劇場公開日 2018年9月1日

  • 予告編を見る

「不穏であって不快ではない。」寝ても覚めても テークさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5不穏であって不快ではない。

2018年9月16日
iPhoneアプリから投稿

不穏だ。とにかく不穏である。
121分の映画全体を筆舌に尽くし難い不穏感が支配している。
それが決して不快ではないのが、この映画の大きな魅力だ。

起こる事の一つ一つはお伽噺の様である。
ホンモノである感じがしない。
どこかぼやけていて、現実味がない。
主人公である朝子と麦の出会い。
亮平と朝子の出会い、別れ、再会。
登場人物たちのとる行動と、数々の末路………。
その全てがまるでナニモノかの大きな力に動かされている様だった。
この作品世界の背後には何かとてつもなく大きな何かが仁王立ちしているのではないか。
そう感じざるを得なかった。

物語りは奇跡の偶然性で成り立っている。
示しを合わせていない感情や行動や境遇が物語をエンドロールまで運んでいくモノだ。
しかし、この映画は違う。
「いつか、必ず良からぬ事が起きるだろう」
そう観客に感じさせ続けながら物語が進んでいく。
どれだけ登場人物が一時的な幸福を得ようとも、
それが続かないことを、むしろ災難に変ってしまうことを、何となくだが確実に、観ている側は分かってしまっている。
しかも、そうであって感情に制止は利かない。観続けてしまう。
“いま”が心地よいから。
頭の片隅で行末に対する危機感を感じてはいるものの、現在の幸福に身を浸してしまう。
まるで二度寝してはいけないと頭では分かっていても目を閉じてしまう時の様に。
だから不快ではない、不穏なのだ。

朝子が終盤に取るある行動については意見が分かれるところだろう。
あの行動で作品に対する興味が一気に遠のく人間もいるかもしれない。
筆者も許せない。あんなことしたら駄目だ。
しかし、(身も蓋もない言い方ではあるが)もう仕方ないのだ。朝子には朝子の事情がある。
個人的には、あのシーンから感情移入の対象が朝子から亮平へと瞬時にシフトを変えた。
朝子は本当に実在したのか・・・?
朝子の友達である女優志望の彼女は実在したのか・・・?
彼女の夫になった会社の同僚は・・・?
朝子の大阪時代の友達の女性は・・・?
飼っていた猫は・・・?
朝子を連れて行った麦という男は・・・?
そして自分は・・・・・・・。

人生(生活という言葉が適切か)は何か大きな力によって動かされているのかもしれない。
そこに抗おうとすれば何か大きなモノを得るか、失うかだ。
微睡むも良し、抗うも良し。
恋は盲目だ。渦中の人間からすれば特に。
外から見ればお伽噺の様なモノかもしれない。

朝子と麦の出会い、あんなことある訳がない!
朝子たちに対する亮平の取る行動、何だか無理がある!
島春代みたいな人、あんな大阪のオバハンおるおる!
ホームパーティー中の芝居論でのぶつかり合い、何なのその偶然!?でもあるある!
朝子を迎えに来た麦、ストーカーか!?半ば誘拐やないか!即刻ネットに挙げられて事務所が動くぞ!?
全体的に朝子、お前ぶれっぶれやないかい!

でも、なんだかこの映画はそんな事は問題ではない様な気がするのだ。
一つだけ納得いかなかったのは、岡崎の末路だ。
何故、彼をああいう所に着地させたのか。

亮平と朝子が新居にて川を眺めるラストカット。
もし次があったとしたら、それはどんな場面になっただろう。

決して他人に薦める事はないだろうけれど、
観た人同士では語り合いたい。
そう思わせる不思議な作品だった。

テーク