「社会運動にとって「社会」とは何か」BPM ビート・パー・ミニット マユキさんの映画レビュー(感想・評価)
社会運動にとって「社会」とは何か
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社会運動につきものの、穏健路線かラディカル路線かの組織内対立がアクトアップ・パリでもあった。そこでは「中立」に意見を述べると体制寄りに見えるという指摘があった。過激な運動手法は社会の理解を得られないとも。
社会から遊離しては社会運動は閉鎖的になり、カルト化する危険が生じる。しかし穏健路線は、時に妥協しすぎて運動の意義を損なう。ショーンは死してなお「政治的葬儀」を望んだ。その理不尽への怒りと運動への熱狂が、惰性に流れがちな穏健派への回答だったのだろうし、社会へのメッセージだったのだ。
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