と2人きりでいられる喜び。男同士といっても男女の恋愛と何も変わりません。
1980年代というと、それほど昔には思えませんが、まだまだ偏見が多くて、同性愛をオープンにすることはタブーだったのですね。それだけに、惹かれ合う相手と出会えたのは奇跡に近く、異性愛より何倍も貴重なことに思えます。そんな中、世間体や社会の圧力に抗えず、結婚を決めたオリヴァー。ラストのつらい現実をじっと受け止めようとしているエリオの表情に胸が締め付けられ、目が離せませんでした。
父の言葉に感動
レンタルして視聴
エリオが編曲してることもあって音楽に自然と注目しながら鑑賞していた。まだ音楽もさることながら映像の醸し出す映画の雰囲気もすごく良かった。
ラストの方の父がエリオに言葉をかけるシーンがとても印象に残っている。また、エンドロールが流れるところのエリオが火を見ながら泣いているシーンも演技がすごい。
唯一無二の作品
タイトルでもある、自分の名前で相手を呼ぶことで2人がひとつになれるという愛し方の美しさが、映像と音楽と役者さんといった映画全ての美しさに引き立てられているように感じました。
愛する人が同性でないとできない愛し方なんじゃないかなぁ。
2人の微細な心の動きと駆け引きが夢の恋愛物語じゃなくてとてもリアルなのに、綺麗で汚さなんてなくて、でもやっぱりリアルだからすごく感情移入してしまいました。
最後のエリオのお父さんのセリフで自分もそうだなぁと感じ、少しでもエリオの恋のように、心から愛する人と一生を共にしたいなと思いつつ、現実ではやっぱりいつの間にか自分を抑えてエリオのお父さんや、ラストのオリヴァーのように大人になってしまうんだろうなぁっていう予感がして、間違ってはいないことだと思うし、むしろ自然なことなんだけど切ない気持ちになりました。
今は起承転結ということを知ってそうでもないが、小さい頃は映画は必ず怖いところがあるからあまり好きじゃなかったけれど、この映画は全く嫌な気持ちになるところがないし、全てが美しく見えるのでなんとなく他にない、素敵で不思議な映画でした。
景色が美しいだけ
私は腐女子でBLが好きだけど、元々この映画をBLものとして見ようとは思っていなかった。
ただ単に、評判が良かったので見てみた。
北イタリアの景色は確かにとても美しく、湖面の輝きや風の音や鳥のさえずり、食器の音が聞こえてくるのが心地よかった。
夏の雰囲気が伝わってきて、ここに行ってみたいと思った。
ただ、エリオとオリヴァーのラブストーリーとしては、よく分からない部分が多すぎた。
どういうタイミングで恋に落ちたのかも分からず…。
2人の心情の機微の表現がこの映画の醍醐味となるはずだったのでは…。
自分の名前で相手を呼ぶと、何かいいことがあるんですか?
その辺も分からなかった…。
恋人とイチャイチャしてるとき、普通に相手の名前を呼びたくないですか?
お互い、女の子ともエッチできるようなのでバイセクシャルなのかな?
エッチまでしておいて彼女じゃないってマルシアが可哀想でした。
イタリアじゃ普通なんですか?
オリヴァーの腹部の傷が何かの伏線かと思ったら、普通にそのままで終わったし。
やたらと出てくるハエも何かの隠喩なんですかね?
観客が後から調べないと分からないというのは、ただの力不足だと思います。
あの時代に両親の理解があるのは凄いな〜と思いました。
つまらなくて何度も寝そうになった。
とある解説では、ギリシャのグリークラブというのは「同性愛」を意味していて、それは聖人が少年に手を出し、しかも長い期間続くものではないらしいです。
まさにそんな映画なんだなと。
切ないけど眩しくて綺麗
17歳男子と24歳男子がひと夏の恋をする話。
自分が男ということもあって
抵抗感もありながら観ました。
が、感情をぶんぶん揺さぶられる、
素敵なラブストーリーに出会えた!
イタリアの避暑地を舞台とした
のほほんとした日常、
劇中奏でられるピアノの音色、
ティモシーくんの無邪気なしぐさ、
映像全てが眩しくて綺麗だった。
劇中のティモシーくんに感情移入して
なんでアーミーそんなことするの!!からの
あーーーーアーミー大好き!!!!のコンボ。
ラブストーリーとして最高の展開。
タイトルのとおり2人はお互いのことを
自分の名前で呼びます。
おかしい、だから何?って最初思ってました。
相手の名前を愛情を持って伝えるのって
少し恥ずかしい気がするんですけど(日本人)、
自分の名前なら何の恥もなく相手に愛をたくさん
伝えられるし他人との差別化を図れるところが
とてもいいなと思いました。
そしてラストの切なさ。
切ないけど、
電話越しのアーミーが発した
「オリヴァァァ、、、」の破壊力。
2人の愛は確かにあったんだと号泣。
とてもいい映画でしたが見終わった後は
桃の見え方が変わるので
桃が大好きな方は要注意です。笑
すっかりハマってしまった。
綺麗な音楽と景色や夏にイケメン2人。
素晴らしい雰囲気の作品に浸ってしまった。
そして、様々な愛にも。
愛、夏、青春、思春期、音楽が素晴らしいです。
綺麗に描かれてるので、先入観を持って観ると
ある種の期待は裏切られるかもしれないけれど
原作が気になって作者を調べて他の彼の作品も
映像化はされてないみたいなので読んでみたい。
あぁ夏の青春って素晴らしい…
「じゃあ、後で・・(later)」と「知って欲しいから・・」
映画「君の名前で僕を呼んで」(ルカ・グァダニーノ監督)から。
同性愛の映画という枠にはめず、作品を鑑賞すると、
ラブストーリーとしては、物足りなさを感じてしまう展開だった。
やはり「17歳と24歳の青年が織りなすひと夏の情熱的な恋の行方」
そんな男性同士の恋愛が、話題を呼んだのかもしれない。
ゲイ、レズビアンを始めとする「LGBT」とはちょっと違う感覚が、
作品全体を包み込んでいる気さえした。
どちらが「男役?」「女役?」という視点で鑑賞してしまった私にも、
問題があるのかも知れない。
作品中のメモでは「じゃあ、後で・・(later)」というフレーズと
「知って欲しいから・・」というフレーズが何度も登場したので、
この辺りが、作品のキーワードなのかも知れないが、
最後の最後まで、男性同士の恋愛を描くことで、
監督は、なにを私たちに伝えたかったのか、わからなかった。
それよりも私が気になったのは「製作国」の組み合わせ、
「イタリア・フランス・ブラジル・アメリカ合作」
4国合作で、何を訴えたかったのだろうか。う~ん、わからない。
綺麗で切ない
とても綺麗で切ない映画でした。
2人の容姿は勿論だけど、それだけが美しいというわけでなく2人の細かい目線や仕草(特にエリオは佇まいから表情全てがいい)、またイタリアのどこかという風景、家や部屋の雰囲気全てが似合って魅力的。ちょっとした行動、肩に触るとか。そのやり方で相手への気持ちが分かる。
同性愛の官能的なシーンも話題になっていたらしいが、どれもセクシーだけどとても切ない。甘く切ない、とはこのことなのではと思った。恋をするまで気付くまで、愛し合い、そしてオリヴァーが帰ってしまうまでとても丁寧にかかれている。
ピアノのBGMが印象的で引き込まれる。
歳上の自信家オリヴァーと繊細で大人びた17歳という感じのエリオ。
誘いには“Later 後で”が口癖のオリヴァーだが自分のしたいことにはグイグイ“今直ぐ”巻き込む。エリオはそんなとこに苛ついているのか嬉しいのか。最初のキスの後にはオリヴァーが、初めて寝た後にはエリオが少し相手と距離を置こうとする態度をみせたり、嫌われてないかそれぞれ不安になったりとにかく複雑な心情がみえてグッとくる。
ゲイの客人を疎ましがったり、オリヴァーに対する気持ちのやり場がなく友人マルシアと寝たりもするエリオは難しい。
繊細で敏感で難しい、ある時は若々しい17歳のエリオを演じたティモシーシャラメはとても上手かったと思う。
好きなシーンは…
*リクエストした通りにピアノを弾く弾かないとやり合うところ
*エリオの心情を表す内容の本を母親が訳し父親と一緒に聞くところ
*モニュメントを挟んで離れた距離から自分の事を知ってほしいと言うエリオ
*海から引き揚げられた像と同じ様にエリオを触るオリヴァー
*オリヴァーからエリオへ、タイトルである台詞を囁やくところ
*ホテルで寝た後、眠ってるエリオをなんとも寂しそうな顔で見ているオリヴァー
*エリオのキスの仕方は全部が可愛らしかった
理解がありきっと全て分かっているであろう両親が素敵で、最後の父親の言葉が優しくて深い。泣きそうになる。エリオと同じくらいの年頃に観たかった。
そしてラスト、エンドロールの始まり。暖炉の前で長尺で映されるエリオの表情に涙が出る。
ただひたすらに純粋で美しい
この観終わった後の心情の全てを言葉で表すのは難しいし、安っぽくなってしまうかもしれないけど、ただひとつ言えることは本当に綺麗で繊細だった。何もかもが。
この映画に出てくる風景も、お互いが惹かれあっていく様子も、愛し合う様子も、最後の別れも。
人が人を好きになるのに性別なんか関係ない世の中になればいいのに。と、本気で願った。
主人公の両親も寛大で、理解ある人達でとても素敵だった。この両親のもとでオリヴァーと出会い恋をしたエリオは幸せ者だ。
最後まで二人の幸せな関係が続くことを願ったが、そうはならなかった。
二人の心情を思うと、とても切なくなってくる。
終盤のお父さんの話にもとても感動した。自分の過去を話し、教訓や後悔を伝え息子に語りかける姿に、なんて素晴らしい親なんだ。と改めて感じた。
そしてエンドロールでエリオが暖炉の前で涙を流す姿は、彼らが過ごした夏の日々を思い出させ、それと同時にエリオは今何を思い、泣いているんだろうと考えたら胸が苦しくなった。
ハッピーエンドではなかったけれど、バッドエンドでもない。
けど、やりきれない思いが残る最後だった。
久しぶりに美しい映画を観たと思った。
P.S. レビューにちらほら同性愛ものは苦手だ、自分には向いてない、等の書き込みを見かけたが、同性愛に抵抗がある人はそもそもこの映画を観るべきではない。パッケージを見ても、概要欄を見ても同性愛の映画だということは分かるはず。
もちろん観る権利は誰にでもあるが、作品の内容や展開に対しての不満ではなくて、この作品の前提である同性愛に対して批判しているような書き込みがあるのを残念に思う。自分たちの確認不足でこの作品の評価を下げないでほしい。
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