寝ても覚めてものレビュー・感想・評価
全177件中、21~40件目を表示
ポテンシャルと商業化の折衷…次第に生まれる愛のリアリティが快い
待望の初鑑賞は、古き良き映画館「高崎電気館」にて。濱口竜介監督が作る錯覚と果てなき世界。突拍子もないけど、アッとさせられるな…。
『ドライブ・マイ・カー』『偶然と想像』に続き、濱口竜介監督作品を見るのは3作目。商業作品としてピシッと倣って作られている印象。120分のプラットフォームに落とし込みつつ、愛の彷徨う様を繊細に描いている。序盤から中盤にかけては突拍子もないように感じていたが、次第に引き込まれていき、流石だなと思った。
愛の不確かさと均衡を失うような感情。正しさよりも自分に正直にいたい姿に共感は出来ないものの、そのふしだらな彷徨いは凄く繊細で柔らかい。細かなギミックが色味を持ち、8年の変化を様々な形で映していく。その過程の中で、失踪や転勤、出会いと別れ、そして震災…。これらが挟まり、自身の価値観の変化が外的に起きたことも示唆している。少し物足りないが、やはり終盤はハッとさせられるので、二人の果てが達した答えを受け入れられたのだろう。
主演は東出昌大さんと唐田えりかさん。東出昌大さんを『BLUE/ブルー』で起用した吉田恵輔監督が「あんな高身長でナヨナヨした俳優は他にいない」と評していたのだが、それを思い出した。油断を感じさせるような演技が凄い上手いので、この2役も本当にハマっている。そんな状況の中、唐田えりかさんは本当に大変だったのだと思う。リアリティの高さ、自問自答が続く中で演技を探し出すことは容易でない。その不安定さが刺さった。
言葉や仕草、カメラに収める画角、いくつもの視野と多くの反応を掻い摘む上手さを改めて感じた。非常に有意義で興味深い時間だった。
わりと時間の無駄だった
鑑賞動機:監督8割、伊藤沙莉1割、ゲスい好奇心1割
女性の感想を聞きたい❗
麦麦麦麦大和田バク〜♪
臆病者のようなつまらない結末 映画はピント外れ
”ドライブ・マイ・カー”を観てモヤモヤしたので、エロいの観てすっきりしたくなって
プライムで”寝ても覚めても”を観たんですよ
なんせ、東出昌大と唐田えりかの不倫が話題になったし、寝ても覚めてもだもんね
邪(ヨコシマ)な妄想満開だったのに、見事に裏切られました
ショボーンです
キスシーンはあるけど、あとなんも無し
これは新人女優を飛躍させる目的の映画です
だから、ほとんど肌を見せる事もなく、ベッドシーンも無し
まだまだ出し惜しみできる期待の大型新人だったんでしょう
168cmのスラッとした美人
既に韓国で人気なのがわかるルックスですね
幼さもまだ残っていますし
まあ結局プレイボーイの共演者のおかげで、思惑は水泡と消えたわけですが
新人女優を売り出すにしては、浮かれたところもない、淡々としたシーンが続く
外見はいいのに彼女の良さが全然でてない
演出はしっかりしてるし、丁寧なんだけど
抑揚が無いのでなんの面白みも無い
デジャブを見ているみたいな感覚が・・・
なんと監督が”ドライブ・マイ・カー”の濱口 竜介だったんですねえ
なんという不運
ストーリーからして新人女優ができる役ではなかった
しっかりした演技ができる女優がやればずいぶん変わったと思う
全くのピント外れな作品になってしまった
この映画に唐田えりかを使うべきではないし
唐田えりかのためなら、ストーリーと監督を変えないといけない
ピント外れと言えば、ほとんど関東人の俳優に関西弁を使わせる意味があるのかい
唯一の西日本出身の山下リオは東京人役
関西弁の指導だけでも無駄な労力がどんだけいるか
原作は未読ですが、後半にいっきに話が動きます
コレは男性には書けないだろうなと思ったら、やっぱり女性でした
男には酷すぎるもの
が・・・・
結末はとてもつまらない
ヒロインの友人役の伊藤沙莉のように
やりおったなあっと喜んでいたら
結局、常識の範囲におさまってしまった
ほんま、つまらん
”鬼滅の刃”の結末みたいにつまらん
あそこまで行ったら破滅を見せてくれよなあ
ぜんぜん関係ないけど、ネコちゃんの名前
ちんたんって清湯(チンタン)スープからとったのかな
夢の中へ行ってみたいと想いませんか?
最低の女の子…
現実が虚実に飲み込まれる
正直良さが分からない
教科書通りの優等生?
大阪弁、やたら北へ西へと意味無く移動のロードムービー、モンタージュ、俯瞰描写の多様・・・黒沢的描写、舞台演出、チェーホフラブ❤️伊藤沙莉の関西弁完璧❗図らずも舞台を演ずる者達を敢えてスクリーンに通して観客を覚めさせるこの手法に監督はチャレンジしてるだけ?次回作で辛うじてこの手法は進化はする事にはなるのだが・・・そして愛が軽い。見れば見るほどポイントが下がる。まさかとは思ったが最後に主人公走らせよった・・・😅映画が見えとらんのか新しい映画を作ろうとしてるのか・・・セミの声、雨、捨てきれぬ猫🐱・・・小細工多すぎ。もっと整理せんと。各シークエンスはとても良くできてるのに作品としての纏まりがどうしてこんなに無いのか?。一応次回作が進化してたのでこの作品は★ふたつ。
恋愛の非社会性を克明に描写した傑作
観たことのない種類の映画である。
まず冒頭の始まりのところ、ラブストーリーだと思い見始めると突然80sのプログレッシブロックのようなシンセが流れはじめて"なんだこれは?"となる。不気味だが画面にとてもマッチしている。
素朴なふんわりした可愛い感じの服装の女の子が歩いている。それを遠巻きに長回しで撮っている。足早で何か焦っているようだ。
場面は変わり写真展?ひとつの写真の前で立ち止まる。女の子の顔が映る。写真に見入っている。鼻歌が聞こえる。男が後ろから現れて消える。女の子が振り返る。男を目で追う。男はフラフラと歩いて画面から消える。
場面が変わり、女の子はパンフレットを手に取る。さっきの男が通り過ぎる。女の子は待ち伏せしていたのだ。エスカレーターに乗った男を女の子は追う。外に場面は変わり、階段を登る男を追う女の子。階段の上の広場で少年たちが爆竹を鳴らす。驚いて逃げ出す少年たち、爆竹の音に振り返る男。待ち望んでいたようにそれを見つめる女の子。
不思議な映画である。
この冒頭だけで私の心は完全にこの作品に取り憑かれてしまった。何かおかしなことが持ち上がってるとこの時点で理解した。これはただのラブストーリーではなく、危険な何かである。それはたぶん社会の規範から外れるような何かである。ただそれがなにかを説明することはできない。
現代人の我々にとって恋愛とは何か、私はこの映画を観て考えずにはいられないのである。それは友達を早産させ、1人の男性の人生を一変させてしまう。でもそれだけではない。この映画ではそれを明確に説明していない。気配を感じるだけだ。その気配に私は戦慄したのである。
この気配というのは、いわば芸術そのものなのかもしれない。朝子と良平の関係は芸術と社会の関係のようにも思われる。恋愛の爆発は一種の芸術である。非社会的な行動なのだ。それと同時にとても儚く尊く美しい。彼らの個人的な恋愛を作品の評価とごっちゃにして語る方が多いが、愚かとしかいいようがありません。というか、むしろこのすごい作品のエネルギーに2人が飲み込まれてしまったとしか思えず、逆にそこまで本気だったのか!と私は嬉しくなる。彼らはマジだったのだ。
最後に朝子はあの海で何を見たのだろうか。
原作には麦は宇宙人という裏設定がある。もしかしたらUFOを見たのか。ただそれを画面に映さないのが監督の高い知性と芸術性のなせる技か。未確認生物であることを比喩として使ってもっと深いその"何か"を感じさせることに成功している。大傑作である。
愛に幻想を抱くな
なんで仙台の手前だったんだろう
監督の最新作がカンヌで賞を獲ったと知り
調べたら3時間の長編
とりあえずは前作を観てみようかと
あぁこれね~
レンタルで3回に分けて鑑賞
30~40分のちょうどいい頃合いで
エピソードが展開するので飽きずに引き込まれた
東日本大震災とか閖上のあたりも出てくる
大方のオトコは東出②の立場でこの映画を観るだろうから
勘弁してケロや~というところだと
まぁ人間は理屈では割りきれぬ行動をする
なんで仙台の手前だったんだろう
ヒロインはフワフワした
つかみどころがない役にはまっていた
芝居とリアルな世界の境目がわからなくなってしまったか
この作品だけでは惜しい 違うものも観てみたい
監督の次回作とかで復活してほしい
東出のBLUE/ブルーはよかった
原作があると知り意外 ちと読んでみたい気も
出だしの写真とか東出①のキャラから
難解なものを想像していたのだが
意外と分かりやすくていい映画だった
好き嫌いはあるだろう
エンドロール 富士フイルム が何故か前株になっていた
正しくは後株 一部の関係者を除けばどうでもよいことだが
【RIVER】
人は人の一体何を好きになるのか。
僕が映画のレビューを投稿し始める直前くらいに公開された映画で、あまりにも印象深くて、作品を見た後、主題歌をすぐダウンロードしたのを覚えている。
tofubeatsの”RIVER”の歌詞が、あまりにも、この作品をうまく表しているような気がしたのと、エレクトロニックにアレンジされた微妙に揺らぐ歌声も映画にマッチしているように思えたからだ。
この作品は、誰もが経験する人を愛するという心の揺らぎ、時にはゆっくり、時には急に変化する揺らぎを見つめた秀作だ。
(※ 非難は覚悟の上でだが、この作品で共演したら、主演の2人が惹かれ合うのも理解できる気がするのは僕だけじゃない気がする。特に、女性の方は、そうじゃないのかなあ。失礼しました。)
人は人の一体何を好きになるのだろうか。
価値観が同じ、趣味が一緒。
一目惚れもあれば、クッシーとマヤのようにぶつかり合った末に深く結びつくこともある。
しかし、人は、不思議と一瞬にして燃え上がった恋を忘れられないことも多い。
別れた人の幻影を雑踏のなかに探したり、別の相手に面影を求めたり。
麦は、いつも、どこかで人を支えようとしていたのだろうか。
そっくりな亮平。
朝子が抱え続ける異なる中身への違和感。
そして、定まらない心。
麦が現れたのは偶然ではないだろう。
もう、心配してもらう必要はないから。
心配されて側にいるのは、きっと愛することとは違う。
それに依存することも、愛していることとは異なるだろう。
愛することは、きっと、さまざまな想いや葛藤を抱えながら、自分自身とも向き合い、考え続けることも含んでいるのだ。
仮に、”自分のことばかり”と言われたとしても、愛するのは自分自身の気持ちのはずだ。
昔、僕も、付き合っていた人に同様に叱責されたことがある。
でも、よく考えても考えても、人を愛するのは自分自身の気持ちのはずだ。
だから、考え続けるのだ。
寝ても覚めてもだ。
それは、亮平も同じだ。
だから、自分自身の怒りと、ほのかな期待を抱え、向き合いながらジンタを大切にしていたのだ。
人は一体人の何を好きになるのか。
実はさまざまなのだろう。
反対の行動に出ることだってあるだろう。
だから、愛し合うことも含めて、ずっと人は考え続けるのだ。
寝ても覚めても。
以下、tofubeatsの”RIVER “の歌詞の抜粋
寝ても覚めても愛は
とめどなく流れる
なぞるたびに線は
太く 深く 強く
空から降った雫を
集め今たどり着いたよ
一度生まれた愛は
二度と消えることなく
空と海のあいだを
まわる まわる まわる
大雨が降ったあとに
溢れ出た気持ちをそっと
すくいあげて
ふたりの愛は
流れる川のようです
とぎれることないけど
つかめない
全177件中、21~40件目を表示