検察側の罪人のレビュー・感想・評価
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木村拓哉と二宮和也の比類なき座長感
原田眞人監督のメガホンで、雫井脩介の同名ミステリー小説を映画化。
発表時から、キャストの名前で世間をあっと言わせた。木村拓哉と二宮和也の初共演というネタは、業界内を騒然とさせたといって良い。
エリート検事役の木村、大志を抱く若手検事役の二宮。
原作はもちろん読了済みだが、原作に忠実に描くことが必ずしも良いとは限らない。
原作の余白から何を読み取り、それを映像作品として成立するための材料とするか。
そういった意味で、あまり評価が芳しくない今作ではあるが、個人的に十分に及第点に値すると感じている。
法の内と外の正義
法と正義のズレというのは古典的な問題だ。法ではさばけない悪は存在する。だからアウトローという立場のヒーローが活躍するジャンルがある。これはフィクションの話だが、現実にも法が全ての悪を裁くことはできない。木村拓哉演じる最上は、個人的復讐のために法を逸脱して、犯人を追い込む。二宮和也の沖野は法を守って正義を守ることを目指す。法を守る正義と方を破らねば達成できない正義の対立ではあるが、本作が人間ドラマとして複雑なのは、最上の動機がかなり個人的な体験に基づいていることだ。私怨のためなのか、法の枠外の正義を貫徹するためなのか、観ていてこちらも迷う。その迷いは最上にもあるのかもしれない。そのうしろめたさのような感情を木村拓哉は巧みに表現していたと思う。2つの正義の対立よりも最上のその揺れる感情を味わう映画という印象だ。
低評価の理由を知りたくて
予告は面白そうなのに、アマプラで低評価だったので、その理由が知りたくて視聴。
結果、そこまで悪くなかった。
Yahooの評価は3.7もある。
結末はスッキリしない。
白黒付けれるストーリーではない。
最上の気持ちもわかるし、
沖野の気持ちもわかる。
正義とは何かを考えさせられる。
最後に最上が捕まれば、もう少しスッキリしたかもしれない。
情報量が多いし、急な登場人物の立ち位置が映画では分かりにくい。置いてけぼり感を感じやすいかも。
評価に捉われず見てほしい。
あまり気分は良くない
映画館。
こわかったし気持ち悪かった(´-ω-`)
冤罪はこわいことだけど、
あんな奴冤罪になったほうがいい。
刑に処されて良かったと思ってしまう。
少年法って本当に意味があるのだろうかと思ってしまう。
キムタクはあの別荘が墓場なんだろうかね。
18.9.22 映画館
重く難しい
正義… これがこの作品のテーマだろう。
日本を良くしたい… 大学の北豊寮出身の仲間たちがそれぞれそう思いながら自身のキャリアを積み重ねながら今まさに日本の背骨になろうとしている。
検察官となった木村拓哉演じる最上検察官は、部下である二宮演じる沖野が「久住由紀」と同じ誕生日だったことで彼を自分の片腕にしようとした。
この作品は複雑で難しく、なかなか理解しにくい。
最上は冷静沈着で、揺るがない正義感を持っているが、北豊寮で起きた事件が時効となったことが唯一の汚点だ。
そしてある殺人事件が起き、その容疑者の一人にあの時の事件の容疑者松倉が浮上したことで、最上の正義感が大きく揺らぎ始める。
最上には情報屋の諏訪部の存在があり、沖野専属事務官の松高演じる橘が検察の不祥事を暴くために入社した出版社のスパイという設定。
最上の仲間の丹野議員は、妻が所属高島財団なるものが、太平洋戦争を美化し日本を再び戦争へと駆り立てているという秘密を手に入れるが、マスコミはそっぽを向き自分自身が追い詰められてしまうことで自殺する。
この作品は「言葉の魔術師たち」「審判」「愚者」という3部構成で描かれている。
「言葉の魔術師たち」で語られるのが「建前」のような美辞麗句。
「審判」で語られるのが「真実」 松倉の生々しい供述と弓岡という真犯人、そして追い詰められた丹野が語る「この国の真実」この国の報道の自由世界第80位。
そして「愚者」で語られるのが「今後の方向性」だろう。「橘へのスパイ容疑」によって二人の言動を一刀両断する最上。発見された物証から作られた「新しいストーリー」
やがて沖野は橘と組んで国選弁護人に頼み込んで事件をひっくり返すことに成功する。
しかし松倉は老人の車の暴走で死亡する。
最上に呼び出された沖野。彼は真実にたどり着いていることで、最上は丹野の示した証拠を持ち出し、高島財団と戦争というわけのわからない話を持ち出す。
冤罪をかぶせられそうな松倉を、正義の観点で助けたものの、奴がクズ人間だというのは、勝訴した弁護士事務所の長の山崎努さえ、憤るほどだ。松倉は目の前で「力」によって殺害された。
正義を貫きながら、誰一人救われなかった。
「でもあなたは検察側の罪人だ!」そう言って飛び出したものの、本当はどうすればよかったのか全く分からなくなってしまったのが、彼の最後の叫びだったのかもしれない。
どなたかほかの意見をお聞かせください。
最初に映画館で見て、今回もう一度見てストーリーは追えたが、難しかった。
❇️凄腕調子こきまろ検事のイキリ感半端ない😆★彡褒めてます。見所です。
検察側の罪人
🇯🇵東京都 大田区蒲田など
過去の親友を亡くした検事のキムタクさん。
老夫婦の殺人事件の容疑者から、過去の記憶が蘇る。
凄腕検事が後輩(二ノ宮さん)と容疑者を追込んでいく。
冷静さを失った検事の行末は⁉️
❇️凄腕調子こきまろ検事のイキリ感半端ない😆★彡褒めてます。見所です。
◉70点。
★彡中途半端な結末でした。
やっぱりキムタクはキムタクなのかな?
つきぬてたラストが見たかったな〜
🟢感想。
1️⃣キムタクが良いカッコ検察役がオモロい⭕️
★彡こんなイキがった男逆に面白い。
2️⃣マウント取り合いの会話劇が楽しい⭕️
★彡相手に威圧する会話や切り返し話術など、マウント取り合いで見ていてワクワクしました。
3️⃣回想シーンの説明セリフいまいち🔺
★彡仲間と過去の話を説明する不自然な会話にはやや冷める。
4️⃣強弱ある事情聴取の追込み⭕️
★彡緩急があって凄く良かった。
5️⃣ゆるゆるの尾行は頂けない❌
キムタクを疑う女性の尾行はちょっと無理あるな?★彡変装くらいしたらいいのに😆
6️⃣あまり見ないキムタクの役処が新鮮⭕️
前半は面白かったなぁ、ホントに
結論から言う。爽快感もなければ後味の悪さもない、噛んでも噛んでも味が出ない、パッとしない映画だった。
とにかく、意味不明なパートが多すぎる!
「マンハント」みたいに訳わからなさが一周してむしろ面白い、みたいな映画だったら良かったのにとさえ思う。鳩とか飛ばしたら良かったんじゃないですかね?今からでも追加したらどうでしょう?無理か。
「ペンギン・ハイウェイ」の時は、表現不足を観客の解釈に頼りすぎィ!と思って原作も読了したが、原作読んでるうちに内容忘れそうなくらい(もしくは上書きされそうなくらい)淡々とストーリーを追う作品だった。
かと思えば不必要としか思えないエピソード挟んでくるんだよなぁ。最上検事の冷めきった関係の妻とか、ガールズバーで働いてる義理の娘とか、「後半何か本筋に絡んでくるのか?」と思いきや全く関係ないの!ビックリだよね!
正直、同級生の丹野の葬式とかワケわからんことのオンパレードで、一瞬葬式だってわからないよね。暗黒舞踊からの泣女で事件のこと忘れかけたね。そりゃ丹野も浮かばれないだろーよ。それだけは伝わったな。
さらに本筋の肝とも言える主役の検事二人。「さあ、どう対決していくんだ?!」って思うじゃん?ここから静かでいて激しい舌戦が繰り広げられていくのかと期待するじゃん?
沖野検察辞めちゃってんじゃねーか!「検察VS検察」って何だったんだよ?!っていうか、沖野特に何にもしてねーな…
正直沖野が松倉の取り調べしてるシーンと諏訪部の暗躍シーンくらいしか面白い所無い。余計なメッセージ詰め過ぎて、テーマ回収仕切れてない。
原作次第だが、場合によっては「進撃の巨人」を超える脚本と言えるやもしれん。アレを超えるとなったらなかなかのもんだよ。
前半は期待したより面白かったから、余計残念だったなあ。
「ありえねえっ!」 と思った。 「こんな脚本ありなのか?」 この先を見ようか迷った。 リアリティがないのは苦手なのだが、 まあ終盤ひねりがあったし、 お芝居だからまあいいか
動画配信で映画「検察側の罪人」を見た。
劇場公開日:2018年8月24日
2018年製作/123分/G/日本
配給:東宝
木村拓哉
二宮和也
吉高由里子
松重豊
平岳大
八嶋智人
大倉孝二
山崎努
矢島健一
音尾琢真
キムラ緑子
芦名星
山崎紘菜
酒向芳
予備知識ゼロで鑑賞しはじめる。
東京地検刑事部のエリート検事・最上(木村拓哉)と、刑事部に配属されてきた駆け出しの検事・沖野(二宮和也)。
金貸しの夫婦が惨殺された事件を追う。
容疑者の一人である松倉(酒向芳)に最上は個人的な恨みがあった。
松倉を犯人と決めつけ執拗に追い詰めようとする最上。
しかし、松倉よりも容疑が濃厚な别の容疑者が現れる。
そして、最上が取った行動とは?
「ありえねえっ!」
と思った。
「こんな原作(脚本)ありなのか?」
この先を見ようか迷った。
他にも突っ込みどころがいくつかあった。
リアリティがないのは苦手なのだが、
まあ終盤ひねりがあったし、
お芝居だからまあいいか。
個人的には友人の政治家のはなしとか、
葬儀の哭き女は蛇足だと感じた。
満足度は5点満点で3点☆☆☆です。
キムタクにソンタク
もうね、タイトル通り。
変える必要のない所が、シナリオの根幹が変わってる。
なるほど、キムタクを負けさせるわけにはいかなかったのかな?と思わざるを得ない。
個人的には役者としてのキムタクに不安はあまり持っていない。
幅は狭いが演技は決して下手ではない。
何をやってもキムタクと言われるがそれは彼の持つオーラの問題であり彼自身に責任はない。
キムタク起用における最大の不安はスタッフ側が彼のカリスマ性(あと当時であれば事務所の力)に負ける事だ。
本作はキムタクの演じるキャラの原作でのポジション的に不安しかなったがニノとのW主演ということで多少期待もしていた……がやっぱりキムタクに忖度していた。
負けなきゃいけないキャラを負けずに終わらせちゃだめだろう。
原作では最上(キムタク)は最後は捕まり『自分を捕まえた沖野(ニノ)の行動は正しいが、自分の行動にも(沖野に検事を辞めさせてしまった事以外)後悔はない』という態度であり、自分の弁護をしたいという沖野の申し出を断り『他の人を救え』と袂を分かつ。
沖野は『無罪の人間を有罪にするのはおかしいと動いた自分の行動は正しいが、正しいというだけが正解なのか』と涙するしか無かった。という結末。最上と沖野…結果的には沖野が勝ったのだが、話的にはどちらが勝ったとも言えずどちらも正しく感じるという考えさせるもの。
しかし映画での最上は『自分の描いたストーリーで悪を裁けた。これからも戦い続ける』と沖野を自分の側に引き込もうとすらしています。
完全にダークヒーロー気取りです。何こいつ。
結局沖野は原作とは違いいつか最上を裁くことを決意し、様々な思いから激昂します。
一応沖野の勝ちながらグレーな結末となった原作と違い完全に沖野の負けです。
ホントなにこれ?
あと、単純に比較的長めの原作とはいえ尺は十分にあったのにも関わらず、監督が『自分の色』を出そうと戦争やら宗教やらの要素を付け足した結果として内容がやや駆け足となっていたのもいただけない。
改変部分に目を瞑れば映画としては比較的良い出来だと素直に思うが、かと言って改変が気にならないように原作を読まずに見てしまうと今度はやや説明不足で駆け足に感じる部分もあると思うしで悩ましい。
怪物と戦う者は自らも怪物にならないよう気をつけなければならない。
検察官には真実究明のための強大な捜査権限が与えられている。この権力はともすれば人権を侵害しかねないほど強大であり、だからこそその行使は法の下適正に行われなければならない。
その権力行使を唯一担保するものが法律である。検察官にとっての正義とはその法律に従って事件を捜査し被疑者を起訴するか否かを決定することである。たとえその法律に不備があったとしてもだ。
殺人事件の時効はかつては25年と定められていた。それがDNA鑑定などの証拠資料が採用されたことから、経年による証拠散逸という時効を定めた理由がなくなり2010年に廃止された。
街金を営んでいた老夫婦が殺害される事件が発生し、その容疑者の中に検察官最上は松倉の名を見つける。かつて最上の下宿先の娘を殺したこの犯人の時効は刑訴法改正以前にすでに迎えていたため、過去の事件では松倉を罰することはできない。人道的には誰が見ても万死に値する行為を行った松倉を法的に処罰することはできないのだ。
だが、最上は検察官としての正義を見失い、個人としての正義を執行しようとする。老夫婦殺害事件で無実の松倉に罪をかぶせて、過去の罪を償わせようとしたのだ。
松倉を罰したいという気持ちは人間であればだれもが抱く感情だろう。しかし、最上は検事なのである。法に従いその検察権を行使する彼が自身の正義に則り処罰しようとする行為はもはや検察権逸脱の行為である。
医者が目の前の重傷者を殺人犯だからといって治療を放棄すればそれは医者としての正義を全うしたといえないだろう。最上もそれと同じである。彼は検事としての正義を忘れてただ自身の正義を貫こうとする。
彼が一般私人ならばまだ同情の余地はあったかもしれない。しかし、彼は行政権力の担い手なのである。
彼のような権力者が自分の好きなように権力を行使すればそれはもはや権力の暴走である。法という鎖につながれていた狂犬が野放しになったも同然なのだ。
ただでさえ、現実社会ではこういった検察権力の誤った行使で冤罪事件が後を絶たない。日本では戦後、死刑判決が出た事件では最近話題の袴田事件を含む五件の冤罪が発覚している。またすでに刑を執行された中にも冤罪だった可能性が高いものがある。
だからこそ私は死刑制度には個人的には反対だ。人間は神ではないし、けして過ちを犯さないとは言えないのに死刑を執行してしまっては取り返しがつかないだろう。ちなみに先進国では国として死刑制度を廃止してないのは日本だけである。
最上はかつて権力の暴走がこの国に何をもたらしたのか祖父から聞いてよくわかっていたはずだった。権力の暴走が生み出す究極は戦争である。
日本はかつて無謀な大戦に突入し多くの戦死者を出した。第二次大戦におけるインパール作戦のような無謀な作戦による餓死者、病死者というのが全体の戦死者数の6割を占めた。6割の人間は敵と戦って殺されたのではないのだ。
権力の暴走が生み出すそんな愚かな結果を誰よりも知っていた最上自身がその権力を暴走させてしまった皮肉。
彼とて優秀な検事のはずだった。自分のやっていることが検事として許されないことなどわかっていたはずだ。だからこそ彼は自分の身近にかつての教え子だった沖野を置いたのかもしれない。自分の暴走を止めてくれる存在として、あるいは自分の罪を追究してくれる存在として。
検事としての正義、人としての正義。そのはざまで葛藤し、最上は結局は検事としての道を踏み外してしまう。
権力は暴走する。だからこそそれを制御するものが必要だ。怪物のような凶悪犯に立ち向かうためには時としてその強大な権力が武器になる。しかし、自身がその権力に飲み込まれ怪物となってしまってはならない。
本作はさすがに二宮の演技が突出していて良く、ミステリーとしては見ごたえはあったが、松倉を交通事故で死なせるあたり、安易な娯楽作品という感じは拭えない。
また、最上が何故あのような大胆な行動に至ってしまったのかの説明が弱い気がした。彼が道を踏み外すまでの過程がもう少し丁寧に描かれていればよかった。
あと原作は未読だが、これは監督の意向なのか、本作が公開された当時の極右政権へのあからさまな批判というか揶揄した描写が多い気がした。気持ちはわかるが本作ではそれらが必須のものとは言えず少々ノイズになってしまった。
やりたいことが多すぎましたね。
編集が悪いのか、余計なことが多いのか、わかりませんが、この原作でなくても良かったし、これだけ匂わせの要素を詰め込むならオリジナル脚本書いてやれば良いのにね。
折角のアイデアを無駄に使ってるのが勿体無いし。木村さんも二宮さんも無駄遣い。ニノに至っては手を抜いてるのかとさえ思ったくらい、既視感のある演技だった。多分求められた演技をこなしてるんだと思うけど、それだとやっぱり勿体無いよね。
異なる正義を貫く2人の検事の戦い
邦画らしい本格的な社会派ミステリーであり、見応えのある力作だった。本作は、容疑者取り調べにおける人権侵害など、司法が抱える今日的な問題を織り交ぜながら、正義の在り方を鋭く問い掛けている。
本作の舞台は東京地方検察庁。新米検事・沖野(二宮和也)は、刑事部に配属され、心酔していた凄腕検事・最上(木村拓哉)とともに、老夫婦殺人事件を担当することになる。2人は警察と協力して次第に容疑者を絞り込み、既に時効が成立した過去事件の容疑者だった松倉(酒向芳)に辿り着く。松倉は犯人なのか?を巡って、次第に2人の検事は対立を深めていく・・・。
最上も沖野も強い正義感を持っている。どちらも、己の正義を絶対に貫こうという強い信念に溢れている。しかし、2人の正義は異なっている。最上の正義は、目的のためには形振り構わない、手段を選ばない、という凄腕らしい現実的なものである。対する沖野の正義は、法の下で正義を貫くという、若者らしい純粋でストイックなものである。
そんな2人の激論シーンは、相容れない異なる正義のぶつかり合いであり迫力十分。更に、本作で最も印象的なのは、沖野の取り調べシーンである。緩急を全くつけない二宮和也の怒と激に徹した演技に、沖野の途轍もなく強い正義が画面から溢れ出てきて圧倒される。
本作で2人の正義が際立っているのは、2人の正義が異なっているだけではなく、正義の対極にいる悪党たちが個性的であり強烈な存在感を示しているからである。正義の在り方を問うには、悪が悪らしく憎々しくなければ説得力がない。そういう意味では、本作に登場する悪党たちは非の打ちどころがない。申し分ない。
本作は、前半に巧みにばらまかれた様々な問題提起を後半にまとめ切れず、ラストの切れ味が悪い。しかし、本作は、奇をてらわず、真正面から正義の在り方について迫っているので、難はあるが、骨太で見応えのある作品に仕上がっている。
ニノ×キムタク
ジャニーズファンとしては、事務所の人間のコラボ作品は楽しみで、それが先輩後輩となるとそれだけで期待値があがる。
本作では演技力には好評のある二人の共演で、それだけでも見たい!と思わせてくれた。それぞれの演技が好きが嫌いは置いておき、ただ同じ画面にこの二人が並ぶというだけでテンションあがる、ジャニーズマジック!
で、感想はというと、いろいろお話が拡がり過ぎて、すべてを理解するのは無理でした。ただ、よくある、正義側にいる人間が己の都合で正義の立場を利用して、道を誤るってところは理解できた!
まさにタイトル通り。
でもよーく考えると、もし自分に権力があって、目の前に、自分の大切な人を殺した殺人鬼が現れたら、職権乱用せずに冷静に正しいやり方を突き通せるか、、、ですよ。
まぁ、法律はおかしなことにならぬよう、そして、弁護士や検察官、裁判官達はそこ法にのっとって決断できるくらいの人間でないとなってはいけない人たちなんですよね。
私みたいな人間では到底そんなこと出来ないので、本作ではキムタク演じる最上さんに一票です。
始めに書いたように、あまりに話の幅が広過ぎて、インパール作戦や、政治家やら、その辺描くならもう少し説得力のある描かれ方をしてほしかったなーと。
ニノの演技は好きなので、見応えあり〜でしたが、そんな中でもダントツで松倉役の酒向芳さんは素晴らしかったですね。キモーい頭イカれた人を演じるのって、どんな気持ちなんだろうか。
世の中には自分には全く理解のできない性癖や考え方を持った人間がいることを映画を通して知ることができるなと、改めて本作を見ながら思いました。
ラストのニノのシーンはワタシ的にはいらないかなと。
優秀な検事ほど犯罪を犯す
劇場で観て以来2回目。木村拓哉と二宮和也共演作品。優秀な検事ほど犯罪を犯すと木村拓哉扮する最上検事は言った。優秀な検事は、自分の描いたストーリーに沿って事件を考えていく事からえてして冤罪などが起こりがち。人間誰しも職業上の目的を果たそうと必死に頑張るものだが、犯罪を犯してでも強引に結論に結びつけていくとしたら恐いね。
吉高由里子がいいね。検察に潜り込むと言う大胆な役柄で二宮和也扮する沖野検事にからんでいく。本当の最後まで行かずに終わってしまったのはちょっと残念かな。
一線を越えた、その先は?
キャッチコピーが「一線を、超える。」だそうです。
主要な登場人物は全員、一線を越えましたね。
殺人罪の松倉と弓岡はもちろん、
やくざ関係のみなさまとブローカー諏訪部は
言わずもがな。
潜入して内部情報をリークする橘も、
闇を暴こうとして自殺する丹野も、
権力側の高島も。
善悪ではなく、自分の信念や欲望のために
一線を越えてしまう。
そして「正義」の名のもとに一線を越える、
最上と沖野も。
そう思って観ると、全員が悪人であり
罪人であり、そして正義の味方に見えてくる。
それこそがこの映画のテーマ。
自分も含め、この世のすべては
善人と悪人の表裏一体。
悪人=罪人とは限らず、善人=罪人の可能性も
大いにありうる。
現実社会において報道の裏に潜む闇を
モチーフにした登場人物たちが、
サブリミナルのように真実を伝える。
善人=悪人=罪人だと。
それに気づかずに凡人として明日を迎えるのもよし。
正義の名のもとに悪人として行動するのもよし。
しかし、その結果罪人としてレッテルを貼られるのは
避けなくてはならない。
だとすれば、それに気づいた僕は、
どういう態度で明日を迎えればよいのだろうか。
苦悩の末、ラストの沖野のように
ただ叫び続けるしかないのだろうか。
人が人を裁くことの困難と限界を感じました。
主役(木村、二宮、吉高)それぞれの正義の尺度の歪み。
それが見所でした。
それにしても早口で難解な台詞を話す映画でした。
普通人は会話にこんなに難解な言葉や理論を混ぜたりしないし、
反復したり、ゆっくり相手の反応を見て、理解してるか確かめながら話します。
その点でこの映画は決して親切でもわかり易くもありません。
しかし非常に興味深い映画でした。
原田眞人監督(クライマーズ・ハイ、わが母の記、駆け込み女と駆出し男、
燃えよ剣)
5本しか観てませんが、錚々たる社会派作品が並んでいます。
(金融腐食列島、日本のいちばん長い日、関ヶ原、)
最新作は「ヘルドックス」
「検察側の罪人」2018年:監督:脚本:原田眞人。
原田眞人作品としての評価はあまり高くないようです。
分かり難さと説明不足、ストーリーの突然の飛躍などに
起因するかと思います。
《正義の尺度の歪み》について私見を述べたいと思います。
最上(木村拓也)の正義。
最上は検事でありながら私怨のために自ら手を汚します。
大学生時代に下宿していた寮の管理人の娘の殺人事件を
今も引き摺っている。
その事件の犯人の松倉(酒向芳)が今担当してる老夫婦殺害事件の
容疑者の中にいると知り、
今度こそ彼を法律で裁くために、犯罪をでっちあげるのはでした。
(その為に、実際の犯人を殺す・・・その飛躍した考えは理解に苦しむし、)
(むしろ松倉を自らの手で殺す方が論理的であると思う)
最上は一方で日本国の行く末や在り方には義憤を感じており
(白骨街道のシーンは説明不足に思えました)
最上と諏訪部を結ぶ絆で、第二次世界大戦のビルマ〜インパール戦争の死者の
死体が累々と積み重なる退却路を示す〜と調べましたが、最上の祖父の著作に
詳しく書かれているのでしょうが、よく理解できなかった。
親友で政治家の丹野(平岳大)が巻き込まれて自殺に至った「闇金疑惑事件」には
検察として解明したいと思っている。
大義(国家権力を正す)には自らの正義をかざすけれど、
一方で虫ケラのような人間は、殺しても構わないと思っている。
そこが歪だ。
沖野(二宮和也)の正義。
一言で言えば大義より弱い立場の人間にも優しいタイプだし、
自らの過ちに酷く固執している。
最上が老夫婦自殺事件の真犯人を自ら手を掛けて殺したことを
嗅ぎつけて、正義を振りかざして最上に迫ります。
そのため松倉を恫喝した際の自らの捜査手法を悔いていて、
「松倉に謝る必要」を感じている。
沖野の思考も歪んでいる。
松倉は少年期に自分の家族4人を殺害した男で、
しかも最上が忘れようとしても忘れられない管理人の娘を殺害した
と時効後に自白するような男だ。
そんな松倉の人権を尊重している。
その癖彼の事故死のきっかけと遠因は沖野にある。
(罪というものは償えば許される・・・そう言う考えも正論ではあるが、)
沖野はある意味で幼稚で世間知らずでもある。
橘(吉高由里子)も興味深い人物である。
沖野の立会事務官(沖野の取り調べを記録する)で、
大学時代にキャバクラ潜入リポートをペンネームで出版しており、
その事実を職場では隠している。
そのためか沖野をけしかけて、暴露記事を書く週刊誌記者を真似た
手法を取る積極性の持ち主。
色仕掛けも厭わない。
「最初のキスは自分から・・・」が持論で沖野と関係を結ぶ。
沖野は橘の意志に引きずられていないか?
橘は最上が松倉を陥れるために真犯人を殺す事、
諏訪部(松重豊)経由で拳銃と出所を掴まれない車を手配した事実をつかみ
最上を殺人事件を追い詰めようと画策する。
吉高由里子は複雑な役を実に上手く演じた。
清純な容姿で、したたかな女性。
上昇志向が強く目的のためには手段を選ばないタイプだ。
橘もある事件を引きずっている。
冤罪で投獄された両親が後に冤罪が晴れた時点で自殺した友人の死。
その事を悔やみ忘れられない。
橘の正義もまた感情的で歪だと言える。
この映画は多くの巧みな演技で好演した俳優たちに支えられている。
酒向芳・・・怪演・・・“パッ“が耳に残る。
この作品以後見る機会が激増した感じがする。
山崎努・・・人権派弁護士の欺瞞を演じて見事。
芦名星・・・ほんのワンシーンで場をさらう。
音尾琢磨・・・ヤクザといえばこの方。
矢嶋智人・・・なんとも笑いを誘う良い人っぷり。
木村拓也と二宮和也の好演は言うまでもないが、
「本気出せば、このくらい朝飯前」
2人ともみっともないシーンも厭わず、存在感を示した。
「100%の正義はない」
そう映画は締めくくっていましたが、正義とは立場や私利私欲、
時代にも左右されるものだと思いました。
人種や国家(特に独裁国家)によっても正義の定義は変わると思います。
正義もまた、オールマイティーではないのか!!
食わず嫌い
キムタクの映画をほとんど見ないので食わず嫌いでしたが、日本映画チャンネルの録画をようやく再生。
よかったです!
原作は未読です。オーディブルにあったら読みたい。
議員の話しがよくわからなかった。
家で少々スマホを見てしまった時間があるので、、
やっぱり映画館で見ること大丈夫。
録画だったので、鑑賞後に解説がついており、
冒頭の講義シーンの「雨で流し落とされる罪なんてないからね」的なセリフがキムタクの、
取り調べ中の「んぱ!」と、ニノによる松倉取り調べ終盤の「ままー!」が酒向さんの、
ニノが松倉に「んぱ!」とやり返すのはニノの、
それぞれアドリブだということでした。
映画最後のニノの叫びは、
(釈然としない映画の終わり方に対する)視聴者の気持ちを代弁するつもりで発したもの、というエピソードもありました。
ニノさん、
あんだけテレビも出ながら俳優として厚みを持つのすごいなと。
松重さん、大倉さん、酒向さん、クセツヨが最高。
原作を読んでからの方がよかった?
原作未読だったためか、ちょっと内容についていけなかったです。
最上検事の親友の丹野がなぜ逮捕されたのかとか、殺人事件とどういう繋がりがあるのかとか、白とか黒の不気味な魔女みたいな人達は何だったのだろう?…。色々な事がわからずじまい。何となく内容が掴みかけてきた所で終わってしまったので、思わず「えっ…これで終わり?」と呟いてしまいました。
松重豊さんはとても良かったです。『孤独のグルメ』等の素朴で間の抜けた役柄のイメージしか無かったので、本作での危険で謎めいた雰囲気が新鮮かつ、とてもしっくりきていて惹きつけられました。
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