私はあなたのニグロではないのレビュー・感想・評価
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黒人差別の構造問題
公民権運動時代に活躍した黒人作家、ジェームズ・ボールドウィンの原稿を通してアメリカ黒人差別の歴史を紐解く作品だ。ただのニュース映像をつないだドキュメンタリーではない、ボールドウィンの文章を再構成し、彼の精神性に現代まで続く差別の構造問題に焦点を当てるような作品だ。
この映画には、黒人の出演するアメリカ映画の断片がいくつも挿入されている。白人の観客のための黒人のキャラクターはどんなものか、そこからアメリカのリベラルの潜在的な欺瞞を暴き出すために映画の引用は実に有効に作用している。
招かれざる客のような人種間の融和を訴えたとされる映画にさえ、そうした欺瞞が隠れていることをボールドウィンは示唆している。ニガーという役割を必要としていたのは白人だった、それはなぜなのか。この映画はそれを問う。
差別をテーマにした映画で最も考察の深い作品の一つと言っていいと思う。映画と合わせてボールドウィンの「悪魔が映画を作った」を読むとさらに理解が深まるだろう。
ジェームス・ボールドウィン!
黒人差別や公民権運動の映像に、ジェームス・ボールドウィンの言葉を重ねて紡いだ作品。黒人差別は白人側の問題。白人にとって必要だから差別している。なぜ差別をせざるを得ないのか、その理由を問うべき。としている。「ヒルビリーエネジー」を併せて読みたい。
BLACK IS BEAUTIFUL !
面白いとかではないが、共感出来る。シドニーポワチエとオバマが出ているので、ある程度話を終わらせようといていると見たが。
マルコムXを登場させるのは良いが。ブラック・パンサー党を嫌う黒人も沢山いたはずだ。
公民権法が制定された理由は、ベトナム戦争が激化したからと、このドキュメンタリーは言っていると思う。黒人をベトナム戦争に投入したかったからと言う事だ。その点をまわりくどく言い切っていると僕は思った。
【”自由と正義の国”で400年もの間、行われてきた差別と暗殺の歴史を、ハリウッド映画シーンを絡ませながら描いたドキュメンタリー作品。】
ー サミュエル・L・ジャクソンの、抑制した語りで、”自由と正義の国”で400年もの間、行われてきた差別と暗殺の歴史が語られていく。
軸は、黒人の人権を手法は違えど、訴え、1960年代に次々に暗殺されてしまった、
・メドガー・エヴァース
・マルコムX
・キング牧師
の生き様を、この映画の原作を記したジェームズ・ボールドウィンの視点から語っている所である。ー
・そして、語りの中で1920-1970年代のハリウッド映画
『キング・コング』
『駅馬車』
『昼下がりの情事』etc.で描かれる、公開当時は普通だった、黒人や原住民の描き方を通して、”自由と正義の国”では、白人の幸せ、勝利がメインとされてきたことが、語られる。
<ラスト近くで流れる、ジェームズ・ボールドウィンが記した
”向き合っても、変わらない事もある。だが、向き合わずに変える事は出来ない”と言う言葉は金言であり、この現代日本でも十分通用するものであると、私は思う。>
心が痛い
アメリカの人種問題の根深さを再認識させられた。
50年経っても、何も変わってないじゃないか。
ジェームズ・J・ボールドウィンがあの当時に、あれだけ問題の本質を見抜いて、しかも発信してたことに驚いた。
著作も読んでみようと思う。
差別
世の中にはいろいろな差別が悲しいかな存在するが、
"自由の国アメリカ"ではそれはそれは、長く悲しい差別の歴史がある事をこの映画を通してより詳しくその内容を知ることができた。
私自身、親しい人間の中に黒人がいないので、どこか遠い存在のように感じてしまうのだけれど、アメリカやヨーロッパには当たり前のように黒人も白人もいて、日本よりもずっといろんな肌の色が存在する。
そんな環境の中で、黒人が自分たちに対する差別に対して闘う様がこの映画では幾度となく紹介された。
差別そのものが、何のために存在するのか。
そんなそもそもの、とてもシンプルな質問が本作ではでてくる。
心の弱い人間が自分達に都合の良くなる社会を作るために、わざわざ、作ったものなんだということをこの映画では教えてくれる。
本当にこれが同じ国に住む人間に対して、人間がすることなのかと目を覆いたくなるような暴力。
若くして命を奪われた少年、少女。
自分たちの尊厳と権利を正しい形で訴えて、命をある日突然奪われたリーダー達。
いろんな人の命の犠牲がアメリカの歴史にはある。
にもかかわらず、未だアメリカでは黒人差別が根強く残っている。本当に悲しい事実ですね。
何となーく、人々の気を逸らすように、メディアを使って人間達は問題に目を向けさせぬよう、社会へうまく誘導します。
それはアメリカだけではなく、現在の日本もまさにそれ。結局何も解決することなく、同じ悲しい事件が繰り返される。
この映画には、黒人達の強い意志と、高い誇りと、純粋な想いがたくさん詰まっていると感じた。
同じくらい、悲しみや憤りも感じた。
正直、このような題材の作品を観たのは初めてだったので、内容についていけない部分もあった。
またもう一度鑑賞して、この世の中にある悲しい歴史から、未来を変えていける一員に自分がなれるように、考える時間が欲しいと思った。
人種差別はアメリカだけの話だけではない。欧州においても今なお、移民...
人種差別はアメリカだけの話だけではない。欧州においても今なお、移民問題や人種差別から生じた様々な問題に直面している。しかしこの映画を見て改めて思いだされたのは、アメリカという国がそもそも、先住民から略奪した土地に国を作り、奴隷貿易で得た黒人奴隷の労働力を元にして発展してきた歴史を持つ国だという事実。
「世界一の自由と民主主義」を標榜し、事実、あらゆる世界の「世界一」の大国を築いたアメリカ。その華々しさに目を奪われてしまいがちだけど、奴隷解放から150年以上、公民権運動から70年、キングが殺されてから50年以上経ってなお、未だに黒人だという理由だけで、掴まり、羽交い締めにされ、射殺される国。
しかも黒人を撃っているのが市民を守るべき警官だという理解できない世界で、その不条理に抗議の声を上げる人々を守るどころか、テロリストと名指しし、威嚇するような人間が大統領になる国。そういう「世界一」の後進国がアメリカなのだ。
作中、黒人に寛容な白人。黒人を差別しない白人。それは差別ありきの世界で生きる白人の欺瞞そのものだとメドガーエバースは憤る。しかしそもそもアメリカという国自体が白人の欺瞞そのものなのだ。
理想の世界は全て白人のため。白人のためなら平気で黒人を酷使し虐殺する。そのことになんの躊躇いもなく生きてきた国。それがアメリカ。そういう最低な国こそがまさにアメリカという国なのだ。
だからといってこの問題を、アメリカや白人だけの問題と切り捨てるわけにはいかない。冒頭で示したように、現代社会ではさまざまな「分断」が顕在化している。その分断を乗り越えることこそ、「民主的な理想」に生きる人間の務めではないのか。欺瞞とは、正しくないことを知っているからこそ生じる概念である。つまり、欺瞞と自覚する僕らが目指すべき理想はわかっているはずなのだ。そうであるならば、分断と対立の嵐の中、それでも現実を投げ出さず、理想を掲げることこそ求められている様に思う。キング牧師は「わたしには夢がある」と語った。その夢はまだ叶えられていない。でも同じ夢を見ているのなら、希望は必ずある。
人ごとではない、自分のことだと意識せねばならない
人ごとだと思ってはいけない。
これは、黒人の問題ではない。
すべての人類の問題なのだ。
それを対岸の火事だと思うような人とは友人にはなれない。なぜ、そんなことが思えるのか? なぜ、そこまで他人に不寛容になれるのか?
とはいえ、自分自身も黒人差別ができた歴史やシステムを知らなすぎたことを恥じる。もっともっと勉強して知らなければいけないと感じた。
#BLMは黒人だけの問題ではない。黒人の命も白人の命も有色人種の命も、わたしたち人類すべての命を大切にしなければならないと、みんないい加減に気づかなければ。なぜ、いままでずっと黒人だけが虐げられ我慢を強いられてきたのか? もうこれ以上無知ではいられない。わたしたちは『いま』『すぐ』『ただちに』変わらなければいけない。
"怒り"と"恐怖"
ジェイムズ・ボールドウィンは「ビール・ストリートの恋人たち」を観るまでは知らなかった、そんな彼の視線から黒人の歴史にキング牧師やマルコムXのことヲ。
未完成の原稿をドキュメンタリーとして映画化、伝記モノとして撮られていたらと思うと尚更、興味深い。
J・ボールドウィンの立場から見た著名な人物との関係性、当時の映像から語られる人種差別の悲惨さ、彼の言葉が胸に突き刺さる。
黒人は"怒り"を持ち、根拠のない"恐怖"を植え付けられたかのような暴挙にでる白人至上主義の恐ろしさ。
本作の原作をプラスしたJ・ボールドウィンのドキュメンタリーとして、深く掘り下げた内容で作られた方が良かったようにも思える。
J Bawldwinに共感してしまう。 もう30年前かスパイク...
J Bawldwinに共感してしまう。 もう30年前かスパイクリーのdo the right thingsを見た時には感じなかった事 冷たさ 無関心 そして、協調性 それらに恐怖を抱く その恐怖とは 集団から外れたときの恐怖 もし、自分が犯罪者側になってしまったら もし、社会から疎外される側になったら…その恐怖は明らかに30年前より人々の中で強くなっている。
マルコム キングらの友人を亡くし 自分だけが生き残ったBawldwinの答えを探る彼の内面が作家という方法でよく描かれていたドキュメンタリーであった
ドキュメンタリーと言うと 映像事象との客観性…と思うが よりアメリカの黒人の歴史というものが 彼を通して語られるので 遠い国の事ではなく 理解できる
併映で彼の原作ビールストリートの恋人たちもこれを観てから観るとより彼の世界観を感じられた。
アメリカを解き明かす深層心理の証言
ドキュメンタリー映画の製作は、より難しい。紡ぎ、繋ぎ合わせ、個性を色付かせた編集過程は妙技だ。本作は、主題を貫徹する太い軸があることは勿論、ナレーション、音使いも含め、練り上げられた工程の果て校了したであろう、素晴らしい完成度で飽きさせない。故に、圧力一辺倒な訴えとは違い、冷静に粛々と、根底に根深く息衝く「アメリカ社会の弱点」を、過去と現代とをクロスオーバーしながら紐解く構成で、納得を植え付ける。核となる三者の唱え方を改めて再考するきっかけにもなるが、後世に伝える歴史映像としても秀逸な作品だろう。
蝕まれた他在における自己認識
I am not your Negros
一人称と二人称は交換可能ではない。代替不可能であるにもかかわらず、ひとは自己の狭隘な視点にのみ留まるから、二人称を一人称の代替物として、それも自らの「内にある」もっとも嫌悪すべき表象として、それを自らの「外に」投影させてしまう。
他者をつくりあげることは、いとも簡単だ。
自らの「自在」を、つまりはアイデンティティを、そんなものは自分ではどうしようもないものでもあるはずなのに、それに固執しようとして自らとは異なる「外在」を必要としてしまう。わざわざ外部を構成してしまうのだ。そしてその外在が、自らの内在を反映したことに気づかない。
タイトルに対し最期は「あ〜そうですか、、」
アメリカ南北戦争後、今までの黒人の歴史を第二次世界対戦後を中心に語る映画。
序盤はあまり白人を敵対視する訳でも無く、黒人がメディアに出てくる同じ黒人への見方や考察等があって面白いものだった。
しかし、後半になるに連れてやはり虐待だの差別だの思いっきり黒人の事優先となり、観る気が失せてしまった。
黒人の主張は認めるが、何でも語っていいものでも無い。今までの歴史の中で白人の配慮だってあった筈だ。
それが後半出なくなったので、タイトルにも「あ〜、そうですか」しか言えなくなった。
一方的な片方の理論話は嫌いだ。今の日本と韓国に通じるものがある。
南北戦争後、何故アメリカは黒人をアフリカに返したり、イスラエルの様に一部の場所に国を持たせ、支援するから自分らで頑張れとは言えなかったのか?
こんな永久に解決出来そうも無い人種問題なのに。
国としては労働力はなんとしても確保したかったのだろう。日本も移民の話が出ているし、どうなる事やら。
そんな事を思わせてくれる作品でした。
ペシミストやで彼は。
彼とはボールドウィンのことです。
めっちゃ悲観主義じゃん、あたしもやで、と思いました。生意気ですね。
マルコムXがカッコええなぁと思いました。
ボールドウィンの文章を読みたくなりましたが、翻訳文学の文体が苦手で、大人向けのは読みきれたことがないのでいけるかな?どうかな?
ボールドウィンの目と口が、すごく日本人の誰かに似てるんやけど誰かわからん、誰やろ?と今でも思ってます。
面白かった
キング牧師もマルコムXも、今では教科書上の人物と言える程の存在だが、ジェームズ・ボールドウィンは今作で初めて知った。劇中で彼自身が放つ言葉の一つ一つが強烈で、鋭い問題提起力を持つ。激しい「怒り」の感情が乗っかっていながら、同時に冷静、的確に言葉を選んだ表現でもあるのが凄い。
アメリカで起きていることに特化した映画だが、今の日本でも色々な人の心に「自分ごと」として刺さる筈。かといって重苦しさは全くなく、ドキュメンタリーにしてはカッコ良過ぎる構成、音楽、そしてナレーションであった。
知らないことが多かった
マルコムXとマーチン・ルーサー・キングは、正反対のタイプで当初敵視し合っていたとは、全く知らなかった。
有能、辣腕な反人種差別主義者が出てくると殺しちゃう、というアメリカ銃社会。それは乱暴者の単純な犯行ではない。
現在もまだまだ差別が根強く、我々には信じられないが、それは間違いと外から言っているだけでは根本的差別解消は難しそう。
Remember This House
J・ボールドウィンの未完の書を元に作られたというドキュメント作品。勿論、作家自体も存じ上げていないし、この作品自体世に出たのか(1979年6月30日日付 30P のみの書きかけ)どうかも調べていない。なので、今作品の人種差別による強烈な批評について、軽々しく感想を述べることは失礼に当たると思うのだが、本作品としての感想を。
作品自体は、ドキュメントとしての作品というより、小説のように、主人公の独白的な造りになっている構成である。なので、映像のカットも、その時代のニュース素材や、TV映像等を織込みながら、しかし心情の部分は移動手段から流れる外の景色を撮すような素材を流している格好になっている。この作家自体、他の媒体でも色々と発言が多い人らしいので、そういう意味では心情を映像化しやすいプロットだったのかもしれない。3人の有名(M・エバースは存じ上げていないが)のそれぞれの人権活動を紹介しながら、しかしそれ以上にそれを観てきたボールドウィンの心情を切々と訴える展開である。その中に於いて、常にミソジニーの一つの例である白人に対しての鋭い分析を随所に盛り込んでいて大変参考になる。
その鋭い論理故に、その対策、対応についての結論をつい求めてしまうものだが、未完の書らしく、本作品でも明確な提示をしていない。『敵意がないが無知』ということが原因であり、だからと言ってそれを相手に突き付けたところで相手が素直に聞くわけでもないことは十分知っている筈だ。『何故、ニガーが必要だったのか』という問いを果たして無意識、無自覚にぼんやりと過ごしている人間に届くことがあるのか、かなりやり切れない暗鬱な雲が頭を覆ってしまう。そして、これはまさに留まることがない権力闘争であるのではないだろうかと悲しくも思ったりする。結局は人間は平等には生存できない。しかし平等であろうと思い続ける事が重要なのではないだろうかと、これもまたプリミティヴなまとめで、大して褒められる結論でもない。作家の辛辣さは、他に向けているようで実は自分自身に問いている、そういうことでもあるのだろうと勝手に想像してみるのだが・・・
いずれにせよ、差別の構造等、大変勉強になる秀逸なドキュメンタリーである。隠すことなく曝け出す映像の数々も潔い。
本来、もっと言いたいことはあるのだが、映画レビューなのでこれ以上は脱線してしまうからここまで。
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