累 かさねのレビュー・感想・評価
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対照的な2人の入れ替わり演技バトル
マンガでも読んで、監督目当てで鑑賞。
人間の中身が入れ替わる話は、演じる俳優で良し悪しが決まるのは当然ながら、
脇を固める俳優陣で嘘っぽくもなると思う。
主演の、土屋太鳳と芳根京子。
どちらも若手で、名前は売れてきたものの、ものすごく演技派かと言われるとそうでもない2人。
特に土屋太鳳は実写化作品に多用され、アンチもそこそこいる。
顔は可愛いのに、体育系大学に入っていることもあってか、骨格と筋肉が女子らしくない。いい子ちゃんの性格のわりに演じると意志が強そうな感じを受ける。
対して芳根京子は、作品によっては化けるが、地味で、カラダの線がいまひとつで、イマイチ芯がないような気がする。
こちらもいい子ちゃんだけれど、土屋太鳳とは対照的で優等生、真面目っ子のイメージ。
土屋太鳳の最期の踊りは見ていて圧巻だった。
芳根京子は時々現れる累とニナの人格が一貫化されていなくふらふらしているような気がした。
最初のあたりの説明台詞がもうちょっとどうにかなればなぁ。
マンガの通りのストーリー展開ではなぜダメなのか…。
脇を固める、浅野忠信の信用ならなさ、横山裕のコレジャナイ感、
全体的にまとまっているのに、なんだかもったいないような印象。
2人の演技力が素晴らしかった!
正直「累」と「響」どちらを見るか迷っていました。(本当はどちらも見たいけど、片方だけ!っと個人的に決めていたので)
どちらも原作は読んでいませんが、映画の予告で惹かれた方が「累」だったので見ようと決心しました。
・・・さて本題に移りたいと思います。
率直に2人の演技力は素晴らしかった!この2人だから出来た映画なのでは!?っと思ったくらいです。
ニナは美人だけど演技が下手。累は醜い顔だけど演技が上手。2人で1人・・・一心同体みたいな感じですが、お互い嫉妬し合っているという複雑な気持ち。
ストーリーもしっかり入ってきました。舞台の稽古中や本番を映画館で見るという感じ。その中での「累」と「ニナ」の物語。
サロメという舞台での土屋太鳳の舞は良かった。「さすが!踊れる女優」だと感じましたね(*´∀`)♪
クチコミを見る限り、原作は内容がもっとドロドロしてるのでしょうか?「物足りない」と思ってる方もいるようですね。原作を知らないので私は口出し出来ません(^_^;)汗
実写版には辛口な私ですが、演技力、ストーリー等、トータルで考えても良い作品になったのではないでしょうか(*´ω`*)
文句なし
一時期原作漫画買ってて、実写化すると聞いた時すごく不安だった。あのどろどろしてて、演技力がとても必要とされているあの累を?実写化?顔はどうするの?不安だったけど、予告見て、震えた。見なきゃいけないと思った。
結果、太鳳ちゃんもきょんちゃんもよかった。どっちがどっちなのか、ふたりとも似てて混乱した部分があったけどもう少し累の顔を寄せてもよかったんじゃないかなあ。でも演技力は素晴らしかった。ラストにサロメを持ってきた所も、サロメを演じてる太鳳ちゃんも、とてもとてもよかった。心の底から叫ぶサロメに泣いた。……えっ違う?
原作漫画よりどろどろしていなくて見やすかった。これはほんとうに素晴らしかった。満足。
主役2人が良かった……
原作は2人の出会いくらいまでをいくらか前に読んだきりだったのでぼんやりとしか覚えてませんでした。
端的に言うと主役2人が良かったです。
はじめ、太鳳ちゃんは少女漫画実写化、芳根ちゃんは少し前にやっていた花道のお嬢様や朝ドラのイメージ。
だから芳根ちゃんに期待をかけて観にいきました。
まず、期待の芳根ちゃん。
オドオドした累も、自信のあった顔ではなくなり世間の目に怯えるニナも本当によかった。
期待通り、というか期待以上でした。
次に太鳳ちゃん。
性格悪いニナ……少女漫画の太鳳ちゃんより、こういう役柄の方が好きだな。美しさを武器にする快感を覚えた累も良かった。
想像以上の素敵な演技でした……。
本当に二人とも素敵だった。
素敵といえば、烏合さん。
出てきた瞬間、関ジャニ横山くんだ!とびっくりしてしまいました!
(本当はきみちゃんんんって心の中で叫びました。)
累にメロメロな烏合さん。
条件反射でバラエティの彼の姿がチラつくんだけど、“ちゃんと”烏合さんでした( ¨̮ )
よかった。
巧いです!
芳根京子の幅のある演技にただただ引き込まれる
題材は良いのに…。
美しさと醜さ、嫉妬や欲望を鮮烈に描いた原作は14巻にも及ぶ長編。2時間には当然おさまらず、脚本の改編が物語のバランスを崩すのは原作モノの映画の最大の問題点だ。(作品の核となるエッセンスが継承されている良作もあるが。)
だが、それ以上に問題なのはしつこいくらいの“テレビ演出"だ。コンスタントに見せ場を作ろうとして、抑揚のない物語構成になるばかりか、わざとらしく垂れ流される音楽、明らかなオーバー演技や説明台詞など。
なにより、累の痛みを安易な叫び声で表現するのはどうか?したとしてもここぞという場面に抑えて、痛みを際立たせるべきだろう。劇中の人々同様、作り手はそれらしい“表面的”な演出しか出来ていないように感じる。
土屋太鳳の舞、芳根京子の最後の形相、檀れいの一瞬の情念など良い部分もあるだけに残念。もっとふさわしい人がやれば、いくらでも恐ろしく美しい物語となっただろうに…。
平坦。
正直
後半ラストまでの流れが悪い気がする。
目を引くシーンが頭にあり、そこからあまり変わらない流れ。じわじわ行くというよりもひたすら平行線に感じた。
何より芳根さんが普通にかわいい。
人生に絶望してる。希望は何もない。そんな演技は当然完璧だと思う。
だが、そもそも美人の子だ。もう少しコンプレックスがありそうなキャスティングがよかったのではないだろうか。
二人はキスするほどの深い仲
土屋太鳳と芳根京子が反発しあいながらも、お互いになくてはならない存在なのをよく演じていました。「美貌」と「天性の演技力」、表面的なものはキスで簡単に交換できても、内面は交換できない、最終的に得するのは演技力のある累(かさね)の方というわけか。最初は累を利用しているつもりのニナが、だんだんと自分を乗っ取られていく恐怖を抱く。最後の劇中劇「サロメ」は累の決意表明みたいなものだ。自分はニナの犠牲の上にでも演技を究め、母と同じ道を歩むという。
ニナも累も顔を交換する強い動機を持っていると思われるが、肝心のそこがボケてしまって二人のドロドロ劇ばかりが印象に残った。浅野忠信演じるマネジャーの羽生田が全体を支配しているような重要な役なので、彼に視点をあてて見るのも面白いかもしれない。
アイデンティティのありか
ドッペルゲンゲルというドイツ語はもうひとりの自分を見る幻覚の意味で、芥川龍之介やドストエフスキーもそれについて言及したり作品を書いたりしている。ひとりの肉体の中に異なるふたつの人格が現れる設定ではスティーヴンソンの「ジキル博士とハイド氏」が有名だ。
本作品は、それらとはまた一線を画した設定で、ふたりの女性の、心ではなく外見が入れ替わる。当人たちにとってはドッペルゲンゲルのように、自分そっくりの他人を見ることになる。こういう設定の場合は、わかりやすくするために性格の違いを際立たせる手法があり、往々にして善と悪、白と黒といった違いになりがちであるが、本作品はそういう手法に頼らない。
性格で言えばふたりとも強気であり、癲癇質である。違いは生きてきた環境と劣等複合だ。それぞれが持つ劣等複合が、ふたりの関係にダイナミズムを生じさせ、物語をぐいぐいと進めていく。アイデンティティのありかは肉体にあるのか精神にあるのか。観客は揺さぶられ続け、スクリーンから目を離すことができない。
異なる二つの人格を演じた若いふたりの女優はいずれも熱演だった。特に土屋太凰は、異なる人格で劇中劇の同じ役を演じるという難役を見事に演じ切ったと思う。特技のダンスもうまく生かせていた。
浅野忠信が演じた羽生田。この男の目的は何なのか。ニナが地下室で見かけた数十年前の写真に写った姿は、いまとあまり違わない。この得体の知れない狂言回しを浅野忠信が存在感たっぷりに演じ切った。この人の存在がなければ、ふたりの女優の見事な演技も上滑りしたものになっていただろう。
中途半端
二人の演技が素晴らしい
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