The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめのレビュー・感想・評価
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欲望が個性を生む
かつてドン・シーゲル監督&クリント・イーストウッド主演で映画化された小説の再映画化であるが、視点を男性から女声側へと移して語り口を変更しているので、別作品のように楽しめる。
当初は白く、無垢なイメージを持たせる衣装しか着ていない女性たちは、一人の男性が転がり込んだことによって、欲望を花開かせ、色鮮やかに個性が生まれていく。夜の会食のシーンでの、それぞれの女性が着る、色とりどりの衣装は象徴的だ。
閉鎖的空間での女性たちの物語という点で、デビュー作の『ヴァージン・スーサイズ』に近い感触もあるが、スリラーであるという点で、彼女の今までの作品とは一線を画している。しかし、宿る感性はやはりソフィアならではで、別ジャンルでもきっちり自分の個性を出せるあたり、優れた監督だなと思う。
ニコール・キッドマンの抑えた演技が良い。彼女とソフィアが相性がいいなと思った。
ガーリーカルチャーのカリスマ、コッポラの分岐点になる作品
同じく閉ざされた門の内側で生きる王妃の日常を屈託なく描いた代表作「マリー・アントワネット」とは似て非なるソフィア・コッポラ作品。決壊寸前の閉塞感が、傷つき、匿われた兵士が放つ雄の匂いをビリビリと感じ取り、小さな裂け目からやがて大量の欲望が放出されていく様は、女性独特の観察眼が鋭い刃となり、時にえげつないほど痛烈な密室エロチックサスペンスとして観客の前に突き付けられる。同時にこれは、南北戦争の影で行われた女たちによる犯罪ドラマでもある。遠く大砲の音を聞きながら、女性寄宿学校の中でも同じような行為が成されていく皮肉と怖さは、やはり、ガーリーカルチャーのカリスマと言われてきた監督ソフィア・コッポラにとって分岐点になる1作だと言わざるを得ない。
いつものソフィア作品と似ているようで、かなり違う
女性集団の中で織り成されていく空気。その一点で見るといつものソフィア・コッポラ作品と全く変わらない。ただ、この空気が永遠に続くのかと思いきや、今回はかなり大きなドラマが巻き起こる。ジャンル的にもゴシック・スリラーに分類される本作だが、これほど後半の仕掛けがうまく炸裂するのも、冒頭から緻密な映像美を積み重ねていくからなのだろう。
そこに投入されるコリン・ファレルは、誰からも人好きのする純朴さを持った男だ。女性たちもまた彼を親身に看護しようとする。その良心と良心の間に、様々な奇妙な心象模様が生まれていく過程がスリリング。そして、ハッとするような神々しい光が差し込む寄宿舎は、いつしか牢獄のような閉所感へと変化を遂げる。これにはヨーロッパビスタ・サイズがもたらす心理作用がかなり効いている。
隅から隅までソフィアの創造性が発揮された本作は、これまで以上に噛み応えとパンチの強さを秘めた一作なのだ。
門によって分けられる日常と戦争
戦争と日常が、寄宿学園の門によって分けられていたのに、負傷した兵士が門の中に運ばれることによって、境界が曖昧になってしまい、寄宿学園のなかにもまた戦争状態が運び込まれるおはなし、
日常生活には秩序があって、それが守られていれば、その生活は保たれるけれど、戦争にはそれが全くない。
女たちは美しくて紳士的な負傷兵に興味を持って、取り合う。女たちによる男を巡る戦争。
その結果、男は階段から落ちてしまって脚を失うのだけれど、逆上した男は女たちに憎しみを持つようになる。女たちと男の戦争。
結局彼は女たちが毒キノコを食べさせて殺されてしまう。
寄宿学園のなかの戦争が終わった証として、彼は門の外に出されてしまう。運び込まれてしまった兵士が、戦争が、また外に出される。とても象徴的な場面。
彼女たちが共謀して、彼を殺すことができたのは、戦争状態で、秩序がなくなっている状態だったからこそ。敬虔なキリスト教主義者たちが日常において、教えに反くことである殺人を犯すことは考えられない。戦争は、秩序も人間の信じている宗教もすべて意味のないものにしてしまう、
あまりスリルを感じなかった
グレタに負けてるソフィア
なんじゃこりゃ以外の言葉が浮かばない、低予算の凡作。
女ばかりの寄宿舎に、負傷した敵の下士官が匿われ、命を助けてもらった恩も忘れて生徒や教員を誘惑しまくるお話だ、という粗筋だけを聞かされれば、ひょっとしてエロ映画なのかなと想像しても無理ないのかも知れません。
しかし実際には、まったく(と言っていいほど)
エロのシーンはありません。
もちろん、誰かとは性交しちゃうし、もう一人とは性交寸前まで行くのですけど。
しかしねぇ。
時代背景は「性革命以前」のアメリカですよ。
しかも厳格な南部のキリスト教系の寄宿学校にいるローティーンの娘たちが、そもそも性体験を済ませているはずもなく、性の喜びを知っているはずもありません。
性体験が豊富な今のティーンであれは、ひょっとして、冒険してみようと思う人もいるのかも知れませんが、貞操観念という概念が堅固に生きていた時代の人たちを手駒として使って、物語にしようったって、違和感ばかりが山盛り。
まったくの大間違いであるとしか感じられません。
なんだろうなぁ。
男は狼なのよ、と若い女の子に教訓を垂れるのが目的の映画ってわけでもなさそうだし。
全編、古い屋敷とその周辺の森のなかで撮影されているわけで、破格の低予算で完成したはずです。
一言で総括すると、コッポラの名前に騙されて、バイヤーがパチ物を掴まされたのかな、ということ。
なんじゃこりゃ、と評するしかない、低予算の凡作でした。
とんでもない男
女性しかいない閉ざされた館の中で、一人傷ついた兵士が入ることによって、男を意識し、浮足立ち、それまでの関係が変わっていく様は、女性監督ならではの上手い演出。ジゴロ感を出したら天下一品のコリン・ファレル。最年長の先生として、男に次第に惹かれながらも、理性で落ち着かせるキッドマン、唆されて、純情なキルスティン・ダンスト、少女たちより年上で恋に好奇心旺盛なエル・ファニングがそれぞれはまり役。しかし、少女も居るのに、毒キノコ摘ませて、皆で会食しながら殺すって、やっぱり女性の陰湿な部分、怖いけど上手く描いている。まぁ脚が無くなり、発狂するコリン・ファレルもリアルでわかるけど、女たらしは自業自得。
使い方がわからない玩具
すごくもったいない
サブタイトルの欲望の目覚め、というので 官能的な作品かと思いきや、...
期待していたのと違った
コリン・ファレル、ニコール・キッドマン、キルステン・ダンスト、エル・ファニング。
この豪華俳優陣が、いかにして交わり、乱れるのかと期待していたのですが、みごとに裏切られました。もっと官能的な作品だと思っていたので、残念でなりません。
元は、過去に映画化された作品を、新たに女性目線で描いたリメイク作とのことですが、ストーリー的には、全体を通して中途半端な印象でした。
男に免疫のない女たちが、ぽっと目の前に現れたひとりの優男に惹かれ、ほかの女たちに嫉妬心を抱く、というのはわかりますが、その描写がやや雑であり、だれからも狂気さを感じませんでした。男も男で、ただ戦場から逃げた臆病者が、軟派な気持ちで女に手を出したら痛い目に遭った、といった感じにしか受け取れませんでした。
総じて、
俳優陣の演技はすばらしかったのですが、ストーリー展開に官能さや狂気さが少なく、全体的に物足りなさを感じる作品でした。
欲求に芽生えた女達より馬鹿な男1人の方が怖い。
ゾウの鳴き声が聞こえてきたような気がした。
中学生の頃、深夜に放送されていた『白い肌の異常な夜(1971)』というタイトルに無性に惹かれてしまい、親に見つからないようにこっそりテレビを見ていた記憶があります。そのうちタイトルも忘れ、また同じ深夜映画を見てしまうことを繰り返し、4回くらい見てしまった。ドン・シーゲル監督、クリント・イーストウッド主演のその映画は忘れることのできない作品となりました。本作はソフィア・コッポラ監督が同一原作を女性視点に変更して再映画化されたものです。
71年版では思いっきりイーストウッドに感情移入できたのですが、今作ではさすがにコリン・ファレルに感情移入はできない作り。南北戦争当時の服装も清楚なイメージが残り、全体的に綺麗な映像になっていました。またニコール・キッドマン演ずるマーサ園長も美しく描かれすぎて、男に対する欲望もあっさりしていたような気がします。「私だって女だから・・・」といった、嫉妬も入り交ざったドロドロ感が物足りないのです。その点、教師エドウィナ(キルステン・ダンスト)と年長のアリシア(エル・ファニング)は71年版の女優たちと全く同じ雰囲気。階段から突き落とすシークエンスもデジャヴを感じたくらいでした。
もう一つ物足りなかったのは、負傷したジョン・マクバニー伍長(コリン・ファレル)を発見したエイミー(ウーナ・ローレンス)の描かれ方。幼い彼女もまたマクバニー“男”として、もしくは父親への憧憬みたいな接し方をして、カメのヘンリーを投げつけられたことで怒り、復讐の念を燃やすといった役割を果たすハズなのですが、その怒りがマーサ園長の陰に隠れてしまった感がありました。これは惜しい・・・
また、全編通してほとんど音楽が流れないのも特徴。虫の音が眠気を誘う心地良さを醸し出しています。実際、ストーリーを知っているためかウトウトしてしまいました。脚を切り取られたあとではゾウの悲鳴によって目が覚めたという感じだったのですが、上映時間も93分と短かったため丁度いい具合でした。
白い女たちの異常な愛憎
ドン・シーゲル監督&クリント・イーストウッド主演の1971年の『白い肌の異常な夜』をリメイク。
…と言うより、原作小説を再解釈&再映画化と言った方がいい。
南北戦争時代。負傷した北軍伍長が森の中にある寄宿学園に助けられる。
そこでは、先生2人と生徒5人、女だけ7人が暮らしていて…。
71年版では北軍兵の視点で描かれていたが、本作は女たちの視線から。
ある意味、ホラーも真っ青であった…!
女の園に、男が一人。
男の考え方によっちゃ、ハーレム。
しかし、女たちにとっては…。
紳士的な彼に、皆が色めき立つ。好意以上のものを抱く。
…いや、もっとえげつなく言うと、肉食動物の群れの中に草食動物一頭を放り込んだかのような奪い合い。
とっくに女の盛りを過ぎたと思っていた先生の一人はすっかり心を奪われ、早熟な年長生は積極的にアプローチ。
彼の愛は、私だけのもの。
清楚な女たちの静かだった園が、嫉妬や欲望渦巻くドロドロ、ギスギスした園に。
女が女の顔を出した時、思わぬ事件が…。
これは女たちの方に否があるのだが、その事件がきっかけに、伍長が豹変する。
幾ら負傷してるとは言え、女たちを脅かすには充分。
一転して、戦慄の修羅場に。
そして女たちはある決断を…。
ソフィア・コッポラが愛憎スリラーで新境地。
女性ならではの感性で、女たちの不調和や狂気をあぶり出している。
ソフィア・コッポラと言えば、その美的センス。
自然の照明とフィルム撮影で、終始薄暗い閉ざされた学園の不穏な雰囲気を、おどろおどろしくも美しく映し出している。
女たちの意味ありげな真っ白な衣装も印象的。
心理描写も映像センスも上々の手腕だが、でも果たして、カンヌで監督賞を受賞するほどであったかな、と…。
キャストたち…とりわけ、女優たちの美の競(狂)演。
品格と理性を保つ学園長ニコール・キッドマンはさすがの存在感。
貞淑な教師キルスティン・ダンストの複雑な内面演技。
大胆に誘惑するエル・ファニングの小悪魔のような魅力。
十人十色。女たちのしたたかさと怖さ。
不憫なのはコリン・ファレル伍長。気の毒なくらい災難でしかない…。
女だけの園は決して楽園ではない。
開かれた禁断の扉の先には…。
白い女たちの異常な愛憎。
キャストは最強だが新鮮味に欠ける
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