ネルーダ 大いなる愛の逃亡者 : 映画評論・批評
2017年11月7日更新
2017年11月11日より新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMAほかにてロードショー
二つの錯綜する〈語り口〉によって極上のサスペンス映画に仕上がっている
パブロ・ネルーダといえば、映画ファンにとっては、かつてのイタリア映画「イル・ポスティーノ」(94)で主人公の郵便配達夫に詩法を伝授する静謐な亡命老詩人のイメージが思い浮かぶだろう。しかし、晩年にノーベル文学賞を受賞した、この政治に翻弄されたチリを代表する国民的詩人の生涯はさまざまな謎に満ちている。
監督のパブロ・ララインは「ジャッキー ファーストレディ 最後の使命」(16)でケネディ暗殺から葬儀までの4日間にフォーカスを絞り、ジャクリーヌ・ケネディの内面の苦悩と動揺を鮮やかに切り取ってみせた。本作も、共産主義の政治家でもあったパブロ・ネルーダ(ルイス・ニェッコ)が、1948年、チリ政府により共産党が非合法化され、逃亡生活を余儀なくされた一年間にスポットを当てている。
映画は、ネルーダ逮捕の命を受けた警官ペルショノー(ガエル・ガルシア・ベルナル)が、もう一人の主人公となり、いわば二つの焦点をもつ錯綜する〈語り口〉によって極上のサスペンス映画に仕上がっている。
前半はペルショノーの内面の声=ヴォイス・オーヴァーを駆使した往年のフィルム・ノワールの感触があり、後半、雪原での馬上の逃亡=追跡劇にいたると沈鬱な西部劇のトーンを帯びてくる。ペルショノーのナレーションを介して、引用される自然への愛惜を謳い上げるおびただしい詩の断片からは、ネルーダは、あたかも貧しい民衆の魂の根源に触れるような博愛主義者のごとき存在に映る。だが、その一方で、逃亡中でも酒場や娼館に入り浸り、酒色に耽る、常軌を逸した快楽主義者の顔も垣間見える。さらに同行するアルゼンチン貴族の妻デリア(メルセデス・モラーン)との官能と倦怠に満ちた日々のスケッチからは、一筋縄ではいかないネルーダの特異で複雑な人物像が浮かび上がってくる。
本作は、あくまで古典的なジャンル映画の骨法を生かした演出によって、ネルーダとベルショノーという出自からすべてが対極にあるふたりが合わせ鏡のように互いを照射し、侵蝕し合う存在として描き出している。見終えると、イデオロギーよって裁断する、凡庸な偉人伝からは遠く隔たった、このユニークな〈語り口〉こそ、パブロ・ネルーダという不世出の詩人への興味を限りなく喚起させるために最も有効であったことが納得されるのだ。
(高崎俊夫)