「人の愚かさ狡さを客観視するための映画」寝ても覚めても ありきたりな女さんの映画レビュー(感想・評価)
人の愚かさ狡さを客観視するための映画
はっきり言って、あまり好きな話ではない。
でも表現として引っかかる所はある映画でした。
まず、この映画が好きになれなかったのは何故かと言えば、主人公の朝子に全く共感できなかったから。
ぼーっとしてるような、地味めな女の子だけど、一度決めたら頑固だし脇目も振らず、人の助言も聞かず、突っ走る人。あと、何考えてるのか全然わからないような人。
正直同性から見て全く魅力的に思えなかったけど、男の人はたぶん、こういう人好きなんだろうなあって思いました。実際二人の男の人に愛されるわけだし。
むしろ、亮平や麦でさえも、それぞれ全く違う男だけれど、人として全然魅力的に見えたような。
ここまでけなしてしまったので、気になったところを挙げます。
・朝子が好きだった写真家の方、あれ何だったのかなって気になりました。
捉えられていたごく日常の風景、もしかしたら朝子には手に入れられない憧れの姿だったのか。
「朝子」という名も、目が覚める/醒める朝という意味ならば深い。彼女が夢を喰らう「バク」によって、やがて目を覚ますことが必然であるとわかるわけですから。
そう考えると「亮平」って、割と普遍的な、何の変哲もない名のように思う。彼は朝子との関係において、絶対に物語の主人公となれない運命を背負っている、ということなのかな。
でも惚れたが最後なわけで。朝子はある意味ファムファタールなのかも。
・亮平と同棲するようになってから飼ってたねこ、「寝子」にしては全く寝てるシーンがなくて、むしろ動的な姿が多かったのは意図的なのか。
むしろ朝子の方が、冒頭の縁側のシーンで眠り始めてからほぼ「眠り」続けているような、そんな生き方を浮かび上がらせるためのねこちゃんだったのか。(とりあえず捨てられてなくてよかった…)
・白眉のシーン、実は渡辺大知くんと田中美佐子さんなんじゃなかろうか。
最後になって寝たきりになっていた男友達と、自分の過去の秘密をこっそりと、女同士だけにバラす友人の母。
朝子が「眠って」いた間の数年間、非情にもその年月は世界を確かに変えるには十分だったと、目線と僅かな口角の動きで仄めかす渡辺大知くん、あっぱれです…!
周りの友人役の伊藤沙莉さん、山下リオさん、瀬戸康史さん、みんな芸達者だし、それぞれの役の歩む人生の変化は静かにその年月の経過を示していて素晴らしかったけど、一番印象的だったのが大知くんの役でした。
お母さんの秘密は、人の歪さ、汚さ、狡さ、人生思い通りにいかなくても生きてていいんだ、と思わせてくれ、ラストシーンに繋がるキーポイントだったと思います。
それでも朝子がしたことは許されるべきではないと私は思うけれど、息子の前で話さなかったお母さん、「大事なものは大事にすればいい」とさらっと言えるお母さんは、重要な人物だと捉えました。
まさに「おとなは秘密を守る」
・劇中で、こんなにも震災について触れられるとは思わず驚きました。
徒歩帰宅の道中、垣間見える亮平の人柄に納得しつつ、もしかして亮平は麦と顔が似てることに加え、震災がなかったら朝子と決定的には結びつかなかったのかも?と思うと、何とも皮肉。
実際にも、震災が結んだ縁、或いは切れてしまった縁というのはいっぱいあるのでしょう。
(この辺りに関しては、『嘘を愛する女』『最高の離婚』でよく描かれているように思います。)
・ラストの川についての会話、好きでした。
家を買うときは「いい眺めだ」とか「ここの景色好き」だとか言っていたけど、いざ修羅場を経たら、「澱んだ色の汚い川」でしかない。
川が氾濫したら真っ先に沈みそうな危ない場所、その淵に立って生活していくことを選んでしまった、二人らしい場所に皮肉にも落ち着いていたわけだ。
そして、朝子はそれでもその景色を「綺麗」と言える。この解釈が難しいけれど、やっと目が覚めた彼女はしぶとく生きていけるんだろうな…と思わずにはいられなかった。
tofubeatsさんの主題歌「RIVER」が全てを物語っています。