寝ても覚めても : 映画評論・批評
2018年8月21日更新
2018年9月1日よりテアトル新宿、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにてロードショー
何の覚悟も準備もなく訪れる別れ。そこからどう生きるか
誰がどう見ても、と言ってしまうと大げさになってしまうのだが、どこかぼんやりとした輪郭でゆったりと生きているようにも見える主人公の女は、しかしある時いきなり背筋を伸ばし、速足で歩き、思わぬ決断をする。考えの果ての決断というより、延びた背筋と速足がそうさせたとでも言いたくなるような、誰の追従をも許さない強さと速さがその決断にはある。つまり誰もが戸惑うばかり。映画はその理由をわかりやすく示すことはない。この強さと速さがあれば、人の人生を語るのにそれで十分だろうと言わんばかりである。
同じ顔をしたふたりの男に時を経て恋をしたひとりの女の物語は、そんなふうにして語られる。もともとあり得るようなあり得ないような物語である。同じ顔をした人間は果たして現実に存在するのかしないのか。しかも時を経ていたとしても、同じ顔の男に惹かれてしまう女は、男の何に恋をして何に惹きつけられたのか? そんな謎が分かりやすく解き明かされるわけではない。ただひたすら残酷なまでに時は過ぎ、物事は起こる。大阪に住んでいた女は東京に移っている。東北の震災も起こった。多くの人が亡くなった。彼女と彼の物語には直接関係ない世界の出来事も、実はもっと深いところで「直接」関係しているようだ。
ひとり目の男との別れは、別れと言うよりも、消滅に近い。いきなりいなくなる。その感情は、多くの災害を経験した者たちにとってよりリアルな重さを持つだろう。昨日まで隣にいて微笑みかけてくれたあの人が、今日はもういない。何の覚悟も準備もなく、ただひたすら自分の片側の空虚を受け入れるしかない。そこからどう生きるか。しかもその後に同じ顔をした「運命の人」が目の前に現れたとしたら。あの人の空虚と、今ここにいるこの人の充実を、どのようにして自分は受け入れたらいいのか。「寝ても覚めても」というこの映画のタイトルの持つ意味を、考えながら観てほしい。
(樋口泰人)
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