「人は人を許すことができる」寝ても覚めても 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
人は人を許すことができる
若者同士の青春と恋愛模様を描いた作品で、それなりに面白く鑑賞できた。
東出昌大は女相撲と大正デモクラシーを描いた映画「菊とギロチン」で、若くして獄死した民権運動の活動家を熱烈に演じていて、その演技は高く評価できた。この映画でも堂に入った関西弁で、世界観よりも人間関係に重きを置く関西人をうまく演じている。同僚役の瀬戸康史も自然な演技で、主役を際立たせる役割を上手にこなしていた。
女優陣の演技は評価の分かれるところだが、少なくとも主役の朝子を演じた唐田えりかの演技には違和感があった。関西弁は大和言葉の細やかさを残しているから、もう少し多様で微妙な表現が出来た筈だと思う。それとも、穿った見方をすれば、SNSのパターン化された言葉遣いに染まってしまった現代の関西弁を誇張して表現しているのかもしれない。寄り目気味の和風の顔は大和撫子のイメージでなかなかよかったのだが。
昔から女心は山の天気のように変わりやすいと言われている。それは割合の問題で、情緒的な考え方をする人が男に比べて多いということだ。価値観がぶれず、考え方が論理的であれば、そうそう言うことが変わったりしない。
しかしそもそも、朝子は心変わりしたと言えるのだろうか。何度も何度も亮平の誘いを断った筈だ。偶然発生した吊り橋効果の状況が、必死で拒んでいた彼女の心を溶かし、背中を押しただけとも言えるのではないか。
亮平は世界観よりも人間関係を重視するタイプである。分析もすれば自省もする。一途で頑固な朝子にどれほどの葛藤があったのか、想像できない男ではない。ともあれ、こういう愛の形があってもいい。人は誰でも人を許すことができるのだ。それは多分、いいことだと思う。