荒野にて 劇場公開日 2019年4月12日
解説 「さざなみ」のアンドリュー・ヘイ監督が、孤独な少年と一頭の馬の歩む旅路を描いた人間ドラマ。「ゲティ家の身代金」にも出演した新星チャーリー・プラマーが主人公チャーリーを演じ、第74回ベネチア国際映画祭でマルチェロ・マストロヤンニ賞(新人俳優賞)を受賞した。幼いころに母親が家出し、愛情深いがその日暮らしの父親と2人で生活する少年チャーリーは、家計を助けるため厩舎で競走馬リーン・オン・ピートの世話をする仕事をしていた。しかし、そんなある日、父親が愛人の夫に殺されてしまう。さらに、試合に勝てなくなったピートの殺処分が決定したという知らせを受けたチャーリーは、ひとりピートを連れ、唯一の親戚である叔母を探すため荒野へと一歩を踏み出す。
2017年製作/122分/G/イギリス 原題:Lean on Pete 配給:ギャガ
オフィシャルサイト スタッフ・キャスト 全てのスタッフ・キャストを見る
2021年9月8日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD
Lean on Pete turns out to not necessarily be the horse-human bonding feature you might expect. Actually it's quite modern in the sense that the horse takes on a much more personified role--it's not downgraded to a cute creature in need of superior human care. Like Always Sometimes Rarely Never, it's the tale of the wandering kid you pass by on the street. Buscemi's presence is more than welcome.
2019年4月17日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会
家族をなくした寄る辺ない少年の彷徨に付き合う、用済みの競走馬。この構図がまずいい。唯一の身寄りを探して荒野を流離う少年と、走れなくても生きる権利はある馬のささやかな希望が、アメリカの寒々しい大地に小さな放物線を描いていく。ただのドロップアウトではなく、ただの冒険ドラマでも勿論ない、行き先不明の不安感が物語に独特の切なさをもたらしている。注目すべきは、少年の顔に不安はあっても、決して希望は捨てない無邪気さが終始宿っている点。彼の頭上にはいつも神様がいる。そんな気がするのだ。見終わった後、何やら心がリフレッシュされる不思議な新・ロードムービーである。
ネタバレ! クリックして本文を読む
父を亡くし天涯孤独となった15歳のチャーリ―は、怪我から殺処分の決まった競走馬ピートをトラックに乗せ、音信不通となっている叔母を探しにワイオミングを目指す… ウィリー・ヴラウティンの小説を映画化したロード・ムービー 監督のインタビューの中でアメリカという国に言及するところがある。 「弱者から搾取し、勝つことにこだわる国」 そういう部分を良しとしないイギリス人監督のアンドリュー・ヘイは弱者であるチャーリーをそれに立ち向かうものとして描いた。 勝つために薬を使用され、用済になれば殺される運命のピートもまた、チャーリー同様、利益をむさぼる者たちのもと虐げられる弱者である。だからチャーリーはピートを救いたいと思う。ピートにまたがることをしなかったのは、自分が「むさぼる者」になりたくないということの象徴だろう。 ガソリンが尽きた後はチャーリーと馬のピートの徒歩の旅。 道中、チャーリーがピートに話して聞かせる友達の家に泊まりに行った時の話が印象的だ。家族が笑い合って朝のテーブルにつく。そんな当たり前の風景にいかに彼は憧れていたのかと切なくなる。 ロードムービーの醍醐味は旅の風景に出会うことでもある。本作では時間ごとに変る自然の美しさも目に沁みる。しかし、俯瞰して見せられる瞬間、荒野の絶望的なまでの大きさと荒涼感にハッとする。アメリカはあまりにも広く、荒野は孤独なチャーリーを取り囲む世界そのものだ。 果たして目的地にたどり着けるのか。 先の見えない不安は、そのままチャーリーの行く末の不確かさを象徴するかのようだ。 やがてピートを失うことになり、そこから旅はさらに過酷を極める。 * 空腹から一度はレストランで無銭飲食を働くが、ウェイトレスが見逃がしてくれた。その後チャーリーが食べ物を盗む「どろぼう」へと堕ちていかなかったのは、そのウェイトレスへの恩に報いるためだったのかもしれない。 鍵の開いた家に無断で入り、洗濯機でシャツを洗ったときも、彼が口にするのは水道水のみ。繁華街で抱えていたのは1巻のトイレットペーパーと、人間らしく生きていくのに最低限必要なものだけだ。 空腹と不安に満ちた旅ではあったが、チャーリーの旅はやがて終わりを迎える。叔母の家で、夢見ていた朝食をとるシーンに心から安堵した。 守りたかったものを守れなかった苦しみを吐露する場面は、今思い出しても涙が溢れる。同時に、包み込み、支えてくれる大人がそばにいてくれることの大切さを痛感した。 * 彼の中で罪悪感が消えることはないかもしれない。それでも大人になったチャーリーが道を見誤ることはないだろう。チャーリーを支えたのは、父や大人の愛情と、将来への希望。彼にはあるべき自分の姿を信じる強さがあった。 辛い場面もあるが、美しい風景と音楽が穏やかさをもって胸に広がる。作り手の夢が託された詩的な映画だった。
この映画を観ながら幾度となく目を閉じた。涙など滲ませる隙さえ与えてはくれない。心に突き刺さる言葉や映像に瞼を固く閉ざしたりした。 正直な話、次のシーンで爽やかな風が吹き抜けるだろうと期待に胸を膨らませても裏切られてばかり・・・・。いったいこの映画はいつどんな形でエンドマーク描き出すんだ!と叫びたくなった。しかし、観るに堪えられない。そんな流暢な状態ではない。人の不幸は蜜の味なんて言葉を投げかける奴など何処を探してもいない。 それほどなんだ。生きるということは厳しいのだ。思いやりや同情や憐れみ、そして暴力も必要なのだ。 「ふたつよいことさてないものよ」なのだ。悪いことばかりは続きはしないのだから・・・。 だからこそ日々の暮らしが良いこと、楽しいことで埋め尽くされていて、それが普通の日常などと間違っても思い込んではいけない。16歳の少年ですら希望さえ捨てきって目の前に広がる荒野を前へと歩いたのだ。これまでに体感した反吐が出るほどの出来事にどんな風に対処したかをその小さな胸に痛みを抱えながら歩き続けたのだ。 自分の不幸を嘆いてばかりで、誰かに頼ることのみを考えてばかりいては、豊かな人生は歩けないのだ。この少年の歩き続けた荒野は私の荒野でもあるのだ。
すべての映画レビューを見る(全56件)