検察側の罪人のレビュー・感想・評価
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木村拓哉と二宮和也の比類なき座長感
原田眞人監督のメガホンで、雫井脩介の同名ミステリー小説を映画化。
発表時から、キャストの名前で世間をあっと言わせた。木村拓哉と二宮和也の初共演というネタは、業界内を騒然とさせたといって良い。
エリート検事役の木村、大志を抱く若手検事役の二宮。
原作はもちろん読了済みだが、原作に忠実に描くことが必ずしも良いとは限らない。
原作の余白から何を読み取り、それを映像作品として成立するための材料とするか。
そういった意味で、あまり評価が芳しくない今作ではあるが、個人的に十分に及第点に値すると感じている。
法の内と外の正義
法と正義のズレというのは古典的な問題だ。法ではさばけない悪は存在する。だからアウトローという立場のヒーローが活躍するジャンルがある。これはフィクションの話だが、現実にも法が全ての悪を裁くことはできない。木村拓哉演じる最上は、個人的復讐のために法を逸脱して、犯人を追い込む。二宮和也の沖野は法を守って正義を守ることを目指す。法を守る正義と方を破らねば達成できない正義の対立ではあるが、本作が人間ドラマとして複雑なのは、最上の動機がかなり個人的な体験に基づいていることだ。私怨のためなのか、法の枠外の正義を貫徹するためなのか、観ていてこちらも迷う。その迷いは最上にもあるのかもしれない。そのうしろめたさのような感情を木村拓哉は巧みに表現していたと思う。2つの正義の対立よりも最上のその揺れる感情を味わう映画という印象だ。
命題と結論の矛盾
結論から言うと脚本家、監督の思想自慰映画です。
小、中学生の頃に見て二宮と木村の演技力に圧倒された記憶があったので、大学生になった今改めて鑑賞しました。
結果は失望しました。
この映画の主題は、題名にもある「検察側の罪人」です。つまり正義の過ちです。
どんなに素晴らしい人間も、自分の私怨感情抜きには物事を判断するのは難しい。
しかし何とか私怨に打ち勝ち、正しく、公平な判断をするべきだ!。
そんな事を言いたい題名、題材、内容のはずですが、私に言わせてみればこの映画の表現を観る限りただの戯言です。
それはなぜか?。
ズバリ脚本家、監督の政治に関する私怨感情です。
つまるところ、彼らの政治批判をさも正義の立場として描き、自己投影をし気持ち良くなっているようにしか見えないのです。
私は神では無いので、何が正しくて、何が間違っているかなんて口が裂けても言えません。
ただ一つ言えることがあるとするならば、彼らが決めたルール(題材)に従うと、彼らの表現は罪を犯した検察そのものなのです。
やっとこさメディア等が出す情報に、疑いの目を向けられる時代になったので、表立って言えますが、この映画が上映された直後に、私と同じようなコメントをしてもネトウヨとしか評価を下さなかった、監督、脚本家、その取り巻き達には心底呆れます。
結局彼らも最上検事と全く同じ過ちをしたのですから。
自分が正しいと思い込み、色んな可能性がある中で、自分の見たい事実を羅列し、都合良く文脈を作って行く…。
意に反するものは吊し上げ、除外して行く…。
まさに劇中の最上検事そのものです。
こんなにも滑稽な事があるでしょうか?。
党派性に縛られて事実、論理展開を見誤るような哀れな大人達の三文小説に、これ以上付き合いたくないので、二度と見ないと思います。
二宮や木村の演技が非常に迫力があり、どんなに酷い脚本でも、一瞬感情移入しかける程の素晴らしい演技であり、また題材そのものは興味をそそられるものであっただけに、とても残念です。
もしここまで見てくださった方が居れば、少しお伝えしたいです。
何が正しいかとかは、一生分からないのだと思います。
ただ一つ、正しいかは分からないけど、私が限りなく正しいと思っていることがあります。
それは、コレが正しい!と言っている人ほど、信用できないと言うことです。
コメントは許可してあるので、議論したい方はバッチこいです。
これでいいのか
あの原田眞人監督が自ら脚本も手がけ、人気と実力を兼ね備えた木村拓哉と二宮和也という二大巨頭の顔合わせ。面白くならないわけがない。見る前からその出来は保証されたも同然。比較的レビューも好意的で、入ってくる情報も興味をそそられるものばかり。日本映画で、これほど期待した映画も久しぶりだった。
この顔触れに何らのミスもありえない。それ程のプロ集団であると確信して、しかし触れずにおれない欠点が多すぎる。この瑕疵のいくつかは、おそらく意図的に含まれた「アク」のようなものなのだろう。それがなぜ含まれたままなのか考えてみようと思うほどにはのめり込んでないし、贔屓の俳優もいない。
それとは逆に、映画に無くてはならないものが欠けているのだが、それがなぜなのかも別に知りたくない。
その程度の映画だった。
おそらくアドリブらしきアクトのいくつかは見ていて惚れ惚れする緊張感を生み出しており、カロリーが高い演技が堪能できる。
しかし、脚本と編集は監督の聖域であるはず。俳優や、所属事務所の意向で、そこに介入してくるのは許しがたい。この映画には、そういう匂いが漂っている。
例えば、犯罪に手を染めるキムタク
あっさりとセックスしてしまうニノ
ここまでの表現がギリですよ!見てください、ここまでやってます!
みたいなアオリがどうだと言うのか。全部必要のないシーンだ。バッサリ切って欲しかった。家庭での、妻と娘の関係性とか、旧友との妙によそよそしい会話とか、無駄に長い。
さて、欠けている大事なものだが、それは動機だ。もちろん、復讐という目的は、はっきりしている。だがなぜそれが検察官なのか?それに対抗して正義を振りかざす男がなぜ身内にいるのか、そこが致命的に弱い。原作は未読のままなので、なんとも歯切れが悪くなるが、原田監督ほどの人なら分かっているはずだ。
もっと言えば、映画らしい落とし前も無かった。こんなミスあり得ないのだ。確信犯的に、そうしたのだとしか思えない。
幕引きの怒鳴り声は、黒澤映画『悪い奴ほどよく眠る』からの引用らしい。しゃらくさい。比べ物にならないが、あえて言わせてもらおう。
これでいいのか︎
低評価の理由を知りたくて
予告は面白そうなのに、アマプラで低評価だったので、その理由が知りたくて視聴。
結果、そこまで悪くなかった。
Yahooの評価は3.7もある。
結末はスッキリしない。
白黒付けれるストーリーではない。
最上の気持ちもわかるし、
沖野の気持ちもわかる。
正義とは何かを考えさせられる。
最後に最上が捕まれば、もう少しスッキリしたかもしれない。
情報量が多いし、急な登場人物の立ち位置が映画では分かりにくい。置いてけぼり感を感じやすいかも。
評価に捉われず見てほしい。
あまり気分は良くない
映画館。
こわかったし気持ち悪かった(´-ω-`)
冤罪はこわいことだけど、
あんな奴冤罪になったほうがいい。
刑に処されて良かったと思ってしまう。
少年法って本当に意味があるのだろうかと思ってしまう。
キムタクはあの別荘が墓場なんだろうかね。
18.9.22 映画館
重く難しい
正義… これがこの作品のテーマだろう。
日本を良くしたい… 大学の北豊寮出身の仲間たちがそれぞれそう思いながら自身のキャリアを積み重ねながら今まさに日本の背骨になろうとしている。
検察官となった木村拓哉演じる最上検察官は、部下である二宮演じる沖野が「久住由紀」と同じ誕生日だったことで彼を自分の片腕にしようとした。
この作品は複雑で難しく、なかなか理解しにくい。
最上は冷静沈着で、揺るがない正義感を持っているが、北豊寮で起きた事件が時効となったことが唯一の汚点だ。
そしてある殺人事件が起き、その容疑者の一人にあの時の事件の容疑者松倉が浮上したことで、最上の正義感が大きく揺らぎ始める。
最上には情報屋の諏訪部の存在があり、沖野専属事務官の松高演じる橘が検察の不祥事を暴くために入社した出版社のスパイという設定。
最上の仲間の丹野議員は、妻が所属高島財団なるものが、太平洋戦争を美化し日本を再び戦争へと駆り立てているという秘密を手に入れるが、マスコミはそっぽを向き自分自身が追い詰められてしまうことで自殺する。
この作品は「言葉の魔術師たち」「審判」「愚者」という3部構成で描かれている。
「言葉の魔術師たち」で語られるのが「建前」のような美辞麗句。
「審判」で語られるのが「真実」 松倉の生々しい供述と弓岡という真犯人、そして追い詰められた丹野が語る「この国の真実」この国の報道の自由世界第80位。
そして「愚者」で語られるのが「今後の方向性」だろう。「橘へのスパイ容疑」によって二人の言動を一刀両断する最上。発見された物証から作られた「新しいストーリー」
やがて沖野は橘と組んで国選弁護人に頼み込んで事件をひっくり返すことに成功する。
しかし松倉は老人の車の暴走で死亡する。
最上に呼び出された沖野。彼は真実にたどり着いていることで、最上は丹野の示した証拠を持ち出し、高島財団と戦争というわけのわからない話を持ち出す。
冤罪をかぶせられそうな松倉を、正義の観点で助けたものの、奴がクズ人間だというのは、勝訴した弁護士事務所の長の山崎努さえ、憤るほどだ。松倉は目の前で「力」によって殺害された。
正義を貫きながら、誰一人救われなかった。
「でもあなたは検察側の罪人だ!」そう言って飛び出したものの、本当はどうすればよかったのか全く分からなくなってしまったのが、彼の最後の叫びだったのかもしれない。
どなたかほかの意見をお聞かせください。
最初に映画館で見て、今回もう一度見てストーリーは追えたが、難しかった。
❇️凄腕調子こきまろ検事のイキリ感半端ない😆★彡褒めてます。見所です。
検察側の罪人
🇯🇵東京都 大田区蒲田など
過去の親友を亡くした検事のキムタクさん。
老夫婦の殺人事件の容疑者から、過去の記憶が蘇る。
凄腕検事が後輩(二ノ宮さん)と容疑者を追込んでいく。
冷静さを失った検事の行末は⁉️
❇️凄腕調子こきまろ検事のイキリ感半端ない😆★彡褒めてます。見所です。
◉70点。
★彡中途半端な結末でした。
やっぱりキムタクはキムタクなのかな?
つきぬてたラストが見たかったな〜
🟢感想。
1️⃣キムタクが良いカッコ検察役がオモロい⭕️
★彡こんなイキがった男逆に面白い。
2️⃣マウント取り合いの会話劇が楽しい⭕️
★彡相手に威圧する会話や切り返し話術など、マウント取り合いで見ていてワクワクしました。
3️⃣回想シーンの説明セリフいまいち🔺
★彡仲間と過去の話を説明する不自然な会話にはやや冷める。
4️⃣強弱ある事情聴取の追込み⭕️
★彡緩急があって凄く良かった。
5️⃣ゆるゆるの尾行は頂けない❌
キムタクを疑う女性の尾行はちょっと無理あるな?★彡変装くらいしたらいいのに😆
6️⃣あまり見ないキムタクの役処が新鮮⭕️
前半は面白かったなぁ、ホントに
結論から言う。爽快感もなければ後味の悪さもない、噛んでも噛んでも味が出ない、パッとしない映画だった。
とにかく、意味不明なパートが多すぎる!
「マンハント」みたいに訳わからなさが一周してむしろ面白い、みたいな映画だったら良かったのにとさえ思う。鳩とか飛ばしたら良かったんじゃないですかね?今からでも追加したらどうでしょう?無理か。
「ペンギン・ハイウェイ」の時は、表現不足を観客の解釈に頼りすぎィ!と思って原作も読了したが、原作読んでるうちに内容忘れそうなくらい(もしくは上書きされそうなくらい)淡々とストーリーを追う作品だった。
かと思えば不必要としか思えないエピソード挟んでくるんだよなぁ。最上検事の冷めきった関係の妻とか、ガールズバーで働いてる義理の娘とか、「後半何か本筋に絡んでくるのか?」と思いきや全く関係ないの!ビックリだよね!
正直、同級生の丹野の葬式とかワケわからんことのオンパレードで、一瞬葬式だってわからないよね。暗黒舞踊からの泣女で事件のこと忘れかけたね。そりゃ丹野も浮かばれないだろーよ。それだけは伝わったな。
さらに本筋の肝とも言える主役の検事二人。「さあ、どう対決していくんだ?!」って思うじゃん?ここから静かでいて激しい舌戦が繰り広げられていくのかと期待するじゃん?
沖野検察辞めちゃってんじゃねーか!「検察VS検察」って何だったんだよ?!っていうか、沖野特に何にもしてねーな…
正直沖野が松倉の取り調べしてるシーンと諏訪部の暗躍シーンくらいしか面白い所無い。余計なメッセージ詰め過ぎて、テーマ回収仕切れてない。
原作次第だが、場合によっては「進撃の巨人」を超える脚本と言えるやもしれん。アレを超えるとなったらなかなかのもんだよ。
前半は期待したより面白かったから、余計残念だったなあ。
「ありえねえっ!」 と思った。 「こんな脚本ありなのか?」 この先を見ようか迷った。 リアリティがないのは苦手なのだが、 まあ終盤ひねりがあったし、 お芝居だからまあいいか
動画配信で映画「検察側の罪人」を見た。
劇場公開日:2018年8月24日
2018年製作/123分/G/日本
配給:東宝
木村拓哉
二宮和也
吉高由里子
松重豊
平岳大
八嶋智人
大倉孝二
山崎努
矢島健一
音尾琢真
キムラ緑子
芦名星
山崎紘菜
酒向芳
予備知識ゼロで鑑賞しはじめる。
東京地検刑事部のエリート検事・最上(木村拓哉)と、刑事部に配属されてきた駆け出しの検事・沖野(二宮和也)。
金貸しの夫婦が惨殺された事件を追う。
容疑者の一人である松倉(酒向芳)に最上は個人的な恨みがあった。
松倉を犯人と決めつけ執拗に追い詰めようとする最上。
しかし、松倉よりも容疑が濃厚な别の容疑者が現れる。
そして、最上が取った行動とは?
「ありえねえっ!」
と思った。
「こんな原作(脚本)ありなのか?」
この先を見ようか迷った。
他にも突っ込みどころがいくつかあった。
リアリティがないのは苦手なのだが、
まあ終盤ひねりがあったし、
お芝居だからまあいいか。
個人的には友人の政治家のはなしとか、
葬儀の哭き女は蛇足だと感じた。
満足度は5点満点で3点☆☆☆です。
キムタクにソンタク
もうね、タイトル通り。
変える必要のない所が、シナリオの根幹が変わってる。
なるほど、キムタクを負けさせるわけにはいかなかったのかな?と思わざるを得ない。
個人的には役者としてのキムタクに不安はあまり持っていない。
幅は狭いが演技は決して下手ではない。
何をやってもキムタクと言われるがそれは彼の持つオーラの問題であり彼自身に責任はない。
キムタク起用における最大の不安はスタッフ側が彼のカリスマ性(あと当時であれば事務所の力)に負ける事だ。
本作はキムタクの演じるキャラの原作でのポジション的に不安しかなったがニノとのW主演ということで多少期待もしていた……がやっぱりキムタクに忖度していた。
負けなきゃいけないキャラを負けずに終わらせちゃだめだろう。
原作では最上(キムタク)は最後は捕まり『自分を捕まえた沖野(ニノ)の行動は正しいが、自分の行動にも(沖野に検事を辞めさせてしまった事以外)後悔はない』という態度であり、自分の弁護をしたいという沖野の申し出を断り『他の人を救え』と袂を分かつ。
沖野は『無罪の人間を有罪にするのはおかしいと動いた自分の行動は正しいが、正しいというだけが正解なのか』と涙するしか無かった。という結末。最上と沖野…結果的には沖野が勝ったのだが、話的にはどちらが勝ったとも言えずどちらも正しく感じるという考えさせるもの。
しかし映画での最上は『自分の描いたストーリーで悪を裁けた。これからも戦い続ける』と沖野を自分の側に引き込もうとすらしています。
完全にダークヒーロー気取りです。何こいつ。
結局沖野は原作とは違いいつか最上を裁くことを決意し、様々な思いから激昂します。
一応沖野の勝ちながらグレーな結末となった原作と違い完全に沖野の負けです。
ホントなにこれ?
あと、単純に比較的長めの原作とはいえ尺は十分にあったのにも関わらず、監督が『自分の色』を出そうと戦争やら宗教やらの要素を付け足した結果として内容がやや駆け足となっていたのもいただけない。
改変部分に目を瞑れば映画としては比較的良い出来だと素直に思うが、かと言って改変が気にならないように原作を読まずに見てしまうと今度はやや説明不足で駆け足に感じる部分もあると思うしで悩ましい。
怪物と戦う者は自らも怪物にならないよう気をつけなければならない。
検察官には真実究明のための強大な捜査権限が与えられている。この権力はともすれば人権を侵害しかねないほど強大であり、だからこそその行使は法の下適正に行われなければならない。
その権力行使を唯一担保するものが法律である。検察官にとっての正義とはその法律に従って事件を捜査し被疑者を起訴するか否かを決定することである。たとえその法律に不備があったとしてもだ。
殺人事件の時効はかつては25年と定められていた。それがDNA鑑定などの証拠資料が採用されたことから、経年による証拠散逸という時効を定めた理由がなくなり2010年に廃止された。
街金を営んでいた老夫婦が殺害される事件が発生し、その容疑者の中に検察官最上は松倉の名を見つける。かつて最上の下宿先の娘を殺したこの犯人の時効は刑訴法改正以前にすでに迎えていたため、過去の事件では松倉を罰することはできない。人道的には誰が見ても万死に値する行為を行った松倉を法的に処罰することはできないのだ。
だが、最上は検察官としての正義を見失い、個人としての正義を執行しようとする。老夫婦殺害事件で無実の松倉に罪をかぶせて、過去の罪を償わせようとしたのだ。
松倉を罰したいという気持ちは人間であればだれもが抱く感情だろう。しかし、最上は検事なのである。法に従いその検察権を行使する彼が自身の正義に則り処罰しようとする行為はもはや検察権逸脱の行為である。
医者が目の前の重傷者を殺人犯だからといって治療を放棄すればそれは医者としての正義を全うしたといえないだろう。最上もそれと同じである。彼は検事としての正義を忘れてただ自身の正義を貫こうとする。
彼が一般私人ならばまだ同情の余地はあったかもしれない。しかし、彼は行政権力の担い手なのである。
彼のような権力者が自分の好きなように権力を行使すればそれはもはや権力の暴走である。法という鎖につながれていた狂犬が野放しになったも同然なのだ。
ただでさえ、現実社会ではこういった検察権力の誤った行使で冤罪事件が後を絶たない。日本では戦後、死刑判決が出た事件では最近話題の袴田事件を含む五件の冤罪が発覚している。またすでに刑を執行された中にも冤罪だった可能性が高いものがある。
だからこそ私は死刑制度には個人的には反対だ。人間は神ではないし、けして過ちを犯さないとは言えないのに死刑を執行してしまっては取り返しがつかないだろう。ちなみに先進国では国として死刑制度を廃止してないのは日本だけである。
最上はかつて権力の暴走がこの国に何をもたらしたのか祖父から聞いてよくわかっていたはずだった。権力の暴走が生み出す究極は戦争である。
日本はかつて無謀な大戦に突入し多くの戦死者を出した。第二次大戦におけるインパール作戦のような無謀な作戦による餓死者、病死者というのが全体の戦死者数の6割を占めた。6割の人間は敵と戦って殺されたのではないのだ。
権力の暴走が生み出すそんな愚かな結果を誰よりも知っていた最上自身がその権力を暴走させてしまった皮肉。
彼とて優秀な検事のはずだった。自分のやっていることが検事として許されないことなどわかっていたはずだ。だからこそ彼は自分の身近にかつての教え子だった沖野を置いたのかもしれない。自分の暴走を止めてくれる存在として、あるいは自分の罪を追究してくれる存在として。
検事としての正義、人としての正義。そのはざまで葛藤し、最上は結局は検事としての道を踏み外してしまう。
権力は暴走する。だからこそそれを制御するものが必要だ。怪物のような凶悪犯に立ち向かうためには時としてその強大な権力が武器になる。しかし、自身がその権力に飲み込まれ怪物となってしまってはならない。
本作はさすがに二宮の演技が突出していて良く、ミステリーとしては見ごたえはあったが、松倉を交通事故で死なせるあたり、安易な娯楽作品という感じは拭えない。
また、最上が何故あのような大胆な行動に至ってしまったのかの説明が弱い気がした。彼が道を踏み外すまでの過程がもう少し丁寧に描かれていればよかった。
あと原作は未読だが、これは監督の意向なのか、本作が公開された当時の極右政権へのあからさまな批判というか揶揄した描写が多い気がした。気持ちはわかるが本作ではそれらが必須のものとは言えず少々ノイズになってしまった。
やりたいことが多すぎましたね。
異なる正義を貫く2人の検事の戦い
邦画らしい本格的な社会派ミステリーであり、見応えのある力作だった。本作は、容疑者取り調べにおける人権侵害など、司法が抱える今日的な問題を織り交ぜながら、正義の在り方を鋭く問い掛けている。
本作の舞台は東京地方検察庁。新米検事・沖野(二宮和也)は、刑事部に配属され、心酔していた凄腕検事・最上(木村拓哉)とともに、老夫婦殺人事件を担当することになる。2人は警察と協力して次第に容疑者を絞り込み、既に時効が成立した過去事件の容疑者だった松倉(酒向芳)に辿り着く。松倉は犯人なのか?を巡って、次第に2人の検事は対立を深めていく・・・。
最上も沖野も強い正義感を持っている。どちらも、己の正義を絶対に貫こうという強い信念に溢れている。しかし、2人の正義は異なっている。最上の正義は、目的のためには形振り構わない、手段を選ばない、という凄腕らしい現実的なものである。対する沖野の正義は、法の下で正義を貫くという、若者らしい純粋でストイックなものである。
そんな2人の激論シーンは、相容れない異なる正義のぶつかり合いであり迫力十分。更に、本作で最も印象的なのは、沖野の取り調べシーンである。緩急を全くつけない二宮和也の怒と激に徹した演技に、沖野の途轍もなく強い正義が画面から溢れ出てきて圧倒される。
本作で2人の正義が際立っているのは、2人の正義が異なっているだけではなく、正義の対極にいる悪党たちが個性的であり強烈な存在感を示しているからである。正義の在り方を問うには、悪が悪らしく憎々しくなければ説得力がない。そういう意味では、本作に登場する悪党たちは非の打ちどころがない。申し分ない。
本作は、前半に巧みにばらまかれた様々な問題提起を後半にまとめ切れず、ラストの切れ味が悪い。しかし、本作は、奇をてらわず、真正面から正義の在り方について迫っているので、難はあるが、骨太で見応えのある作品に仕上がっている。
ニノ×キムタク
ジャニーズファンとしては、事務所の人間のコラボ作品は楽しみで、それが先輩後輩となるとそれだけで期待値があがる。
本作では演技力には好評のある二人の共演で、それだけでも見たい!と思わせてくれた。それぞれの演技が好きが嫌いは置いておき、ただ同じ画面にこの二人が並ぶというだけでテンションあがる、ジャニーズマジック!
で、感想はというと、いろいろお話が拡がり過ぎて、すべてを理解するのは無理でした。ただ、よくある、正義側にいる人間が己の都合で正義の立場を利用して、道を誤るってところは理解できた!
まさにタイトル通り。
でもよーく考えると、もし自分に権力があって、目の前に、自分の大切な人を殺した殺人鬼が現れたら、職権乱用せずに冷静に正しいやり方を突き通せるか、、、ですよ。
まぁ、法律はおかしなことにならぬよう、そして、弁護士や検察官、裁判官達はそこ法にのっとって決断できるくらいの人間でないとなってはいけない人たちなんですよね。
私みたいな人間では到底そんなこと出来ないので、本作ではキムタク演じる最上さんに一票です。
始めに書いたように、あまりに話の幅が広過ぎて、インパール作戦や、政治家やら、その辺描くならもう少し説得力のある描かれ方をしてほしかったなーと。
ニノの演技は好きなので、見応えあり〜でしたが、そんな中でもダントツで松倉役の酒向芳さんは素晴らしかったですね。キモーい頭イカれた人を演じるのって、どんな気持ちなんだろうか。
世の中には自分には全く理解のできない性癖や考え方を持った人間がいることを映画を通して知ることができるなと、改めて本作を見ながら思いました。
ラストのニノのシーンはワタシ的にはいらないかなと。
優秀な検事ほど犯罪を犯す
一線を越えた、その先は?
キャッチコピーが「一線を、超える。」だそうです。
主要な登場人物は全員、一線を越えましたね。
殺人罪の松倉と弓岡はもちろん、
やくざ関係のみなさまとブローカー諏訪部は
言わずもがな。
潜入して内部情報をリークする橘も、
闇を暴こうとして自殺する丹野も、
権力側の高島も。
善悪ではなく、自分の信念や欲望のために
一線を越えてしまう。
そして「正義」の名のもとに一線を越える、
最上と沖野も。
そう思って観ると、全員が悪人であり
罪人であり、そして正義の味方に見えてくる。
それこそがこの映画のテーマ。
自分も含め、この世のすべては
善人と悪人の表裏一体。
悪人=罪人とは限らず、善人=罪人の可能性も
大いにありうる。
現実社会において報道の裏に潜む闇を
モチーフにした登場人物たちが、
サブリミナルのように真実を伝える。
善人=悪人=罪人だと。
それに気づかずに凡人として明日を迎えるのもよし。
正義の名のもとに悪人として行動するのもよし。
しかし、その結果罪人としてレッテルを貼られるのは
避けなくてはならない。
だとすれば、それに気づいた僕は、
どういう態度で明日を迎えればよいのだろうか。
苦悩の末、ラストの沖野のように
ただ叫び続けるしかないのだろうか。
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