「Remember This House」私はあなたのニグロではない いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
Remember This House
J・ボールドウィンの未完の書を元に作られたというドキュメント作品。勿論、作家自体も存じ上げていないし、この作品自体世に出たのか(1979年6月30日日付 30P のみの書きかけ)どうかも調べていない。なので、今作品の人種差別による強烈な批評について、軽々しく感想を述べることは失礼に当たると思うのだが、本作品としての感想を。
作品自体は、ドキュメントとしての作品というより、小説のように、主人公の独白的な造りになっている構成である。なので、映像のカットも、その時代のニュース素材や、TV映像等を織込みながら、しかし心情の部分は移動手段から流れる外の景色を撮すような素材を流している格好になっている。この作家自体、他の媒体でも色々と発言が多い人らしいので、そういう意味では心情を映像化しやすいプロットだったのかもしれない。3人の有名(M・エバースは存じ上げていないが)のそれぞれの人権活動を紹介しながら、しかしそれ以上にそれを観てきたボールドウィンの心情を切々と訴える展開である。その中に於いて、常にミソジニーの一つの例である白人に対しての鋭い分析を随所に盛り込んでいて大変参考になる。
その鋭い論理故に、その対策、対応についての結論をつい求めてしまうものだが、未完の書らしく、本作品でも明確な提示をしていない。『敵意がないが無知』ということが原因であり、だからと言ってそれを相手に突き付けたところで相手が素直に聞くわけでもないことは十分知っている筈だ。『何故、ニガーが必要だったのか』という問いを果たして無意識、無自覚にぼんやりと過ごしている人間に届くことがあるのか、かなりやり切れない暗鬱な雲が頭を覆ってしまう。そして、これはまさに留まることがない権力闘争であるのではないだろうかと悲しくも思ったりする。結局は人間は平等には生存できない。しかし平等であろうと思い続ける事が重要なのではないだろうかと、これもまたプリミティヴなまとめで、大して褒められる結論でもない。作家の辛辣さは、他に向けているようで実は自分自身に問いている、そういうことでもあるのだろうと勝手に想像してみるのだが・・・
いずれにせよ、差別の構造等、大変勉強になる秀逸なドキュメンタリーである。隠すことなく曝け出す映像の数々も潔い。
本来、もっと言いたいことはあるのだが、映画レビューなのでこれ以上は脱線してしまうからここまで。