聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディアのレビュー・感想・評価
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性悪説
ヨルゴス・ランディモス監督は今回も、家族というひどく限定された関係の中での狂気を描いた。人間は集団になると、ひとりでいるよりも狂気染みた行動を取るのだろうか。性悪な人間がルールをもって行動を制限しようとしても、そもそも根が性悪なんだからまともな行動ができるはずがない。
家族愛がある?日本でも過去には、息子を戦場に送り出していたし、娘を売っていたし、母を山に捨てていた。つまり人は自らの命が脅かされる危険がない時は善良な人でいられるが、自らの命が脅かされるとなると親であれ子であれ、途端に切ることができる。一応泣くことはするとは思うが、それが終われば楽しく食事ができる。
人間は、冗談の様な生き物である。
嘘と欺瞞
見てるときは不快だけど整理したら面白いと感じる映画でした!
3人のうち1人を選ばなければならない…
血の涙を流したら時間がない…
というのがルールなのに、その段階に至るのに、個人差がある。
ルールの嘘にどこかのタイミングで主人公も気がついたと思います。
その上で犠牲者を選択せねばならない。
しかし、犠牲者の選択は自己欺瞞で覆う必要があった。
家族各々の欺瞞を納めた映画だと思います。
不思議な恐怖感。
ボブの悲劇
サスペンスかと思ったら、ホラーという、今までにない流れの作品でおもしろかった。
ニコールキッドマンは足が悪くならなかった理由とか、鑑賞後にじわりじわりと、あれはああいう意味か、というのがわかってくるかんじで余韻含めて楽しめた。
鹿殺し=生贄という意味合いなので、原題と違うなど意見もあるが、私はマッチしてると思う。
マイナス点をいえば、音楽。
怖さを引き立てようとする、いかにもなやりすぎな音が安っぽかった。
親の因果が
2018-30
付き合いたての彼氏に、この映画が観たいから連れてって😍って行ったらどーなるんやろ。
登場人物は極端に喜怒哀楽が削がれてて、会話のキャッチボールも、ずっとファウル打ってるような感じ(伝わりますかね。)
音楽は、「ブワワワワン」と「パキーーン」。
どんな楽器使ったらこの音が出んのっていう音楽。
作業用BGMで流したら滅入りそう。
子役ちゃんたちは、この脚本を読んでどう受け止めたのっておばさん不安になりました。
観終えた感想は、冒頭の一言。
わたしはひとりだし、偶然お酒飲みながら観たのでよかった(笑)
もはや「この家、どんなけ部屋あんねん」とか、「運動神経悪い芸人のやつ?」とか、もうポップに突っ込みながら観ないともたない←
『オーメン』を観たときと似てるような、全く違うような、よくわからない空気感です。
コリン&ニコールコンビの『ビカイルド』のほうがまだ明るいかも(いや違うそれもおかしい。)
こーわーいーー何だコレ。 震える。 最初から最後まで不協和音とゆう...
荒唐無稽なホラーコメディ
Jホラーにも似た、呪いみたいな要素をのみこめれば大変面白い映画でした。
生き残りたくて、あれやこれやと父に媚びまくる家族の滑稽さ、誰を殺すか、もしくは愛すかも選択出来ない父の哀れさ。最終的に誰を殺すかの方法がまさかのランダムシュート! 思わず笑いそうになりましたが、笑い事ではないという怖さ。
家族の崩壊を、生贄の鹿を殺すことで保つ。古来人類の共同体が生贄を捧げることで団結を強めたのと同じなんだというような、綺麗事の家族幻想を喝破するラストが痛快。
玉座
設定は納得いかないんだけど
「突然、足の自由が効かなくなって、そのうち目から出血して、死に至る」という症状を発症させることのできる少年ってなに? しかも病院で検査しても原因は解らず、心因性になっちゃうの。
「そんなことできる奴いねえよ」って話なんだけど、そこ気にしちゃうと映画観られないのね。だから「そういう設定なんだ」って納得して観ることにしたの。
主人公の妻、娘、息子の誰か一人を殺すと決めれば、他の二人は助かる設定なのね。そうすると息子、娘、妻が「自分は生き残らせて」アピールを必死ですんの。これ、そうなるかね。日本だったら「あたしを殺して」って人が出ると思うね。個人主義が徹底するヨーロッパだとこうなるのかな。
最後の妻、娘、息子を集めて、主人公自身がルーレットのようにグルグル回って撃ち殺すの良かった。「こんな解決法しかないか」と思った。でもこれで生き残った三人納得するかね。この後の人生も考えたら、あの少年を殺して全員で死ぬ選択の方が良かったんじゃないかな。
「良く解らないなあ」と思ったけど、ギリシャ神話からきてるから、少年は《神》設定なんだね。そう思うと少し納得する。神の前では人間は愚かでしかないかも。
後味悪~これが、カンヌの脚本賞?唖然
心の闇の恐怖の正体
縫合
私は神話的アイロニーが好きなんだと再認識した。ギリシャ人は常に超自然的な現象を前提にしている。
オープニングの心臓の縫合シーン。縫合はラプソディーの語源だ。詩と詩を繋ぎ合わせたものが音楽。そして人と人を仮縫いしてくっつけたような家族。
マーティンは呪術的正義の下で、豪奢な暮らしの主人公に罰を下す。
マーティンがスパゲティを貪るシーンは、神である父の再生(継承)と、それとともに、「身代わり」を殺害することを象徴している。
そして物語の肝は、彼の予言そのものにある。
一方、主人公は神をも恐れぬ支配者だ。子供を自分の所有物とみなし、どちらか優秀な方を残して生贄に差し出す。
こうした「身代わり」の観念は、家族(共同体)から何かを追い払うという行為を正当化させ、その行為を行事化させていく。
人間社会の「おぞましさ」。ゾッとする。
唯一、神と人間の両界を行き来する姉。彼女が生きていることで、復習の連鎖を想像させて映画は終わる。
映画でしか表現できない、なんとも言えない不気味さ。前作「ロブスター」と同様に、この監督の独自性に魅力された。
タルコフスキーかと
いきなり手術のグロ映像から始まる本編(最初、動物のペニスの挿入シーンかなかんなのかと勘違いしてしまったが)
映像は骨太で終始不気味で、これでもかと鳴り響く不協和音が恐怖が迫り来るんじゃないかという雰囲気を演出する
ニコール・キッドマンのベッドでの奇妙な寝相辺りから、これどっかで見たことあるパターン?
あれ?
タルコフスキーの…Zzz…と気がつく頃には睡魔に襲われ、中盤は睡眠学習状態に
意識を取り戻すと、少年が地下室に監禁され自分の手首を噛みちぎったり
ゴア表現が苦手な自分には苦手なジャンル
自分の子供2人も下半身が呪い?で動かなくなり、終いには目から涙を流し出す
最後の覆面ロシアンルーレットでの終わり方といい謎が多い作品だった
ただちゃんと理解できても制作者は本意ではないんだろうな、こういう作品の場合
よく言う世界観があるっていう褒め言葉的なものがあるが、このジャンルは本当に微妙で1ミリ自分の価値観とズレるだけで分からなくなる
この作品はそういう意味で自分には合わなかった
予習していくと、もっと楽しい
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