スリー・ビルボードのレビュー・感想・評価
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みる前の印象と違った
良かった。
これぞ「ヒューマン映画」というような感じ。
サスペンス系かな?と思って、観てなかったのだが
そうではなかった。
主人公の看板広告での投げかけを皮切りに、
色んな人の内情が交差して、
そこから、色んな人が変化していく様。
そのストーリー構成、人物設定に、お見事だった。
強い意志を持った主人公
彼女は間違ったことをしていない。
誰になんと言われようと、
街の住人に白い目で見られようと、
意志を貫いた行動。
それが時に心折れそうになることもあるが、
彼女は闘う。
その言葉、行動に、気持ち良さを感じた。
頭の悪い警官
彼の人物設定も見事。
こういう人、いるのよ。
いるけど、口で説明するの難しい。
だからそれをうまく描いている。絶妙。
めちゃ腹立つし、めちゃ嫌いだったけど、
最終的にそのバカさの方向性さえ間違わなければ、
すごくいい奴で、憎めなくなる。
うまい作り方してる。
主人公が警察署に火をつけた時に、
バカ警官は、もうクビになっているのに、しかも、クビになって警官バッジを返しに来てたのに、
例のレイプ事件の書類だけ持って外に出てきた。大火傷になりながらも。
それを見た主人公が、胸を打たれるシーン。
よく出来ている。
大火傷で運ばれた病院で、広告業者のあの子と、このバカ警官が再会する。
あの広告業者の子が、復讐できるのに、しなかった。
復讐したい気持ちがある上で。
復讐するのは簡単。
でもそこで、その気持ちを抑え、乗り越えた。
許せないはずなのに。
そこで許されたバカ警官の、心情。
絶対にやり返されると思っていたはずなのに。
それを経て、最後のシーンに繋がる部分。
主人公の彼女と、バカ警官が車でレイプしたあいつのところへ向かう。
その道中、
「ひとつ言っておかなきゃいけないことがあるんだけど、警察に火をつけたのあたしなの。」
「あんた以外に誰がいるんだよ。」
このやりとり。
バカ警官は、今度は「許す」立場に。
この映画の中で、
いろんな人の「許し」「許され」があった。
「復讐し、復讐され、
許し、許され」
ひとつの行動を皮切りに、
このテーマがたくさん見れた。
これで2時間未満。
よく出来た映画。
中だるみ皆無。
賛否両論あって面白い。私は否のほうだ。
製作側の都合により、話や人物が動いている気になるときに映画から覚めてしまう。
いつもの映画鑑賞なら、無口な人物や、説明の少ない演出。突飛な行動などは自分なりに観察し、咀嚼し、考察するため、たとえ暴力的でも自分勝手でも、変な人物でもあまり私は反感は抱かないようにしているのだ。
結論からいうと
スリー・ビルボードは3人の描かれ方以外は高水準でよい。
ただ、どうしてもメイン3人の行動原理はNOと言わざるを得ない。
理解に努める様にして鑑賞したが、悲劇の展開に持っていく製作側の都合で動いているようにしか見えなかった。もちろん演技は非常に良い。
気になるが多すぎてしまった。
なぜミルドレッドは警察を目の敵にしているのか。もう少しそうなるための警察の手落ち等の導入をもう少し描いてほしい。筋違い。強引、または強情。復讐鬼なら感情移入できるが、これは違う。日頃の無配慮が巡り巡って敵を作っているタイプだ。擁護できない。
ディクソンもなぜレッドに暴行するのか。短絡的というか。元凶のミルドレッドに暴行するのか筋では?イヤホンしてもビンが割れるのは普通聞こえないか?
署長も家族を残して不誠実。手紙書きすぎ。手紙長すぎ。手紙の届くタイミングが全て悪すぎ。支援金の意図が不明または悪意。敵に塩?捜査の継続を意図するなら自分で部下に指示すればいいだけじゃね?支援金は家族になぜ残さない?
火炎ビンと医者の指と元旦那の罪の報いがないのも引っかかる。
ミズーリ州ではよくあることなのか?
反感を抱くか、もしくは上の流れも違和感等なく、絶賛できるかの紙一重のギリギリな脚本なんだと思う。
なお、個人的にはラストは良くも悪くもなく。あんな感じの終わり方の映画はたくさんある。
以上言いたいことを言ったが、絶賛の声もあり、やはり、見る人によって受け取り方が変わる。作中での行動が空転するように、各自の正義も受け取り方が違う。善悪も一概にいえないというのは実にメタ的といえる。このあたりは実に秀逸。
同じ映画を作っても受け取り方が違う。映画を見て怒る人もいれば、歪つな群像劇をみて愛と赦しを与える観客もいる。(後者になりたかった。)
私は作中の怒りを受け止めてさらに怒ってしまったほうの人間だった。
賛否両論の映画系はこれまで、中立や傍観のスタンスが多かったが、本作は否の立場になれて、ある意味面白い映画体験でした。
アメリカ。フラストレーションの国。
こういうアメリカ映画、大好きです。最近だとノクターナルアニマルの刑事なんかそんな感じですね。どうせ俺は死ぬんだから、悪いやつを一度ぶっ殺してから死にたい、なんて言ってしまうタイプの人間。
アメリカには週に月に2回くらい行きますが、ハイウェイは何もないし、殺風景で潤いがない。社会システムは大雑把な枠組みで細かな配慮はなく、個人主義。コントロールに異常な執着。でも、諸外国にくれべると治安は抜群に良い。そういう環境ではただただ、フラストレーションと、暴力性を抱えて一生を送るしかない。人生なんて糞だといいながら、鬱々とその発散の機会をうかがうような人生。正義を盾にした解放。
これこそアメリカのメンタリティなのではないでhそうか?
とても面白い
サスペンス?ミステリー??
うん、好き。
何が好きなポイントなんだろう、と要因分解してみた。
まず、1点目。
前置きがほとんどない。
開始5分10分でこの物語の本題に入る。それがいい。
本でも映画でもそうだけど、いくら名作でも導入部分が長い(そのうえ退屈だったりする)と、本題にたどり着く前に『FIGHTING 睡魔』になりがちなあたし。
その点、この映画は自分の観賞史上最速で本題に入ったんぢゃないかと思うほど。
次に2点目は登場人物のみんなが矛盾を持ってる点。善人であり悪人。理性と感情とで異なる行動を取る。それが非常にリアルな人間らしくて共感できる。
そして最後にエンディング。
こーゆー終わり方って普段はあまり好まないんだけど、この映画に関してはこれがベストだったと思う。他のどんな結末だったとしてもなんか違和感を感じてた気がする。
しかし、自分の中での節目4.5点を超えないのには理由がある。
あまりにも差別用語が酷すぎる。ここ数年まったく耳にすることなくなったような言葉も盛りだくさん出てきてて驚いた。まぁ、それも時代のなせるワザ、昔のアメリカ南部の田舎で人種諸々に対する偏見なんかが当たり前に罷り通る時代の話だから仕方ないか、と途中まで観ていた。
そしたら携帯電話が出てきたり、「googleで検索する」なんてセリフが出てきたりで驚きを隠せなくなった。
えっ?うそ?現代?(´⊙ω⊙`)
ディクソン役の人が徳永英明にしか見えなかった…
新署長。。。
レビューの評価がよかったので、終わり間際に見てきました。過去レビューに、最初の印象と逆になるようになことがよく書いてあったので、黒人の新署長が登場してから、この人とんでもない悪事を働くに違いないと思い込んで見てしまいました。結局、最後まで大した悪事を働かなかったため、あれ?あれ?状態になってしまいました。レビューをかってに解釈してしまった失敗。映画はよかったです。アメリカ怖わ、女の人強っ!
これまでにない構造を持った傑作映画
犯人を探し当てて結末を迎えるサスペンスドラマという訳ではなく、誰かの成長譚が語られるヒューマンドラマという訳でもない。
この映画の新しいところは、反省も成長もしない女を敢えて主人公にしたところだ。
彼女は娘を殺した犯人を探している。しかし決して犯人に至らない。どんなに努力をしても、いや、努力すればするほど犯人には至らない。
なぜか。
それは、彼女が本当に罪を責めるべき相手、探し出して吊るし上げ、殺人と同等の責めを負わせなければならない相手は、他ならぬ彼女自身だからだ。
娘を死の散歩に至らしめたのは母親の彼女自身なのだ。
娘が車を出してくれとお願いした時、母親の彼女はそれをにべもなく断って、結果娘を死の散歩に至らしめた。
主人公である母親はそれがわかっているが、自分の外側に原因とその解決を求め続ける。自分の外側に原因を求め続ける限り、決して解決には至らないのだ。
主人公以外の人物は物語が進むにつれてそれぞれにその事がわかり、それぞれに救いを得ていく。しかし、主人公だけがそこには至らない。この構造を通じて、作者は鑑賞者に対して気付きを与えるのだ。鑑賞者は思う。ああ、そんな姿勢でいる限り、あなたは救われないよ、と。そして誰もが胸に手を当てる。自分はどうか、と。
この構造がこれまでどの映画にも無かった。傑作だ。
犯人について
やっぱり私は犯人はバーで事件の自慢話をしていた男だと思う。
じゃないとあいつがミルドレッドの店に来た説明がつかない。
これは他の人のレビューや考察も踏まえた上でだけど、一見善に見えたマイノリティの黒人の所長が、犯人が軍関係者という理由で真相を揉み消した。
この映画は人間の多面性を描いている。
被害者の母であるミルドレッド自身、良い母親であったとは思えないし、彼女の行動は一線を超えていて、善とは言いがたい。
ディクソン巡査がレイシストであることは事実だが、後半は善き人格へと変わっていく。
そしてウィロビー署長が自殺した理由。
私は最初、手紙の通りに受け取っていた。
しかし、彼がスリー・ビルボードにわざわざ出資したのには若干の違和感が残る。
本当に愛する家族に看病の迷惑をかけたくないという理由だけで自殺したのであれば、残された家族のためにもお金はなるべく多く残しておくべきではないだろうか。
ブラックユーモアで5,000ドルもの大金を出資するだろうか?
やはりウィロビー署長も犯人が分かった上であえて隠蔽していたことに、罪の意識を感じていたのではないだろうか。
そうであればウィロビー署長も、家族や仕事仲間には善き面をみせていたが、やはり悪である。
マイノリティに光を当てる必要があるということに変わりはない。
しかし実際人間はもっと複雑で、黒人が被害者で白人が加害者、被害者は同情され、加害者は迫害されるべき、などという単純な二元論で語ることはできない。
私はこの映画から、そんなメッセージを受け取った。
すごかった。
凄かったです。監督にこんなにも簡単に感情をコロコロとコントロールされてしまう自分を、少し悔しく思いました。
それくらい面白かったです。
まず、彼女の弱さ。
燃えるような信念を貫き通しますが、だからといって彼女は化け物ではありません。
ショックなことがあれば動揺もするし、心に迷いがない訳でもない。
しかし不屈です。絶対に折れない。そこに心底しびれました。
次にオスカーの話ですが、作品賞を取れなかったのも納得している自分がいます。
映画そのものの、革新性や芸術性は確かにシェイプオブウォーターの方にあるように感じました。(特に、物語そのものが殺人事件という今まで描き尽くされて来たジャンル物という所もあります)
しかし、観て心の底から痺れたのは圧倒的にスリービルボードでした。
2019/01/08追記
おかえもんさんの解説を読みました。
この映画の最重要レビューだと思われる内容で、鑑賞された方全てに読んでいただいたいです。
URL
https://note.mu/okamasayuki/n/n16b473a2d2d5
よくもまあこんなストーリーを思いついたなぁ
※注意:映画『フライト』のネタバレも含みます。ご注意ください。
すげぇ映画だな。
ミルドレッドは、言動がとにかくつっけんどんだから、感情移入がしにくい。
しにくいけども、ときおりインサートされる回想シーンを見ると、口は悪いけれども、子供のことを愛していることはよく分かる。
ましてや、娘が亡くなる直前に大喧嘩をして、車を貸す、貸さないで口論になっている。
で、売り言葉に買い言葉で、「歩いて帰る!」「レイプされても知らないからね!」みたいなやり取りまでしているわけだ。
それが不幸なことに現実になってしまった…
それは当然、悔いが残ることだろう。
小男も良かったなぁ。
ミルドレッドに好意を抱いていて、彼女を救うために警察に嘘までつく。
そうまでして叶えたデートで、ミルドレッドのあまりの言いぐさに、さすがに腹をたてる。
なぜ君は、そうやってすべてを敵に回すんだ?
ここにこうやって、君のことを愛している人だっているのに…
怒りとともに感じられる切なさ。
これには、さすがのミルドレッドもこたえたのだろう。
そして、なんといってもディクソン。
中盤までは、本当に最低最悪の男だし、なんならお前が犯人なのでは?と思ってしまうほど。
がしかし、不幸な偶然が重なり、最も尊敬している上司であるウィロビーを亡くす。
これは、彼にとっても強烈な衝撃だったのだろう。
彼の家は母子家庭。
おそらくは、ウィロビーに父親の面影を重ねていたのかもしれない。
だからこそ怒りを覚えたのだろうし、それゆえに広告代理店の社長に暴力を振るったのだろう。
それはもちろん許されないことであり、クビになるのも仕方ない。
でも、そんなディクソンに「お前は刑事の素質がある」と思っていたのは、他ならぬウィロビーだったのだ。
彼が死ぬ間際に残した手紙は、ディクソンの心に深く刺さったのだろう。
だから彼は、自分の命を賭してでも、ミルドレッドの調書を火事から守ったのだ。
彼の心の片隅に残っている、ほんの一欠片の良心が目覚めたのだ。
デンゼル・ワシントン主演の『フライト』を思い出した。
テクニックは超一流だが、アルコール中毒で人としても尊敬できな機長が、裁判の最後の最後で良心に目覚める。
自分の恋人であるフライト・アテンダントが妊娠していたこと。そんな身でありながら、乗客を守るために命を賭けたことが、裁判によって明らかになる。
ここで自分が偽証を重ねたら、自分は本当の意味で「人でなし」になる。
人らしくあるということ。
これまでに重ねた罪は消えることはない。
でも同時に、それを悔い改めるのに早い遅いはない。
もちろん、周囲は簡単に認めてはくれないだろう。
だから、ディクソンは命を賭けたのだ。
大火傷を負うことと引き換えに、調書を守ったのだ。
ウィロビーが守ろうとしたものを、自分も守らねばと。
それが彼にとって生きる意味であり、贖罪にもなるのだ。
ラスト。
あの二人は、はたして殺人を犯したのだろうか。
ひょっとしたら、二人はあのまま、全米を転々と渡り歩き、真犯人を探したのではないだろうか。
いや、それともやはり、あの男の元へ行き、引き金を引いたのかな。
うまいところで映画を終わらせたなぁ。
なんて危険な街なんでしょう
タイトルなし(ネタバレ)
何と言ってもラストの清々しさ、、
人をしばきに行くというのにここまで爽やかなのはなかなかない。。
署長の死をきっかけに大きく大きく動き出す人々、
それもこれもたった3枚の広告によって。
牧歌的な音楽と風景がミルドレッドの強さと対比的で互いが強調されてた。
少しずつ、犠牲を払いながら前へ進もうとする2人がラストを締めくくる。それはややもすると難航する捜査への苛立ちのためだけなのかもしれない。だけれどそれは観ている側も一緒で、捜査とはそういうものだ、現実はフツーのハリウッドのように犯人が捕まって終わる、なんてことはない、手がかりがなく終わることだってあるんだ、ということを伝えているようにも思う。
その気持ちが最後のシーンを担保しているのかも。
物語の始まりは事前に知っていたから、きっとこんな展開でこんな感じで...
ウラオモテ無く生きたいものです
きっとこの世は愛で溢れている
…ただ、ちょっと周りが見えなくなってるだけ。
日本において「一億総ツッコミ社会」言われる昨今、インターネット(特にSNS)での心ない誹謗中傷や揚げ足の取り合い、マスコミ含め人の不幸を面白がる風潮が拡がっている。(人類はそんなことでしか快楽を満たせないはずじゃない)
そんな世の中を見事な群像劇で風刺した作品。
娘をレイプで殺された母親が掲げた3つの広告看板「スリービルボード」。それをきっかけに取り巻く人たちの運命が複雑に絡み合っていく。独りよがりや思い違いすれ違いが繰り返されるなかで、そのひとつひとつの交差に人それぞれの苦しみや悲しみ、そして優しさがじわりと滲み出る。
憎しみ合いからは何も生まれない。
いがみ合ってしまう人たちもきっとどこかで愛を持っている。その想いに触れ、他人に不信感しか抱けなくなっていた主人公の心も解けていく。
惨忍な描写も多くあるが、平和を願い愛に溢れた映画だと思う。
アカデミー賞はじめ数々の映画賞を受賞したのも納得。
愛と勇気と正義を!
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