Visionのレビュー・感想・評価
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深い森に負けない深さ
河瀬直美監督の映画を映画館で初めて観ました。さすが世界で評価されている監督だけあってスケール感が他の邦画とは違いますね。ちょっととらえどころがないストーリーとも言えますが、役者の演技が凄くよかったです。ビノッシュしかり夏木マリの怪演にはびっくりしました。また吉野の森の神秘に包まれて自然と涙が出ました。
静かで心地良い作品
今作は何と言っても河瀬直美とジュリエット・ビノシュの組み合わせでしょう。何しろ三大映画祭全てで受賞した役者です、どんな化学反応を見せてくれるのか大変興味ありました。
始まるとまず、とにかく息を呑むような自然の美しさに圧倒されます。
その物語はとても抽象的で、その解釈は見た人間に委ねられている作品です。
つまり「河瀬の色」が大変強い作品です。
なんで?といったフックがたくさんあり、そのほとんどに明確な説明はありません。
だけど不快なしこりが残るわけでもなく、最後まで森に包まれているような気持ちのまま見ることができました。
期待していたビノシュは演出が抑えめで、なんだか大自然の一部のようです。むしろ夏木マリの圧倒的な存在感でしょう、怪演といってよいのではないのでしょうか。
舞台挨拶で数回「何度か観てもらい…」といった言葉を耳にしましたが、何度かこの作品という森に触れてもらい、何かを感じ取って欲しかったのでしょう。
確かに観る人を選ぶ作品だとは思いますが、何度か観るとまた見えかたも変わりそうです。
吉野の大自然と、そにに住まう生き物の輪廻を感じる、静かで心地良い作品でした。
キレイでした
感覚的な作品ですね。
あまり考えちゃいけないかな。
普段からアートが好きな人には好まれる作品かもです。
とにかく、吉野の山がいい。
自然界が生み出す音、光がいいです。
そして、夏木マリさんの気迫にやられました。
夏木マリさん、すごかったな。
追記:一日経って、なんかもう一回観たくなったので星五つにアップしました。
あと、岩田さんて人を私はよく知らないのですが、なんかイノセントな感じが伝わってきて、良かったかな。
輪廻転生ではない、この映画の観方は・・・
河瀬直美監督最新作。昨年2017年に前作『光』をカンヌ映画祭に出品した際に、本作主演のジュリエット・ビノシュと知り合ったということで、製作までの期間が短すぎて少々不安だったのですが、前作『光』で新境地をみせていた河瀬監督だけに、どのような映画なのか興味津々でした。
奈良県吉野の山深いところにやって来たフランス人女性ジャンヌ(ジュリエット・ビノシュ)。
彼女の目的は、ひとびとの苦痛を癒す薬草を見つけること。
彼女は、この薬草のことを誰か人伝に聞き、それから関心を持っていた。
やって来た吉野の山には、智と名乗る男性(永瀬正敏)が居、彼は20数年前のこの土地に来、以来、山守を生業としている・・・
というところから始まる物語。
観終わってすぐには、どんな話なのかわからないほど語り口が未熟。
ほとんど、脚本としては練られていない、イメージだけで書いた脚本で撮った、という印象が強く、実際、河瀬監督がビノシュと会った翌月にビノシュ主演で撮ることが決まり、さらに2か月後には撮影が始まったというのだから、脚本を練る時間などはなかったとしか思えない。
でも、わからないと投げ出すのは性に合わないので、映画を観てわかる範囲で、理解した範囲で内容をまとめると、次のとおりでしょう。
まず、主題。
人間の生命の営みと、山や森の生命の営みを比べると、各段の違いがある。
人間は、せいぜい100年、そのうち、憶えている範囲は20~30年。
対して、山や森のライフサイクルは1000年(この映画では、素数にこだわり、997年としている)。
物語の骨子。
そんな山や森のライフサイクルの営みの中、人間と同じような姿をしたものがいて、彼らの寿命も山や森と同じ(ここでは「山守り」と記す)。。
そういった山守りは、短い人間の営みを観つづけているが、そんな彼らに、生と死は訪れる。
といったなかで、人間の生と死、山と森の生と死を対比して描きたい・・・
というのが、監督の狙いだったと思う。
映画のつくりは・・・
人間のパートはジャンヌと鈴(岩田剛典)が担い、「山守り」のパートは智とアキ(夏木マリ)が担っている。
さらに説明を加えると、
人間のジャンヌは、ここ何年かの記憶がない。
短いライフサイクルの中でも、生と死にかかわる記憶がない。
なので、今回の旅は自分を見つけ出すハナシであることは、冒頭、彼女が列車でやって来る際にファーストカットが、車窓に映った二重写しの時分の姿だということが示している。
「山守り」の智は、10000年近い年月を生きていく自覚がない。
というか、そもそもそんな存在だと気づいていない。
これも巻頭、智がアキのもとを訪れて交わす会話で、「歳がいくつだ」「ここへ来て何年だ」と問われるて、明確に答えられないところに示されている(ただし、智がその後、常識的な年数を答えてしまうので、観ている方は混乱するのだが)。
というように読み解けば、河瀬監督の意図もわかってくるのだけれど、いかんせん、そのあたりを観客にわかりやくしめす描写もないので、結果的にとりとめなくなってしまっている。
とすれば、ジャンヌと過去に恋人だった青年(森山未來)の役割は何なのだろうか。
考えるに、彼は、人間と「山守り」との中間的存在で、人間でありながら、山の生と死の契機を知っている男。
山の生と死の契機であり、その契機が山の再生のもととなるのが山焼きであり、その際に出るのが「ひとびとの苦痛を癒す薬草(実際には、灰)」=ビジョンで、それをジャンヌは聞いていた、ということになる(イメージシーンはある)。
その山焼き(山の再生)により、ジャンヌは過去を取り戻し、智は自分が生きる未来の役割を知る・・・
というのが、この映画の物語だと思うのですが、いかがなものか。
個人的な解釈だけれど、河瀬監督は、映画の語り口がうまくないことは多々あったにせよ、これまで観客に結末そのものを投げかけたことはない、と思うので、こういうことだと思いました。
でも、決して、面白い映画ではないですよ。
なにせ、自分が観た回では、近所で鼾が鳴り響き、後ろの観客はツマラナイのか、脚を、私の背もたれに何度も何度も打ち付けてきましたから。
非日常のゆったりした時間の流れ
内容は他の方々が詳しく書いていらっしゃるので、私は感じた感想のみです。美しい映像美とゆったりとした時間の流れの中で、自分も吉野の山中に居る錯覚を覚えました。岩田君のファンは勿論、その他の方も彼の成長を感じずにはいられないと思います。
愛のヴィジョン
全ての起こりうる、起こり得た出来事は直線的な時間軸から離れて、一つの特徴的な環境の中で既に完結していた。後先なくそれぞれのエピソード一つ一つに光が当たり、山という理想的な舞台において、まとまり、繋がり、美に昇華している。生と死も、始まりと終わりといった定義を離れ、循環する永遠性を通して、愛という答えを明確にする。
観念的な愛を様々なエピソードを交えて上手く可視化した監督の力量には目を見張るものがある。
タルコフスキーに通じる映像美、啓示的な脚本、外さない俳優陣、全く素晴らしい。
この監督の才能あふれる最高作品である。
久々に求め欲していた作品に出会えた。
今日はとても好い日だ。
命の繋がりを感じました。
脈々と繋がれた命。
男と女がいて新しい生命があり、死がある。大樹が切り倒され材木になり、また新たな苗木が植えられる。
生と死。破壊と創造。
切なくも愛しい、悲しくも幸せな物語だった。涙が止まらなかったです。
『vision』とはアキと鈴が触れていた大樹の聖霊的なものなのかな…と。
人に宿り、宿主に997年の命を与える。宿主であるアキは997年生きて自身の役目を終え、死期を悟り、自分の死後に『vision』の宿主となる鈴が大樹の元に引き寄せられ現れるのを知っていた。
元々、アキはジャンヌのお腹に宿った命が次の『vision』の器だと知っていたし、ジャンヌ自身もお腹の子が特別な使命を持った子だと解っていた。だからアキに赤ちゃんを託したのではないだろうか。赤ちゃんに「さようなら」を言うシーン…切なかった…。
ジャンヌの『痛み』はかつて恋人を亡くした事であり、我が子を手離した事。
時を経て、想い出の地、美しい吉野の山で岳の面影がある智と心を通わせて、鈴と再会する……本当に感動しました。
ラストシーンで見つめ合ったジャンヌの瞳と鈴の瞳の色が同じだなと思ったら涙が止まらなかったです。
あと、トンネルにも触れたい。あのトンネルは『胎内巡り』を表しているでしょ。アキがカツカツと颯爽にトンネルを進んで行く姿にグッと来ました。あとコウね…。コウが死ぬと思っていなかったから、トンネルを駆けていく姿を観て「行っちゃダメ!戻って来て!」と叫びそうになった。
鈴にはコウの死期が分かっていて胎内巡りをさせてあげたかったから綱を解いて自由にさせてあげたのかな。
長々と勝手な解釈を書いてしまいました。色々と矛盾もあるのでしょうが、私にはこの解釈の仕方が一番しっくりきました。
心に残る映画です。もう一度観たい。
比較的しょーもない(^^;)。
「人は進化して孤独になったから一回死んで自然の流れに帰ろう」という、"今更言われてもなぁ"感がハンパねぇメッセージムービー。
トンネルが産道(胎内回帰)のメタファーとか失笑モノ。それこそ1000年前の演出。
いらんことせんと、普通に、リアルな森やそこで暮らす人々のダイナミズムを撮って見せてくださった方が、自然の雄大さや山に抱かれる安心を体感できたのに。
ありのままの自然より、監督の解釈(思い入れ)込みで撮られた映画。
作家性が強いのは結構だけど、もっと感性を磨いて欲しい(苦笑)。
「あん」「光」は好きだったので残念。「萌の朱雀」に退化してどうする。
どうも河瀬監督が森を撮ると失敗するらしい。
う〜ん、よくわからない
画像が綺麗で、配役が素晴らしくて、人間と自然(山)との関わりを時間軸を絡めて表し、それを表現するダンスも圧巻。(岩田くんだけが下手な演技で浮いてる?)
でも、「あん」「光」ほど理解できず、作品に圧倒されなかった。
森の美しさ神秘さに圧倒され
森の中の揺れる木々
緑の中の風の音
すべてが神秘的で美しかった
河瀬ワールド全開の作品だった
彼女の作品は説明がないので
こちらが登場人物もどういう人なのか
こちらで想像するしかない
今回はどういう展開になるのか
初めはちょっと間延びした感じで
森は美しいがちと退屈感もありだったが
後半では盛り上がりクライマックスは
神秘的 幻想的で じーんと良かったです
が!!
やはり万人向きではなく
退屈と思ってしまう人も多いのでは
映像で表現する作品なので
難しいです
「なにこれ!わからない!!」と映画が終わって
騒いでいた人もいましたから
どうしても ありえないでしょと
思えるところもあるので
これは 大人のファンタジーと思って
鑑賞すれば
素敵なお話になるのではと思いました
気になるのは永瀬演じる智だ
28年前に都会の暮らしに疲れ
山で暮らしていると言う設定で
そこにフランスから
ビノシュ演じるジャンヌが現れて
話が進むのだが
彼はいなくても話が進むような気がして
彼は映画の中でどうのような存在なのか
ジャンヌの過去の話から
必要なのか?
私の中では智はちと気の毒な役かななんて
思ってしまうのだが
映画の中では彼自身は気づかないが・・・
この智を通じてジャンヌの女の怖さを
観てしまうのだ
となると これを描くためには
彼は必要だったのかな?
大満足と不満足と
主人公をフランス人にする必要が?
神秘的な日本人でも良かったのでは?
なぜハーフであるはずの息子が純日本人?
?だらけでしたが、夏木マリさんのジブリを実写化したような妖艶な演技と森山未來さんの森の聖霊のようなダンス素敵でした。
忖度させられたのかな?
監督の言いたい事はすごくわかる映画だと思ったけれど、いかんせん映像にすると伝わらなかったのでは?
多分監督が構想を練ってた時は、「私って天才~!」って舞い上がってたんだろうな~っていうのだけが、ひしひしと伝わった(笑)。
特に三代目 J Soul Brothersの子が出てきた時には、ぶち壊しだったし(爆)。
この場合、無名でももっとミステリアスで演技の上手い子を出すべきでしょう。
バブル期の金持ちの道楽みたいな作品に成り下がってしまってたのが、もったいなさ過ぎです。
それ以外にも、せっかく永瀬正敏とジュリエット・ビノシュという素晴らしい配役なのに、使いこなせてない感がイタイ。
途中のラブシーンも、なんか永瀬正敏が飯盛女みたいな扱いで、必要かな~?って思ってしまった。
独りよがりムービー
非常に退屈な上に、自己愛臭が強く胸糞悪い駄作でした。テレンス・マリックと同じ、映像が美しいだけの独りよがりムービー。
一番気になったのは素数。この自然崇拝げな作品の中で、素数というキーワードは垂直にささくれ立っている印象です。すなわちそこにはなんらかの強い意味があります。
はじめは、『割り切れなさ』なのかと想像していました。この隔絶された自然の中で割り切れなさを抱え、現世に戻る話かも…そんな展開が待っているのか?との予測。その前にフランス女が「Visionは人の弱さを消し去る」なんて危険極まりない妄言をのたまっていたため、変容の物語かもしれない、なんて考えていたときもありました。
しかし、『素数は交わらない』ときましたよ。これって自己愛じゃねーか、とビックリ。同時に本作の舞台設定もなんとなく把握できました。
現世から隔絶された山中はまさにあの世なのですが、異界と現世とのつながりがありません。あの世に来っぱなし。そこには「この世は汚い」みたいな厨二純潔思想が見え隠れします。自然の美しさは描かれていますが、恐ろしさが皆無なのが嘘くさく、神への畏れがありません。単なる理想的イメージでしかない。
つまり、素数である自分(監督ね)は特別で、この世に生きるような不潔な人ではありません!と宣言しているように感じ、バカじゃんと思いました。人類の進化が遅いとか、アンタはシャア・アズナブルか。まぁシャアも河瀬も自分が特別と思い込んでいる自己愛野郎って意味では共通してます。
とはいえ、もしかすると河瀬直美はこのような独りよがりな作品を排泄しないと精神のバランスを崩すのでは、と想像しています。
炎による痛みの浄化も、痛みを抱えることのできない弱さの裏返しですよね。未見ですが、『あん』『光』は高評価のようです。そこから考察すると、地に足のついた名作を生み出せるが、そんな作品ばかり創っていると反動が来て、本来の厭世主義的映画を生み出さないと病む、みたいなパターンがあるのかもしれません。
平日レイトで本作を鑑賞したのですが、観客は私ひとり。貸し切りです。公開第1週目でこのザマなのも、こんな内容では宜なるかな、であります。
岩田ファンが観るには覚悟が必要
“フランスと共同ならではなのか?”
はやい展開が好きな私にとって
そう感じさせるようなテンポだった
自然を撮るのがいい とても美しい日本の自然
夏木マリをキャスティングしたのは大正解
しかし なぜ岩田がキャスティングされたのか
配給がLDH picturesだから仕方がないのか…
岩田を目的に鑑賞するファンにとっては
この手の作品は 退屈だと思う
世界的に注目されている 河瀬直美監督だが
わたしには少し理解ができない部分があった
映画通な玄人向けの芸術映画
内容が文学寄り、芸術寄り過ぎて私を含めた一般の方にはちょっと理解が難しすぎると感じました。。
映像はすごく美しくて、ヒーリング系もしくはスピリチュアル系の芸術映画といった感じでしょうか。。
【奈良県吉野の深い森の、フィトンチッド効果により、心が浄化される作品。アーティスティックだが、ジュリエット・ピノシュと永瀬正敏が起こす言葉を越えた交流に魅入られた作品。
ー 奈良県吉野の、奥山の森林の映像が、美しい。
誰もいない深山でキャンプした時に、稀に体験するスピリチュアルな経験を思い出す作品。ー
・ストーリーは難解だが、色々と考えることができる。
・一人で心静かに鑑賞したい、スピリチュアルな映画である。
<2018年6月10日 劇場にて鑑賞>
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