スリー・ビルボードのレビュー・感想・評価
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2018年の公開作で最重要と言っても過言ではない
18年の最重要作と言っても過言ではない。これは片田舎で起こった小さな物語ながら、おそらくこの舞台には世界中のあらゆる人々の生き様が集約されているのだろう。だから我々はこの数少ない主人公たち(ビルボードの数と同じく3人)がいかに無茶苦茶をやって、己の行為について後から悔いたりしたところで、単純に糾弾したり同情することなどできやしない。
3看板によって突きつけられる言葉は「汝は天に顔向けできる人間か?」というあらゆる人間に発せられた問いかけでもある。誰もが全うな人間でありたいと願いながら、そうであることは難しい。全うに生きているつもりでも、気付かぬ内に道を踏み外していることもある。だが人は俯瞰したり意識することで変われる。正反対の人と繋がることだってできる。そんな普遍的なテーマへいざなうにあたり、これほど複雑怪奇なストーリーテラーぶりで我々をとことん翻弄したマクドナー監督に心から脱帽である。
「悪い冗談」のような傑作
良い意味で言うのだが、悪い冗談のような作品だ。登場人物のやることなすこと、ほとんどすべてが上手くいかず、想定外の帰結を呼ぶ。結末もあさっての方向に着地していると言って良い。そんなことをしてなんになるのだというような感じだ。
にもかかわらず、救いを感じさせてしまう。確かに人間はそういうものだ、という深い納得がある。
フランシス・マクドーマンドが主演だからというのもあるが、コーエン兄弟の『ファーゴ』を思い出した。狂言誘拐で少し身代金を取ってやろうと思いきや、やることなすこと裏目に出て、とんでもない殺人事件に発展していく。
アメリカの田舎の閉塞的な人間関係の描写を本質と観てもよいが、それだけではない凄みがある。主人公が見かけたシカはなんだったのか、自殺する警察署長の傍らで悠然としている2頭の馬など、異様に人知を超えた何かを感じさせる。人の努力とは別のところで運命は決定づけられているような、そんな奇妙な白日夢を観た気分だ。
マーティン・マクドナーが試みた西部劇の再構築。
カールした髪を少しだけ後ろで束ねて、そこにバンダナを締め、ツナギで武装した怒り心頭の母親、ミルドレッドが、ギターの爪弾きに乗って、レイプされ、焼き殺された娘の敵を討ちに行く。さながら、現代のミズーリにカウボーイがワープしてきたかのようではないか!?ジョン・フォードと同じくアイルランドに故郷を持つ監督&脚本のマーティン・マクドナーは、偉大な先人に敬意を表し、西部劇の再構築を果敢に試みている。しかし当然、ここでは善対悪の構図はかつてのように単純ではなく、悪人に見えた人間には情状酌量の余地が大いにあり、さも善人面して登場する人物が巨大悪の手先だったりする。そんな時代に、ひたすらいがみ合い、傷つけ合うことなど無意味なのだ。互いに思いやりを持ち、理解する努力を怠らないことこそ、人としての知恵ではないのか?想定外に次ぐ想定外で観客をとことん混乱させる物語は、最後に心和む着地点を用意して、そこはかとない余韻を残して幕を閉じる。その余韻はしばらく消えることはない。オスカー云々に関係なく、今年まず観るべき1作だ。
評判にたがわぬ大傑作
シュールで話が転がる転がる!
娘を殺害した犯人を探してほしい…そんな愛情物語かと思いきや、話が転がり続けてとんでもない展開に。
全てが燃料投下となり、怒りが怒りを呼び、暴走する母親ミルドレッド。
イニシェリン島と同様にのどかな田舎町での日常が、狂気の沙汰に発展します。
人間紙一重の恐ろしさを味わいました。怖いけど面白かった!
(続きブログ)
復讐の連鎖物かと思いきや、、、!
ストーリー展開とともにキャラクターの人間性の裏面が浮かび上がる優れた群像劇
他のレビューにもあるが、本作はコーエン兄弟の『ファーゴ』に似ている。主演が同じというだけでなく、雰囲気が似ているのだ。
その類似感が何処から来るかと言えば、恐らく人物像の設定や会話が通常のドラマのイメージから若干ズレていることに由来する。
例えば『ファーゴ』の場合、田舎町のノンビリした間抜け揃いの警察官の中でただ一人、頭脳の回転が素晴らしく犯罪推理のキレが抜群な人物がいて、それがこともあろうに臨月も間近いオバちゃんだったというユニークさが際立っている。
田舎町のゆったりしてまどろっこしい口調の人々と犯罪者たちの神経質で緊張した口調との対比、人柄はいいが気が弱くてつまらない仕事の愚痴をこぼす肥満男と、彼を慰める妻であるオバちゃん警官とのアンバランスぶり等が全体のズレてユーモラスな雰囲気を醸し出していた。
本作の場合もそうしたキャラクターや会話のズレがいたるところに見られる。
例えばいかにもマッチョで、バカな若い娘のレイプ殺人事件など適当に処理してしまったと思われた警察署長は、実は家庭内では大変な愛妻家で子供思いのよきパパで、ガンにより余命も限られた境遇ながら部下の言動には愛情深く気を遣っている。そして主人公には事件の報告こそなかったものの、きちんと捜査をしたことがわかってくる。
差別主義者の警官は乱暴者でやたらに暴言を吐く威勢のよさと裏腹に、でっぷりと太った母親の言うがままのマザコンだが、一皮むくと根は犯罪捜査に熱意のある有能な人物である。
主人公の味方をしてくれる数少ない住民の一人、小人症の男性は、主人公に気に入られようとしているだけの弱者かと思えば、最後には自分をないがしろにする主人公に厳しい叱責を浴びせるしっかりした男だ。
『ファーゴ』と違うのは、映画の展開の中で人々が関わっていくうちに、多数のキャラクターの人間性の裏面が明らかになってくる群像劇というところだろう。
そしてストーリー自体についても、単に米国中西部の田舎町の保守的、排他的雰囲気を描くというようなものではなく、住民の中にもさまざまな意見があり、違う人々が関わり合っていくうちに、町のイメージも徐々に複雑な様相を見せ始めるといった面白さがある。
ラストで主人公とクビになった警官がレイプ男を制裁しに出掛けるところで、「奴を殺すかどうかは行く途中で考える」ことにしたのは、一種の救いと言えようか。
コーエン兄弟ぽい?
人の優しさにふれる
心に残る名作!
まるでれんのパイロットを見るような
ここから話が繋がって展開していく連続ドラマのパイロット・エピソードを見ているような感じでした。「ブレイキングバッド」「ファーゴ」なんかが好きな人はハマるんじゃないでしょうか。
というのも、登場人物の一人一人が丁寧に描いてあり、ストーリーの中でちょっとずつ成長、変化していくからです。
そのきっかけが、3枚の看板であり、次が警察署長の手紙。で、とどめが、酔って居眠りしている時に隣のテーブルから聞こえる自慢話。
ディクソンがストーリーの中で変わっていくのが全部誰かからのメッセージなのが面白い。
あえて、焼き殺されながらレイプされる残忍な犯行の様子とか、犯人像の謎解きのようなドラマにしなかったのも、家族を破壊され再生していく母親にフォーカスすることで、感情の動きが盛り上がっていく様子が分かり、引き込まれます。なかなか面白いドラマでした。
2018.2.6
マクドーマンドはかっこいい
優れた脚本の妙とUnited States
あなたの街のお話
不思議な味わい
エンディングが良かった
ノマドランド、ファーゴと異なり、この映画の舞台はアメリカ合衆国でも緑があり郊外には美しい湖がある町だ。砂漠も雪原もない。季節はイースターの頃、春来たるの陽射しで花も咲き庭でブランコに揺られることもできる。音楽も昔のアメリカの歌で穏やかで懐かしい気持ちになる。そんな季節と音楽を背景にストーリーはこちらのほっぺたをひっぱたくような内容だった。
みんながみんなを知っている小さな町で、顔を上げて堂々と行動するミルドレッド(マクドーマンド)が周りに石をぶん投げる。当然彼女にも色んなものが降りかかる。嫌がらせ、応援と共感、資金援助、仕事仲間が逮捕される、署長の死と手紙、火事には火事を。ミルドレッドは何をされてもその都度毅然と対抗する。一方でディクソンの成長物語があり、署長からの手紙と病室でのオレンジジュースが彼にきっかけを与えた。
常に強くて逞しく見えるマクドーマンドは警察と他人と自分への怒りにまみれている。その怒りは映画を超えて、白人警官による黒人虐待や妻へのDVや聖職者による男の子への性的虐待が示唆されることでより燃え上がる。同じ立場・職業のあなたが見て見ぬ振りをしたらあなたも同罪だと映画が突きつけてくる。
最後がああいう終わり方であることが私には非常に良かった。犯人逮捕で終わって大団円だったら観客はカタルシスを得てしまう。いい映画見たね、じゃ、どこに食事に行こうか?になってしまう。カタルシスを与えたらだめな作品というのがあると思う。捕物帳とか勧善懲悪でまとめるんじゃなくて、人間の世界は悪いばかりではないけれど単純ではない、それに裏に何があるかわかったもんじゃないよ、がこの映画のメッセージの一つだと思うから。そのためにも、舞台が広いアメリカ合衆国でどこへ行くにも車が必要で目的地まで延々と車を運転しなきゃならない場所が必要なんだと思った。ハンドル握りながら助手席に座りながら広い広い同じ風景を見ながら考えることができるから。どうしょうか?まだ決めなくていいね、ちょっと考えてみようか、などと話したり考えたり黙ったりできる。沈黙もコミュニケーション。目的地にすぐ到着してしまうような狭い土地や渋滞ばかりの場所ではダメだ。短絡的になってすぐ頭に血がのぼってしまう。
広大な大陸を運転する姿がマクドーマンドほど似合う女優は居ないと思った。
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